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■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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外は仮相世界、内は実相世界(完)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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神はそのようにセットはしておりません。

幾転生という人生の過程を通して背負ってきた思い癖、悪習が

あるのならば、その一つ一つすべてを改善した中に、美しい心を

磨き上げた中に、そこに明想という手段を重ねて、そこに真実

なる真理、悟りがあることを知ってもらいたい。

だから基礎のない真理は崩れ去っていくと言ったではない

でしょうか。

心清きものよ、幸いなり。

そのものは、天という御国を見るであろう。

あるいはまた、砂の上に立てた教会はもろい。

右から風くれば、左から風くれば、右へ左へいとも簡単に

流れ崩れ去っていくんだと。

しかし、岩の上に立てた教会は強し。

それは何を意味しましょうか。

皆さんの心を意味します。

心を常に美しく、愛で満たしたならば、その上に真理という

教会は、燦然と立ちそびいくだろうと。

それはどんな聖書にも仏典にもそのように似通った方便や例えは

常に記されていることを知ってもらいたい。

だから、一番大事なことは、仮相というその現象に振りまわされ

ないあなた方であることです。

仮相の中に何を見つめましょうか。

その背後に実在する宇宙真理が感じ取れるあなた方であることが

一番大切ではないでしょうか。

花々はその結果として結果のみで存在することはできません。

その花々という結果の背後には、必ずや宇宙真理という生命の

輝きが生き働いていることを知ってもらいたい。

すべては美しい、すべては生命の輝き。

すべては素晴らしいと。

常に我々は美しいと綺麗と素晴らしいと、語れる我々になって

もらいたいと。

だから、あのクリシュナという一国を治めていた王であり、

聖者であったその方が、その国を治めていたその当時は、

例えば、一人一人に人生が百年与えられていたならば、

その百年の間で、事故死で病死でこの災害やそういうものに

振りまわされて、そのような状態で肉体を脱いだものは一人も

いない。

花々が自らの使命を全うしてその美しい姿を終えて、枯れて

腐っていくように、果物が樹で熟してちゃんと土に返っていくように、

誰しもが美しい死に方をしたというその当時があるといいます。

その当時があるといいます。

そのときに、そこの人間は、誰しもが美しい、誰しもが綺麗、

誰しもが素晴らしい。

愛、平和という言葉、調和以外にはどんな言葉をも、ネガティブ、

消極、破壊的な言葉を用いることはなかったと。

じゃあ、我々が本当に北海道から沖縄まで共に学ぶ我々から、

まず絶対愛、絶対調和、絶対美しいという言葉を語れるものと

なってみてください。

愛という光に勝る光はありません。

愛の力に打ち勝てる力はありません。

猛スピードでそれは広がっていくだろうと。

だから、私が5月の沖縄に行って2日目の明想で見せられた文字が、

愛の、伝える、燃えるを書いて、愛の火が燃え伝わったとき、

世界に夜明けが来るだろうと。

それを神そのものが確実に約束された言葉、あるいはまたその文字と

言えるではないでしょうか。

それ以上にそれ以下にもないことを我々は自覚して、本当に一人一人が

ネガティブ、消極、破壊的な波動を出さぬように、徹底して自らを制御

していきたいと思います。

本当に皆さんとともに手を取り合って、誰一人落ちることなく、誰も

欠けることなく、共に天という扉をくぐっていけるように、我々は

努力していきたいと思います。

今日も皆さんと共に学べたことに心から感謝いたします。

どうもありがとうございました。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




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外は仮相世界、内は実相世界 | 【2006-07-26(Wed) 23:45:18】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
外は仮相世界、内は実相世界(15)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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それは本当の救いではありません。

偽我の自分から神我なる自分へと。

低我の自分から高我の自分へと。

人低き我から高き我へと。

宇宙真理という本質に目覚めさせてこそ、本当の救いではない

でしょうか。

じゃあ、それは永遠不滅、二度と再び死にましょうか?

二度と再び、年老いることがありましょうか?

だから、我々は自らして自らを救えるあなた方になって

もらいたい。

決して、平等に与えられたその宇宙真理、我々は乞食になって

はなりません。

皆さん一人一人にはちゃんと供え与え生かされているでは

ないでしょうか。

今、私に注がれているその宇宙生命もあなた方に内在の宇宙生命も

全く同一ではないでしょうか。

無限として。

誰彼に小さく、誰彼に弱く、そのような生き方なんて、誰にも

ないことを知ってもらいたい。

先ほども言ったように、あの小さな蟻一匹にも無限の愛、

大海を泳ぐ鯨にも無限の愛。

じゃあ、すべては愛の化身。

すべては無限の愛の結果として、ここに形整えおいている

ではないでしょうか。

だから、形を見ればいと小さきものであっても、愛という愛そのもの

は、無限であることを知ってもらいたい。

だからこそ、愛は、無限なる我故に、あれが愛、これが愛、語り

尽くすことは出来ぬと。

だから、これが愛、あれが愛で愛を議論しているものは、愚かなる

愚者と申します。

愛は言葉で語ることも出来ない。

愛は絵や文字で書き示すこともできない。

じゃあ、絵や文字で書き示すことが出来るのならば、無限の愛は、

もう閉ざされた有限そのものではないでしょうか。

愛一元、無限の愛、完全なる大愛を皆さんは明想という手段を

通して実感してもらいたい。

実感とは実際に感ずること。

直感とは直接に感ずること。

ならば、皆さんがそれを実感、直感であるならば、その答えは

どこにも逃げることはない。

誰がも奪うこともない。

誰がも破壊することもできない。

それを通して皆さんは、永遠不滅の喜びへと皆さんは融合されて

いくことでしょう。

だから、チャクラを開けるのは愛他にありません。

悟りいくのも、愛他にありません。

そこに我々は金を積んで、機械や道具や物でもって、悟ろう

なんてこれは大きな過ち。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




外は仮相世界、内は実相世界 | 【2006-07-25(Tue) 22:49:48】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
外は仮相世界、内は実相世界(14)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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形あるノアの箱舟を作って、一時の洪水から免れたところで、

肉体を我として生きている限りは、それは死せる魂。

死せる者。

これはいつかは土の下に埋まりいくもの。

それはノアの箱舟ではありません。

我と神とは一体なりという神我一体での境地、これが本当の

ノアの箱舟。

じゃあ、そうならば、例えこの、世界を埋め尽くすほどの

沈めるほどの大洪水が起ころうが、心一点揺さぶられることは

ないではないでしょうか。

久遠にして常在。

不滅にして絶対実在。

久遠とは永遠なるあなた方。

常在とは常にあるあなた方。

不滅とは一度だって破壊されたことのないあなた方。

実在とは実際に在るあなた方。

だから、わたし、北海道から沖縄まで、全国を私、通して、

ノアの箱舟とは、神我一体の境地そのものが、ノアの箱舟だ

と言います。

じゃあ、皆さん、ノアの箱舟を神我一体として捉えることが

出来るのならば、この世界がどのように形を変えていこうが、

崩れ去っていこうが、皆さん、もう安心ではないでしょうか。

何者にも皆さんは混乱する必要ないではないでしょうか。

常に平安、よろこび、やすらぎは、何者にも失うことはない

ではないでしょうか。

これが本当のノアの箱舟。

形ある舟を作ったところで、人間だ、肉体だ、個人だという

偽我を我として生きている限りは、いつかは死せる者。

いつかは土の下に墓の下に埋まりいくもの。

そのようなノアの箱舟なんて、何の価値もないこと。

永遠不滅の宇宙真理を我として自覚することです。

これが本当の救いというではないでしょうか。

病気が癒えたから救われた、衣食の乏しいものに衣食を

分け与えたから救われた、今、一時、金に不自由しているものに

金を与えられたから救われた、何の救いなのかと。

あの人を救いたい、この者を救ってみたい、で、己も救われたい。

何を通して救うといいましょうか。

永遠不滅の宇宙真理に目覚めてこそ、不死不滅永遠の命を我として

自覚したとき、これが本当の救いであること。

じゃあ、私がそれは27、8年前からさんざん体験したと言う

ではないでしょうか。

一瞬にして病を癒し、どのような条件で、そのものを導いたところで、

仮相そのもので、引っ張ったところで、何の価値もなかったこと。

で、今日の瞬間に、どんなガンや病や苦しみを取り除いても、

宇宙真理という本質に目覚めぬ限りは、また、何週間、何ヶ月、

何年後は、また別のところに病を、別のところにガンを造りあげて、

ここにまた持ちこんでくること。

癒して欲しい。

喉元過ぎれば熱さ忘れる。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




外は仮相世界、内は実相世界 | 【2006-07-24(Mon) 21:15:27】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
外は仮相世界、内は実相世界(13)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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それは私が体験者だから。

私は外という結果なるものに、答えを求めないが故に、

振りまわされる必要も無い。

どんなに非難、罵り、怒りを受けたところで、どんな表現を

受けたところで、どう振りまわされる必要がありましょうか。

取るに足ら無いものに振り回されて、落ち込んだり、悩んだり、

苦しんだり、時間の浪費と申します。

時間の無駄と言います。

我々はそのような取るに足らないようなものに振りまわされて

落ち込む時間なんてないこと。

落ち込んでいる間にも皆さん自身の肉体には、もう一分一分、

皆さん自身の肉体は色あせていくように定められているでは

ないでしょうか。

墓の下に埋まらぬうちに、肉体に迎えが来ぬうちに、我々は

外の我から内なる我へと、外という仮相世界から内という

実相世界へと、いつでも出入りできる我であることを皆さん、

実感していねばなりません。

まさか、出てきたところが知らなければ、帰りいく場所を

知ったものがいましょうか。

だから、あのパリサイ人に、あなたは肉体去ってどこに帰るかと

聞かれたときに、あなたがたは私が出てきたところが見え

なければ、私の帰りいく場所が見えるのかと。

あなたがた、私が出てきたところが知らなければ、私の帰り

行く場所が知ることが出来るのかと。

じゃあ、我々はもう、誰彼の言葉や表現に振りまわされている

時間なんてないではないでしょうか。

今のこの瞬間瞬間でも我々は、この肉体は迎えが近づいてくる

ではないでしょうか。

そうならないうちに、迎えが来ぬうちに、我々は、実相という

根源の世界をいつでも見聞きできる、いつでも出入りできる、

その特権を皆さんは確立していねばなりません。

だからこそ、過去でもない、未来でもない、実在とは無限として

今の一瞬しか実在はないと申します。

過去は何を悩み苦しむ必要も無い。

過去は皆さん自身がここまで自らの魂を磨いて成長するための

ステップにしか過ぎなかったこと。

もちろん、失敗があったのならば、二度とその失敗を繰り返さぬ

ように、本当にそれは我々が受け止めて、その過去の失敗から

学びとって、二度と失敗をしないように努力する必要はある。

しかし、あまりにもその過去を振り返って、それに力与えて

苦しむもがく必要は無い。

また、まだ来ぬ未来を思い悩む必要もない。

じゃあ、例えば、今、インターネットから色々な情報を

引き出すことができます。

もう、何月何日には東京では大地震で崩壊とか、世界はどうなる

とか。じゃあ、私、そのようなものを見せられて聞かされて、

私の心が一点でも揺れ動いていると言えましょうか。

生まれたものには死が訪れ、初めあるものには終わりがあり、

造られしものには破壊が訪れくること。

しかし、己の本質である宇宙真理は久遠にして常在。

不滅にして絶対実在であるならば、これが本当のノアの箱舟と

申します。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




外は仮相世界、内は実相世界 | 【2006-07-22(Sat) 21:32:37】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
外は仮相世界、内は実相世界(12)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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偽物の世界から本物を探し得た人間なんていたでしょうか。

青い鳥を探しても、外という仮相世界から探すことは

出来なかった。

とうとう探し疲れて探し歩いて、我が内に明想したときに、

手よりも足よりもはじめから我が内にあったかで、我が内に

青い鳥は見出すことが出来たではないでしょうか。

じゃあ、私自身がその宇宙意識というものは、宇宙即我という

体験は、わたしはどこで成されたのかと。

外という外にやったのか。

あるいはまたそれはどこかの宗教に求めたのか。

どこかの霊能者、占い師に求めたのか。

我が内を見つめたこと他にありません。

我は何者なんだろう。

自分とは一体全体どこから出てきて、どこに向かって旅をし、

その旅の目的は何なのか。旅の目的終えて、どこに帰るのか。

どこに求めたのか。

我が内に求めたとき、我は神なり。

神は我なり。

我と神は常に一体なりという声はどこから、我が内からささやいて

きたではないでしょうか。

今、このような状態でも、皆さん一人一人の心を、神は開けよ

開けよ、なぜ、心閉ざすの、皆さんの心の扉をノックしている

声が私には聞けるではないでしょうか。

で、またノックしている音さえも聞くことが出来るでは

ないでしょうか。

なぜ、皆さんに見えぬのか、なぜ、聞こえぬのかと。

あたかも外という仮相に振りまわされ生きる限り、どうして

聞くこと、見ることが出来ましょうかと。

だから、神の声を聞くためには皆さん自身が、心を波静かに

皆さんは持っていかねばなりません。

例えば、皆さん今日は綺麗な満月、真ん丸いお月さんが出ている

とします。

それを皆さんは、たらいや大きなその入れ物に水を入れて映し見た

い。じゃあ皆さん、そのたらいの外側を叩いたり、けったりで、

波が出ている限り、どうして美しくそれが、映し見ることが

できましょうか。

美しく見るためには、常に波静かである心。

曇りなき心に美しい姿と言われるように、その心は常に波静か

であってもらいたい。

何物にも影響されない自分。

何物にも振りまわされない自分。

皆さん、仮相に生きている人間の言葉なんて、皆さん、囚われる

価値なんてありましょうか。

皆さんに一点の狂い無き答えを与えきれるのは、皆さんの一人一人

に内在の宇宙真理、真我こそと私は常に常に、それを口酸っぱく

皆さんに語っているではないでしょうか。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




外は仮相世界、内は実相世界 | 【2006-07-17(Mon) 22:56:22】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
外は仮相世界、内は実相世界(11)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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あるいはまた黄金の翼を広げ、天空高く、飛び立つ不死鳥の

ごとく、そのための目的であって、この現象という仮相という

地を這いずり回るために、我々の存在の目的ではありません。

だから、例えば、あの蛇は象徴で、我々は常に一番低き、その

現象に振りまわされ生きるもの、この仮相という結果に振りまわされ

生きるもの、金がすべてだ、ものがすべてだ、物質がすべてだ、

それを地を這うというその象徴で、蛇のような性格と言われた

こと。

蛇は地を這って生きているが故に、我々も一番低級我で生きることを

低我で生きることを、もう仮相という結果しか信じない、仮相という

見るものしか信じえない、そういう低級我に生きているものを

地を這うものといったではないでしょうか。

我々は地を這うものではなく、天空高く、黄金の翼を広げ、

飛び立つ不死鳥のごとく、あるいはホワイトイーグルのごとく、

それが皆さんの本質そのものであることを知ってもらいたい。

悪の中にいて悪の影響を受けない自分、闇の中にいて闇に染まる

ことのない自分、この世の無知、闇、悪、迷いが我が内にある真理

という光には指一本触れることは出来なかったと。

我、この大宇宙を照らす光なり。

我、この大宇宙をこの世の闇を照らす光なり。

皆さんの本質は光そのもの。

この世の太陽を何万という太陽を重ねたところで、皆さんの

愛の光に勝る光は存在せぬ。

ならば、愛の光で超えぬことが出来ぬものなんて、ありえましょうか。

愛の光は戦争をやまします。

憎しみを超えます。

怒りを調和させます。

だから、戦争を調和、平和に、不調和を調和に、ネガティブを

ポジティブに、愛という力を持ってして、なしうることのできぬ

ものはないことを知ってもらいたい。

愛こそがすべての能力です。

だから、皆さんが愛という特効薬を用いれば、医者とて治し

得ぬ病とて、癒すことができるではないでしょうか。

昨日、○○にみえたおばあちゃんが、もう医者からこの年に

なって心臓なんて治るもんかと言われたものが、もう昨日は

ちょうど、その検診に行ってみたならば、もう完璧すぎる

ほど完璧と言われたといいます。

このような話は耳には聞いたけど、まさか目の前にして、

そういう人間を見るとは信じがたいと。

もうあなたはこの病院で、非常に大切なもの、宝物と言われた

と言います。

そのように皆さん自身を内では一点の狂い無いその働きが常に、

働きいかそうとしていることを知らねばなりません。

だから、自らの本質である神よ、自らの内に見失うあなた方に

なってはなりません。

神は皆さんと常にともにありではないでしょうか。

どこに神を求めましょうか。

どこに神を探しましょうか。

多額な金を費やして、外という結果を探したところで、外の

世界は所詮、仮相の世界、偽物の世界。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




外は仮相世界、内は実相世界 | 【2006-07-16(Sun) 19:34:59】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
外は仮相世界、内は実相世界(10)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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真我なる神が、個我として創造された皆さん一人一人の中に

宿ること。

これが真我キリスト。

で、また東洋では、仏陀と訴えています。

じゃあ、仏陀とは神なり。

キリストとは神なり。

つまり皆さんの本質、すべての本質そのものではないでしょうか。

キリストはただ人間のみに宿っているではありません。

動物や鉱物や植物にも宇宙真理と命として宿るのならば、

すべてキリストの表現体ではないでしょうか。

ただし、万物の霊長たる人間のみに、最高の表現を与えられ

生かされていることを知ってもらいたい。

動物は本性として、鉱物は親和力として、花々や木々において

は本質として、与えら生かされていても、明想という手段を

通して、無限を理解し、無限の表現体として、放ち生きることが

出来るのは、万物の霊長たる我、あなた方に与えられた

最高特権であることを皆さんは見失ってはなりません。

じゃあ、憎んだり、怒ったり、そしったり、嫉妬をしたり、

もうその一転生の中でもわずかその一瞬でもそういう皆さん

自身が思った瞬間、私は何てもったいないかと言います。

皆さん自身に与えられた一日24時間のこの一分一秒でも

欠ければ、もったいないではないでしょうか。

24時間与えられた時間を常に愛そのもので満たして、

我々は本当のあるべき万物の霊長たる姿ではないでしょうか。

一点でも一秒でも皆さん自身、空間開けてそこに、ネガティブ、

消極、破壊的な思いや、そのものを皆さんはそこに呼びこんでは

なりません。

皆さんは、ネガティブ、消極、破壊的な訪問者を自ら招いて、

苦しみ生きている人間がいっぱいいるではないでしょうか。

しかし、私はどうなのか。

私は徹底して識別します。

愛の方ならば入れ、ネガティブ、消極、破壊的な方ならばそこを

去れと。

ならば、その識別能力はあなた方がもたねばなりません。

盛られた毒を食するなかれ。

盛られた毒を食して苦しまない人間なんて一人もいません。

しかし、この世の中は、もう誘惑、誘惑、誘惑の多い世界。

右を向いても左を向いても前を向いても後ろを向いても、

よっぽど皆さん自身が宇宙真理という本質を自覚せぬ限りは、

誘惑、誘惑の毎日。

しかし、皆さん自身が泥沼に咲く蓮の花よりも、真我という

美しき花を皆さん、開花させてみてください。

欲望の中にあって決して欲望に汚れることもない、

染まることもない、八蓮の花を、皆さん開花させることが出来る

ではないでしょうか。

泥沼に咲く蓮の花よりも真我という美しき花を皆さんは開花

させんがために、皆さんの存在の目的であることを知って

もらいたい。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




外は仮相世界、内は実相世界 | 【2006-07-15(Sat) 22:35:15】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
外は仮相世界、内は実相世界(9)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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それほどに皆さんも切り替えいける本当に柔軟な心を持ち

備えてもらいたい。

それは皆さん、訓練すれば誰も同じではないでしょうか。

私は初めからそうできたものではありません。

南米でのあの当時は、まあ沖縄に帰ってきてからでも

そうだけど、もう怒り狂うならば、もう何時間でも怒り狂って

その怒りの波動を本当にその地球全体を宇宙全体をその怒り

狂った波動、放ったことを本当に今ならば理解できるし、

申し訳思うではないでしょうか。

しかし、それさえも訓練を積み重ねて、明想という手段を

積み重ねていけば、とうとうその怒りそのものが、どこに

消えたんだろう、初めからなかったのかなあと、思うほどの

体験をしているではないでしょうか。

決して皆さんは、無知、無力、迷い生きるあなた方では

ありません。

無力の自分から力ある我へ、無知の自分から知恵ある我へ、

迷った我から悟りある我へ、今まで仮相という闇しか見ること

が出来なかった我が、結果という現象しか見れなかった我が、

目を見開いて、実相という本質を見れるあなた方になって

もらいたい。

これを開眼というではないでしょうか。

開いた目を皆さんがすべてに向けてみてください。

なんて美しい世界か、なんて素晴らしい世界か。

だから私にとっては美しくないものは一物も存在しません。

何を見つめても何を感じてもすべては美しい。

すべては素晴らしい。

だから私、常に皆さんに美しいあなた方、神なる私にとっては、

皆さん一人一人が大切なものというではないでしょうか。

皆さん一人一人が神の表現体として、皆さん一人一人に与えられた

その能力、その役割は誰もがあなたに変わって果たしいくことの

できない最高なその役割を背負い生かされていることを

知ってもらいたい。

だから、磨いて磨いて磨き上げるということは、皆さん自身が

宇宙真理という本質に目覚め、与えられたその表現を通して、

皆さん自身が美しいその神聖火花をちらすことではないでしょうか。

皆さん一人一人は神聖火花の放射体であって、恨み、ねたみ、

そしり、嫉妬、怒り、裁き、そのような破壊的な闇を放出する

ためのあなた方ではないことを知ってもらいたい。

皆さんの肉体は真我顕現、真の我を現し示す、神としての我を

現し示す、そのための皆さん、キリストの伝導体では

ないでしょうか。

キリストとは知恵です。

キリストとは力です。

キリストとは愛です。

キリストとは光です。

つまり、宇宙真理、神こそを意味しているではないでしょうか。

だから、神そのものが、皆さん一人一人の中にあって、真我

キリストと申します。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




外は仮相世界、内は実相世界 | 【2006-07-14(Fri) 22:43:45】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
外は仮相世界、内は実相世界(8)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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誉め言葉に有頂天になるためでもないではないでしょうか。

だから、誉められようが関係無い。

けなされようが関係無い。

ただ、与えられている限りのこの一転生という人生を

我神なりというその絶対なるその真実を見失うことなく、

我々は一転生をこの肉体という表現体を使い生きる目的

ではないでしょうか。

60何憶の人間から名を知られ、60何憶の人間から

ちやほやされたところで、皆さん、万物の造り主である神が

あなたの一転生は素晴らしかった、どのような宿題や試練を

与えても、あなたは常に愛として、正しい姿勢で、すべてを

乗り越えてくれたではないのかと。

あるいはまた、どのような演技を与えても、その演技に溺れる

ことなく、素晴らしくすべてを演技終えてくれたではないのかと。

二度と再び肉体という衣装を纏う必要はない。

常に我が元に無限の喜び、無限の至福を味わい生きよという

ならば、これ完成、解脱と申します。

しかし、全く逆にこの世の人間からは名を知られ、ちやほやされた

ところで、神そのものを振りむかすことは出来なかった。

神は何に振り向きましょうか。

完全、愛そのものに振り向いてくれることを知らねばなりません。

どんなに多額な金やそこに世界中の富や金を積んだところで、

神はそのようなものに振り向いてはくれません。

神が振り向くのは、無所得、無差別、無条件の愛のみに

振り向いてくださることを知ってもらいたい。

ならば、60何憶の人間から名を知られた、ちやほやされても

完全な造り主である神に、万物の造り主である神を愛として

振り向かすことが出来なかったのならば、もう一度やり直して

こいと。

もう一度肉体という衣装を纏い、その現象世界に下りて、

もう一度やり直しと。やり直して来いと言われるではないでしょうか。

だから、我々は今日の一瞬一瞬この実体を皆さんがどういう気持ちで、

皆さん自身が我は神なり、神は我なり、我と神は常に一体なりならば、

この現象世界がどのように変化しようが、誰がどのような表現で

皆さんに見せ付けようが、言葉で皆さん自身振りかかってこようが、

何にもそれそのものに力ないことを知るではないでしょうか。

悩みや苦しみや不調和、病なるものに、自らが力を与えて、

あたかもあるがごとく映し、この自らが振りまわされていることを

知ってもらいたい。

ほれ、力与えない私の前に、悩みが来ましょうか?

苦しみが来ましょうか?

例え、その悩み、苦しみ様々なものが、ここにぶつかってきたに

しても、皆さんが一回目を閉じて、開くのを、まばたきと言います。

皆さんの一回のまばたきの間には、私は、その宿題や試練は

乗り越えたというではないでしょうか。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




外は仮相世界、内は実相世界 | 【2006-07-13(Thu) 21:57:06】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
外は仮相世界、内は実相世界(7)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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我は全体であり、全体は我なり。

我は全てであり、全ては我なり。

全く同一なる宇宙真理をすべての中に、感じ見てこそ、その一体感

ではないでしょうか。

都合良いから愛します。

都合悪いものは愛せない。

偽愛と申します。

偽物の愛と言います。

しかし、真の神の大愛であるのならば、例えば、ここにこの言葉では

裏切りというその言葉があります。

どんなに裏切られたところで、その愛は変わらぬではないでしょうか。

だから、ユダに裏切られたイエス様は、ユダよ、あなたは口づけで

私を裏切るのかと。

しかし、恨んだのか。

神よ、この者は、生命においてひとつであることを知らないが故に、

愛を得て一体であることを知らないが故に、完全であることを

知らないが故に、このような過ちを犯したことをお許し下さい。

神よ、この者に光よ。

心にやすらぎを。

もちろん、十字架に張り付けられても、槍で突き刺そうとした

そのものたちにさえも、全く同じ愛の波動を向けることが出来た

ではないでしょうか。

だから、我々も嫌なものを皆さん自身が嫌で見れるかぎりは、

皆さん、実相の中には融合されているではないことを

知ってもらいたい。

だから、昨日も私は秩父の方で質問を受けました。

じゃあ、本当にその明想を通して、宇宙即我(われ)、

宇宙即我(が)という境地に入れば、どう分かるのか、

どう感ずるのか。

60何億の人間から反対されようが、60何億の人間から否定

されようが、宇宙即我の境地は、自らがはっきりとそれは

自覚します。

だから、誰彼に言われる必要もないんだと。

例えば、私が今、宇宙意識という一体の中に融合している

ならば、例え60何憶の人間から、あなたは迷っているよ、

あなたは悟っていない、そう言われたところで、自分自身が

はっきりと感じていることは、自分の頭、自分のその境地。

誰に否定されようが、反対されようが、何もそれに揺さぶられる

必要も無い。

で、落ち込んで、悩み苦しむ必要もない。

また、その全く逆に、宇宙意識の中に目覚めていないにもかか

わらず、あなたは悟っていると言われても、嬉しくもないと

言います。

なぜ?

自分自身がはっきり、それを自覚しているからであると。

自覚とは、実際に自分自身がそれを感じ取っているからで

あると。

だから、誉められようが有頂天になる必要もない。

けなされようが、落ち込んだり、悩んだり、苦しんだりする

必要も無い。

なぜ?

肉体存在の目的は、周りの言葉や表現に振り回され、混乱して

生きるためでもないではないでしょうか。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




外は仮相世界、内は実相世界 | 【2006-07-10(Mon) 23:49:51】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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