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■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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愛の伝導体(完)
みなさん、一人一人の目覚め。

みなさん、一人一人の自覚。

それが一番大切な、今、場におかれていることを皆さんに理解

してもらいたい。

政治家はそういうならば、もう怒り狂うことでしょう。

私は、こう言います。

本当に今、日本の政治家が、政治家として正しいことをなしているの

ならば、日本というこの国から、乞食が一人もいなくなったとき、

本当に、みんなが心豊かに、愛に満ちた素晴らしいやすらぎを得て

いるのならば、政治家は威張れましょう。

しかし、子供たちが言うように、今の政治家は、テレビのニュースを

見ていても、自分さえ良ければ言い。

本当に気の毒な方々に追い討ちをかけて、ただ自分たちを守ろう、

自分たちが豊かなために、そのような政治家がどうして日本を

救えましょうか?

そこまで、中学校の子供たちが、私に訴えてくるではないでしょうか?

だから、愛に目覚めた一人一人が、正しいその生き方を、見本として

示すことが出来ぬ限り、どうして世は変わりましょうか?

金や物や物質でもって、幸せ得たものは、一人もおりません。

今までの人間は、酒にセックスに金に幸せを求めたでしょうが、

永遠不滅のその幸せというものは、現象という結果の世界を

超えた中に、超越した中に、本当の幸せ、喜びがあることを

知らぬからであると申します。

だから、私にとっては、明想という手段を通して、その実相世界に

いることが、この現象という結果の世界では、どんなに闘争、対立、

奪い合い、殺し合い、戦争で明け暮れていても、我が内なる天国、

我が内なる実相世界に入りさえすれば、もう即、そのものが最高な

世界であり、境地を体験が出来るではないでしょうか?

ともに我々は手を取り合って、美しいユートピア、美しい緑滴る

地球を、神が創造したところ以上に我々は、傷つけたなら、

できるだけ修復して、素晴らしいその世界へと我々は、

立て直すために努力していきたいと思います.

今日も朝方から、ともに我々は明想を、ともに学べたことを心から、

感謝いたします。

ともに正しいものは、いいものは分かち合って、足りないものは補い

あって、誰一人、罵り、非難、裁きあうことなく、最高な愛の言葉、

で、最高な愛の思い、で、その表現で、我々は、どこから見ても美しい

といわれるように、徹底して、真実の、宇宙真理としての我を生きれる

ようにしていきたいと思います。

今日も、みなさんとともに学べたことを心から感謝いたします。

ありがとうございました。


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愛の伝導体 | 【2006-04-20(Thu) 02:11:12】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛の伝導体(13)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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だから、皆さんもこの目はほどほどに、もう皆さん、あまりにも

目が開かれて、で、もう仮相、仮相、仮相を捉えて、で、本物を

知る妨げになっているのならば、今日から、皆さん、片目は閉じて、

もうバンソウコウでも貼って、片目は開いて、片目は閉めてほしい。

あるいは半眼で見て欲しい。

そうするならば、本物が見えるかもしれない。

だから、イエス様は、片手を失っても、命に入ったほうがいい。

という真実を訴えたではないでしょうか?

それほど、我々は、真実、実相世界に、入り行くことが幾転生、

幾転生という旅をした最高目的であることを訴えました。

だから、片目が邪魔になるのならば、この目があまりにも見えすぎて、

この現象という結果が見えすぎて、で、その真実の世界に入る妨げに

なるのならば、目をつぶせと。

で、その腕が邪魔なのならば、腕を断ち切れ。

そこまで極端に我々に、その真理という本物の大切さを訴えたでは

ないでしょうか?

人間意識、肉体意識、個人意識という自我を皆さん自身が克服さえ

すれば、何も腕を切り落とす必要もない。

で、目をつぶす必要もない。

当たり前のように神が創造した状態で、みなさん、すべてのすべてに

本質という真実を見ることが出来るがゆえに、感じ取ることが出来る

がゆえに、動物や植物や鉱物の上に皆さんは与えられて、万物の霊長と

皆さんは名づけれらたではないでしょうか?

しかし、動物でさえも、産み落とした卵やひなや、子供たちよ、

命がけで守らんとするのに、今の万物の霊長たる人間はどうでしょうか?

産み落としていながら、もう生活が出来ない。

産み落としていながら、もう育てる能力がない。

いとも簡単に殺し合っているではないでしょうか?

これで、どうしてユートピアという神の国を作り上げていくことが

できましょうか?

一人一人が、もう思いを、考えを、世界60何億の一人一人が、

正しい方向性へ自分を向けて、歩みいく努力をしていかねばならぬ

その場所へ、我々はもう本当に、その変わり目に立たされていることを

知らねばなりません。

本当にこの地球が、崩壊、崩壊へ進みいくことを選ぶのか?

本当にその美しい、ユートピア世界へと本当に、神が創造した素晴らしい

その国を作り上げていくために、そこへ我々は意識を向けていくのか?

どん底、もう我々はその選択を迫られていることを知ってもらいたい。

幸いにして北海道から沖縄まで、またセミナーの最初に○○さんが

訴えたように、本当に今は、生かされていることの目的、その

素晴らしさを理解しようとする人間が、もう至るところでどんどん、

現れつつあることを、非常にうれしく思うといったのは、その意味

ではないでしょうか?

皆さん一人一人が、本当に協力なしで、どうして、良い社会を造り

あげていくことができましょうか?

これは、わたしも、この常に光話の中で話をさせてもらってきましたが、

で、わたしが聞いたテープでもはっきり訴えられています。

この世を正しい世界へと導いていくのは、政治家ではないんだと。

宗教家でもないんだと。

どんな霊能者やその間違った霊能、霊能で、どうして真実の世界へ

導くことが出来ましょうか?



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛の伝導体 | 【2006-04-18(Tue) 01:52:54】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛の伝導体(12)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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それは、私が南米から沖縄に帰ってきて、ちょうど何年間も

続きました。

睡眠に入ろうとして、肉体を横にして、兆度、睡眠の変わり目に

来たとき、もう本当に深い睡眠の変わり目に来たとき、必ず私の

内から、出てきたその思いが、言葉が、目覚めよ、目覚めよと。

盲よ、目覚めよと。

で、私、非常に反発した何年間。

目覚めているからこそ、お父さんもお母さんも親兄弟もそこに、

見えているではないのかと。

目覚めていぬものが、どうして見ることができるのかと、常に

反発しておりました。

今になって、ようやく目覚めよが分かります。

我々がただ自我という自我で、このいつか朽ち果ててゆく結果という

仮相しかみることができぬのならば、何も見たにあらず。

見ているようで、何も見ていません。

単なる現象的なその仮相他に、偽物他に、何も見たとは言えません。

じゃあ、それは盲ではないでしょうか?

見えているようで、何も見えてはいないではないでしょうか?

皆さんが、美しく咲き誇っている花々の背後に、永遠不滅の宇宙真理を、

愛の輝きとして、神の輝きとして、その実相が見えているのならば、

皆さん、目を閉じていても、見えているあなたがた。

だから、皆さんは、何のために睡眠に入りましょうか?

我々、目を見開いているかぎりは、偽物しか見ることはできません。

しかし、神が皆さんに、闇という夜に、皆さんを導いて、皆さんが

睡眠の中に入ったときは、皆さんそこに観自在にテレポートして

います。

亡くなったお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんや

で、皆さんの親戚や友達と、いとも簡単に相対しているのは、

完全な真実の目で、真実のテレポーテーションで、皆さんは、そこに

行き来しているから、そこに出会っているではないでしょうか?

だから、目覚めた聖人の方々は、皆さんに、こう言います。

皆さんは夢見る昼と訴えます。

あなたがたはその昼は、見えているようで、本物は見えていない。

夢を見ているんだと。

で、夜に睡眠に入ったときは、本当の自分のその神から与えられた

能力、力を発揮しているがゆえに、覚める夜と言います。

じゃあ、もう、我々、真理を学び取ろうともしない、無知、盲、

迷い生きて、もう朝に昼に晩に、もうその肉の目を見開いている

限りは、で、偽物しか見えない。

仮相に振り回されるしかないのならば、もう眠り眠り、もうずっと

24時間、眠りについた方がよいのではと私は思います。

だから、神は、覚めよ、覚めよ、覚めよと。

常にあなたがたが見ているのは、もちろん、私はこの肉体の目を

つぶせよと言っているのではありません。

この肉体の目を見開いていても、皆さん自身の意識は、真実、実相

を感じ見ることが出来ることを同時に皆さん自身に、やって

もらいたい。

私がその硝酸で目をつぶして、一瞬にしてこの目を神に癒されて、

目を見開いたときに、それでも私は疑って、で、私は病院は嫌いで、

生まれてから病院には一度も行った事がないので、眼鏡屋さんに

行って視力を検査したと言うではないでしょうか?

本当に昨日のは夢だったのかと?

本当に硝酸でもって、私の目は、つぶれたのかと?

で、翌朝、家内に聞いてみれば、で、やっぱりその硝酸を爆発させて

つぶしたと家内は言うし、で、それでも言われても疑って、事務所に

行ってみるならば、本当に、そのびんは割れていて、かけらはそこに、

まだ残っているし、あー、昨日の出来事は真実だったと。

そこまで至ってさえも、で、今、私がこの肉体の目で見ているものは、

本当に見えているのかで、病院ではなく、眼鏡屋さんに行って、

目の検査をしてみたのならば、見えすぎるほど見えるといわれました。

あまりにもこの仮相という結果世界が見えすぎるがゆえに、

本物が見えてなかったではないでしょうか?




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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛の伝導体 | 【2006-04-13(Thu) 22:34:25】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛の伝導体(11)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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そこに、自分の意識を高め、生きることができたではないでしょうか?

だから、神は、本当に無限に許して、無限の愛の方。

で、慈悲の方。

で、このように、できない無能な人間でも、辛抱強く愛し、

辛抱強く、本当に思いやり、ここまで、引っ張ってくださったでは

ないでしょうか?

だから、一時たりとも神への感謝を見失ったこと、忘れたことは

ありません。

朝起きるにも、朝の仕事のスタートに就くにも、夜明想に入る前も、

必ず、その感謝を絶やすことはありません。

神よ、万物の造り主であるあなたよ、今日もこのように本当に、

あなたの無限の愛に、導かれ、今日も本当に、このように、

肉体という伝導体を使い生きることができたことに、心から

感謝しますと。

で、明日また、この一夜をあけて、明想の状態から覚めて、

また、仕事へのスタートというならば、万物の造り主である神よ、

今日も朝に昼に晩に、この与えられている時間ある限り、あなたの

御心が、示されますようにと。

思いに言葉に表現に、それを顕現、導いて欲しいと。

それが私の一時たりとも本当に忘れたこともない。

私の祈りと申します。

だから、祈りは、自我欲で、利口にしてください、幸せにしてください、

金持ちにしてください、そのような偽我の祈り、自我欲望の祈りは、

一度も思ったことはないといいます。

で、含めて、万象万物が、常にあなたの無限の愛に満たされ、

常に喜びで幸せで、幸福で幸せでありますようにと。

それを私は一日も欠かした事はありません。

で、その意識状態で、皆さん一人一人が幸せでなければ、神は

幸せと言いましょうか?

まさか、己が創造した被造物が、愛分かち合って生きることも

できない、共存共生共栄も出来ない。

ただ、偽我欲で、自分さえよければいい、で他はどうでもいい、

奪い合い、殺し合い、傷付け合っていることをどうして喜ぶ親が

いましょうか?

ならば、皆さん、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、

皆さんに、ここに肉体という乗り船を与えたそのご先祖の方々が、

皆さんの苦しみ、皆さんの不幸、願う親なんていないでは

ないでしょうか?

じゃあ、沖縄のユタや霊媒師が、誰彼の何代目かのご先祖様が、

祟って、あなたは不幸になっている、ということはないことを

知ることができるではないでしょうか?

誰が自分の子や孫の不幸を、よっぽどそれは、意識が狂って

いなければ、どうして気違いでない限り、どうして、子や孫の

不幸を、子や孫の悩みを願う親、願うそのおばあちゃん、おじいちゃん

たちなんて、いるとは言えないではないでしょうか?

だから、我々は、そのような誤った霊能者の、金儲けのために

支配された、振り回されたあなたがたであってはなりません。

本当にみなさん自身が、目を見開いて、実相という本質の世界から、

すべてを見れるあなたがたになってもらいたい。

白い杖を持って横断歩道を渡っているのが、盲といいましょうか?

盲人といいましょうか?

そのものが、すべてに愛が、すべてに真理が、すべてに神が、

感じ取れているのならば、そのものこそが、開眼であって、

で、我々が形あるものは見えても、その背後に実在するその本質、

宇宙真理という命の輝き、神そのものを見ることができぬのならば、

我々こそが、盲ではないでしょうか?



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛の伝導体 | 【2006-04-12(Wed) 23:42:16】 | Trackback:(0) | Comments:(1)
愛の伝導体(10)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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何て今まで、肉体という肉体を無視して、ただその、神だ、仏だ、

それだけを追い求めてきたのかと?

あの無駄する時間、浪費した時間がなければ、もっと私は、

幸せだっただろうと。

そう、訴えたではないでしょうか?

だから、我々は、どこにも偏り生きることなく、常に霊と肉体とは

一つなり。

常に天という見えないものと地という結果は、常に一体なり。

原因と結果は常に一体ではないでしょうか?

どこを捉えても、アンバランスで、不調和で生きるのではなく、

常にバランスで生きよと。

だから、この大宇宙のバランスを我が物として、悟り得たもの、

で、この大宇宙のバランスを愛のキリスト、慈悲の仏陀と言っている

他ありません。

じゃあ、キリストとは何ぞや?

イエス様の名前がキリストなのかと。

皆さん一人一人の内在の真我を我として、バランスとして生きている

ことが、この大調和そのものが、これがキリストです。

大調和そのものが、これが仏陀そのものです。

キリスト、仏陀は、今即、皆さん自身が、バランスさえ取れれば、

で、調和さえ出来れば、皆さん一人一人が、真我キリスト。

真我仏陀と言えるではないでしょうか?

だから、いつでも、みなさん、そのバランス、いつでもその調和、

で、その特許を皆さんに与えられていること。

そのために我々は、今日の一日、皆さん、生かされた目的であって、

不調和で生きよではありません。

苦しみ悩み、生きよではありません。

愛という種を蒔き、常に大調和、大バランスの中に、無限の幸せ、

無限の喜び、無限の幸福を生きよと、皆さん自身の目的であって、

決して、苦しみ生きよとは訴えられていません。

私、神が幸せであるように、あなたがたも幸せで生きよと。

で、あなたがたが、幾転生という人生の課程を通して、背負ってきた

思い癖、悪習も、お荷物も、私の元に来さえすれば、すべての荷物を

投げ下ろしてあげましょうと。

神は、ここまで愛深きもの。

ここまで、神は、慈悲深きものではないでしょうか?

だから、どんなに、皆さんが、神を罵っても、怒っても、裁いても、

常に神は、みなさんを許し給う。

常に神は、無限にみなさんを愛し給う。

ほーれ、私のように、肉的な肉我の私が、もう小さいときから、

もう言葉も思いも表現も、もういいこと一つもない。

で、悪いことをして、とことん、そのお父さんにそこに罰せられても、

もう二度と明日からしませんと言いながら、で、翌日もまた同じ事。

で、とうとう、お父さんに言われたことが、おまえは鳥の脳みそかと。

今日はしたたか反省して、明日から再び二度としませんと言いながら、

また同じ事をしでかす。鳥の脳みそか、おまえはと。

常にそう言われてきて、あれほどの破壊的な破壊的な生き方をしてきた

私でも、ここまで、神は辛抱強く、愛見守り、常に慈悲で、ここまで、

引っ張ってきてくれたではないでしょうか?

だから、私にとっては、その体験者であるがゆえに、もう、一時

たりとも、神に感謝せずにはいられません。

もう、地獄の真っ先だったでしょう。

これ、私のお母さんが、霊媒師であるあのユタの前に行ったならば、

必ず、出てきた言葉は、私長男ですから、おまえの長男は、もう絶対に

地獄行き。あれ、いいこと一つもない。必ず、地獄にまっさかさまに

落ちていくだろうと。

もう、いつどこのユタを訪ねても地獄、地獄、地獄しか出てこなかった

こと。

だから、もう、本当にその一歩手前に立ってたかも分からない。

なぜならば、私が見る夢は、常に高い崖から落ちる夢。

で、その夢も、自分自身の生き方の結果、あの夢を見せられて、

本当に地獄のどん底に立っていたかも知れない。

しかし、今の見る夢は、自分自身の運命を変え、人生を変えたが

ゆえに、どういう夢を見ましょうか?

常に皆さんと愛分かち合っている夢。

常に光話の中で愛語り合っている夢。

で、幽界でも会い語り合っている夢。

あれほどの崖から飛び落ちる最悪のどん底の地獄から、天国へと、

自分を変えることができたではないでしょうか?






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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛の伝導体 | 【2006-04-10(Mon) 23:20:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛の伝導体(9)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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それを死人と申します。

だから、私、私というけれど、常に肉体というこの現象我を

指しての私であるならば、それを死人と申します。

イエス様は、これをはっきりこのように、この世は、死人が

ごろごろしているお墓のようなものであると。

まあ、皆さんは、この宇宙真理という命を我なりという、学びに

おいて、皆さん、ここまで、理解力を高めてきたことでしょう。

しかし、今日、たとえば、皆さんが、全く新しくここに見えて、

全く識別もできない、全く、個人、肉体、人間として生きている

のならば、ここに集っただけの死人がいると言っても過言では

ないではないでしょうか?

この世は、死人がごろごろしているようなお墓のようなもので

あると。

死人はどこに。で、死人は墓場に持っていきます。

で、ここは、肉体が私、私という、偽我に錯覚して生きている

ものならば、死人といえるではないでしょうか?

だから、私、私というけれど、肉体という仮相、肉体という偽我を

指しての私ならば、もう、それだけの死人がごろごろしているような

お墓のようなものと言われます。

だから、死人になってはなりません。

で、また、ただ悩み苦しんでいるときのみ、神よ、仏よ、

我を助けてくださいと祈る病人になってもならずと。

あるいはまた、ここで学ぶ限りは、なるほど、命がなければ、

だれも存在することは出来ない、すべての存在の本源は、

命であり、宇宙真理であり、愛そのものであったと。

そうは言うけど、ここでは、皆さんが明想するときは、我は命なり、

我は真理なり、我は神なりといえましょうけど、また、職場に戻り、

また、家に帰れば、真我という己を見失って、人間だ、肉体だ、個人だ

という偽我にまた、戻っていくもの。これをぼんやりものと

申します。

じゃあ、我々は死人であってもならない、病人であってもならない、

ぼんやりものであってもならない、じゃあ、我々は、健康なもので

あらねばならぬではないでしょうか?

じゃあ、その健康は、ただ肉体的に調子がよければ、健康と

言いましょうか?

本当の健康とは、与えられている1日が24時間、与えられている

1ヶ月が31日。で、1年が365日ならば。1年365日、一時も

神を見失うことなく、我と神とは常に一体なりという境地に生きて

いるもの。これが本当に健康なものと申します。

だから、イエス様がオーバーシャドウして、あのマクドナルド・

ベイン先生に、あの心身の神癒というあのタイトルで、あの本を

解かしたことは、あれは何を意味してましょうか?

あなたがたは、心身の神癒でありなさいと。

身も心も健康でありなさいと。

どこにも偏ることもない、アンバランスであってはならぬと。

だから、この大宇宙は調和。バランスそのもので、運行しています。

すべては、バランス、すべては調和です。

お釈迦様が悟り得たのも、イエス様が悟り得たのも、右に左に

どこにも偏ることなく、天地一体、天と地とは、即一体、

で、色と空とは即一体という、その中心を説いたことほかない

ではないでしょうか?

お釈迦様も何年間かけて、内観を通して、もう真の自分を知ろうで、

難行苦行してみたり、滝行してみたり、断食してみたり、もう色々な

行をしてみたといいます。

で、とうとうその断食で、この肉体が死の寸前まで、追いやって、

もう、生きるか死ぬかの状態までに追いこんだときに、川を下っていく

一艘の船の上で、弦は緩みすぎた弦からいい音色を放つことは

できぬと。で、引きすぎた弦は、切れること他にないんだと。

で、弦は緩みすぎることなく、引きすぎることなく、中心に、

それは、チューニング。中心においたときに、そこに美しい音色を

放つといったのを、耳に聞いて、我、仏陀なり、悟りなりと

言ったのは、そこに中道を悟ったではないでしょうか?





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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛の伝導体 | 【2006-04-09(Sun) 21:40:21】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛の伝導体(8)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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じゃあ、剣とは皆さんが、無限にすべてを癒せる、無限にすべてを

包める、愛の心こそが、剣ではないでしょうか?

あの鉄の塊で傷つけ合ったり、殺し合ったり、それが本当の剣では

ありません。

本当の剣とは、愛の心です。

すべてを許して、愛す心が、本当の剣。

だから、神は、60何億の一人一人に、無限の愛の剣をはじめから

与えたもう。

みなさんの本質は、愛の剣であって、決して、人を恨んだり、

ねたんだり、そしったり、嫉妬したり、裁いたり、それそのものが、

与えられたんではないんだと。

人間という欲望は、恐ろしいもので、わずか千円や二千円を

奪うために、力なき女性や老人をひっくり返してでも、それを奪い

去らんとするその恐ろしい、で、自らをどん底まで落とし込んで

いるのが、今の人間ではないでしょうか?

だから、そのように、時代が進めば、進むほど、この世は、

末法化します。

奪い合い、殺し合い、傷つけあい、今の世を末法の世と、何と

言いましょうか?

まさに、末法の世ではないでしょうか?

本当に一人一人が、愛という愛に目覚めて、本当の剣を使い、

生きる一人一人に目覚めいきることが出来ぬ限り、母なる大地で

あるこの地球は、どうなりましょうか?

いまのように、破壊へ破壊へ追いやっていいものか?

我々、幾転生という人生を、この地球という母なる大地の大地で、

いろんな物を見て、色々なものを経験、体験して、ここまで、魂が

成長してきたではないでしょうか?

ここまで磨き上げることが出来たではないでしょうか?

それを、我々は、破壊へ破壊へ追いやらんとするのならば、

本当に価値なき、無能な人間と言うこと他にないではないでしょうか?

ここまで磨き上げることが出来た母なる大地に、で、皆さん自身が

肉体を脱ぐときに、本当に美しい、その子や孫のために、

緑したたる地球を残せてこそ、我々は、本当の恩を持ったもので

あって、今のように破壊へ破壊へ追いやっていくのならば、

恩知らずというではないでしょうか?

命に生かされていながら、命に感謝することができぬ命知らず

というではないでしょうか?

だから、世の中には4タイプの人間がいるんだと。

命に生かされていながら、命に感謝も出来ない。

で、それは何と言いましょうか?命知らずを。

死人と申します。

なぜ、肉体を我として生きているものは、死人なのか?

みなさんが、この肉体がここに、現れてくるまで、想像してみて

ください。

お父さんの精子とお母さんの卵子との結合において、お母さんの

子宮の中で、細胞の分裂を繰り返しながら、何ヶ月何十日で、この

肉体という器は、のり舟は出来あがっていきましょう。

しかし、そこに神が命を与えることなかったのならば、誰が、

ここに生きるものとして、生まれることができたのかと?

どんなにこの肉体船は、ちゃんと、五体満足に仕上がったとしても、

神が命を与えなかったのならば、生きるものとして、ここにいた

ものは、いません。

生れ落ちたその瞬間に、もう、死体。死人。死産。

で、火葬場行き。

だから、命に生かされていながら、命に感謝もできない。

命知らずになってはなりません。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛の伝導体 | 【2006-04-07(Fri) 23:20:57】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛の伝導体(7)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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これこそ、まさに愛の実践、本当の真理の実践ではないでしょうか?

だから、真理は、愛であるならば、すべてのすべてを許し、

愛する事。

で、知恵ならば、皆さん自身がいかなる試練や宿題にぶつかっても、

背を向けて逃げよう、背を向けてどこかに隠れようではなく、

愛で、知恵で、力で、光で、正面立ち向かって、皆さん自身が、

真の勇者として、克服して生きることが、これが本当の我々の

真理の実践の姿ではないでしょうか?

逃げて逃げられるならば、もう、とうに逃げているでしょう。

隠れて隠れられるならば、とうにどこかに隠れているだろうと。

どんなにこの世の苦しみから免れようとしても、で、首をつって

去ったところで、高いところから飛び立って、肉体を破壊に

追いやったところで、即、そのものが神の中でないでしょうか?

神の中に我々は肉体を持ち、で、また神の中で肉体を脱ぐことを

知らねばなりません。

だから、みなさんに今日、肉体を脱ぐときに来ていなければ、

みなさんが戦争のど真ん中に行っても、弾は皆さんを射抜くことは

ありません。

しかし、皆さんが、今日、肉体衣装を脱ぐべきときに来ているの

ならば、さあ、道路を走れば交通事故で死ぬかもしれない、

で、飛行機に乗れば、高いところから落ちて死ぬかもしれないから、

もう、今日、死んでは困るから、部屋から絶対に動かぬと、押入れに

閉じこもってようとしても、押入れで窒息して死んでいるだろうと。

だから、皆さん、その理解が出来るのならば、髪の毛一本一本が、

神には数えられているんだと。

雀一羽とて、神の御心なくして、この地に落ちることはないという

理解が出来るのならば、我々はもう安心ではないでしょうか?

すべて神の御心のままにと言えるではないでしょうか?

余計なもがき、あがき、苦しみをつくる必要がないでは

ないでしょうか?

だから、私ならば、今日、この肉体引き上げるべきならば、

どうぞ、あなたの御心どおり、なさってほしい。

常に全託、で、そこにもがきあがくがゆえに、我々は、

苦しみを伴っていることを知らねばなりません。

すべて、神の御心です。

だから、本当の勇者というのは、神そのものに、我は神なり。

神は、我なり。

我と神とは、常に一体なりという一体感の境地にたったものこそが、

本当の勇者であって、で、また、幾転生という人生の課程を通して、

背負ってきた悪習、思い癖、そのいやなその汚れを、一つ一つ、

その神聖火花で、全部焼き尽くしていくことが、本当の勇者で

あって、戦争に行って、敵を何十名、何百名倒したからとて、

それは勇者ではありません。

いくつの城を攻め落としたからとて、勇者ではありません。

本当の勇者とは、すべてを許せるものです。

すべてを無限に愛せるものです。

無限の許しと無限の愛で、一瞬一瞬生きていることそのものが、

私は、本当の勇者と申します。

だから、みなさん、剣は、今まで、剣(つるぎ)とか剣(けん)とか

いうならば、人を傷つけたり、殺したり、それをつるぎと錯覚して

きたこと。

剣とは、無限の愛の心で、すべてのすべて、人を、すべてのすべてを

包める自分を本当の勇者、剣を持ったものといいます。

だから、無限の愛の心、傘になっているではないでしょうか?

無限の傘に、人々すべて、万物一切を、包める我々、これが本当の剣

と申します。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛の伝導体 | 【2006-04-06(Thu) 22:46:11】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛の伝導体(6)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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一歩一歩、皆さんが、真実なる我に向かって歩んでいることは、

それ、努力でなくて、何と言いましょうか?

ただ、歩んでいるといいましょうか?

ただ、無意識に歩んでいると言いましょうか?

目標に向かって歩むというそのものは、もうそこに、努力の

始まりではないでしょうか?

人間意識、肉体意識、個人意識を、皆さん自身が超えていき、

本当に久遠にして常在、不滅にして絶対実在である我を見出す

までは、お釈迦様もイエス様も、同じ事を説いたでは

ないでしょうか?

初めから我々は、我は命なり、我は真理なり、我道なりと

言えたんではないんだと。

あなたがた以上に厳しい道を耐えて耐えて、忍耐強く耐え抜いて、

今こそは、我々は真理なり、道なり、神なりと言えることであって、

決してそれがなかったのならば、そこに至ってはいないと言っている

ではないでしょうか?

心を尽くし、精神を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、

我が中に内在の神を、実感しいくまでは、それは忍耐と努力と、

これは絶やすことはできぬと言います。

イエス様もお釈迦様も、我々が如何に、厳しさを歯を食いしばって、

こぶしを握り締めて、耐えて耐えぬいて、そこまで至ることが

出来たかと言っているではないでしょうか?

我々も容易い道を歩んで、悟ったものではないんだと。

これ、イエス様は、あれほどの仕打ちを受けても、で、最後に

十字架に貼り付けられても、本当の許し、愛という、努力、忍耐で、

そこから、偽我という自分から脱出することができたではないで

しょうか?

神よ、この者たちに罰をとは、一言も説いておりません。

罪を背負わせよとは、一言も説いておりません。

神よ、この者たちは、命においてひとつであることを知らない

結果、愛において完全であることを知らない結果、今、このような

過ちを犯そうとしていることを許して欲しい。

神よ、この者たちに光よ。

心にやすらぎを。

昨日、埼玉のほうでも、我々ともう十何年前から学んだ方が、

で、その方が、たとえば、99名は愛せても、もう一人だけは、

このものだけは絶対に許せない、絶対愛せない、

絶対嫌なものという一人がいたと。

しかし、真理というものは、決して分離、差別で、この見ること、

感じ生きることでなく、全体を我として愛する事が真理なりということ

をもう、何年間も聞いてきたもんだから、これ許さずして、真理に

到達することはないと。

努力してでもそこに至らんといかん。

で、そこにできるものではないと。

これは、もう忍耐強く、努力の、で、結果で現れることであって、

すぐ、今日思って、許せるものではないんだと。

で、それよりも、まず、この者のために祈っていこうと。

神よ、この者に、光よ。

心にやすらぎを。

毎日、毎日、祈るたびに、本当に、真っ黒いその状態から、絶対

許せないというその状態から、毎日のように、もう思い出しては、

祈り、で、本当に時間ある限り祈り、神よ、この者に、光よ、

心にやすらぎを、全一体の中に、差別、分離はない。

という思いで、とうとう薄くなって、もう完全に許し得る

その段階まで到達したことが非常にうれしいと、私、話を

聞かされました。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛の伝導体 | 【2006-04-05(Wed) 23:51:58】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛の伝導体(5)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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じゃあ、皆さんが、朝に昼に晩に、何十何年間、これから、

皆さんたちが、未来永劫に、常に思いを通して、言葉を通して、

愛、愛、愛の種を蒔けるのならば、例えば、今日の一日、

与えられた時間も、今日も愛にて目覚め、愛にて事をなし、

で、愛にて今日の一日を終えていけるならば、誰をも、愛の種を

蒔けば、何が実りましょうか?

愛の実をつけます。

で、その愛の実は、どう、みなさん、収穫しましょうか?

無限の幸せ、無限の喜び、無限の幸福として、皆さんは、

摘み取ることが出来るではないでしょうか?

じゃあ、そのもの、誰が崩すことが出来ましょうか?

誰が振り回すことが出来ましょうか?

この何十何年間を振り返っても、一日、一分、一秒たりとも、

わたしは、決してその精神的な不調和、で、苦しみ悩んだこと、

一度もないとも言います。

心身ともに毎日がベスト、毎日が喜び、毎日が至福、しかし、

わたしは特別な人間でもないし、皆さんも確実にそこに

一歩一歩、近づいていっているではないでしょうか?

今までは、同じように与えられた宿題に、何週間も何ヶ月も何年も、

それに同じ宿題に、悩み苦しんだのも、しかし、今、与えられた宿題は、

同じ大きさ、同じ宿題であっても、いとも簡単に乗り越えることが

できたと。

それは、皆さん自身が、宇宙真理という本質を、実践している結果

ではないでしょうか?

真理は、実践することであって、決して絵に描いたぼた餅信仰のように、

で、眺めていれば救われる、眺めていればお腹満たすではありません。

まさか、絵に描かれたぼた餅を、肉体が朽ち果てるまで眺めていても、

お腹満たすことが出来ましょうか?

先ほど、我々が夕食を、カレーが出されたのも、皿にもって眺めていても、

お腹満たすことは出来なかったではないでしょうか?

しかし、皆さんが、このスプーンを手にとって、で、口に投げこんで、

行動起こしたがゆえに、お腹を満たすことが出来たではないでしょうか?

それ、努力でなくて、なんと言いましょうか?

だから、ある男性の方が、我々は初めから神、初めから愛、

どうして努力する必要がありましょうか?と私に質問で訴えた

ものがいます。

本当にあなたは努力なしで、そうあるのかと?

もちろん、誰の本質も神である事実は否定することは出来ません。

愛であり、宇宙真理である事実は、誰も否定することは出来ません。

しかし、この幾転生という人生の過程を通して、真理という自分を、

偽我の自分で覆ってきたではないでしょうか?

鏡の前に立てば写し見ることの出来るこの肉体を指して、

触れば掴んで感ずることの出来る肉体、物質を我という錯覚は、

明想という努力、で、本当に自分を正しく理解しようとするその

努力で克服できることであって、じゃあ、努力せずにして、

どうして、あなたは神そのものを生きているのかと?

で、本質である愛そのものを、そこに現し示しているのかと?

無知、盲、迷い生きているほかないではないでしょうか?

じゃあ、そこから解脱、そこから脱出し、本当の自分を見出す

までは、我が中に内在の真我は、はじめからあり、今もあり、

未来永劫にあることを実感するまでは、これは努力というものを

必要とするではないでしょうか?

まさか、努力なくしてそうならば、努力が必要でなかったのならば、

どうして、神は我々に、意志と忍耐と努力というその方法を与える

ことがあったでしょうか?

また、見失っているこの自分を努力せずして、それが取り戻せるのならば、

誰が真理を学んで、明想という、その手段を用いる必要が

あったでしょうか?

だから、勘違いも甚だしいもの。

あまりにも、その本という本の知識を読み、勘違いのしている人間の

なんて多いことか。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛の伝導体 | 【2006-04-04(Tue) 22:05:12】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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