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Author:諒
■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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我は真理なり(6)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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わたしの自慢話ではありませんが、ホテルに泊まっているときに、

かぎは一つ一つ違い、100の部屋があっても絶対にひとつしか

あけられないといわれているのが、ホテルのキー。

で、わたし自身が間違って、自分自身のかぎで、北海道のホテル

のことですが・・。

わたし自身の思いは、わたし自身が差し込むかぎは、どこでも開く

という思いしか、疑いもしないし、絶対に開くという思いしかない。

で、わたしの部屋は3階。

で、5階の部屋がいとも簡単に開いてしまったこと。

で、わたしがそう言ったならば、嘘をつけと。

ひとつのかぎで二つの部屋が開くわけがないではないかと。

絶対開くはずがないんだと。

で、わたしは305の部屋。

で、503を間違えてあけてしまったんです。

したならば、わたしはいつでも、どこに寝るにも、必ずそのベッド

と持ってきたバッグは、完璧に片付けてから、わたしは出かける

ようにしているんです。

いつどういう状態があっても、いつでもバッグは持ってかえれる

ように、小さいときからの癖でそうしているのです

いつでも、完璧に自分の部屋は、完璧に整えておくようにしておく。

いつでも、片付けておく。

しかし、503をあけてみるならば、ベッドの上は、若い女の子なのか、

散乱しており、もう下着がいっぱいになってまして、わたしは

びっくりしました。

どこに間違えてきてしまったのかと。

冗談ですが地獄にでも来たのかなと。

で、かぎの札を見てみるならば、503になっていたんです。

305が私の部屋。

503をあけてしまったんです。

だから、人間が作り上げたものは、必ずいい方向に使えるか、

悪い方向にも使える。

だから、イエス様は、心伴わない真理は、破壊の方向へ

破壊の方向へ使い下すと言われたではないでしょうか?

だから砂の上に立てた教会はもろい。

右から風がくれば左へ。左から風がくれば右へと。

いとも簡単に崩れさっていくだろうと。

で、岩の上に立てた教会は強し。

で、それは完全なる宇宙真理を世に示していくことができるだろうと。

じゃ、岩の上、砂の上と説いたのは、一番大切な基礎である心を

説いたではないでしょうか?

で、教会という窓際の教会は、砂の上に教会というのならば、

それは真理を指しているではないでしょうか?

だから、心が美しく磨かれてこそ、真理は、世のために人のために、

生かすことができるんだと。

だから、お釈迦様も安易な瞑想を与えたんではないんだと。

何日も何週間も何ヶ月もかけて、徹底して、正しく見れるあなた。

正しく思うあなた。

と、正しく生きるように、この八正道というものを与えて、

正しく見、思い、語り生きれるようになって、

それを心磨いたとき、そこに内観というものを教えたでは

ないでしょうか?

だから、今の瞑想グループは、心も伴わない、心も教わっていない、

即瞑想せよ、即内観せよと。

で、挙句の果てにつながったのはどこでしょうか?
幽界とつながって憑依を受け、気違いになったものをわたしは

いくつも見てきました。

だから、明想という大切さ。

みなさんが本当の明想を理解して、明想を正しく使うことが

できるのならば、わたしはこう言います。

明想の大切さ、明想の素晴らしさを知るでしょうと。

しかし、あらぬ方向にその明想を使いいかせば、まったく逆の方向

からみなさんは、幽界の憑依を受けて、気違いになったり、

混乱してみたりと。

だから、あくまでも明想は、世のために人のために生かし

いける自分であるために、

常に神との一体感であってもらいたい。




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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。

25:48


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我は真理なり | 【2006-03-30(Thu) 01:25:49】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
我は真理なり(5)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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で、過去においても、今は、大気を汚す、ガソリン、ディーゼル、

石油などの燃料を使って、今は、車を走らせます。

しかし、過去何年間では、一点の汚れも放つことのないものは、

何回か作り上げられています。

しかし、それが現れればどうでしょうか?

今の石油関係に携わる人間は、すべて、その金儲けを失うことに

よって、で、すべて、その関係の人々を抹消してきたではない

でしょうか?

だから、皆さん自身が見えない心で、計り知れないはずの人間が、

抹消されて埋め込まれています。

だから、心伴わない状態で、物質文明で栄えいい状態を作り上げよう

としても、そのもの抹消されてしまうほかにないんだと。

で、埋められていくほかにないんだと。

だから、いいものが作られても、いいものはあらわさない。

わたしは、そのものを作る役目のものでもないし、

科学者でもないけど、神がわたしに見せたビジョンというならば、

わずか何カラットという鉱物が、それそのものが、宇宙生命という

無限のエネルギーを受け入れて、で、日本全体がどう使っても、

余裕に供給することができるものがつくることができるという

ビジョンをわたしは見せられています。

さあ、わたしがそれを作る役目として、作る側に回ってみてください。

もう、その話をわたしがした瞬間に抹殺されていくだろうと。

だから、一番大切なことは、みなさん一人一人の美しい心と申します。

愛一元の心と申します。

慈悲に満たされた心と申します。

だから、心伴わなければ、何をここにあてられても、便利な科学と

いうものを作り上げても、また例えば、クレジットカードのような

ものをつくりあげても、そのものを自分自身が不正に使って、

関係のない人に支払わせるような事件があったりと。

だから、心が伴わない限りは、何かものが作り上げられたときは、

必ず、あらぬ方向でそのものが使われると。

で、それが出来た瞬間にわたしは読み取っていました。

だから、わたしはいまだかつて、カードを持ったことはない。

すでに読んでいたんです。

だから、皆さん一人一人が、本当に宇宙真理という大愛に目覚め生き、

すべてを変えぬ限りは、どんなにいいものを作り上げても、

必ずあらぬ方向に使うでしょう。

それにかえて、われわれが本当に石垣島で体験したことは、

山も本当に真っ暗なところで、販売機をおいていても、だれもいたずら

をしない、誰もそれをどうこうする人がいない、全く山の人通りの

ないところで、いつでも完全な状態でその販売機はあるといいます。

びっくりしました。

また、○○さんたちが、レンタカーを返すときも、さあ、その1日分

多く使った日付のレンタカー代をどうしようかといったとき、

ただその車の中に入れておいてくれと、で、かぎは

どうしますかといえば、かぎもあけっぱなし。

ここでは誰も奪うものはいない。

誰も人のものに、手を下すものはいない。

まだ、本当にこういう素晴らしい場所があったのかと。

そういう状態で全世界に広がっていくことができるならば、

みなさんの小さなときは、そうだったではないでしょうか?

カギもない家。カギなんてあったでしょうか?

今は、3重にして、4重にして、カギをやったとしても、

破壊するものは必ずいるではないでしょうか?

だから、作り上げたものは、必ずあらぬ方向に使うものがいると。

いい方向にも使えるが、あらぬ方向にも使えると。

だから、心を伴って、すべてそこを仕上げぬ限りは、必ずいたち

ごっこになるではないでしょうか?

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。


我は真理なり | 【2006-03-27(Mon) 00:18:10】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
我は真理なり(4)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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それを日々の生活の中に、活かし、皆さん自身が、生きてこそでは

ないでしょうか?

今のように、金がすべてだ、物質がすべてだ、富がすべてだ、

もちろん、わたしはそれを否定するものではありません。

肉体という衣装を与え生かされていくわけには、いい食事を決して、

粗末に扱うことはできません。

しかし、今までの我々の教育というならば、ただいい食事を

するための教育でしかなかったではないでしょうか?

もう、子供たちが学校から帰れば、今度は何時から何時まで、

どこの塾だ、今度はどこだ。何のために。

いい高校、いい大学を卒業してもらいたい。

ただ、それだけならばいい。

じゃ、いい大学を卒業して、どうするのかといえば、いい職に就け、

多額な給料を得るように。

では、それは子供たちに、無所得、無条件の愛では、

ないではないでしょうか?

我々は、子供たちを本当に教育していくためには、無所得、

無条件の愛で、我々は育ていかねばなりません。

その一人一人の役割は違います。

必ずしもいい大学を卒業して、いい職について、多額な給料を得る

ための肉体存在の目的ではありません。

神が創造した以上に、素晴らしい住みよい地球という環境に導くために、

一人一人が様々な役割を与え生かされていることを知ってもらいたい。

だから、どんなに地位、金、名誉、物質に満たされても、

愛のない心で、だから、この1ヶ月か前に、神はわたし自身に、

あなたがたが、どんなに美しい花々を祭壇に整えたところで、

高価な果物を供えたところで、いっこうに嬉しくないと言われました。

なぜならば、愛のない心で、どんなに着飾ったものを、

供え上げられても、嬉しくもないと言われます。

あなたがたが、わたしに供えてほしいのは、一点の汚れ、曇りのない、

愛の心から、供えてほしいと言われてました。

もちろん、あなたがたが、真実なる愛をわたしに供える中に、

花々をというならば、わたしはそれは喜びます。

しかし、どんなに美しい花々や高価な果物を供えられても、

愛のない心、慈悲のない心、で、一点の愛のない心で、

一向にうれしくないと言われます。

あなたがたが供えてほしいのは、真実一点の偽りもない、嘘のない、

絶対なる愛の心から、愛をささげてほしいと。

で、その愛を万物に供えてほしいと。

ならば、この世界や社会は、今、即素晴らしい、ユートピア世界が、

今、築かされていくことになるだろう。

だから、今のように、我々が、どんなにいい大学を卒業したところで、

ほーれ、みなさん、見てください。

あのオウム真理教の麻原教祖の下で働いて、動いた方々が、

いとも簡単に人を殺しあったのも、あの方々は、医学の面にしても、

科学の面にしても、本当に大学を優秀なトップの成績で、

卒業した方々ではなかったではないでしょうか?

じゃ、学問とそれが、心とは、何の関係もないことを知ることが

できるではないでしょうか?

もちろん、学問もあって、心もあるというならば、その学問を

世のために、人のために、最高にいかしきれるのならば、

それは最高に素晴らしいこと。

だから、神がわれわれに原子とか電子とか、様々なものを与えたのも、

わずかな小さなもので、莫大なエネルギーを放出し、世のためにも

人のためにもいかせるといったにもかかわらず、それを愚かなる者は、

その力を、地球の破壊のために、目に見えるもの同士の破壊のために、

原子爆弾とか、電子爆弾とかを作ったりして。

だから、わたしは、常に言います。

心が伴っていない物質文明の栄えは、世を滅ぼすんだと。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。








我は真理なり | 【2006-03-21(Tue) 14:52:01】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
我は真理なり(3)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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わたしがちょうど、7、8年前、明想してますと、様々な花に

群れている蜜蜂が、本当に散っていく姿を見せられました。

で、その蜜蜂たちの意識を見たときに、どこに蜜蜂たちはみなさん、

たかりましょうか?

蜜を提供してくれるから、蜜蜂たちは、花にたかっているでは

ないでしょうか?

では、花が蜜蜂たちに、蜜を提供しないのであれば、

散っていってしまうではないでしょうか?

これが、今の宗教を表し示しています。

だから、その蜜蜂たちが、どこに本物の蜜を成してくれる花は、

どこに存在するのか?

それは、今までの宗教から、飛び立っているのを見たのは、7、8年、

で、その姿を○○ちゃんが、はっきり、明想してつかんだんです。

石垣島の最後の明想の中で。

もう、蜜蜂たちが、あるいは、黄金の玉でもいいし、どんな色の玉でも

いいんですが、○○ちゃんが見たその玉は、紫の美しい玉を抱えていく

蜜蜂、では、それは何を意味しましょうか?

そこに集った皆さん一人一人が、確実に、高い意識状態へと進みいく姿。

本当に、その我が玉という真我を掴んで、飛び立っていく姿が

そうではないでしょうか?

まったく、7、8年前に、わたしが見たそのビジョンと、○○ちゃんが

見たビジョンと、本当に重なります。

まったく同じこと。

で、それは、またちょうど、わたしが、2005年に明けるその瞬間、

今年からは、霊的な面でも、物質的な面でも、すべて、偽者が崩壊

するときが、これからの時代だと言われました。

だから、どんなに我神なり、我真理なり、どんなに口先で語ったと

しても、その本人が、真にそこに生きていない限りは、

必ずそのものは、崩壊していくだろう。

で、同じその品物も、本当に体によいものを、地球にいいもので

ない限りは、必ず、そのものも崩れ去っていくだろうと。

物質的な面でも、霊的な面でも。

すべて、偽者が崩壊する年になるだろうと。

で、我々の学ぶグループは、天心無我という境地で生きていけと

言われました。

天心とは、天の心と書きます。

無我とは、無限の我と書きます。

天の心は、愛にして、知恵にして、力にして、光にして、

無限であるということを自覚して生きよと。

じゃ、みなさんは、小さな宿題も、小さな試練にも、耐えられない

ような小さき、弱き存在ではないではないでしょうか?

みなさん一人一人の本質は、無限の愛です。

すべてのすべてを許し愛すあなたがたが、本来のあなた方では

ないでしょうか?

だから、今は、愛分かち合うことができぬ結果、親子同士で、

人間同士で、兄弟同士で、毎日、傷付け合い、毎日でも殺し合い、

それは何と言いましょうか?

末法の世というではないでしょうか?

まさに末法の世。

愛で生きるべく万物の霊長である人間が、ともに、足りないものに

振り回されて、で、傷付け合ったり、殺しあったり、奪い合ったり、

今、まさに末法の世でないでしょうか?

じゃ、それを超えていくためには、みなさん一人一人が真理に

目覚め生く他に、方法はないではないでしょうか?

真理は愛です。

真理は知恵です。

真理は力です。

真理は光です。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。








我は真理なり | 【2006-03-20(Mon) 12:24:58】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
我は真理なり(2)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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この地球というわれわれが学び、色々な体験をして、魂を磨き、

本当に解脱へと道を歩みいく、この地球という学びの場を、

破壊させてはならぬと。

本当にこれ以上、傷つけてはならぬと。

これ以上、破壊おいやってはならぬと。

で、その全一体という宇宙意識から、みなさん一人一人の目覚めを

うながしていることを知ってもらいたい。

だから、みなさんの心の扉を神は叩いて、常に、訴えているでは

ないでしょうか?

自らに目覚めよと。

自らの心を開きなさい。

小さな自分を捨てなさい。

神の偉大なる光に目覚めよ。

じゃ、光とは太陽の光ではなく、この太陽の光以上の、みなさん

一人一人には、真理として、無限の光が内在していることを

知ってもらいたい。

だからこそ、我、この世の闇を照らす光なり。

我、この大宇宙を照らす光なり。

で、そのとき、みなさん、なんていいましょうか?

天照大神。

だから、みなさん自身が、何者にも振り回されない、

不動明、不動の心を仕上げてもらいたい。

どんなにこの現象という結果の世界で、どう移り変わろうが、

どういう現象が現れようが、振り回されないあなたがた。

悪しきものにも、決して混乱せず、楽なものにも、決して有頂天に

なることなく、本当に自分自身の宇宙真理をしっかりと、

みなさんには一歩一歩歩んでもらいたい。

で、そのときこそ、皆さん自身が、何者にも振り回されない、

混乱しないあなた方になったとき、これをみなさん、不動心、

不動明というではないでしょうか?

で、みなさんが不動心になったとき、いかなる試練、いかなる宿題に

ぶつかっても、もう知恵や、力で、愛や光で、すべてを乗り越え

られるあなたがたになったとき、どんなにきびしくても乗り越え

られる知恵が、我が内から昏々とこみあげたとき、これを

文殊菩薩といいます。

で、我は知恵なりとみなさんが理解したとき、もう自ら自分だけ

幸せで喜びであってはならぬ、混乱して生きる気の毒な兄弟姉妹に、

千人にも万人にも手を差し伸べたい、これを千手観音。

で、みなさん、千人にも万人にも手を差し伸べて、手伝える

あなたがたになったとき、我、この世の闇を照らす光なり、

我、この大宇宙を照らす光なり、これを天照大神といいます。

じゃ、動かぬ仏像を奉って、健康にしてください、幸せにして

ください、金持ちにしてくださいではなく、すべてのすべて、

あってあるもの、愛という器で抱擁できるあなたがたあって

こそではないでしょうか?

みなさん一人一人の真我そのものがすべてであることをしって

もらいたい。

それが、文殊菩薩であり、千手観音であり、天照大神であることは、

みなさん一人一人の中に即、内在しており、だから、みなさんは、

拝むとき、手はどこに持って行きましょうか?

自分自身の愛のチャクラである、愛のハートセンターであり、

胸元にみなさんは、手を添えるではないでしょうか?

我は真理なりと皆さんが理解したとき、手をみなさん、

開いてみてください。

泥沼に咲く蓮の花よりも真我という美しい花は、

もう、我が内に開花したと。

それが、悟りを象徴としています。

解脱を象徴としています。

だから、みなさん一人一人は、決して、無知、盲、迷い、

小さき弱き存在ではありません。

だから、本当に、一段一段、一歩一歩、昨日よりは今日、

今日よりは明日、明日よりは明後日と、一段一段、高き我へと

高揚していってほしい。

そのとき、我は真理なり、すべては真理なり、一人一人、

そう言えた時、今の社会は、今の世界は、何をなさずとも、

即平和であることをしるでしょう。

どんなに多額な金や富を積んだところで、我々一人一人が、

すべてを許し愛することができぬ限り、平和なんてありえぬ

ではないでしょうか?

だから、無力なる我から力ある我へと。

無知なる我から知恵ある我へと。

迷った我から悟った我へと。

今までは、仮相という結果しか見えなかった我が、すべての原因、

すべての中に、原因である宇宙真理、愛を、神をすべてとして、

感じ取れるあなたがた。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。








我は真理なり | 【2006-03-18(Sat) 23:55:42】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
我は真理なり(1)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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みなさんが、自分自身の聖地を守って、我は真理なりとそういえる

あなたがたとなってもらいたい。

人間意識、肉体意識、個人意識では、どの聖地も見ることは

できぬだろう。

なぜならば、聖地はあなた方のうちにあり。

決して、己の聖地をこの世のものや物質で、見下ろしてはならぬと

申します。

で、そのためにはみなさんが、自分自身の本質が、宇宙生命であり、

神こそであると理解したとき、我は真理なり。

だから、誰も厳しい道を歩まずして、真理に到達したものはいません。

われわれは、与えられた試練から、あるいは与えられた宿題から、

厳しければ逃げたい、どこかに隠れたい。

では、いつ真理に到達することができましょうか?

イエス様もお釈迦様もあなたがたよりも優しい道を歩んで、

我真理なりと到達したんではないんだと。

どんな厳しさもいかなる苦しさもすべてを乗り越えた上で、

我真理なり、我悟りなりと。

そう言えたのであって、だからみなさんも一瞬一瞬、今皆さんに

与えられている苦しみも、今皆さんに与えられている試練を

すべて愛でもって克服してもらいたい。

みなさんひとりひとりには、愛という剣が与えられている

ではないでしょうか?

愛に勝る剣、愛に勝る力、愛に勝る知恵は、どこにも存在しません。

だから、わたし、この何十何年間、我は神なり、我神なるがゆえに、

無限の知恵、無限の力、無限の愛、光、泉は、我が内にあり。

それを見出してから、外なる人間が、わたしを振り回すことが

できたでしょうか?

誰に混乱させられることがあったでしょうか?

毎日が喜び、毎日が計り知れぬ至福を。

あまり、現象的なことを言うのは、あれですが、

ちょうど、石垣島のセミナーを終えてから、色々な奇跡が起きています。

この現象という形の中で。

歩けないおばあちゃんが杖を捨てて歩いてみたり、色々な現象を

起こされています。

しかし、わたしはその見える結果という現象の世界よりも、

本当の現象、本当の奇跡とは、みなさんひとりひとりが、

すべてのすべてあってあるものを、無限に許し、無限に愛することが、

これがみなさんへのプレゼントと申します。

これがわたしにとって、最大の奇跡と申します。

だから、昨日から、朝方まで、明想状態でソファに座っていますと、

麻原教祖はぴょんぴょん跳ねなければ上に飛べない、

それもわずか瞬間。

しかし、私自身が明想を終えて、意識をこの肉体に戻すまで、

2,30センチ浮いた状態で、明想している自分。

でも、それは何も自慢するものでもありません。

自慢できるものでもありません。

じゃ、たとえば私自身が、瞬間移動、で、この日のような状態で、

何十センチ浮いた状態で明想して、あるいはまた物品移動、

あるいはまた様々な物質化現象。

じゃ、わたし自身が、わたし自身の心が汚れ、曇っているならば、

愛のない自分自身で、そのような現象を弄んで、何の価値もない

ではないでしょうか?

だから、一番大事なことは、で、わたしがみなさん自身に、早く

勝ち取ってほしい宝物は、すべてを許し、すべてを愛するあなた方で

あることを、わたしは最高に望むこと。

だから、神の愛に生きられるあなた方になってもらいたい。

決して、様々な現象に、物質の現象が奇跡ではなく、すべてを愛し

生きられるあなたがたが、わたしにとって、最高の喜びと申します。

あなた方の愛は、すべてのすべて、あってあるものを超越する愛

であるから。

じゃ、今もテロというああいう事件、拉致というああいう問題、

いろいろな現象、いろいろなことを抱えて、さあ、偉い人間は、

どう解決しようか、どうしようかと言います。

答えはただひとつ。

一人一人が、我は真理なりという真理に目覚めいけば、一瞬にして

すべては解決するであろう。

そこに多額な金を使って、高価なホテルの会議室に集まって、

どうこう議論する必要もありません。

どんなに世界の富をかき集めて使ったところで、真の我が宇宙真理で

あることを理解できぬ限り、で、我が真理であり、すべてが真理で

あると一体感に目覚めぬ限り、どこに、解決方法がありましょうか?

だから今の状態では、みなさん一人一人が真理に目覚め、真理に

生きることができぬ限りは、この世はもっと末法の世と変わって

いく他にないんだと。

だから、わたしは焦ります。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。








我は真理なり | 【2006-03-16(Thu) 12:32:23】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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