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■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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人生の旅(完)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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そのように説いたのは素晴らしい、もうすでにそれを捉えていた

素晴らしい方ではないでしょうか?

だから、皆さんも完全そのものであって、決して不完全という

中に陥ってはなりません。

神が完全であるが如く、我完全なり。

なぜ?神は命として皆さんに、命を病むこともありません。

命は苦しみもしません。

命は年老いていくこともありません。

命は死ぬこともありません。

じゃあ、命としてのあなた方は、過去に今において未来永劫に

完全そのものであって、一度だって、死んだり生まれたり、

病んだり苦しんだりはないではないでしょうか?

ただ、この肉体というこの器を我として錯覚し、その器の中に

皆さん不完全を作り上げて、味わっていること他にないんだと。

永遠のあなた方が真のあなた方。

だから、目を見開いて、すべてのすべての背後に実在する宇宙真理

という命を皆さんに見てもらいたい。

ともに我々は助け合って、いたわりあって、今生こそ人生という

本当の旅を皆さん、続けてもらいたい。

人生の旅とはこの現象という結果の世界に振り回されるためでもなく、

ただ物や金や物質をかき集めるためでもなく、本当の人生の旅とは

本当の自分の実体を、皆さんが見出さんがために、知り理解するために

人生の旅というその宿題が与えられていることを知ってもらいたい。

今日も皆さんと共に学べたことに心から感謝いたします。

また、五分、十分、明想という手段を通して、本当に肉体という結果が

我なのか、その命という見えない本質が我なのか、皆さんがよく見つめて

明想してみてください。




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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




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人生の旅 | 【2006-06-05(Mon) 22:57:16】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
人生の旅(13)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから、今日も昼間、話をさせて頂いたように、よく宗教においては、

生まれ変わり、輪廻転生はあるんだ、輪廻転生はないものだ、

という議論をする宗教家がいます。

で、私にこういいます。

あなたはじゃあ、輪廻転生はあると信ずるのか、ないと信ずるのか、

どっちかと言います。

それはあなた方の生き方次第と言います。

人生の旅を見失って、無知のままに、盲目のままに、迷ったままに

一転生終えていく限りは、何万回でも輪廻転生という鎖があなた方

をつなぐだろうと。

しかし、今生、あなた方が人生の旅を通して、本当の自分が宇宙真理

であることに目覚め生きることができたのならば、何万年の転生

させられた法則、今ここに解けたり。

幾転生という人生の過程を通して、背負ってきた業、罪、カルマも

すべては消えたという輪廻転生を克服していくだろうと。

じゃあ、皆さんが人生の旅に成功するのならば、輪廻はないし、

人生の旅に失敗するのならば、輪廻はなおも皆さんを支配して

いくではないでしょうか?

だから、輪廻転生とはあるかないかではなく、あなた方がどう

自分を理解しているのか、どこまで皆さん自身が自分自身という

自分を知っているのか、その結果であることを知ってもらいたい。

だから、我々は、ない病気、ない苦しみ、ない悩み、ない不調和に

あたかもあるがごとくに力与えてそれを映し見て、支配される

あなた方になってはならぬと。

だからわたし、こう言います。

人生の旅が真我という本当の自分を見出すためのこの旅であるのならば、

その人生の旅を本当に成功させたときには、もう皆さんには、

悩みもない、苦しみもない、病も不調和もないと私は申します。

だから、皆さんがあと一歩、真我一体という本当の自分に至って

いくまでのそのただ皆さんの魂を磨くための悩み、苦しみ、不調和、

病であるのならば、今の今に一生懸命悩み、今の今に一生懸命苦しみ、

今味わっておけと言います。

真我一体という境地に至っては、もう悩もうとて悩めない。

苦しもうたって、苦しめない。

なぜ?ないものをどうして自分がそれを作り上げて、苦しんだり

悩んだりすることができましょうか?

だから私にとっては、こう言います。

悩みというものは、苦しみというものは、病気、不調和というものは、

遠い過去の存在と言います。

だから悩もうたって悩めない、苦しもうたって苦しめない、

わたしはあなた方に、あなた方は神より偉いのかと。

最高なのかと。なぜならば、神とて皆さんに神が完全であるが

如く、我完全なりという、完全以外は与えていないにも

かかわらず、神は皆さんに病気も作って与えていない、悩みも

苦しみも与えていないにもかかわらず、神は完全を与えているのに、

なぜ、あなた方は悩みを苦しみを不調和を作って、もがいて苦しんで

いるのかと。

偉いものだなあと、神よりも。

私は皆さんにそのように訴えます。

だから、神は皆さんに過去に今に未来永劫に、与えたのは完全のみ

であることを知ってもらいたい。

ちょうど、これは先月、わたしがここで光話前の明想中だったんです。

皆さんが病院で医者からガンという二文字の書かれたそのカルテを

手渡されたらもう皆さんはとことん落ち込むだろうと。

しかし、私はあなた方にガンという二文字、それは決してあなた方に

与えたものではないんだと。

その下に’セン’という文字をつけろと。

4文字、で、その点(”)をセンの上につけろと。

ガンという二文字、それは決して私があなた方に

与えたものではないんだと。

私があなた方に与えたのは、4文字、4つの言葉、それしか

与えていないんだと。

それをイエス様は見事にそれを悟り得て、神が完全であるがごとく、

我完全なり。

神が完全であるがごとく、あなた方も完全なりと。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




人生の旅 | 【2006-06-04(Sun) 21:25:53】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
人生の旅(12)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから、我々は、どこが大きく、どこが小さく偏ってはいけません。

これは、私が明想中に、一度、もう、私はこの世の中に、永久モーター

があるんだという錯覚で、もう朝に昼に晩に、毎日毎日コイル巻きに

明け暮れた体験もあります。

もうこの現象の世界に、永久モーターを作り出すんだと、一生懸命、

夜の明けるまで、寝ている暇も食べる暇も惜しんで、コイル巻き

したこともあります。

その時に、夜中に一度、明想したときに、私にこういう形で神は

見せてくれました。

で、私のその右の足には、小さなスリッパ、左の足には、大きな

スリッパを履いている自分。

じゃあ、この状態で、アンバランスで、右に左にどこに進むことが

できましょうかと。

皆さん、竹馬も高い竹馬と低い竹馬と、バランスが取れていないものを

乗りこなすことができましょうかと。

同じその高さで、バランスで、同じ状態であるがゆえに、進み行くことが

できるのであって、あのときに私自身は、霊的なものをすべて

見失って、ただ、その形の世界に永久モーターを作り出さんとして、

右の足というのならば、なぜこの小さいスリッパを履いていたのかと。

もう全くその霊的な、見えない本質を無視して生きていたことを

小さなスリッパ。

で、現象という結果の世界に振り回されて、永久モーターを作るんだ

という、その左に偏っているという、これを大きなスリッパ。

で、物質の方が、今は大きいよと。

霊的な面は、見失っているよと。

アンバランスで、あなたはどこに進むことが出来るのかと。

この形の世界には、永久というもの、永遠というものはないことを

知れといわれました。

永遠というものは、皆さん一人一人の中に内在の宇宙真理こそが、

神として、それが永遠であることを知ってもらいたい。

じゃあ、皆さんの人生の旅の目的は、永久モーターを、宇宙真理と

して、神として、己の中に見出さんがために、それが人生の旅では

なかったでしょうか?

この形の世界に、何を作り上げたところで、それはいつかは

朽ち果てていきます。

いつかは色あせていきます。

いつかは変化していきます。

なるが故に、物質という見える形の中には、永久、永遠というものは、

ないことを知れと言われました。

だから、宇宙真理という本質こそが、皆さんの中に永遠不滅として

内在している、唯一の実在と申します。

だから、病気も悩みも苦しみも実在ではないが故に、悩み、苦しみ、

病気、なぜ皆さんが、自らの意識を高めたときに、すべては皆さんの

内から消え行くのかと。

それは非実在、本物ではないからではないでしょうか。

本物は、この大宇宙に唯一、ひとつ。

愛として、完全のみが実在と申します。

だから、悩み、苦しみ、不調和、病が、実在ならば、どんなにいい

薬とめぐり合っても、どんなにいい医者とめぐり合っても、その

病気なんて、消えることはないではないでしょうか?

実在は消すことは出来ません。

実在は決して色あせていくことはありません。

悩み、苦しみ、不調和なるものは、本物ではないが故に、実在では

ないが故に、皆さんが自分自身のその宇宙真理という意識まで、自ら

高めたときには、すべてのすべては消えていくこと。




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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




人生の旅 | 【2006-06-02(Fri) 23:26:39】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
人生の旅(11)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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で、一番、最後に健康な者。

じゃあ、健康な者とは、ただ肉体がどこも病まなければ

健康ではありません。

一日、与えられている時間が24時間ならば、24時間、四六時中、

見える肉体、物質と見えない宇宙真理、命とは、常に一体であるという

その境地で生きているものを本当に健康な者と申します。

だから、今の人間は、ほとんど60何億の人間が、病人だらけで

ないでしょうか?

なぜ?本質を見失って生きている人間に健康な者がいましょうか?

どんなに肉体が鋼のような強き肉体を与えられて満足していても、

それそのものが病人であることを知ってもらいたい。

宇宙真理という神を見失って、どこに健康がありましょうか?

どこに真実がありましょうか?

だからイエス様もお釈迦様も説いたのは、見える地という結果を

生かしているのは、見えない原因という宇宙真理、つまり命で

あることを説いたこと、天地一体。

見えないその天がなければ、見える地の世界は存在することは

できぬと、天地一体という、原因と結果を示したではないでしょうか?

見えないものは原因です。

見えるものは結果です。

結果をそこに存在至らしめているのは、見えない原因であることを

見失っては、何の価値もないことを知ってもらいたい。

だから、お釈迦様は、色という結果世界が存在するためには、

見えないその原因である空が存在していることを色即是空、空即是色、

色心不二と、見えるものは即見えないものなり。

見えないものは、即見えるものなりと。

常にバランスを調和を説いたことであって、お釈迦様もその難行苦行

いろんな行で真の自分を見出すために、もがき苦しんでいるときに、

とうとう断食断食に明け暮れて、この肉体を破壊寸前まで追いこんだときに、

川を下っていくその一艘の船の上で、弦は緩みすぎてはいい音色を

放つことは出来ぬと。

引きすぎた弦は切れること他にないんだと。

緩みすぎることなく、引きすぎることなく、で、それを中道と

言いました。

ちょうど、中心にその弦を立て直したとき、美しい音色が放つように、

我々も肉体という見えるものに偏ることなく、で、またその

見えない霊的なものに偏ることなく、見えるものと見えないものとは

即一体なりというバランスがとれたときに、どういう現象が起こり

ましょうか?

無限の神の能力が皆さんの伝導体を通して、示されていくでしょうと。

それをわたしはこう言います。

バランスが取れたこの物質、肉体を通して、知恵の音色が、力の音色が

愛の音色が、光の音色が、放たれていくことだろうと。

だから、皆さんは、無知、無力、迷い生きる、弱き存在ではありません。

無力の存在ではありません。

皆さん一人一人には、バランスこそが今、欠けていることであって、

で、バランスに自分を立て直したときに、まさか、皆さんの家庭を

流れている電気が、プラスの面が大きく、マイナスの面が小さく、

またはマイナスが大きく、プラスが小さければ、どうして、このように

電気を使いいかすことができましょうか?

それはプラスマイナスがバランスの結果、で、必要なときに必要に

皆さんがスイッチをひねれば、それに、そのエネルギーを使い

いかしているのは、その意味ではないでしょうか?



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




人生の旅 | 【2006-05-30(Tue) 22:41:45】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
人生の旅(10)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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イエス様は、これを最高な方法で説きました。

この世は死人がごろごろしているようなお墓のようなものであると。

皆生きている生きているとは言うけれど、誰も命という本質を

自覚しているものは一人もいない。

ただ、肉体というその入れ物を、器を、現象我を指して、私だという

錯覚をしていること。

どこを見ても死人だらけと。

だから、命に生かされていながら命を見失っているものを、すなわち

死人と申します。

あるいは悩み苦しんでいるときのみ、神よ仏よ、我を助けてください

と祈る病人になってもならぬと。

で、また、ここであなたがたは、本当に肉体自らが生きることが

出来るのかと。

肉体を通して生きているのは、命ではないのかと。

肉体を通して働き、事を成しているのは命ではないのかと。

皆さん、この五感という、目、耳、口、鼻を使っているのも、

命が使っていることであって、じゃあ、この肉の目が、本当に

見えるというのならば、口が語れるというのならば、その肉体から

命去っても、肉体は物を見ていなければなりません。

あるいは語っていなければなりません。

しかし、皆さんは何と言いましょうか?

死人に口なしと言っているではないでしょうか。

命が抜けた抜け殻というこの肉体は、口あっても語らぬが故に、

死人に口なし。

じゃあ、目を通して見る、口を通して語る、耳を通して聞く、

この手足を動かして働き、事を成しているのは、つまり命では

ないでしょうか?

そのように最初は見えぬものなんて信ずるもんかと、もうここに

色々な学校の先生方や科学者や音楽家や色々な方々が集い来ます。

北海道から沖縄まで至るところで。

で、最初はもう肩で風を切って、我こそはとここに入ってきます。

で、ゆっくりゆっくり、その光話を1時間や1時間半の光話の中で、

とうとう自分が溶かされて、その我そのものが溶かされて、

本当にあなたがたは威張れるのかと。

命失って、あなたは一瞬たりとも、ここに生きることが出来るのかと。

見えないものを否定するけど、見えない命なくして、あなた方は存在

することが出来るのかと言うのならば、考えて考え抜けば、

なるほど、命は見えない。

で、見えないけど、その命そのものに生かされている事実は、

誰も否定することは出来ない。

とうとう、帰る時は、小さく小さくなって、帰っていくでは

ないでしょうか?

で、そのように、ここで受け止めては、命そのものがなければ、

命が生きていなければ、蟻一匹生きることは出来ない。

花一輪、咲き誇ることは出来ない。

で、生きとし生けるものが存在することは出来ぬといって、なるほど

命がすべてであったと。

命そのものが、すべてを通して生き働いていたんだと。

言うけど、また家に帰って、わたし、わたし、わたしがという

肉体を自分だと錯覚するもの、これをぼんやり者と申します。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




人生の旅 | 【2006-05-29(Mon) 22:11:23】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
人生の旅(9)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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金で解決出来ましょうか?

ものや物質で解決することが出来ましょうか?

変えることが出来るのは、唯一愛の波動、愛の心から放つ愛の波動

以外には、変えることが出来ぬことを知ってもらいたい。

だから、どんなに世界トップクラスの連中が、世界のどこかに

集まって、討論、議論をしたところで、一番基礎である自分を

知らない限り、何をなすことができましょうか?

皆さんが自分を追及して、自分を知ったときは、何て言いましょうか?

我は神であったと。

で、その神は、誰彼の神ではなく、唯一の神が全体の中に生き働いて、

すべてはひとつであったと。

だから、一命一体。

すべては一つの命の中に生かされているんだと。

すべての体は、全く同一なる電子と陽子から組み立てれらた、

全く一体であると。

そこに一人一人が目覚め戻ることが出来ぬ限り、どうしてこの世を

変えることが出来ましょうか?

我は命なりと皆さんが理解したときは、すべてが命ではない

でしょうか?

我神なりと言うのならば、すべてが平等に神ではないでしょうか?

じゃあ、争える相手なんかいましょうか?

憎める相手なんかいましょうか?

誰彼から奪うことが出来ましょうか?

それは、すべて我なり。

我はすべてであり、すべては我なり。

我は全体であり、全体は我なりという、その境地に至らぬ限り、

争いや闘争や対立を我々は超えることはできません。

だから、一体全体自分というものは、何者なんだろう。

で、誰によって、創造されて、何のために生かされているんだろう。

それを追求していかねばなりません。

ただ、生きているから生きている、それは何と言いましょうか?

無知の人生、盲目の人生、迷いの人生と申します。

だから、この世の中には、4タイプの人間がいるんだと

私は言います。

まず死人がいると言います。

では、死人とは何なのか?

命に生かされていながら、命を見失っているもの。命知らず、

これを死人と申します。

なぜ、死人と言いましょうか?

皆さんが肉体がここに生れおちる過程を創造して見てください。

お父さんの精子とお母さんの卵子の結合で、お母さんの子宮の中で

細胞の分裂を繰り返しながら、細胞の増殖を繰り返しながら、

何ヶ月何十日で、この肉体という器は仕上がっていきます。

しかし、そこに命を神が与えることがなかったのならば、

誰が生きるものとして、ここに生まれおちることが出来たで

しょうか?

肉体という器は仕上がっても、それに命を宿すことが出来なかった

のならば、お母さんのお腹をくぐった瞬間、それはもう死人、死体、

死産として、即火葬場行きではなかったでしょうか?

だから、命に生かされていながら、命に感謝も出来ない。

命に生かされていながら、命を見失っているもの。

これ、命知らず、つまり、死人と申します。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




人生の旅 | 【2006-05-28(Sun) 21:32:38】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
人生の旅(8)
今のように、本当にこの末法の世、機械や道具や、金やものや物質で、

変えることができましょうか?

金でもって平和はありません。

ものや物質で幸せに満たされることはありません。

本当に人生の旅を皆さん自身が理解して、人生の旅とは、本当の自分を

見出すための人生の旅であったと。

この見える物質、肉体が、すべてではなく、その物質、肉体の背後に

実在する神こそが、宇宙真理こそが、真の我であったという

その意識状態の中に目覚めて、そこに我たちが帰っていくことそのものが、

本当の肉体存在の目的、で、あるいはまた人生の旅ではないでしょうか?

ただ、この人生の旅は、口においしいものを投げ込んで満足するため

でもありません。

ただ、優雅に着飾って自慢するためでもありません。

ただ、肉の快楽をむさぼるためでもありません。

だから、人間が、肉体の快楽に溺れ生きるようになったときには、

とうとうこの世も終わりに近づいているとも予言されているでは

ないでしょうか?

言いたい放題、思いたい放題、やりたい放題、で、その積み重ねが、

誰が不愉快な思いをしようが、傷つこうが、破壊されようが、

苦しもうが、言いたい放題、思いたい放題、やりたい放題、

その積み重ねが、とうとうここまでこの現象世界を、

追いやったことを我々は理解しなければなりません。

毎日のように今は、よくこういう学びをせぬ方々も

言うではないでしょうか?

もう、今のテレビのニュースなんか見たくもない。

新聞なんかも目を向けたくない。

毎日のように、親子同士で、人間同士で、兄弟同士で、傷つけ

あったり、殺しあったり、奪いあったり、これが本当に

在るべき姿なのかと。

これはよく会場で、子供たちから質問を受けます。

なぜなんだと?

なぜ、なぜ、なぜ、と大人たち以上、子供たちの方がそこに敏感に

反応します。

世を変えて、本当に素晴らしい社会を作り上げるべき政治家は、

もうテレビのニュースを見る限り、全部、自分の懐、懐の暖める

こと他、知ってないではないのかと?

中学生の子供たちや高校生の子供たちが、そう訴えます。

世を立て直すべき政治家が、世を本当に悪いものから取り締まり

変えていくべき警察官が、本当にその最高な教育者と言われた

学校の先生方が、なぜ、今、このようなことをしでかしているのかと?

自分を見失った無知、盲目、迷ったものが、どうして正しい表現が

できましょうか?

どうして、正しく、自分を表現することが出来ましょうか?

だから、我々が一人一人が自分自身の本質が宇宙真理であることに

目覚めぬことが出来ぬ限り、正しい言葉、正しい思い、正しい表現で

生きよと、誰に望むことが出来ましょうか?

だからこそ、皆さん一人一人が、理解できる皆さん一人一人が、

美しく皆さん自身が、生きてもらいたいと。

美しい言葉、美しい思い、美しい表現に生きることにおいて、

皆さんから、素晴らしい愛の波動が放たれていくではないでしょうか?

その愛の波動がこの世を変えていくことほかにないではないでしょうか?




人生の旅 | 【2006-05-27(Sat) 18:30:59】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
人生の旅(7)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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じゃあ、キリストとは何ぞや?

無限の知恵です。

無限の力です。

無限の愛です。

無限の光です。

これを皆さん自身が日々の生活の中で、言うところ、行く場所、

示し生きていること、これをキリストの伝導と申します。

だから、今までのキリスト教が説いているように、さあ、黒い聖書

を持ち歩いて、何軒伝導してきたんだと、何の価値もないと

言います。

キリストの伝導とは、今いる場所で、世界が平和でありますようにと、

全人類が本当に調和されますようにという、その思いをもって、

愛の波動を放っているのならば、もうこれがキリストの伝導

ではないでしょうか?

しかし、黒い聖書を持ち歩いて何十軒をまわりまわったところで、

そのものの心が、分離、区切り、差別感で、あの人はこの人はと、

憎しみや怒りやそしり、狂っていながらの伝導ならば、そこに

行って、いい波動を与えたどころか、破壊的な波動を与えたこと

他にありません。

だから、伝導とは、今一瞬一瞬おかれている場所で、皆さんが一瞬

一瞬移動するその場、その環境で、常に愛を、言葉に思いに表現に、

で、その波動を放ち生きることが、これが本当のキリストの伝導

と申します。

今、ここで私はキリストの伝導、現に肉体という表現体を通して、

示しているのが、今のその姿ではないでしょうか?

なぜ?

私は皆さん一人一人をネガティブ、消極、破壊的な角度から、

あなた方を見ているではありません。

愛として、完全なあなた方をあなた方と見ています。

じゃあ、愛の波動を放たれているのならば、で、言葉において

愛の波動、思いにおいて愛の波動、表現においても愛の波動ならば、

まさにそれこそが、最高なキリストの伝導ではないでしょうか?

特別な方法ではありません。

黒い聖書を持ち歩く必要はありません。

皆さんが、常に語る言葉が愛という波動、そして思いが常に愛の

波動、で、表現一つ一つから常に愛の波動、だから、我々は、

言葉や思いや表現で、誰も不愉快な思いをさせてはならぬと。

誰も傷つけてはならぬと。

誰も苦しめてはならぬと。

で、そのような言いたい放題、やりたい放題、思いたい放題の、

そのネガティブ、消極、破壊的な波動の積み重ねが、とうとう

先ほども○○さんが言われたように、この世を末法に追いやったのは、

その意味ではないでしょうか?

だから、誰彼の責任でもありません。

万物の霊長として、正しく生きることが出来なかった我々一人一人

がその責任を担っていることを知ってもらいたい。

だから、我々は、これからは決して思いや言葉や表現で、汚すことの

ないように、徹底して、それを我々は愛に変えて、今まで汚した、

曇らしたそのネガティブな波動があるのならば、それを愛の波動で

もって、我々は打ち消していけるように、一人一人が努力して

いかねばなりません。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




人生の旅 | 【2006-05-26(Fri) 21:24:21】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
人生の旅(6)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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とうとう王子というその環境を離れて、すべてを投げ下ろして、

真の自分とは一体全体何者なんだろうと?

これは内観、内を観ると書きます。

内観という手段を通して、真の自分とは一体全体何者なんだろう?

それを何年間も追求することによって、とうとう宇宙即我(われ)、

宇宙即我(が)。

この大宇宙に遍満する宇宙真理、命こそが、我なりという答えを

見出したときに、二度と再び死ぬことのない、病むことのない、

年老いていくことのない、すべて一切の心配、不安、恐怖から

己が開放されたことを、これ不滅の仏陀と申します。

慈悲の仏陀と申します。

だから、よく仏教の教えにおいては、お釈迦様の名前が仏陀と

教え説いていましょうが、これ大きな間違い。

仏陀とは、永遠に朽ち果てることのない、不滅の己を宇宙真理として、

宇宙真我として、そこに目覚めたものを仏陀意識と申します。

あるいはまた西洋においては、キリスト意識と申します。

イエス様の名前がキリストだ、お釈迦様の名前が仏陀だ、

大きな最大の過ちを犯していること。

あなた方一人一人が、永遠に朽ち果てることのない、不滅の己を

宇宙真理として、宇宙真我として、実感したその瞬間、皆さん

もその仏陀、キリストという真我の中に、至っている自分を

体験することができるでしょう。

じゃあ、キリストは、12月25日をもって誕生するものなのか?

今のキリスト教は、この地球上が破壊に追いやられたときに、

どこかからキリストが、イエス様が、雲に乗って、皆さんの前に

救いに現れてくるといいます。

キリストはどこから現れましょうか?

皆さんの内から、現われ来ることを知ってもらいたい。

どこから、キリストはやってきましょうか?

あなた方の真我こそがキリストであるのならば、じゃあ、キリストは

仏陀は、初めから皆さんと共にあるもの。

で、今も皆さんと共にあるもの。

未来永劫に皆さんと共に実在しているではないでしょうか?

それを知らずして、イエス様がキリストだ、お釈迦様が仏陀だ、

イエスという言葉は、皆さんがこの肉体という現象我に名前を

付けて呼び合っているのと、全く変わらぬことを知ってもらいたい。

そのキリストという愛を、キリストという知恵を、キリストという

無限なるその宇宙真理を、現し示す媒体に名前を付けたのがイエス。

で、そのキリストとは、イエスというこの肉体という、この現象我を

通して、表現体を通して、無限の知恵、無限の力、無限の愛、無限の

光を表現なさしめたのが、そのキリストであることを知ってもらいたい。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




人生の旅 | 【2006-05-25(Thu) 23:40:25】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
人生の旅(5)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから、いと小さき、弱き、肉体を我とする錯覚から我々は

覚めていかぬ限り、どうして真の幸せ、真の喜び、真のやすらぎを

得ることが出来ましょうか?

よく、私は友達や周りの方々に聞きます。

本当にあなた方は、これで満足ですかと?

本当にこれで幸せですかと?

で、その幸せにも色々な幸せがあって、金があるから幸せ、

いい職に恵まれているから幸せ、健康に恵まれているから幸せ、

色々な幸せを訴えます。

じゃあ、この瞬間、で、その現象という世界は移り変わる世界、

今日は何憶という何十億という金持ちが明日はとことん貧乏に

なるかもしれない。

で、また今日までは貧乏であった方が、明日からまったく逆に

移り変わっていくかもしれない。

そのように移り変わったときに、すべてあなた方が、所有している

ものを失ったときに、幸せでいることができるのかと言うならば、

誰もいることはできぬと言います。

じゃあ、この世の物質やものに振り回されて、崩されていく幸せで

あるならば、何の幸せでもないではないのかと。

何の価値もないではないのかと。

皆さんの幸せは、金があろうがなかろうが、で、この現象世界で

どう移り変わっていこうが、どう変化していこうが、それに

振り回されない、不動の心を作り上げて、愛に満たされたその美しい

真実なる我に目覚めてこそ、本当の幸せがあることを知ってもらいたい。

だから、この何十何年間振り返って、私の心が、何者に揺さぶられたこと

は一度もないといいます。

もう自信をもって、毎日が喜び、毎日が至福、毎日が幸福、なぜ?

例え、この肉体が、死に追い詰められたところで、それに振り回される

こともありません。

永遠の命が死なぬことを知っているからであると。

我は命なり、我命なるが故に、何者にも振り回されることのない、

久遠常在、不滅にして絶対実在である、真実の我を知っているからで

あると。

この本質である宇宙真理は、時代の新旧において変化することが

ありましょうか?

人間の観念、概念で作り変えたり、破壊することが出来ましょうか?

水の中に投げ込まれて濡れることもありません。

火の中に投げ込まれて焼けることもありません。

風にさらされて、乾くこともありません。

世界の武器を向けられても、破壊されることもありません。

じゃあ、そこに至ったときに、生老病死という四苦を克服したときに、

そこに何者がも振り回せない、本当の幸せを、至福を、やすらぎを

掴み生きることが出来るではないでしょうか?

お釈迦様も非常に疑問で苦しんだのも、そこだったではないでしょうか?

どんなに王妃というこの恵まれた環境にいても、生老病死という

四苦を超えることが出来ぬ限り、やすらぎはないんだと。

前を見れば生きる恐怖。

後ろを見れば死ぬ恐怖。

右を見れば病む恐怖。

左を見れば年老いていく恐怖。

前を向いても後ろを向いても右を向いても左を向いても。

常に、心配や不安や恐怖に怯え生きながら、どこにやすらぎ

があるのかと。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




人生の旅 | 【2006-05-24(Wed) 22:11:45】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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