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Author:諒
■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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地球(9)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

光話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------

だからこそ、自ら蒔いた種は自らが刈り取る。

誰彼のものを刈り取って、皆さん得ることは出来ません。

だからこそ、我々は今日も愛という種を蒔き、明日も明後日も愛という

種を蒔けば、未来永劫に愛の実は至福として、やすらぎとして、喜び

としてそれを刈取ることが出来るではないでしょうか。

しかし、全く逆の種を蒔いて見てください。

毎日苦しみ、毎日不調和、毎日我々は混乱を刈取っていくこと他に

ありません。

だから先ほども話をさせて頂いたように、崖から滑り落ちてすりむいた

傷は、いつかはほっておいても癒えましょう。

しかし、舌を滑らせて相手の心を傷つけたならば、その傷は生涯癒えぬ

ということを知ってもらいたい。

だからこそ我々は、言葉、思い、表現、徹底して制御して生きねば

なりません。

今皆さん自身、本当に正しく、すべてを映し見ているのか。

すべてのすべてあってあるものに、神の御姿を映し見ているのか。

なぜ?現にすべては神の化身ではないでしょうか。

すべては愛の化身ではないでしょうか。

すべてのすべてあってあるものに、神という絶対なる中に創造され、

絶対なるその方が、すべてに命を与え生かしているならば、自らの

創造した被造物の中に、自らの命を宿して、ここに神は化身している

ならば、すべては神の化身。

だから神はすべての下僕であるとともに、偉大なる方が神であると

申します。

神は全知全能の方、しかしまた、小さな蟻一匹の中にも下僕となって、

命を与えてそこに生かしていること。

だから無知、無力、迷いのために我々は、万物の霊長として創造され

ているではありません。

今のように毎日のように殺し合い、殺し合い、殺し合いの今の世の中、

本当に万物の霊長たる我々があるべき姿なのかと。

万物の霊長ならば、動物、鉱物、植物の進化さえも、愛の波動を与え、

愛そのもので生かし、愛そのもので認めて、すべての進化のために

働き生きれるほどの我々であってもらいたい。

我々の誤った生き方の結果、天候異変、地震、雷、台風、竜巻、

事件、事故と様々なその結果を引き起こしているではないでしょうか。

本来は我々が愛を燃え伝えて生きたときに、皆さんに愛の伝導体であることと

言います。

皆さん自身が一瞬一瞬、常にこれは神の愛の伝導体として使うべきこの

肉体であって、決してエゴのために利己主義で使うためではないんだと。

肉の快楽を貪るための肉体物質ではないんだと。

世のために人のために神のために、使い生かす最高な伝導体として

使い用いることが出来るならば、語る言葉から愛、思う言葉から愛の

波動、表現一つ一つから愛の波動を放って見てください。

あっという間にこの世は調和されていくだろうと。

だから先ほども話したように、見えるこの物質世界を陰、霊的世界を

陽と理解出来るならば、陰陽というプラスマイナスの電線が調和され

たとき、そこに綺麗な明るい電気も灯しましょう。


--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。

実際の光話をお聞きになりたい方は、「愛の伝燃」

をご覧下さい。



多くの人が愛の表現体とならんことを。


多くの人が真の自分に目覚め生きることを。

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未分類 | 【2007-02-17(Sat) 17:35:35】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
「愛の伝燃」を開設致しました
2006年度もあと残すところ、3週間となりました。

このブログは今年の1月から始め、あっという間にそろそろ1年を

迎えようとしています。

開設当初は始めたからには、必ず1年は続けようという思いがありました。

しかし皆様の優しいコメント、お言葉などがあったからこそ、

それを励みにここまで頑張ってくることが出来ました。(感謝)

さて私たちは師の元、学びをさせてもらっていますが、一人一人に

与えられた一日二十四時間、どれだけ、肉体、人間、個人という意識

ではなく、普遍意識を顕現出来ているか。

先生は明想中、蓮の花から顔を出したと思ったら、すぐにまた

引っ込めるあなた方を見せられていると語られました。

その逆に先生は、常に二十四時間、寝ても覚めても普遍意識、

実相の世界に留まっており、逆に肉体を意識しなければ、この世の

仕事さえも出来ないほどの意識状態を体験されております。

私は先生に追いつくどころか、ますます努力不足を痛感させられ、

より一層気を引き締める必要を感じさせられました。

また、この調和(バランス)を崩してしまった地球は瀬戸際に

追いこまれている状態であること、そしてこの状態を立てなおすには、

我々一人一人が、そして多くの人々が、愛に目覚め、神なる我を

表現すること以外にないことを今まで以上に感じさせられました。

そして出来るだけ多くの皆様に、この愛のメッセージをお伝えしたい

という思いが強くなりました。

そこで、先生のご許可を頂き、文字だけでは伝わりにくい部分が

あったりすることもあり、高き波動を直接感じ取ってもらい、

より多くの人のハートに訴えかけるものがあればと思い、実際の光話を

お伝えしたく、兄弟ブログである「愛の伝燃」を立ち上げさせて

頂くことと致しました。

「愛の伝燃」では、光話を中心としたブログ構成(音声中心)とさせてもらい、

週1度程度の更新を目指し、皆様にお伝えしていこうと思いますので、

是非当ブログ「神我・真我への道」ともども、今後もご愛顧いただければと

思いますので、よろしくお願い致します。

是非、実際の光話をより多くの人に聞いていただければと思います。


未分類 | 【2006-12-11(Mon) 19:35:28】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
努力と忍耐
瞑想する時間ですが、最近は、ヨガナンダ師が言われるように

一日四回とはいきませんが、確実に朝と就寝前にしっかりと

時間を取ってするようになりました。

現代人ではなかなか一日四回というのは難しいとは

思いますが、時間が取れる人は、朝、そして昼食前、

そして夕食前、そして就寝前に規則正しくすると良いと

おっしゃっております。


朝起きて瞑想するのも、去年までは朝の4時ころに起きて、

瞑想しようと時間を取ったりしていたのですが、ほとんど

寝ていたなんてこともしばしばあったのですが、

ここ最近では、夜中2時ころに就寝して、4時半ころに目が

覚めてそのまま瞑想しても、しっかり意識をもって瞑想できたり

と、それだけでも少しは進歩があるのかなあと思っています。

これが、持続できるかどうかというのが大きな問題なところですが。


睡眠時間のことですが、聖者の方々はほとんど寝ることなく、

先生も一週間でも何日でも寝なくても全く問題ないと言われます。

寝なければ体に支障をきたすというのは、全く人間の観念・概念

であると訴えられます。



確かに我々は子供の頃から、人間は1日8時間寝ることというのを

親から聞かされ、それが当たり前になっており、今でも日本の

平均睡眠時間は、7時間30分くらいのようです。

10年以上前に、ある先生の本で、先生の睡眠時間は一日4時間

程度(その何年か前の当時)というのを読んだときに、すごいなあ

と思ったことがありましたが、今自分自身もそのような状態に

なっているので、それだけでもだいぶ進歩ができたなかあと

最近の生活を振り返ると感じることが出来ます。

夜中の2時に寝たのに、4時ころに目が覚めるなんていう

ことは、ちょっと信じられないことだったのですが、もっと

もっと瞑想して努力する時間を取ろうと意識が強まっているので、

自然と目が覚めることが出来たんだと思います。

これが当たり前のように何ヶ月、何年も続けることができれば、

神も熱意に負けて、姿を見せてくれることでしょう。

忍耐と努力、この2つの文字がどれだけ重要かということを

痛感させられます。

いくら努力しても、なかなか神は現れてくれないと、私たちは、

忍耐を忘れ、努力を継続し続けないことが多いですが、そのような

心には、神は降りてくださらない。


先生がよく言われるように、努力、努力、努力、そして忍耐、忍耐、

忍耐が、この霊的な道を歩むときには、必要不可欠です。

この地上界が神の国へと導かんがために、共に学び、共に頑張り

ましょう。

感謝

未分類 | 【2006-06-28(Wed) 23:08:57】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
瞑想の大切さ
先生がお勧めしてくれた『人間の永遠の探求』(森北出版)

パラマハンサ・ヨガナンダ講話集を読ませてもらっています。

先生自身は本は読んだことがないが、テープで聞いたことがあり、

私の生き方にそっくりであるとおっしゃっており、是非読んだ

方がよいと勧めてくれました。

著書の中で、ヨガナンダ師は瞑想しなさい、瞑想しなさい、

瞑想しなさいととことん畳掛けるように、私たちに瞑想

することを勧めています。

朝、昼、夕、夜と一日四回、規則正しく瞑想することを勧め、

そして週末には一日六時間以上の瞑想をするようにと、何をする

ことよりも瞑想することが好きになるようにとおっしゃって

います。

六時間以上と言うと、そんなことは出来ないと思う人が大半だが、

ピアノの練習を一日六時間以上練習する人がいるのではないのかと、

訴えています。

確かに人は好きなものであれば、何時間でも時間を忘れて夢中に

なることが出来ます。

私も子供の頃は、ギタリストになりたいと思って、ギターの練習に

明け暮れた頃もありました。

その頃は、確かに一日六時間くらい練習していました。

そのようにこの世のものに夢中になれるのなら、実相世界を掴む

のに必要な瞑想にそれだけの時間を費やして、努力して、努力して

いく必要があると痛感させられました。

寝る暇も惜しんで、瞑想しなければ、神は降りてこないとも

訴えられています。

先生と全く似ており、朝の四時前に就寝したことがないと

ヨガナンダ師は言われます。

朝も昼も夜も泣き叫んで、神を求めてきたヨガナンダ師は、

あなたがたの神を求める心が、情熱が強ければ、必ず、神は

応えてくださるとおっしゃっています。

イエス様も子供がパンを欲しがるのに、石を与える親がどこに

いようかとも言っております。

私たちは、どれだけの努力をしているか、神我到達への道は、

生半可では到底、到達することはできないということを実感

させられました。

とにかく、今、自分が何に意識が向いているか、俗なテレビ番組

や映画などに夢中になる時間があるのであれば、

それは仮相の世界に夢中になっているということであり、

そのような状態では神は応えてくださらない。

それこそ、パンを欲しがっているものには、パンを与えるしか

ないのではないでしょうか。

著書の中では、10時間以上瞑想する子供の話も出てまいります。

神を実感するには、四六時中神のことだけを考え、瞑想、瞑想、

瞑想以外にないということを痛感させられ、またもっと努力しよう

と強く決意させてくれた一冊でした。



未分類 | 【2006-06-26(Mon) 22:10:44】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
認めるものが現れる
ここ何年も毎日のように、テレビのニュースを見れば、

親子が殺し会ったり、幼い子供の命が奪われたりと、

暗いニュースばかりです。

まさしく、末法の世界となっています。

そんな中、わたしたちは、どこに意識を向けたらよいのか?


わたしの家庭もそうですが小さなお子さんがいる家庭は、

不審者が出たりして、登下校中に自分の子供に何か

おきやしないかと心配します。

同じ保育園に通う親に自分の子供を殺害されたというような

事件もありました。

このような世の中だから、もう誰も信用できないよねと、

多くの人が言います。

そんな中、私は常に完全のみを思うように心懸けています。

自分の子供が帰り道に何かないだろうかと、考えること自体が

心配想念であり、ネガティブ、破壊的、消極的な意識だと思う

のです。

不完全意識そのものであり、完全意識ではないと思うのです。

神への信仰が薄いと思うのです。


認めるものは現れますので、そのように子供に何かおきやしないかと

思えば、その通りのことが起きる可能性があると思うのです。

全く、一瞬たりとも、そのような想いが頭に浮かんでこないこと。

これが、神意識だと思うのです。

ほかにも、事故に巻き込まれやしないかとか、病気になるのではとか、

そのような想いは、神を信じていないことになります。

偉そうなことを言っていますが、わたしも当然、まだまだ

このような意識が出てきます。

そのたびに、想いを中断し、自分の思考が神意識ではないことを

反省しています。

一歩一歩、ひとつひとつ、進むしかないのです。



認めるものが現れるというのは、偉大な真理です。

ヒマラヤに在住する聖者の方々は、死を知りません。

死自体が何なのかわからないし、認めていません。

認めていないから、現れようがないので、死ぬことがないのです。


もう何百年も生きている聖者方がおられるのです。

私たちには、人生80年とか、人間は70歳、80歳になれば、

寿命があり、死ぬものであるという思いがあります。

一般常識となっています。

死を認めてしまっているのです。

認めているから、死んでしまうのです。

病気や風邪も認めているからこそ、かかってしまうのです。

少しずつ、私たちは、意識を変えていき、光あるものとして、

神への奉仕ができるようになれたらなと思います。



未分類 | 【2006-05-18(Thu) 23:28:02】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
神への想い
真理はひとつしかありません。

それはすべてがひとつですよ。

皆さん方は、肉体ではなくて、生命なんですよ。

肉の自分に生きるのではなくて、生命の我を生きてください。

と先生は繰り返し繰り返し、もう何十年も同じ事を私たちに

説いています。

自分の使命を全うすること、人々への奉仕のみに生きておられます。

私たちは、先生のおっしゃることが分かっているつもりに

なっているのですが、

本当の深い部分では、理解できていないのが現状です。

ですから、意識は徐々に高まるものであって、

先生がおっしゃることが、

このことについては分かっていると思っていたものが、

今、また聞くと、もっと深い捉え方ができるようになったり

します。



私自身が今、すごく学ばせてもらっていることは、

神は完全であるということ。

これは一瞬一瞬の意識が勝負であること。

少しでも、疲れたなとか、仕事が嫌だなとか、

子供の心配をしてみたりとか、病気のことを考えたりとか私たちは、

そういう意識が無意識のうちに出てきてしまいます。

そうしているときは、私たちは、不完全を意識しているということ。

神意識ではなく、人間意識であるということ。

これを1日24時間、どれだけ、神意識でいられるかということに

つきると思います。

寝ているとき、夢を見ているときでも、どれだけ、神への想いが

あるか、これが神意識だと思います。



最近、「ヒマラヤ聖者の生活探求」を読ませてもらいました。

その中で、聖者の方々は、野獣を見ても恐怖を感じません。

野獣を見ても、愛しか見ないのです。

常に神意識なのです。

野獣も聖者から恐怖感を感じないので、襲うことはありません。

私たちもジャングルの中で野獣を見て、恐怖を感じないで

いられるか?

どれだけ、神への信仰を持っているか?

神への信仰が強ければ、絶対に恐怖感は出てこないはずです。

聖者の方々は、恐怖を知らないのです。


それが意識の高さであり、悟りの高さだと思います。

そんなことできるわけがないだろうと、私たちは聖者とは違うと

思ってしまいますが、私たちと聖者の方々との間に、

違いはないですよね。

聖者である方々ができることは、わたしたちにも出来るはずです。


私は、今、自分の想いとして、常に聖者である大師だったら、

どのような言葉、想い、行動をするだろうかと考え、そこへ

近づくよう努力しています。

私たちは、一人ではありません。

このように、目に見えない多くの方々が、私たちを導き、

指導してくださっているのです。

毎朝、祈りましょう。

「神よ、また目に見えない私を指導してくださっている指導霊

の皆様方、どうぞ、今日も一日、わたしを神の使いとして、

お使いください。」

未分類 | 【2006-05-17(Wed) 22:37:46】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
我は神なり
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をまとめました。

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皆さん方は、一日のうち、どれだけ、神に意識を向けていますか?

あれがほしい、これがほしいと、この世の物質に目を向けているとき

は、神に意識を向けていると思いますか?

この世的なものに、目を向けているときは、あなたは、自分のことを

人間だ、肉体だ、個人だと思っているのです。

そのことを、個人意識、肉体意識、人間意識といいます。

個人と思っているわけですから、小我といいまして、小さな自分

と思っているわけです。

その意識状態では、全体を見ておりませんので、他の人とも意識は

つながりません。

自分で自分を束縛しているのです。

制約してしまっているのです。

個人として生きている限りは、隣人を他人として見ますので、

悩み、苦しみから、あなたがたは、逃れることができません。

思いは思い放題、言葉は言いたい放題、行動はしたい放題で、

どうして、全一体感を実感することができましょうか?

あなたの憎み、そしり、怒りは、必ず、あなたに跳ね返ってきます。

日常生活で、旦那さんや奥さんや子供たち、または会社の同僚に、

言いたい放題で、憎み、そしり、怒りあって、どうして、

幸せに生きることができましょうか?

自分で、悩み、苦しみを作っているのに、なんて、人のせいにする

人の多いこと。

自分の身口意をコントロールせずして、悩み、苦しみから逃れること

はできません。

あの人は、いい人なのに、なんて不幸なことが起きているんだろう、

かわいそうにという人がいますけど、勝手にその人に、悩み、苦しみ

が襲ってくることはありません。

愛で、愛一元で生きている人に、悩み、苦しみが襲ってくることが

あると思いますか?

必ず、原因は、その人の心にあるのであって、勝手に悩み、苦しみに

襲われることはありません。

原因は、すべて自分にあるのであって、人のせいにしてはいけません。

なぜ、その悩み、苦しみの状態に、自分があっているのだろうか?

真剣に、自分で解決せねばなりません。

与えられた宿題、課題から、一時的に逃げたとしても、

また、あなたにその宿題、課題は、やってくることになるでしょう。

決して、与えられた宿題、課題から逃げてはいけません。

押しつぶされそうになったとしても、あきらめてはいけません。

まずは、神の国を求めなさい。

何を得てからとか、お金をためてからとか、そのような時間は

ありません。

何はさておき、神の国を求めなさいとイエス様は言われたのです。

我は神なり、我は真理なり、我は愛なりと、その境地に達したとき、

この世のすべてはあなたに引き継がれることになるのです。

それ以外のものは、すべて幻です。

幻を得よう得ようとするのではなく、本質である神のみをもっと、

真剣に求めるべきではないでしょうか?

みなさんがたが、どれだけ、1日のうちに、神への想いを割いて

いるのか、もう一度、自分自身に問いかけてほしい。

中途半端で、生半可な気持ちでは、到底、到達することはできない

のです。

この永遠の宝をみなさんには、つかんでほしい。

永遠なる力、知恵、愛を知ってほしい。

私の思いは、ただそれだけです。

あなたの内なる神は、兄弟姉妹同士で、けんかしたり、殺しあったり

している姿に悲しんでおられます。

そのハートをノックしている内なる神に気づきなさい。

それ以外に、幸せに生きることは不可能です。

あなたが、愛に生きるとき、悩み、苦しみ、病気、その他一切の苦悩

から、開放されます。

あなたは、愛です。

あなたは、神です。

あなたは、すべてのすべてです。

常に、神を意識しなさい。

仕事をしているときも、食事をしているときも、車を運転している

ときも、常に神への想いを忘れてはいけません。

あなたが、我は神なり、と思っているときは、神の意識です。

神意識なのです。

神という高いバイブレーションを放っているのです。

それが、何よりもの、貢献になるのです。

1日24時間、常に神への想いを貫き通しなさい。

それを辛抱強く続けることによってのみしか、あなたが神を

見ることはないでしょう。

あなたは、神なのです。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。








未分類 | 【2006-03-23(Thu) 12:49:02】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛一元
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の方々の講話をまとめてみました。

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今の世の中の政治家の方々は、本当に、世のため、人のためを

考えているといえるのでしょうか?

人の揚げ足を取ったり、人を責めることばかり、考えていて、

誰一人として、すべてのためにとは、考えていないのが、

現実ではないでしょうか?

愛があれば、すべてがひとつであることを知っていれば、

あのように、人を非難・批判、あざ笑ったりはしないでしょう。

人を責めようとして、結局は、自分自身が、一番、苦しんでいる

という愚かなことをしているのではないでしょうか。

不調和、悩み、苦しみは、すべて、自分で勝手に作り出している

ものなのです。

この幻である、仮相の世界をあると見るから、また、自分が個人、

肉体、人間と見ているから、他との差別、分離間があり、人を

非難、批判したりするのではないでしょうか?

人を非難、批判すれば、必ず、その分だけ、その人はお荷物を

背負うわけです。

必ず、その分、苦しみます。

あなたが、放つ言葉、放つ思い、放つ行動は、すべて、あなたに

帰ってくるからです。

なぜなら、すべてはひとつだからです。

あなたが、他の人にしていることは、すべて、

自分にしていることなのです。

人を責めるという、愛のない行為、隣人を自分として見れない行為、

すべて、自分であるということが分からないがゆえに、このような

罪を犯すわけです。

この不調和、悩み、苦しみは、今即、消すことができるのです。

不調和、悩み、苦しみからは、あなたがその気にさえなれば、

今即、開放することができるのです。

なぜなら、不調和、悩み、苦しみは、幻であり、非実在であるから

です。

この不調和、悩み、苦しみは、愛で持ってしか、超越、克服することは

できません。

不調和、悩み、苦しみで、苦しんでいる人は、必ず、人のせいにします。

うちの旦那が、または、奥さんが、または、両親がと・・・。

誰彼がこのようなことをするから、わたしはこんな風な目に合っていると。

だから、イエス様は、

他人の目の中に小さなちり(木片)を見つけるが、自分の目の中に

大きな梁があることに気づかない。と言われたのです。

あなたの不調和、悩み、苦しみは、あなたが作り出したものである

ということに気づけば、即、愛でもって、克服することができる

のです。

それには、もちろん、勇気が要ります。

愛で持って、すべてを許すのです。

すべては、ひとつなのですから、すべては、あなたなのです。

愛で持って、許しなさい。

どんなに人から迫害されようが、笑われようが、非難、批判されようが、

あなたの愛は、すべてを超越することができます。

愛一元であれば、あなたの中には、不調和、悩み、苦しみは、

存在することができません。

愛こそが、偉大なる力なのです。

愛こそが、偉大なる知恵なのです。

愛こそが、偉大なる神のご意志なのです。

あなたが、愛の想いに満たされたとき、何を見ても愛を感じる

ことができたとき、

神の愛を、天なる父の偉大なる愛を感じたとき、

この世のなにものとも比較することができない、至福感を感じる

でしょう。

そのとき、あなたは、涙せずにいられないでしょう。

なんだ、わたしは、神の愛の中にいたのに、自分がその意識に

あわせなかっただけではないかと。

神の愛は、手よりも足よりも、なによりも近くにあったことに

気づくでしょう。

神の愛は、あなたのハートにいます。

神の愛は、あなたのハートを叩いて叩いて、常にノックして

いるのです。

神の愛に、気づきなさい。

神の愛に、波長をあわせなさい。

神の愛に、常に意識を向けなさい。

そのとき、あなたが神を見たくないと思っていたとしても、

神を見ることになるだろう。

我は、真理なり、我は、神なり、我は、愛なりと。

偉大なる愛に、到達しなさい。

愛こそが、すべての癒し主であり、すべての超越者なのです。

愛に勝るものはありません。

全身の細胞ひとつひとつが、愛に満たされるまで、そのコップを

手からおろしてはなりません。

愛こそが、偉大なるすべての癒し主であることをご理解いただきたいと

思います。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。








未分類 | 【2006-03-15(Wed) 19:27:02】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛の実践
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の方々のご講話をまとめてみました。

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あなたがたに、今、悩み・苦しみ・病があるのなら、

それは、神が与えた罰ではなく、みなさんがたが、

より強きものへと、変性するために必要なものであるから

です。

決して、神を恨んではなりません。

今、あなたがたは苦しんでいるかもしれませんが、決して

その不調和に押しつぶされるあなたがたではあっては

いけません。

悩み・苦しみ・病がたとえあったとしても、それは、神への

最高の道を歩んでいるのだと、思ってください。

悩み・苦しみ・病により、苦しみを感じるあなた方だからこそ、

それを乗り越える強きあなた方だからこそ、

多くの悩める兄弟姉妹たちに、手を差し伸べることができるので

はないでしょうか?

苦しみを知らなければ、どうして、人の気持ちが分かりましょうか?

悩みを知らなければ、どうして、人をいたわることができましょうか?

今は、真の我に目覚め生きている聖者の方々も、肉体をもって、

この地上で生きていたときは、みんな、厳しい道を歩んできたの

です。

悩み・苦しみ・病は、永遠に存在するものではありません。

悩み・苦しみ・病は、愛によって、克服するがために、

あるのです。

悩み・苦しみ・病は、非実在です。幻なのです。

愛のみが、実在なのです。

幸せに生きるには、愛でもって生きよ。

愛は、すべてのすべてを克服します。

愛は、すべてのすべてを癒します。

悩み・苦しみ・病は、愛でもってしか、乗り越えることが

できません。

今日の今から、1日1日、愛の種をまいてください。

1点の曇りなき心によって、愛の種をまいてみてください。

あなたは、半年後、1年後に、驚くくらいの無限なる愛を

収穫することになるでしょう。

トマトの種をまけば、トマトを収穫します。

きゅうりの種をまけば、きゅうりを収穫します。

それと同じように、愛の種をまけば、無限の愛を収穫するのです。

どこに、愛の種をまいて、不調和を収穫する人がいましょうか?

1日1日、愛の言葉、愛の思い、愛の行動をまけば、あなたには

愛しか帰ってこないのです。

わたしが言っている愛は、恋人同士の姿、形をとらえての愛では

ありません。

万物を存在いたらしめる愛そのもののことを愛と言っているのです。

毎日毎日、針先の1点も曇りのない、言葉、思い、行動。

すべてのすべてを許し、愛し、愛しかないんだと心の底から、

愛の実践をすること、あなたがたに必要なのは、ただひとつ、

愛の実践なのです。

愛の実践、愛しかないこと、これを真のそこから、理解したとき、

あなたの細胞一つ一つが、愛に満たされることになるでしょう。

愛という言葉を使いなさい。

神という言葉を使いなさい。

今日、わたしは、愛という言葉を意識的に多く使っています。

愛という言葉は、すべてを癒すからです。

この話を聞いて、気持ちが悪いと感じるのなら、あなたがたの

心は、相当狂っています。

愛や神という言葉は、いくら使っても損はしないのです。

損しないどころか、愛だ、神だと思うだけで、あなたがたの

バイブレーションは、愛や神に満たされていくのです。

いまだに、聖書が世の中のベストセラーとなっているのは、

あの本の中には、愛や神という言葉がたくさん使われている

からなのです。

愛にて生きよ、1点の曇りもない、不調和のない心、神の愛にて

生きなさい。

神は、愛なり。愛は、神なり。

すべてのすべてに、神の愛を見なさい。

この世は、あなたの思った通りのものである。

あなたが、人の心の中に、不調和を見るのなら、あなたの心に

不調和が存在するのです。

あなたが、人の心の中に、神の愛、神の完全さを見るとき、

あなたは、神の愛の中に、融合しているのです。

全世界の人があなたを非難・批判、迫害しようとも、その人たちを

許し、愛しなさい。

都合良いものだけを愛して、何になりましょうか?

そのようなことは、罪人たちでさえもしているのではないか?

苦手な人があってはなりません。

嫌いな人があってはなりません。

あなたを罵る人、怒る人、非難・批判する人、すべてのすべてを

許し、愛すること。

愛こそ、最高の奇跡であり、最高の癒し主であることを理解して

ほしい。

あなたが、愛がすべてなんだということを理解したとき、

神はあなたの中にいます。

神が最大の祝福をします。

愛がすべてのすべて。すべてを癒す最高の道であること。

今の今から、徹底して、愛の実践をして欲しいと思います。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




未分類 | 【2006-02-21(Tue) 20:19:14】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真の教育とは?
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の方々のご講話をまとめてみました。

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今の世の中は、親が子を殺したり、子が親を殺したりと、

気が狂っている時代になっています。

これを末法の時代といいます。

これらのことは、自分が何者なのか、分からぬ無知ゆえに、

このようなことがおこっているのです。

今の大人は、目が開いているでしょうか?

自分が何者なのか、分かっているのでしょうか?

神とは何なのか、分かっているのでしょうか?

今の子供たちは、大人よりも霊的に目覚めた魂が、

誕生してきているのです。

それを今までの無知な考えで、頭ごなしに、自分たちの

教えを押しつけようとするから、子供たちは、

反発するわけです。

盲が盲を導いている状況なのです。

子供たちが登校拒否をするのにも理由があるのです。

それは、今の学校が、真理を教えてくれない、この世的な

学問であるということを、心の奥深くで感じており、

学校に行っても、得るものはないと感じているからなのです。

先生たちも、真理を分かっていないのに、一方的に目上、

年上という立場から、物事を教えるために、反発を食らう

わけです。

この世の何者も、先生と呼んではならぬ。

先生と呼ばれた時点で、その人の成長は止まってしまうだろう。

真の先生は、我が内にあるわけです。

今の学校の先生や親たちは、謙虚に、幼稚園生の子供たちや、

小学校の子供たちから、学ぶ姿勢なくして、どうすると

いうのでしょうか?

蟻一匹からも、真理を学ぶことができるのではないでしょうか?

ただ、先に生まれたからといって、わたしの方が、何でも知っている

と傲慢になり、謙虚さを忘れているのです。

親も先生も、謙虚さを忘れてはいけません。

わたしの子供、子供、という気持ちは、捨てるべきです。

あなたの所有物は、この世に一切ありません。

神より預けられた子供たちから、多くのことを学ぶ、学べるんだという

ことを、忘れてはいけません。

親も先生も、この世がなんなのか?

真の自分とは、何なのか?神とは何なのか?

それを知り、悟り、教え、伝えてこそ、真の教育といえるのでは

ないでしょうか?

ただ、いい学校を卒業して、一流の大学を出て、一流の大企業に

就職して欲しいとか、真の自分を分からずして、この世を去れば、

何の価値もないことでしょう。

一流の大企業に就職すれば、幸せになれるのですか?

自分の子供をあたかも自分の所有物のように、扱ってはいけません。

謙虚に、すべてのすべてから、学ぶ姿勢、これを忘れてはいけません。

まずは、神の国を求めなさい。

あなたが、真の我が分からずして、子供たちに教えることは

できません。

わたしは、肉体ではない、人間ではない、個人ではない。

我、宇宙に遍満する生命なりと。

真の我とは、何ぞや、わたしは何のために、存在しているのか?

神とは、何なのか?

生命とは、何なのか?

徹底して、追求し、答えを自分で出さなければいけません。

この答えは、明想せずして、得ることはできません。

五感を超えたところに、真の自分はあるのです。

明想をおろそかにしてはいけません。

明想なんか必要ないんだ、もう私は自分が神であると知っていると

謙虚さを忘れ、明想の大切さを忘れている人が多いのです。

あなたがたが、明想によって、少しでも霊的な体験をすれば、

3度の食事をするよりも、明想をしたいと思うようになるでしょう。

その境地に達するまでは、忍耐、忍耐、忍耐あるのみです。

ここでわずか学んだだけで、もうすぐに神の力・知恵は、

わたしのもとにあるんだという勘違いはしないように。

何年間も何十年間も、継続し、明想することによって、

答えは出すものです。

明想するときに、何か見よう見ようとするのは、

やめなさい。

見えるものは、すべて影であり、幻であるのです。

人が明想をしたときに、何か見えたというような話を

うらやましく思わないように。

時間がある限り、明想をしなさい。

そして、日常生活で、真理を実践してこそ、その明想は

生かされるのです。

そして、皆さん方が、子供たちに、真の教育を伝えて

いってほしいと思います。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




未分類 | 【2006-02-20(Mon) 12:57:19】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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