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■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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愛のみの実在(完)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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言葉は必ずこの現象の世界に皆さんの肉体を組み立て、

皆さん自身の日々の生活に必ずや皆さん自身が語った通り、

思ったとおり、形作っていくことを知らねばなりません。

じゃあ、すべて皆さんが描いた図面の通りではないでしょうか。

いいも悪いも。

誰のせいでもありません。

だから、図面を描くならば、神の御心から皆さんは引き出した

最高図面を描けるあなた方になってもらいたい。

だから、私、昨日も今日も明日も明後日も、愛という図面を描く

かぎりは、私は常に喜び、常に幸せ、常にやすらぐというでは

ないでしょうか。

では、誰が奪えましょうか。

私自身が愛を描くかぎりは、私は未来永劫に愛を建設し、愛そのもの

を受け入れること他にありません。

決して、神の御心からないものを皆さん引き出して、ないものを

そこに創造し、組み立てるあなたがたになってはなりません。

だから、戦争もテロというああいう事件も本来ないものを誤った

心が、誤ったものが、すべてそれを描いてあたかもあるがごとく

映し見ていることほかにないではないでしょうか。

しかし、実相という本質から見れば、あれさえも幻、あれさえも

幻影、だから、私はこの世は無常世界、この世は影、幻、幻影の

世界。これ、皆さん明想という手段を皆さん訓練すれば、とうとう

この現象の世界は影にして幻、幻影であったと。

本来はないものであったと。

あたかもあるがごとく映し見て、錯覚をしていたんだと。

そこに皆さんも至るでしょう。

早く皆さん一人一人が、その現象という結果の世界が影であり、

幻であり、幻影であることを受けとめれば、必要以上に皆さんは

何に苦しみましょうか。

皆さん、ないものによって、苦しんでいることを知らねばなり

ません。

取るに足らないものを奪い合って、あの世まで、死後の世界まで

持ちかえることの出来ないその仮相なるものに振りまわされて、

何て神から与えられた最高能力を失っていくのかと。

本来は皆さんには、この大宇宙を創造する宇宙そのものの意識が

与えられていることを知らねばなりませんと。

だから、人間、本来無限力と言います。

決して、いと小さき、弱き存在ではありません。

皆さんは、本来は、無限力。皆さん自身に、こなしえない御業なんて

本来はないこと。

それ、はじめから皆さん自身、神は供えて生かしていること。

それが本当の供養と言います。

ほれ、供養というのは、供えて養うと書くではないでしょうか。

じゃあ、皆さんがこの死んだ人間のために何を供養でもなく、

皆さん一人一人が無限の能力を備えて与えられている皆さんが、

神によって生かされ、供養されているのはあなた方であり、我

ではないでしょうか。

我々が誰を供養すると言いましょうか。

皆さん一人一人が神という偉大なる方に、皆さんが無限の能力を

、全知全能なるその力を供えて生かされしことを供養というでは

ないでしょうか。

で、それそのものが本当の遺伝というではないでしょうか。

だから、遺伝を履き違えて、病気や悩みや苦しみを誰彼の遺伝と

勘違いしてはなりません。

皆さんが神から受け継いだ遺伝、皆さんが神から与えられたその

能力、それが最高のすべてであることを知ってもらいたい。

愛のみが絶対実在と我が見れるまで、感じ取れるまで、皆さんの

心に愛を灯して何を見ても、何を感じても、何を捉えても、愛他に

何も見えぬ、愛他に何も知らぬ、愛こそがすべてであったと、そう

言えるように我々は愛一元の中に融合していきたいと思います。

今日も皆さんと共にこの愛ふれあいの会を通して学べたことを心から

感謝いたします。無限という大海の中に融合していけるまで、一人

一人が一人一人のその本当の成長を思い願い我々は、常に手伝い

生きていきたいと思います。

今日も皆さんと共に学べたことに心から感謝します。
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




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愛のみの実在 | 【2006-09-02(Sat) 21:57:46】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(16)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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まさにこの肉体は、神の伝導体。神の表現体。

神の顕現媒体と言えるではないでしょうか。

だから、肉体自らは生きているではありません。

肉体という結果は常に本質である神に生かされしものであることを

知ってもらいたい。

だからお母さん方が今まで肉体の私が旦那さんのために、子供たちの

ために食事を作った、洗濯をやった、掃除をしたという我から、

掃除をするのも洗濯をするのも食事を作るのもこの肉体という

伝導体を通して神、神事をなすという、皆さんその意識状態を

持ってみてください。

今まで以上に動いても動いても疲れない自分。

で、また必要なときに必要な皆さんのうちから懇々と涌き出てくる

その知恵。

だから、文殊菩薩は、あなた方の内在の真我というのはその意味。

千人にも万人にも手を差し伸べられるその千手観音と、皆さん自身の

内在の真我そのもの。

じゃあ、奉って拝む対象ではなく、不動明王、文殊菩薩、千手観音、

天照大神、すべて皆さんの内在の真我を意味しているではないで

しょうか。

だから、密教でも説いているではないでしょうか。

すべてのすべてあってあるものは、神によって創造された神の

荷姿、神の仮の姿と言っているではないでしょうか。

だから、花々も神の化身、神の表現体にしか過ぎません。

花は花のみでそこに存在することは出来ません。

花を通して生き、働き、事を成しているのは、不死不滅永遠の

神の命であることを知ってもらいたい。

我は神なり。

神はこの大宇宙に遍満する唯一の命。

と皆さんが理解してみてください。

病むことのない、死ぬことのない、年老いていくことのない、

生老病死、四苦を一切を超えた不死不滅永遠の我が、真の実相で

あったと。

真実の我であったと。

そう、皆さんは、実感することができるではないでしょうか。

だから、死ぬんだ、年老いていくんだ、病む、苦しむんだ、

それは皆さん自身が、今宇宙真理さえ受け入れれば、もうその苦しみ

や悩み、悲しみ、すべて遠い過去のものではないでしょうか。

決してそのようなないものを認めるあなた方になってはなりません。

だから、皆さんが私は健康になりたい、なりたいは、健康にはなれぬ

というではないでしょうか。

神が皆さんに与えたのは、初めから不滅の喜び、不滅の幸せ、不滅の

至福を与えているにもかかわらず、皆さんが健康になりたいは、相対する

病気を認めているがゆえに健康になりたいという意味ではないでしょうか。

神は完全一元。

完全一元の中にある病気も不幸もネガティブも消極も破壊もないことが

完全一元。

ならば、健康になろうではなく、我初めから健康であり、幸せになろう

も不幸を認めてるが故に幸せになろうではないでしょうか。

初めから、我幸せであると。

それよりも神が完全であるがごとく、我完全なり。

これ、最高の言葉ではないでしょうか。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-31(Thu) 21:01:29】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(15)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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それこそ皆さん自身が、受け止めねばならぬ絶対なる一の法則、

愛一元であることを知ってもらいたい。

完全そのものであることを知ってもらいたい。

神が完全であるが如く我完全なり。

神が完全であるが如くすべては完全なり。

だから、完全を意識する自分。

完全なる実相を常に意識する自分を真我と言います。

で、完全他に何かが見える、完全他に何かがある、っていう偽我

そのもの、これをイエス様や御釈迦様はサタンと、退けただけに

しか過ぎぬと。

ないものを作り上げる自分。

現に悩みや苦しみや不調和なるものは、実在せぬではないでしょうか。

それが実在、実在というのは、不死不滅永遠なるものを実在と

申します。

じゃあ、病気が実在ならば、どんな病気も医者に癒された人間なんて

一人もいない。

如何なる薬を用いても癒えた人間なんて一人もいない。

なぜ?

実在が消えましょうか。

実在を打ち消すことが出来ましょうか。

実在を超えることが出来ましょうか。

幸いに悩み、苦しみ、不調和なるものは、病気なるものは、

非実在、仮相であるがゆえに、我々実相という本質を知ったとき

には、すべてのその闇は、皆さんから朽ち果ていくことでは

ないでしょうか。

病気、悩み、苦しみ、不調和なるものは、すべて皆さんから退いて

いくではないでしょうか。

そのとき、皆さんは、愛のみ実在であったと。

愛こそが真実であったと。

愛は完全です。

愛は知恵です。

愛は力です。

愛は光です。

だから、愛あるところに光なり。

愛あるところに力あり。

愛あるところに知恵あり。

そう、断言して言いきれることができるではないでしょうか。

だから、愛さえ皆さん自身が常に心に灯していれば、必要なときに

必要な言葉は自在に皆さんの口をついて出てくるでしょう。

で、必要なときに必要な行為、必要な行動は、皆さん自身のこの

伝導体である肉体を通して、いつでもそこに現し示して

いくではないでしょうか。

どこで何を語り語らんと思い煩う必要はありません。

どこで、何を成しなさんと思い煩う必要はありません。

さあ、これからの一時間の光話、立ったときにタイトルを

決めれば、そのタイトルを通して、そのタイトルに対した

言葉は、神の御心からこの口という媒体を通してここにただ、

吐き出すのみではないでしょうか。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-30(Wed) 19:56:34】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(14)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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ただ、この現象という結果に皆さんは頼って、自らの能力を力を

自縛、閉ざしていること他にありません。

解放しさえすれば、だから、イエス様も御釈迦様も我々は

あなた方よりも特別に能力を与えられた者ではないんだと。

皆さんよりも高き物を与えられたのではないんだと。

ただ、それを磨いて磨いて、それを理解しただけに過ぎぬと。

特別な御業をあなた方以上にあなた方が出来ぬ御業をなしている

んではないんだと。

あなた方こそが、私以上の御業をなしていくだろうと。

受け入れさえすれば。

肉体自らは無なり。

肉体自らはゼロなり。

肉体自らには、一点の知恵も力も存在してないけど、しかし、

我が中には全知全能なる真我なるキリストが我が中に内在で

あることを知り、理解し悟っているが故に、私には天上天下

一切を支配する力を与えられているものであると。

で、あなた方もそれを受け入れさえすれば、何も変わらぬ

あなた方が私以上の御業をなしていくだろうと。

じゃあ、イエス様は、私だけが神の一人子、あなた方は罪人

とも語っていない。

汝、聞くもの、すべて受け継がん。

汝、見るもの、すべて受け継がんと言われたように、ほれ皆さんが

今日、今の今から訪ねるたびに、朝に昼に晩にあなたがたは罪人よ

罪人よだけを教えられる。

とうとうそれを暗示にかかって皆さんは、あたかも罪を背負った

我のように錯覚していくではないでしょうか。

暗示もかかるのならば、我神なりという最高の暗示に掛かって

もらいたい。

そのものが、真の暗示ではないでしょうか。

決して、罪人罪人というその暗示に皆さんかけられてはなりません。

初めから完全、今も完全、未来永劫に完全であるあなた方をどうして

罪人と言いましょうか。

だから、皆さんが神というその親から受け継いだものは、神の

最高能力を皆さんは受け継いできたこと他にありません。

病気、悩み、苦しみ、不調和なるもの、誰も受け継いだものは

いません。

ただ、それを観念、概念で教えられて、あたかもそうだという

錯覚をし、親から受け継いできたような錯覚をしていること他に

ないんだと。

ほれ、みなさん、今の人間が本当に60何憶の一人一人が、

必ずしも絶対なる受け継がねばならぬ法則であるならば、

ガン、リューマチ、血圧の高さとか低さとかそのような病や病気を

受け継がねばならぬ絶対なる法則であるならば、もう60何憶

の人間に健康な人間なんていましょうか。

誰しもが多かれ少なかれ、その病気という病を背負い生きている

ことほかにないではないでしょうか。

だから、認めるものにはそれはあたかもあるがごとく、映りましょう。

認めるものには絶対完全のみがそこに映しみることほかに

ないだろうと。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-29(Tue) 20:25:20】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(13)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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しかし、同じ場所にいながら、日々を天国を味わっているでは

ないでしょうか。

誰が、己自身の心が天国であるならば、いつでもそこは天国。

だから、今いるところが天国。

未来永劫に天国にいることが出来ます。

どんなに宮殿に生まれ、金や富や物質に恵まれて優雅に一転生

終えたところで、皆さん自身の心が、常に愛を失った混乱している

心であるならば、安らぎ失った心であるならば、家庭のものが

争い、怒りに燃え、そこは地獄ということ他にないではないでしょうか。

しかし、どんなに崩れかけたあばら家であっても、そこに皆さん自身が

常に愛という愛を灯して、常に心安らぎでそこにいるならば、そこは

天国といえるではないでしょうか。

だから、本来、天国も地獄もない、完全のみの実在。

にもかかわらず、自ら怒り狂ったり、自らその分離、差別で地獄

にさせていること他にないんだと。

皆さん一人一人の今置かれいる場所で、今置かれている環境で、

神を迎えいれることが出来るならば、即、そこは天国。

だから、天国のみが実在。

つまり、愛のみ実在と言えるではないでしょうか。

何を見ても愛そのもの。

何を感じても愛そのもの。

愛他に何をも存在しなかったと。

全き愛、愛こそ実在。

すべては、愛ではないでしょうか。

だから、よく私に何が愛なのかと言います。

すべてのすべて、あってあるもの、皆さん自身が見ているもの、

感じているもの、愛という本質がなければ、どうしてそこに形

あるものが存在することが出来るのかと。

ならば、宇宙そのもの、無限にしてその愛は、どうして言葉に

語ることが出来るのかと。

どうして絵や文字に書き示すことができるのかと。

だからこそ、明想という手段を通して、皆さんが自らが実感して

実際に感じて、体験すること他にないんだと。

自らが実感したり、感じ捉えることほかにないというのは、

その意味ではないでしょうか。

じゃあ、皆さんに代わって明想してあなた方にその体験を与える

ことは出来ぬではないでしょうか。

皆さん一人一人が自らの意志で、忍耐と努力を通して、皆さん

一人一人がそれを掴まねばなりません。

神は人の上に人を作らず。

神は人の下に人を作らず。

全く真の美しさを皆さんに供え生かしているではないでしょうか。

だから、人間、本来無限能力。

神の一切の能力は、即あなた方の能力。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-28(Mon) 21:11:52】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(12)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから、私小さい時から、そういう大人や、そういう人間を見てき

たときは、口の奴隷と言います。

なんて、可哀想なことか。

皆さん自身の本当の意識であるならば、あえて火を掴んで

火傷することなく、皆さん自身が知恵そのものであるならば、

触らなくてもその火は、火傷すること、熱であり、火傷する

ことを知るではないでしょうか。

だから、我々が知る方法は二つ。

火に近づいていって掴んで火傷して、火は明かりであるとともに

熱でもあったと体験するもの。

その我は知恵なりという知恵の世界から、皆さん自身のその心という

美しいスクリーンに、映し見て皆さん自身がそれを触らずとも

熱であり、火傷することを知るあなた方になるのか。

だから、あえて、我々はこの肉体そのものを痛め苦しめて、

体験する必要はないと言います。

皆さんが完全な意識状態で、その宇宙生命エネルギーを愛する

ことができるならば、すべてを超えることが出来るというでは

ないでしょうか。

だから、この現象というこの仮相の波動の中で皆さんがもがき

あがく限りは、仮相に皆さん支配されて振りまわされること他

にないではないでしょうか。

しかし、皆さん自身がこの仮相世界から実相まで己自身の意識状態を

持っていったときは、何者のも影響を受けぬというではないでしょうか。

だから、皆さんが、蚊という蚊の波動の中に皆さんがいる限りは、

同じ波動同士、皆さん蚊に刺さらねばなりません。

しかし、私が一度だって蚊に刺されたことがないというでは

ないでしょうか。

南米のあのジャングルでも蚊やそういう動物の影響を受けたこと

がないというではないでしょうか。

光はこの物質という結果を超えた中に、あることを知ってもらいたい。

原因そのものに皆さん自身が常にいつも出入りできるあなた方を

明想という手段で訓練しているではないでしょうか。

結果なる我から原因の我へと。

結果は仮相です。

原因は実相です。

結果という仮相世界から、原因である実相世界へいつでも出入り

するように、皆さん、それを天の世界、天国と言っているでは

ないでしょうか。

この結果の世界は何と言いましょうか。

結果の世界は悩み、苦しみ、大きい世界、それを地獄界と

言っているではないでしょうか。

しかし、皆さん自身が我は真理なりという境地に至れば、

この地獄と言われたこの世界も天国に帰ることができること。

だから、私は皆さんと変わった肉体、物質を背負って、変わった

命に生かされしものではありません。

で、変わったその皆さんと違った場所に生かされているものでは

ありません。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-26(Sat) 15:04:45】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(11)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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で、皆さんの耳は、人のうわさ話や世間話を聞くための耳では

ありません。

それを悪の住処の扉を封じたまえと。

で、悪しき言葉、そういうもので語ってくるものがいるならば、

すべて皆さん自身の心は、受け入れないようにしっかりと

閉ざせという意味ではないでしょうか。

皆さんは、その家を守っているこの家の主人とし、で私が悪どい

訪問者とするならば、皆さん自身の扉を叩きます。

さあ、私を入れて欲しいと。

じゃあ、皆さんのこの主人であるあなた方に無視されて追いかえ

された私が、皆さん自身の扉をぶちわって皆さんの中に入り込む

ことが出来ましょうか。

ならば、悩みも苦しみも不調和、病気は、すべてあなた方の

心の許しを得て、そこに入り込んだということを皆さん、今は

理解することが出来るではないでしょうか。

ならば、誰のせいでもありません。

誰のせいで、人生や運命を狂わしたでもないし、今の悩み、苦しみ

を背負ったでもありません。

すべて、皆さんの心が識別できなかったが故に、受け入れただけに

すぎぬではないでしょうか。

だから、実相以外に皆さんは、決して受け入れてはならぬと。

その識別の能力は皆さんが養っていかねばなりません。

識別は皆さん自身が、徹底して見ぬく能力は、皆さん持たねば

なりません。

ほれ、今の人間は、もう訪ねてくるその訪問者をもう誰も彼も

受け入れる。

さあ、あなたも入れ、こっちも入れ、すべてを受け入れて、心は

滅茶苦茶に混乱しているではないでしょうか。

しかし、私はどうなのか?

愛他にわたしの心は通しません。

だから、私がこの現象という結果には、非常に鈍感というでは

ないでしょうか。

しかし、私の心は、私の意識は、何に反応するのか。

愛のみに敏感に反応するというではないでしょうか。

だから、この世のものなんて、口に投げ込んで、食したところで、

何にも私は自分の思うままに味わっていることであって、そこに

振りまわされて生きる皆さん、価値なんてないではないでしょうか。

だから、私、小さい頃から、折角お母さんが愛を込めて作った

食事、で、奥さんが愛を込めて作った食事。それをおいしいんだ、

まずいんだ、テーブルをひっくり返してみたり、皿を投げつける者。

可哀想な存在と、もう小さい時から、それを眺め見ていたこと。

我々は、果たしてこの口は、ただ、この世の食物を口に投げ込んで、

おいしいか、まずいか、それに囚われて、混乱するための口だと

言いましょうか。

神の美しき愛という言葉を、愛を語るために、与えられた口で

あることを知らねばなりません。
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-24(Thu) 23:07:33】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(10)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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じゃあ、皆さんが本質を我として生きさえすれば、この現象という

結果で何が皆さんを悩まし振りまわすことが出来ましょうか。

常に完全を我として、皆さんは存在できるではないでしょうか。

闇の中にいて闇に染まらない自分。

悪の中にいて悪に影響を受けぬ自分。

この世の無知が闇が悪が迷いが、我が内なる愛という光には

指一本も触れることは出来なかったという境地に至ったとき、

悪なるものをただ自らが観念、概念で描いて、力与えて、

あるように映し見たこと他に無かったんだと。

これ、私、体験したんです、今から25~6年前に。

私は本来は小さいときから、天使という美しい姿を見ていたこと。

もう花々が踊り喜ぶ姿。

美しいその天使方。

で、七天使が八天使が、明想している私をもう囲んで、本当に美しい

その波動を与えながら回転する姿とか、そういうものは見て

まいりました。

しかし、そのヒーリングというヒーリングに意識を向けるように

なって、そこにはそのものを支配している悪魔とかサタンなるもの

を見ることが出来ぬ限りは、そのヒーリングは出来ぬと教えられた

ときに、聞かされたときに、もう見えないにもかかわらず、

自分の心象で作ってそこに悪魔を見よで、一生懸命描いたこと。

ならば、とうとうそのものにサタンや悪魔が引っ付いている姿を

自分自身で作り上手になって、いつでも見ていたではない

でしょうか。

実在しないもの、それこそ、自分自身の心がサタンでは

なかったでしょうか。

ないものを一生懸命作り上げて見ようとした自分。

で、実在でないにもかかわらず、それを作り上げて、感じよう

とする自分。

それこそ偽我そのもの、サタンではなかったでしょうか。

じゃあ、その外にサタンを映し見たそのサタンは、どこに

潜んでいたのか。

私の心の中に、潜んでいたではないでしょうか。

愛も我ならば、そこにサタンや悪魔やその地獄を映し見れるはず

はありません。

宇宙意識という意識を体験したときは、どこを探しても地獄は

ないではないのかと。

サタンや悪魔はどこにも存在せぬではないでしょうか。

だから、サタンや悪魔や悪霊だとか、それを言うものは、

それは本質という宇宙真理に融合されていないことを皆さんは

理解してもらいたい。

宇宙の法則は、愛の法則、完全の法則、唯一の実在。

ならば、常に美しい、愛の言葉ではないでしょうか。

皆さんの目も人の悪いところを見よと皆さんの目は与えられて

おりません。

人の非難、批判をせよとは口は与えられておりません。

人を不愉快な思いをさせるとは、皆さん、思い、心が

与えられているではありません。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-23(Wed) 22:47:39】 | Trackback:(0) | Comments:(1)
愛のみの実在(9)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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この世の時間は、私が悟るまで待てと言ったって、待つことは

ありません。

私が金や富を得てから真理を学ぶと言ったところで、一分一秒

あなた方を待つ時間はありません。

だからいつも、今健康あるうちに、今このように学べて恵まれて

いるうちに、一歩でも二歩でも、神に近づき生きるあなた方に

なってもらいたい。

それを我々は今生になしえなければ、あるいは来世に来々世に

なしえなければ、何十万でもその輪廻転生という足かせは皆さんを

つなぎとめていくことでないでしょうか。

今生こそ出来る限りその輪廻転生という足かせを外し、カルマという

足かせを外して、解脱に至ってもらいたい。

だから、解脱は偽物から足かせを外して、真の実在の自分へと自分

を解放する事を解脱と書いているではないでしょうか。

解き放ち、で皆さん自身が誰がそれを皆さん、解き放つことが

出来ましょうか。

皆さんが日々の明想というその手段、だから私は今、明想を通さず

にして実相の中に融合した人間は、世界に一人もいない。

明想は一番大事であると共に、一番素晴らしいもの。

明想という手段が与えていられてなかったのならば、私は

今だかって人間だ、肉体だ、個人だ、もう偽我そのものを

私生きていたこと他になかったでしょう。

しかし、幸いに明想という手段を通して、で、宇宙即我(そくわれ)、

宇宙即我(そくが)というそこに至れたのは、我は神なり。

我と神とは常に一体なりというその理解は、明想という手段が

あったればこそではないでしょうか。

だから明想は、また誤れば、憑依を受けてみたり、憑依を受けて

一転生という人生を台無しにもするし、明想は一番大事なもので

あるとともに、危険が伴うのも明想と言います。

だから、明想は、あくまでも実相という本質の自分を実感する

ための明想であって、誰かれよりも能力を得て、その能力を金儲け

に使ってみたり、いばってみたり、世の中にただテレビやそういう状態

で騒がれてみたり、そのための明想であるならば、迷い想、全く

狂っている明想であることを知ってもらいたい。

あくまでも皆さんの明想は、神我(かみわれ)として実感するために

、神我(かみわれ)として皆さん自身が感じ生きているために、実感

とは実際に感ずる、直感とは直接に感ずる、その実感、直感で

皆さん自身が感じ取るために、明想という方法を皆さんは用いている

ことを知ってもらいたい。

だから、私の明想は、迷い思うは書かぬではないでしょうか。

あの冥界の迷いの冥界は書かぬではないでしょうか。

私の明想は、我は光なり。

我愛なり。

我完全なりという絶対なる明想ではないでしょうか。

皆さんの本質は愛です。

皆さんの本質は光です。

皆さんの本質は完全です。
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-22(Tue) 20:14:03】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(8)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから、2~3日前に、ちょうどこの7月7日の七夕、今日は

七天、天の大きく開くときだろう。

今日、努力して明想するものは、必ずその体験をするだろう。

あの○○の○○先生が、その体験をされたとき、本当に形あるもの

はすべて光そのものだったと。

光一元の世界に融合したと言います。

もうテーブルも目の前にして光一元、形はない。

だから、宇宙生命というそのエネルギーは、形作ってここにある

ように皆さんは錯覚をさしていることほかにないんだと。

すべては光なり。

すべては真理なり。

ほれ、そこまで至れば私の今までの二十何年間も説いてきたその

光話そのものが、一見にして皆さん自身が納得できるではないで

しょうか。

だから、皆さんが、私が一番に皆さんに望むことは、オレンジを

手渡されても皮をむかずに皆さんはそれが甘い、酸っぱい、

おいしいかまずいか言うあなた方ではなく、本当にオレンジの皮を

むいて、口に投げ込んで味わって、断言して言いきれるあなた方に

なってもらいたいというのが、私の最高の希望であり、私の最高欲望

というではないでしょうか。

だから、皆さんがそれを体験してくれなければ、二十何年間説いた

その真理もむなしいものにしか過ぎぬではないでしょうか。

皆さん一人一人が本当にすべての本質は愛であったと。

すべての本質は神そのものであったと。

形あるものは、本来実在ではなかったんだと。

ただ見れるが故に触って掴めるが故に、錯覚をしていただけに

過ぎぬと。

じゃあ、悩みや苦しみや、この見える物質に皆さん支配されて苦しみ

生きることは、全くおかしいことではないでしょうか。

何が実在しましょうか。

何が実相という、実相と言えましょうか。

だから、見えないものほど、皆さん自身が理解していってもらいたい。

この見える世界というものは、無限からして針先一点にしか

過ぎません。

針先一点を見て、感じて、それがすべてだという錯覚をしていること。

我々がどんなにもがいてもあがいても、皆さん自身が見ている

世界なんて、針先一点にしか過ぎぬこと。

それを皆さん自身が知ったところで、それはまた実在ではないでは

ないでしょうか。

昼間も皆さんに光話させてもらったように、真実の探求。

我々は宇宙真理として常に本物を追求し求めてそれを実感するための

肉体存在の目的であって、決して仮相という結果ではないでは

ないでしょうか。

だから皆さんが歴史を振り返って、さあ、この建物は何百年、

何千年、何万年前に建ったもの。

で、そのように日付をつきとめれば、これは偉大なる科学者だと

言います。

サイババさんは、あえてそこに時間を浪費する必要なんてある

のかと。

なぜ?この建物はかなり古いものであると。

それで満足できぬのかと。

なぜ?あえてここに日付を付けて、もがきあがこうとするのかと。

それだけ時間の浪費ではないのかと。

それよりも我は神なり。

我は真理なり。

はやくそこに至ったほうが、ふさわしいと説いているでは

ないでしょうか。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-21(Mon) 19:39:10】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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