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■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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生命は天、肉体は地(完)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

今回はご講話をそのまま掲載させてもらいます。

わたしが十数年前に学んだ思い出深い講話を掲載します。

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エネルギーの低いものが触ったら、高くなりますか?

たとえば、病人がこのパンに触ったら、パンのエネルギーを

奪いますよ。

なぜかというと、エネルギーは高いところから、低いところに

流れるんですよ。

自分がエネルギーが低いということは、全部、エネルギーを盗んで

歩いているということになりますよ。

だから、汝盗むなかれというのです。

今、みなさんは、与えているの?盗んでいるの?

エネルギーの盗人?与え人?

盗んで歩いていると思いますよ。

こっちから盗もうかな、あっちから盗もうかなといって。

エネルギーは与えるものであって、盗むものではないんです。

だから、命を得ようとするものは、命を失い、命を放つものは、

命を得ると。

エネルギーを得よう得ようと思う人は、エネルギーを失いますよ。

エネルギーを放つものは、エネルギーを得ますよ。

与えよ、さらば与えられん。

だから、エネルギーは得るものではなくて、与えるべきものであると。

これが、与えよ、さらば与えられんなのです。

盗もうか盗もうかと思っていれば、作用・反作用の法則ですから、

ごそっともっていかれますよ。

だから、みなさんがたは、エネルギーそのものなのでしょ。

生命そのものであれば、なにそのもの?

では、エネルギーそのものであるのならば、どこからエネルギーを

得ようとするの?

与えるしかないでしょ、もう。

エネルギーがエネルギーを得ようと思いますか?

しないですよ、与えようとすると思いますよ。

貢献しようと思うと思いますよ。

だから、わたしは一人でも多くの人にエネルギーを与えたくて

うずうずしているわけです。

このエネルギーは減るんですか?

わたしは、与えることによって、損しますか?得しますか?

奉仕の場を設けさせてもらったわけですよ。

だから、誰かを触って、エネルギーを流させてもらうことが、

わたしの生きがいなんです。

盗むことが生きがいではないんです。

与えることが生きがいであるべきですね。

盗むことが生きがいでは大変ですよ。

だからみなさんがたは、この世の食べ物をあちこちであさって

生きているんですよ。

このエネルギーは高いとか、低いとか言いながら。

これを放蕩息子のたとえで言っているんですね。

外から得ている食物は、豚小屋から得ているようなものですよと。

で、宇宙から得るものは、有機物が混ざっていませんから、

純粋無垢のエネルギーとなるわけですね。

だから、天より下る生命のパンを食しましょう。

どんどん与えてくださいと。この人にも、あの人にもと。

エネルギーは与えれば与えるほど、多くなるんですね。

ちょうど、お天とさんも同じこと。

与えているから、光っているんですよ。

あの人、嫌いだから、与えないというのであれば、太陽も曇りますよ。

光るためには、与えなければならない。

好き嫌いがあってはならない。

わたしにとっては、私を迫害するものであろうが、罵るもので

あろうが、エネルギーを与えたくて仕方がないんですよ。

分かりますね?

ですから、罵っても安心ですから、心配しないでください。

私が怒り狂うことはありませんから。(笑)

ばかやろうと言われても、平気ですから。

平気というのは、平たい気と書きます。

皆さんも何があっても平気な人になってほしいと思います。

ありがとうございました。


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今回は、わたしが、十数年前に学んだ講話について、掲載させて

いただきました。

何が思い出深いかというと、先生は、人の意識を確実に、読み取る

ことができるんだということを実感させられたのです。

多くの方が体験されているかもしれませんが、

講話中に、わたしが、ぱっと浮かんだことを、即時に話をされたと

いうことがありました。

しかも、かなりありえないことをわたしは思い浮かべたのにも、

かかわらずです。

まさに、意識はひとつであるということを実感させられたのです。

先生に隠せるものは、何一つない。

神に隠せるものは、何一つないということを、教えていただいた

私にとっては、素晴らしい学びの一日でした。



今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。








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生命は天、肉体は地 | 【2006-03-13(Mon) 20:55:40】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
生命は天、肉体は地(9)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

今回はご講話をそのまま掲載させてもらいます。

わたしが十数年前に学んだ思い出深い講話を掲載します。

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その生命は、いかなるものの制約、制限、束縛もない。

すなわち、無碍自在、観自在であると。

これを真の自由というのであると。

みなさんがたは、肉我で生きる限りは、自由ですか?不自由ですか?

自縛しているわけですから、不自由ですよ。

生命は、いかなるものの制限がありませんから、自在ですよと。

時空間を越えて、存在していますね。

生命に、距離がありますか?時空間がないですよ、生命には。

だから、瞬間移動も可能になってくるわけです。

で、瞬時にその力をあらわすことも可能ですね。

だから、生命を注ぐことと、エネルギーを注ぐことは、

同じことですね。

一番、大事なものを与えなさいと。

自分は、人間だ、肉体だと思っている人は、エネルギーの低下を

引き起こしていますから、そういう人にエネルギーを注ぐと

いうことを、命を注ぐというのです。

で、肉体という物質に、生命を注ぎますと、エネルギーに満たされる

わけです、命に満たされるわけです。

すなわち、天に満たされるわけです。

で、そのエネルギーに満たされると、落ち着いてくるんですか?

イライラしてくるんですか?

これは、あなたの性格から、肉体細胞まで変えてしまいますよ。

で、この生命エネルギーに満たされますと、自分の犯していた罪に

対しても、カルマの刈り取りも可能ですよと。

では、命に満たされている人は、病気になるの?

生命力が弱いというんでしょ、病人は。

だから、病気というのは、エネルギーの欠乏ですよ。

病は、気から、エネルギーからですよ。

物質主義になればなるほど、あなたのエネルギーは、高くなる?

低くなる?低くなりますよ。

物質がすべてであると思っている人に、エネルギーの高い人は

いませんよ。

すなわち、トランス状態というのは、エネルギーに満たされた

状態なんですよ。生命に満たされた状態ですね。

で、このエネルギーをどうしたら、自分のものとすることができるか?

それは、今日から、今からできますよと。

どうしたらいいか?

それは、わたしは、地や肉や、姿、形に属するものにあらず、

我は生命なりと。生命の自覚に応じて、このエネルギーは現れます。

自分は物質ではないと。

宇宙生命、宇宙エネルギーそのものが自分だという絶対なる自覚が

ないとなりませんよ。

まだまだ、みなさんには、人間という、個人という、肉体という思いが

ある限り、絶対にエネルギーは現れませんよ。

天下りというのは、天が下るということは、生命が肉の中に下って

くることを天下りというのです。

この生命はマクロですか?ミクロですか?ミクロですよ。

すなわち弥勒ですよ。

弥勒菩薩というのは、生命には姿、形がない。

だから、ミクロの世界なんですよ。

弥勒菩薩というのは、このミクロがマクロという肉体を通して

現れることを弥勒菩薩というのです。

生命は、ミクロエネルギーですから。マクロではありませんから。

だから、ミクロが、このマクロを支配する、支配して生きて

いるわけですね。

これを真性エネルギー、宇宙エネルギーというわけです。

ミクロエネルギーなんです。

だから、どんなに科学が発展しても、この生命エネルギーを、

科学という道具で見ることはできない。

だから、ないから信じないとか、測れないからないんだとか。

では、わたしが何も触らないで、動かす力は、信じないですか?

魔術だとでも思っているのですか?

現にあるわけですから。今の科学が否定するならば、今の科学者

の頭は、石頭ですよ。

もし、そのような考えであるならば、今の科学はこれ以上、

前に進むことはないだろう。

今の科学は、化学(ばけがく)なんですよ。

生命科学ではないんですよ。

生命科学は、エネルギー科学なんですよ。

だから、物理学というのは、物理学で生命科学を否定することは

できない。

肉体が生命を否定することはできない。

これと同じことだということをご理解いただきたい。

だから、みなさんがたが、もう物体だ、肉体だと思っているかぎりは、

このエネルギーを得ることはないだろうと。

認めるものは、現れるわけですから。

物質を認めていて、エネルギーが現れることはないと。

だから、わたしを受け入れなさいと言ったんです。

宇宙エネルギーを受け入れなさいという意味なんですね。

今の今、受け入れることができますよ。

そうすると、あなたの肉体細胞はこの宇宙エネルギーに満たされると、

肉体細胞は、エネルギーの放射体となりませんか?

あなたは、どこにいてもエネルギーを放射して歩いていることに

なりますよ。

これが無言の奉仕というものなんです。

本当は、ものを言う必要はないんですね。

無言の奉仕、あなたが触ったものは、みんなエネルギーが

高くなりませんか?

エネルギーをチャージしているわけですから。

(明日に続きます)
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




生命は天、肉体は地 | 【2006-03-12(Sun) 09:29:47】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
生命は天、肉体は地(8)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

今回はご講話をそのまま掲載させてもらいます。

わたしが十数年前に学んだ思い出深い講話を掲載します。

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この人間という肉体は、宇宙生命の働く場にしかすぎませんよ。

媒体にしかすぎないんですよ。

生命なしで、肉体が何が出来るの?

生きているのは、人間なの?宇宙生命なの?

宇宙生命のみが生きているんですよ。

人間は、生きているものではなくて、生かされているものなんですよと。

あなたがたは、この肉体が生きているものだと思っているから、

死にはしないか死にはしないかと恐怖におびえているではないですか?

では、生命とは、死ぬもの、死なないもの?死なないものです。

肉体は、死ぬものです。

なぜ、死ぬ我に生きて、死なない我に生きないの?

あなたは、永遠の生命として生きたとして、死の恐怖感におびえると

思いますか?

生命は年を取るんですか?病気になるんですか?

あなたは一度だって、病気になったことがないんですよ。

風邪だってひいたことがないんですよ。

真のあなたというものは、風邪を引くんですか?引かないんですか?

あのね、わたしが、一度だって、風邪を引いたことがない、

病気になったことがないというと、「おー、めずらしいねー。」って。

何が偉いんだろうと?

あなたも同じ事でしょといいたいんですよ。

真のあなたという生命は、風邪を引くんですか?

風邪を引いた生命なんて、聞いたこともないし、見たこともない。

ガンにかかるの?

ガンにかかっているのは、あなたではないんですよ。

あなたの衣装しか、ガンにはかからないのですよ。

真のあなたは、肉体ではないわけですから、生命がガンになった

なんていうことはないんです。

では、あなた、病気になったことがあるの?

そこをよく、今の言葉を聞き逃してはだめですよ。

一度も病気になったことのない自分がいることを知らねばなりません。

完全なる自己がいることを知らねばなりません。

生命は、風邪も引きませんし、ガンにもかかりませんよ。

あなたのまとっている衣装は、ガンにかかるかもしれない。

しかし、あなたという真のあなたは、ガンにかかったことは一度もない。

生命の世界では、生老病死という四苦は、まったく存在しない。

あなたは肉我を自分として生きるから、生老病死という四苦に

取り憑かれているのであると。

だから、生命の我に生きたとき、すべてが平安ですよ。

まったく、恐怖がない。

しかし、あなたがたは、観念や概念で、肉我の世界を自分だと

考えている限り、いろいろな恐怖に怯えなければなりませんよ。

だから、生命という天国には、無恐怖の世界ですから、

これを極楽浄土といいますよ。

肉我に生きるのであれば、毎日、恐怖と不安に怯えなければならない。

ただ、この肉体を無茶にしてはいけませんよ。

神の宮ですから、生命の働く場ですから、宮ですから。

大切に掃き清めておかなければならない。

だから、人間という肉体は、生ける神の宮なりと。

生命の宮なりです。

全知全能の神がすべてに宿りたもうです。

これを認めたとき、偉大な力は、現れます。

どうして、認めるのに、こんなに時間がかかるの?

偽者を認めるのは、簡単なのに?

どうして、この本物を認めるのに、そんなに時間が掛かっているんですか

と言いたいんです。

どっちが本物ですか?肉的あなたと、宇宙生命と?

なぜ、肉の中に本物の自分を閉じ込めているんですか?

これを自縛といいますね。
本当の自分は、生命であって、肉ではないとはっきり言わねばならない。

イエス・キリストは、地や肉、姿、形に属するものにあらず、

我は生命なりと言ったんです。

イエス・キリストは、人間に属するものと言った?

生命に属するものと言った?

では、あなたは、生命なの?人間なの?

もう、今日から、人間やめたら、どう?

人間やめますか?生命やめますか?

みなさんは、人間というシンナーを飲んでいるようなもの、

酔っているんですよ。

だから、何をしでかすか、わからない。

みなさんは、本当の自分とは何なのだろうか?

物的存在なのか?生命の存在なのか?

徹底して追及していくべきではないですか?

それが、本当の自分を発見したとき、自己発見というのは、本当の

自分は宇宙生命であったと知ることが、本当の自己発見なのですよ。

まさか、自分は人間だったと発見した人はいないはずですよ。

わたしは、人間だったという発見があるのですか?

みなさん、悟ったら、何に到達すると思いますか?

人間ですか?神ですか?

神に到達するんですよ。神我到達と言って。

宇宙生命に到達するんですよ。自分は、姿、形ではなかったと。

宇宙生命だったと。

(明日に続きます)
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




生命は天、肉体は地 | 【2006-03-11(Sat) 14:55:05】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
生命は天、肉体は地(7)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

今回はご講話をそのまま掲載させてもらいます。

わたしが十数年前に学んだ思い出深い講話を掲載します。

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外から得るものは、有限でしょ?内から得るものは、有限ですか?

無限ですか?無限エネルギーですね。

そのことをよくよく、理解しませんと、世の中は、黒い聖書を持って

歩いていますけど、読むことは出来ても、意味の分からないものが、

一生懸命導こうとしてますよ。それは導けるはずがありませんよ。

意味が分からないわけですから。

聖書に書いてある文字の意味が分からない。

どうして、誰を導きましょうかと?

それは、牧師ではありませんよと。

牧師というのは、聖書に書いてある意味が分からなければなりませんよ。

あのよく、わたしたちは、イエス・キリストの信者でありますという

人がいますけど、なんて嘘をついているんだろうと。

今の世の中のキリスト教徒たちは、キリストを信じていませんよ。

キリストというのは生命がキリストなんですよ。

その現象我である肉体であるイエス・キリストがキリストなんですか?

生命がキリストですか?

生命を教えてあげなければいけませんよ。

聖書にはこう書いてありますよ。

一番大事なものを与えなさい。一番大事なものとは、命であると。

命を人々に与えなさいと書いてありますよ。

命を与えなさいと書いてあるのであって。

だから、彼らはイエス・キリストという現象我を拝み倒して

いるわけです。

これは偶像崇拝にしかすぎないんです。

イエスを信ずると言うことは、イエスの教えを理解しなさいと

いう意味なんですよ。

イエスの教えは理解しないで、現象我を拝んでいたらいいのですか?

現象我という形を拝んでいては、何の価値も得るものもないと。

イエスの何を言わんとしているか、何を言われたか、

これを学ぶことが、本当のキリスト教徒ではないでしょうか?

それが分からなくて、「おー、主よ、神よ。」と言っていれば

いいものではないんですよ。

だから、聖書には、御心を行うものだけが神の国に入るのであると。

むやたらに主よ、主よと呼んではならぬと書いてあるんですよ。

主よ、主よと呼んだら、皆さん、真我になるんですか?

なりますか?それを行うものがなるんですよ。

だから、そういうところも理解しませんと、世の中は非常に誤解と

そのドグマ的な宗教がすべてを支配していますと。

だから、伝統的宗教は、いまだかつて変わってはいませんと。

わたしが、なぜ、こういう聖書を読まないのに、こういうことが

出てくるんだろうと。

みなさんは、不思議かもしれません。

あるいは仏教を学んでもいないのに、どうして、仏教の専門用語が

出てくるんだろうと不思議かもしれません。

なぜ、不思議なのかというと、生命は意識体ですから、

過去がないわけですから、未来もないわけですから、

久遠しかないわけですから、生命はすべてを記憶していませんか?

すべてを記憶していますよ。年月が何千年前であろうが、

何万年前とか、そういうものがないわけですから。

これは記憶体ですから。だから、生命から語るとすると、そこに

年月があるはずがありません。

それを超えて、生きています。分かりますね?

だから、イエスの時代のその当時のものを私が思い出そうとすれば、

いくらでも思い出すことができますよ。

では、イエス・キリストとわたしの意識とは、異なるものですか?

みなさんとの意識とは?同じものですよ。

では、同じものであるのならば、すべて読みとることが出来るんでは

ないですか?出来る?出来ない?出来ますよ。

それは年月を越えて、出来ますよ。

これをアカシック・レコードというんですね。

アカシック・レコードというのは、どこかに、紙に書いてあるとか

そういうものではないんですよ。分かりますか?

その潜在意識の世界から、読みとるということを、アカシック・

レコードから読みとるということなんですよ。

意味分かりますか?

永遠の意識しかありませんから、そこに入っていけば、すべて、

必要に応じて必要なものを取り出すことができますよ。

では、今、現在、みなさんの中に宿っている、生きている生命と、

2000年前のイエス・キリストに宿っていた生命とは、

異なる生命ですか?同じですよ。力は?同じですよ。

知恵は?同じですよ。光は?同じですよ。

ほーれ、見てください。どこに何が違いがあるのと?

自分とイエスとの違いがあるというのならば、神への傍観者ですよ。

冒涜者ですよ。自分を冒涜するものは、神を冒涜するものなんですよ。

自分を傍観するものは、神を傍観するものなんですよ。

あなたが、わたしは人間だと見ているのなら、あなたは、神に対しての

傍観者ですよ。冒涜者ですよ。

あなたは、人間でもないし、肉体でもないし、個人でもないし、

生命そのものではありませんか?

人間そのもの?生命そのもの?

(明日に続きます)
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




生命は天、肉体は地 | 【2006-03-10(Fri) 20:01:01】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
生命は天、肉体は地(6)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

今回はご講話をそのまま掲載させてもらいます。

わたしが十数年前に学んだ思い出深い講話を掲載します。

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無限生命を宿さない個人なんてありますか?

個人は無限生命の中に存在して、無限生命は個人の中に

存在していますよ。

あなたは無限生命から離れて、この肉体は、絶対に存在することは

できないんです。無限から離れた個人なんて、ないわけです。

では、あなたは、個人なの?無限なの?

無限生命が自分なのか?個人的人間が自分なのか?

どっちを見るから、無限生命というの?

生命を見るから?個人を見るから?

ほーれ、見てください。どっちが本物ですか?生命と、肉的物体と。

だから、人間本来、無限能力と言うんですよ。

これが、潜在能力なんです。

潜在能力の開発というのは、真我の開発ですよ。

真我を開発しなくて、潜在能力は得られるもの?得られないもの?

得られるはずがありませんよ。

生命は全知全能ですから。

生命は、一切を生かす力、一切を生かす知恵、一切を照らす光ですよ。

それは永遠に消えない聖なる光ですよ。

これを神聖火花と言っていますね。

聖なる火ですよ。

しかし、あなたがたは、いまだにこの肉体に取り憑かれていますよ。

あなたは姿、形に属するもの?生命に属するもの?

イエス・キリストは、何て言ったと思います。

我は、地や肉や姿、形に属するものにあらず、

我は生命なりと言ったんですよ。

あなたがたは、姿、形を我だと思っていませんか?

これだけの違いですよ。

じゃ、今から生命になるの?もともと生命だったの?

元々生命、その生命には、はじめもないし、おわりもない。

生命は、はじめを知らない、おわりを知らない。

永遠しか知りませんよ。

永遠の生命を得る、永遠の命を得るというのは、その意味なんですよ。

いつかは朽ち果てなければならない肉体に、なぜしがみついているの?

と言いたいんですよ。どっちが本物ですか?

朽ち果てるもの?朽ち果てないもの?

永遠の命を皆さんに与えたくて与えたくて、

うずうずしているんですよ。

肉体が命を拒んでいるんですか?命が肉体を拒んでいるんですか?

なぜ、拒むの?拒んだら、得するの?損するの?

損しますよ。これは、得するはずがないですよ。

で、その生命を受け入れたら、今の今、力あるものとなりますよ。

生命体というのとエネルギー体というのは、同じ事。

肉体と、物体というのは、同じ事。

ほーれ、見てください。あなたは、肉体だと思っていて、

どうしてエネルギーを高くすることが出来ますかと言いたいんですよ。

認めるものは現れるんですよ。

物質を認めていて、どうしてエネルギーを得ることが出来ますかと?

エネルギーを認めていて、どうして物質を得ますか?

はっきり、聖書にはこう書いてあります。

子供が石を欲しがるのに、パンを与えましょうかと。

パンを欲しがるのに、石を与えましょうかと、書いてありますよ。

その意味は、物質を欲しがるのにどうしてエネルギーを

与えましょうかと。

エネルギーを欲しがるのに、どうして物質を与えましょうかと

いう意味なんですよ。

今、みなさんは、物質が欲しいの?エネルギーが欲しいの?

その生命エネルギーに満たされて、初めて、我々は、活力を得ることが

できるんですよ。

物質をいくらかき集めても、活力を得ることはないんですよ。

この宇宙生命を食することをみなさんは、なんていっているかと

いいますと、正食といっているんです。正しい食と。

で、外から得る食べ物は、何食と言いますか?

雑食というんですよ。

宇宙生命のパンを食せよとイエス・キリストはいわれたのです。

天より下るパンを食せよと。

しかし、あなたがたは、いろいろと雑食にエネルギーを求めては

いませんかと?

外から得る食べ物は、みんな雑食なんです。

野菜を食べようが、何を食べようが。果物を食べようが。

果物や野菜を食べていて、正食していますと、

何を言っているんだろうと思うんですね。

なぜかというと、この生命は、生命エネルギーは、

有機物を含んでないんですよ。

無色透明の純粋なエネルギーなんですよ。

外から得るものは、有機物を含んでますから。含んでますね。

ゴミのついた食べ物という意味なんですよ、外から得るものは。

有機物を含んでますから。

だから、エネルギーだけは吸収して、有機物は排便してませんか?

あんなたくさん出ているんですよ。有機物が。

わずかなエネルギーしか吸収していませんよ。

だから、野菜を食べているから、正食しているとかいうのは、

大嘘つきですよ。

正食というのは、この宇宙エネルギーを頂くことが正食なんですよ。

外からはいるものは、口からはいる、日常生活の食生活から

入るものは、正食ですか?雑食ですか?

だから、わたしを食するものは、その生命エネルギーを食するものは、

永遠に生きるものとなる。永遠に乾かないと言ったんです。

(明日に続きます)
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




生命は天、肉体は地 | 【2006-03-08(Wed) 18:41:54】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
生命は天、肉体は地(5)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

今回はご講話をそのまま掲載させてもらいます。

わたしが十数年前に学んだ思い出深い講話を掲載します。

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天というのは、何かというと、生命は天ですよ、肉は地ですよ。

だから、肉に生きるは地獄、生命に生きるは天国ですよと。

だから、生命に使えるものは、天に使えるもの。

すなわち、天使となるわけです。

今、みなさんは、何に使えていますか?

肉に?だから、神は、一切の働き手である、天なるしもべの方で

あるというのは、生命はすべてに使えているものなんですよ。

そうでしょ、あなたにも、わたしにも、動物にも、植物にも。

だから、偉大なるしもべのお方であると。

これが、天使なんですよ。

生命に使えている人は、天に使えている人。

肉に使える人は、地獄の、サタンに使える人。

みなさん、肉の使い手になるべきですか?

生命の使い手になるべきですか?

あの使命という文字をみなさん、見たことありますか?

あるいは天使と。使命を全うするというのは、命に使えることを、

使命を全うするというのです。この肉体は、命の使いでしょ。

使い走りでしょ。肉の使い走りなの?

どちらですか?命はすべての主ですよ。

主よというのは、命のことですよ。

では、主はどこにおりますか?汝のうちにありです。

だから、主は、つんぼではありませんから、大きな声で、

「おー、主よ。」とかどこかにいるみたいに、言う人がおりますけど、

あなたの中に主はちゃんとおりますから、つんぼではありませんから、

大声を張り上げる必要はありませんと。

「おー、神よ。」とかどこかにいるみたいに言うけど、

自分の中にいるのに。

神は、つんぼではありませんから、大声を張り上げる必要はない。

これが、沈黙の祈りなんだと。

あなたが言う前に、神は知っていますよ。

命はすべてを知っていますよ。

命に隠せるものがありますか?

あなたの肉体の行いが、命に隠せますか?

四六時中、全部見ているわけですよ。

すべて、お見通しですよ、命は。命の使い走りなんですから。

命が知らないはずがないではないですか?

だから、神に隠せるものは、何一つない。

あなたが、隠れてこそこそと何かやっても、ともに命がやっている

わけですから、悪いことをやっていても見逃すはずがありませんよと。

だから、神に隠し通せるものは、どこかにいると思って

隠れてやっていても、自分のところにいるわけですから、

隠すことはできないと思いますよ。

そんなでたらめは、神がどこかにいると、あたかも見幕でも

張っておけば、見えないと思って。

神は至る所にいるわけですから。それは、隠せるものではありませんよ。

一つ、嘘ついたって、分かりますよ。分かりますね?

生命は至る所に存在しているわけですから。だから、皆さんという

肉体は、宇宙生命の中に存在しており、宇宙生命は、すべてに

存在していると。生命は一にして多神と。

一なる生命がすべてに宿りたもう。

そのことをイエス・キリストは、生命の木を把握しなさいと言いました

けれども、ここに無数の木の葉がありますけど、生命はいくつ

ありますか?この木の葉の生命も、こちらの木の葉の生命も同じ

生命ですよ。力も同じですよ。力はいくつありますか?

ひとつしかないですよ。

唯一、不死の生命、唯一、不死の力しかないですよ。

知恵はいくつありますか?ひとつしかないですよ。

知恵は無限大、力も無限大、生命も無限大ですよ。

これが、力の泉、知恵の泉、生命の泉ということなんです。

だから、生命の泉、知恵の泉は、汝の内にありです。

これは、有限ですか?無限ですか?

無限ですよ。これを全知全能と言っているのです。

すなわち、生命は、全知全能なんです。

肉体は、無知無力なんです。その知恵と力の、肉体は媒体にしか

すぎないんです。使い走りにしかすぎないんです。

で、我生命として生きるものは、天に生きるもの。

我肉として生きるものは、地獄の従者であると。

肉体離脱というのは、わたしは肉体ですと思っていて、

肉体から離脱することが出来ますか?

肉なる我から、生命なる我に帰ることが、天に帰ることです。

その生命は、汝の内にありですから、天は汝の内にありです。

神の国は、汝の内にありです。

これが生命の王国と。分かりますね。

だから、宗教家の説く天はどこにありませんよと。

だから、何か宗教しないと、修行しないと、天に帰れないよと

いうのは、本当ですか?嘘ですか?

修行しないと天に帰れない、神にならないというのは、

暗示にしかすぎません。集団暗示にかかっているわけです。

これ、誰が掛けたかというと宗教家がかけるわけです。

なぜ?、金儲けをするために。

あなたは修行して生命になるの?今即生命なの?どちらですか?

修行して生命になったものは、いまだかつていないと思いますよ。

今即生命であるはずですよ。

今から、生命になるんではないんですよ。

今、即無限であるはずですよ。

無限生命でしょ。無限生命は汝の内にありですよ。

(明日に続きます)
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




生命は天、肉体は地 | 【2006-03-07(Tue) 12:31:47】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
生命は天、肉体は地(4)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

今回はご講話をそのまま掲載させてもらいます。

わたしが十数年前に学んだ思い出深い講話を掲載します。

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皆さん方は、健康を維持するためには、天と地を一体

ならしめないとならないんです。

すなわち、肉体という地と生命という天が一体になったとき、

あなたは、完全ですか?不完全ですか?

完全となりますよ。

すなわち、病気の知らないものとなるわけです。

皆さんは、なぜ病気になるかといいますと、そのエネルギー、

生命エネルギーを否定して、物質にしがみつくからなるのです。

私は人間、物体だと思っている人は、エネルギーの高い人ですか?

低い人ですか?低い人ですよ。

だから、病気になるんですよ、疲れるんですよ。

その生命エネルギーは、無尽蔵ですから、生命エネルギーと一体に

なっている人は、天と一体になっている人。

神との一体感、宇宙との一体感なんです。

で、みなさんがそれをできるようになりますと、エネルギーに

満ちあふれるわけです。

そうしたとき、われわれの細胞は、細胞一つ一つに宇宙エネルギーに

満たされますので、それを活性化、細胞の活性化というんですね。

みなさんがたは、簡単に細胞の活性化をすることができるのに、

食べ物や飲み物で、細胞を活性化しようと、外にエネルギーを

求めているんですね。

外に神を求むるなかれというのは、外にエネルギーを求むるなかれ

という意味なんです。

神は汝の内にありということは、エネルギーは汝の内にあり

ということなんです。

その内なるエネルギーは、有限ですか?無限ですか?

だから、わたしを飲むものは、わたしを食するものは、

永遠に乾かないといったんです。

あなた方の食生活から得るものは、すぐに腹が減りますよね。

限界がありますから。エネルギーが減ってしまって、疲れますね。

しかし、無限生命、無限エネルギーとつながっていますと、

疲れることも、腹が減ることもないということなんです。

これは、無尽蔵ですから。疲れると思いますか?

では、みなさんは、肉体が働くのですか?生命が働くのですか?

おもしろいですね。

生命に働かしておいて、疲れるのは人間という。

働いたのは生命で、疲れたのは自分。

何を言っているんだろうと。分かりますか?

肉が働くんじゃないんですよ。生命が働くんですよ。

働いたのは生命で、疲れたのは肉体というのがありえるんでしょうか?

ありえることですか?ありえないことですか?

こんなことは、ありえないですよ。

それを観念で作り出しているだけなんです。

よく、日本の挨拶はちょっとやっかいなんです。

お疲れ様とか、ご苦労様とか。

何をご苦労と言っているんだろうか?

わたしは、南米から帰ってきて、この言葉を聞いて、何で、

こんなことを言うんだろうと、思ったんです。

お疲れ様です。疲れたらありがたいんだろうかと。

とんでもない挨拶があるもんだなと。

あの南米では、お元気ですかというのが、挨拶なんですね。

サルといって、お元気ですかというのが、挨拶なんです。

日本に来たら、お疲れ様ですというもんだから、これはやっかいだなと

思ったんですね。ここでは、何かとお疲れ様です、

ご苦労様ですというんですね。これ、ご苦労しちゃだめですよ。

だから、そういうところを直していかなければいけないんじゃ

ないかなと思ったんですね。人に何かお土産を持っていくときでも、

いい挨拶じゃないんですね。

「つまらないもんですけど。」と言いますね。

何で、つまらないものを持ってくるんだろうかと。

最初は、それもとまどいましたよ。

南米あたりでは、あなたが非常に気に入ってくれると思って、

おいしいと思って、持ってきましたと言うんですね。

つまらないものは、人には持ってはいきませんよ。

謙虚になっているようで、その言葉というのは力ですから、

つまらないものになりますよ。分かりますか?

おいしかったから、持ってきましたというのなら、いいんですよ。

もう最初からつまらないと言っているんですから、何でつまらない

ものを持ってくるんだろうかと。だから、皆さん方は、決して、

そういうつまらないものを人に差し上げてはならないですね。

気に入ってくれると思って、持ってきましたと言わねばなりませんね。

まだ、非常に人間の言葉はですね、謙虚のようで、謙虚でない部分が

あるんです。

わたしは、皆さんの前で、話をする立場ではありませんけどと。

なぜ、その立場でないものが、なぜ人前で話をするんだろうと。

非常におかしな話があるんですね。

もうわたしは無能力で、こんなところで話をする立場じゃありません

けどと、非常に謙虚なように聞こえますが、これは自己顕示欲ですよと。

分かりますね。ひとつの自己顕示欲にしかすぎないんです。

そう言っておけば、よく見てくれるかなと思っているだけなんです。

そういう資格がないのなら、話さない方がいいですよ。

なんで、そんな資格がないものが、話すんだろうと。

これも南米から帰ってきて、びっくりしました。

本当に、あいさつの前に、そういう話をする人が、結構いますね。

私は、みなさんの知らないことを話しますよ。

で、みなさんは、私の言葉ひとつひとつから得るものがありましたら、

どうぞ、得て下さいと挨拶した方が、いいですよ。

どちらがいいですか?つまらない話をするのと。そういうことじゃないですね。

これも余談なんですが。

(明日に続きます)
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




生命は天、肉体は地 | 【2006-03-06(Mon) 12:38:23】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
生命は天、肉体は地(3)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

今回はご講話をそのまま掲載させてもらいます。

わたしが十数年前に学んだ思い出深い講話を掲載します。

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だから、天というのはエネルギーの世界、地というのは、物質界と

いっているわけです。だから、天に帰るというのは、

エネルギーの我に帰るということなんです。

エネルギーは全宇宙に遍満しているわけです。

だから、エネルギーの世界には、内外がないわけです。

生命には内外がない。大きい小さいがないんです。

高い低いもないんです。

だから、神は無差別であり、平等であるんです。

エネルギーがここにあるんだ、あそこにあるんだと言ってはならぬと。

すなわち、神がここにいるんだ、あそこにいるんだとは

言ってはならない。神は、無形無双の宇宙エネルギーなんです。

すなわち、神は力なりき。エネルギーなりき。

では、この世の中には、エネルギーを宿さないものは一物もないわけ

ですから、神を宿さないものは、一物もないんです。

エネルギーを宿さなくて、ものは絶対に存在することは

できないんです。だから、存在の本源は、神であると。

すなわち、生命であると。

生命がなかったとすると、この物質界は存在できますか?

鉱物も動物も植物も人間も、すべて生命がまとっている衣装に

しかすぎないんです。すなわち、仮相世界なんです。

生命は実相世界です。

で、皆さん方は、この偽物は見ることが出来るが故に、触ることが

出来るが故に、どうしてもこれを我だと信じてしまうわけですね。

肉体を自分だと信じている人のことを盲信家・狂信家というんです。

生命を我だと信じている人は、真の信仰なんです。

だから、外なる信仰を捨てなさいと。

外なる自己と内なる自己とどちらが本物ですか?

生命は内なる自己、肉体は外なる自己なんです。

では、お釈迦様は、外なる自己を見よと言いましたか?

内なる自己を見よと言いましたか?

内観せよと言ったんですよ。

内は生命、外は肉体となっているんです。

天地一体というのは、生命と肉体は一体であると。

だから、天と地は、不可分であると。

だから、天は汝の内にありとなるわけです。

その大生命のことを大天というわけです。

肉なる我が生命の我に帰ることを、天に帰るというのです。

いつ帰るのですか?今ですよ。

今即天、今即生命なんです。

すなわち、今即神なんですね。

修行して、神になった人はいまだかつてひとりもいません。

みなさんは、はじめから生命であり、今も生命であり、

未来永劫に生命なんです。永遠の生命ですから。

生命には、新しいとか古いとかいったものは、ないんです。

古い生命、新しい生命というものがありますか?

だから、真理には、古い真理、新しい真理というのは、ないんです。

神は生命は、すべてに宿りたもう。

神はすべてに宿りたもうというのは、その意味なんです。

生命は神なんです。

だから神、我が中にましますと。

人間は一秒間も神から離れることはできないと。

生命から離れることはできないんです。

だから、存在の本源は、神であると。すなわち、生命であると。

生命イコール神です。

神イコール生命なんです。

で、それが我なんです。

だから、我生命なりなんです。我人間なりではありません。

もう最大の敵は自分を人間だと思っていることなんです。

わたしは人間だと思っている人のことを悪想念、盲信家、

狂信家というんです。あなたは人間ですか?生命ですか?

人間というのは、生命がまとっている衣装にしかすぎないのです。

人間は、生命の操り人形であると。

それを操っている生命があなたから抜けたら、これは死ですよ。

何もできません。だから、皆さん方は、この肉体衣装をいかに、

盲信、狂信している、これが本当に歯がゆくて仕方がないんです。

自分は、肉体、個人、形。何を言っているんだと。

ぱちんとやりたいくらいですよ。やりたいんだけど、仕方がない。

自由意志ですから。

何を言っているんだ、何で嘘をつくの?と言いたいんだけど。

だから、わたしは肉体という、これを肉体を自分と見ている人の

ことを盲といいます。

宇宙生命を自分と見ている人は、目開きなんです。

開眼したというんです。

だから、盲目の人生というのは、生涯、その姿、形を自分だと

見て終わることを、盲目の人生というのです。

生命を見よであって、肉を見よではないのです。

だから、外を見るな、内を見よ。

この生命は内なる自己、肉は外なる自己。

どちらが、本物ですか?

生命の自分と、肉の自分と?

本来の自分に帰ることを天に帰るというのです。

で、その生命は汝の内にありですから、天は汝の内にありと。

だから、宗教家が説くような天は、どこにも存在しません。

嘘つきであると。これを盲の指導者、偽りの指導者というんですね。

(明日に続きます)
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




生命は天、肉体は地 | 【2006-03-05(Sun) 07:18:45】 | Trackback:(0) | Comments:(1)
生命は天、肉体は地(2)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

今回はご講話をそのまま掲載させてもらいます。

わたしが十数年前に学んだ思い出深い講話を掲載します。

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我、生命なのに、我、肉体だと思っている人がいかに多いかと。

その肉なる我が、生命の我に帰ることを天に帰ると言います。

あなたは、肉体を自分だと思っていて、天に帰れますか?

帰れませんよ。なぜかというと思っているとおりのもの。

この肉我を自分だといかに多くの人が思っているか。

では、我人間なりですか?我生命なりですか?

我、生命なりですよ。

自分が生命の自分と肉の自分と、どちらが本物ですか?

肉体は小我ですが、生命は宇宙我ですから、大我ですよ。

普遍我ですよ。久遠我ですよ。

すなわち、生命は、真我で、肉体は、偽我なんです。

肉体は偽物、生命は本物なんです。

あなたは、肉や地に属するものではない。

この肉体というのは、生命が働く場であり、働く道具にしか

すぎないのです。肉体は、生命の操り人形なんです。

この肉体という形体があなたなのか?宇宙生命があなたなのか?

どっちですか?宇宙生命なんですよ。

だから、お釈迦様は、宇宙即我、我即宇宙と言ったんですね。

今即天、今即無限なんですね。

で、みなさん、生命は無限ですから、みなさんは個人なんですか?

無限なのですか?生命のあなたは無限なんです。個人ではありません。

何を見るから、個人となるのですか?

生命を見るからですか?肉を見るからですか?

肉は確かに個人です。しかし、そこに無限生命が宿っていませんか?

だから、生命は、一にして多神と。

一なる生命が様々な衣装をまとっているだけなんです。

で、みなさんが見ているものは、すべて生命がまとっている衣装に

しかすぎないんです。これを肉体衣装と言っているんです。

じゃ、肉体衣装が自分なのか、宇宙生命が自分なのか?どっちですか?

我、生命なりですか?人間なりですか?

まだまだ、あなたがたは、自分のことを人間と言っていますよ。

人間の自分と生命の自分と、どちらが本当の自分ですか?

この偽物人間で目隠しされて、本物の自分を見失っていませんか?

すなわち自己発見というのは、自分が人間であることを

発見することですか?

宇宙生命が自分であることを発見することですか?

その宇宙生命という発生音を出しただけで、宇宙エネルギーの

バイブレーションがこの場でおこりますよ。

我、生命なりと、言ったならば、バイブレーションがおこりますか?

おこりませんか?おこりますよ。

で、その生命に使えるものが天使、天の使いとなるわけですね。

肉に使えるものは、闇の使いです。すなわち、サタンなんです。

だから、サタンに取り憑かれているというのは、肉体はサタンで、

生命はキリストなんです。肉の誘惑のことをサタンの誘惑と言うのです。

肉我に取り憑かれているということは、サタンに取り憑かれていると

いうことなんです。だから、この地上界は、50何億のサタンが

いますということなんです。

はっきりいいまして、肉体を我として生きているものは、

キリストですか?それともサタンですか?サタンですよ。

で、生命は全知全能なんです。

一切を生かす知恵、一切を生かす力なんです。

一切を照らす光。だから内在のキリストというのは、生命はキリスト。

イエス・キリストは、我、生命なりと言ったんです。

我、肉体なりと言いましたか?生命なりと言いましたか?

あなたがたは生命なのに、ここにいるときだけは生命で、

家に帰ったら肉体、サタン。

これを内在のキリストといって、生命はキリストなんです。

キリストという生命を宿さないものは、一物もないんです。

だから、キリストがここにおるんだ、あそこにおるんだと

いってはならないんです。

キリストは何名おりますか?一人しかいないんです。

唯一のキリストなんです。

キリストとは何のことかといいますと、真我のことを

キリストというのです。だから、生命は神なんです。

大生命のことを大神様というのです。

宇宙生命のことを宇宙心といいます。

だから、神は無限であると。

しかし、みなさん、一番のこの最大の敵は、この肉という

感化なんですね。五感といいまして、その肉という感化に

支配されてしまったんですね。

肉体離脱といいまして、わたしは、肉や地に属するものにあらずと。

我は生命なりと。生命の我に生きるものは、天に生きるもの。

肉に生きるものは、地獄に生きるもの。

天国と地獄というのは、生命は天国、肉体は地獄なんです。

その肉の中に、天国を閉じこめているんです。

神を閉じこめているわけです。

これを幽閉とか、自縛とかいっているわけです。

だから、あなたは本当に姿、形に属するものなのか?

生命に属するものなのか?どちらですか?

この肉体自らは何もできませんよ、生命が宿っていなければ。

死体ですから、身動きひとつできませんよ。

形の維持さえも、できませんよ。

だから、肉体自らは、無であることを、知らねばなりません。

では、肉体が生きて肉体が働くのか、生命が生きて生命が働くのか?

どちらですか?

死体が生きて死体が働くということは絶対ないのです。

この生命は、エネルギーですから、力ですから、はじめに力ありきなんです。

すべては力によって、なれりと。

これを宇宙力といっています。

(明日に続きます)
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




生命は天、肉体は地 | 【2006-03-04(Sat) 11:18:21】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
生命は天、肉体は地(1)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

今回はご講話をそのまま掲載させてもらいます。

わたしが十数年前に学んだ思い出深い講話を掲載します。

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今日は生命は天、肉体は地、天地一体といいまして、

生命と肉体の関係、天と地の関係、そして、天は陽、

肉は陰について、ご説明致します。

生命と肉体の関係を陰陽の法則といいます。

すなわち天地の法則、天地一体といいまして、肉体という物質は、

天というエネルギーから離れることはできない。

天は男性原理、地は女性原理。天の父、母なる大地。

みなさんがたは、このバランスを取れば、病気になる必要はないと。

肉体はエネルギーですか、物質ですか?

物質です、生命は、エネルギーです。

生命エネルギーと肉体という物質は、不可分であると。

しかし皆さん方は物質主義となって、生命エネルギーをまったく

無視して生きようとする傾向があると。

ということは、陰陽のバランスが取れていないということなんです。

そのバランスの取れた人のことを愛の人といいます。

ではみなさんは、バランスですか?アンバランスですか?

アンバランスだということは、不調和だということ。

神は愛なりといいまして、そのエネルギーとその物質とのバランスが

取れれば、完全であると。すなわち、病にかかることはないと。

でもまだまだ皆さん方は、この肉体という地にすがみついている。

すべて物質だと考えているんですね。

これをみなさん、物欲、色欲と言っているんですが。

エネルギーなくして、物質は存在できますか?

そのエネルギーの世界を、みなさん天界と言っているんですね。

天は汝の内にあり。エネルギーの世界。

すなわち、エネルギーの世界は男性原理、物質は女性原理。

だから、受け身になりなさいと。

だから、みなさんがたが、物質にしがみついていることは、

色、陰影にしがみついていると。色、陰影に取り憑かれていると

いう意味なんですね。色情に溺れていると。

だから、みなさんがたは、物的存在なのか?生命の存在なのか?

で、その生命というのは、宇宙にいくつありますか?

ひとつしかないんです。

大生命のことを大天と言っているんです。

天地一体と。天は男性原理、地は女性原理。

この天と地の一体感をなさねばならないんですね。

みなさんは、まだまだ分離間を持っているのです。

この天は汝の内にありということは、生命は汝の内にあり。

エネルギーは汝の内にありと。

その生命は大生命ですから、大天なのです。

肉なる我が生命の我に帰ることを、天に帰ると言います。

その大生命のことを大我というし、宇宙生命のことを宇宙我と

いいます。

これは久遠ですから、久遠我ともいいます。

生命には、はじめもないし、終わりもないんです。

この肉体という物体は、宇宙生命の働く場であり、

働く道具にしかすぎないのです。

で、宇宙生命のことを宇宙エネルギーと言うんです。

無限生命のことを無限エネルギーと言うんです。

だから、神は力なりき。

これは宇宙力を得ると、無限エネルギーを得ると。

これは、わたしは物質です、肉体です、これを自分だと思っていて、

無限エネルギーを得たものは、ひとりもいません。

天の声といいまして、声は、肉に属するものですか?

天に属するものですか?

声、天より来たれり。

その声は、命に属するものであって、肉に属するものではないのです。

すなわち、死人に口なし。物質に口なしなんですね。

死体に言葉はありません。言葉は、命、すなわち生命なんです。

言葉は力なりき。エネルギーなりきなんです。

なぜ、そうなのかといいますと、この肉体というのは、

物質で出来ています。

物体です。しかし、この物体だけでは生きることが出来ないんです。

そこに生命というエネルギーが宿って、はじめて、これは生きるものと

なるわけです。物質に声がありますか?

その生命は天ですから、天の声と言って、生命から語ることは、

天の声。声、天より来たれるというのは、生命より来たれりと。

で、天使というのは、みなさん、肉に使えるものは天使ですか?

生命に使えるものをこれを天命といいまして、天は命ですから、

天命を全うするということは、肉我に生きることですか?

命に生きることですか?

命に生きよであって、肉に生きよではないのです。

みなさんは、肉体を我として生きているのなら、あなたは天命を

全うしていません。

だから、イエス・キリストも、命に生きよ、生命に生きよと

言ったんですね。

イエス・キリストは、我、生命より語ると言ったんですね。

みなさんは、肉で語るわけですから、闇の声となるんです。

天の声というのは、内なるもの。生命は、内なる自己。

肉は、外なる自己なのです。

どちらが本物ですか?生命と肉と?

これは大生命ですから、これが本当の自分なんですね。


(明日に続きます)
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




生命は天、肉体は地 | 【2006-03-03(Fri) 18:33:25】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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