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Author:諒
■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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人生の目的
覚者の方々のご講話を自分自身の戒めとし、まとめてみました。

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わたしたちの生まれてきた目的は、何でしょうか?

また、この世で成すべき事は、何でしょうか?

わたしたちの生まれてきた目的は、自分の本質・本源が

神であることを知ること、悟ること。

これ以外のものは、ありません。

悟りとは、自分の本質・本源が神であり、愛であり、

生命であることを実感すること。

これを自分自身、実感し、掴み取ったとき、

宇宙即我、我即宇宙。

色即是空、空即是色。

天なる父とわたしとは常に一体である。

という境地に達することができるのです。

この世に生まれながら、どこから生まれてきたのか?

または死んでどこへ還るのか?

これが分からなければ、迷い人です。

この肉体が自分、一度きりの人生だから、好きなことを

やるんだ。

または、輪廻転生があるのだから、今生は今生、

来世は来世。として生きるのか?

皆さん方は、どこから生まれしもので、どこへ還るのか。

それが分かるまで、この世に輪廻を繰り返すことでしょう。

どこから生まれて、どこへ還るのか、

それが分からなければ、病の苦しみ、死の苦しみ、

老いる苦しみから逃れることができないでしょう。

だから、この世には、ヒーラーだとかレイキの先生とか

言っている人がいるが、ガンという病気に冒されたりするものが

いるのではないでしょうか?


しかし、みなさんがどこから生まれてきたのか、

そして、どこへ還るのか、

それが分かったとき、輪廻を、そしてカルマを

克服することができるのではないでしょうか?

何万回も転生させられた輪廻転生の法則、

今ここに解けたりと。。。

それを解脱というのです。

それには、みなさん、五感を静めねばなりません。

五感を通じて、真理を悟ったものはいません。

お釈迦様もイエス様も、瞑想を通して、悟りに至ったのです。

この見える自分が自分ではなく、見えない生命そのものが、

我であり、すべてがひとつであったということを

実感するには、瞑想以外にないのです。


みなさんは、何を求めているのでしょうか?

自分が今、何に向かっているのか?

それは自分自身がよく分かっていると思います。

この世の快楽、おいしいものが食べたい、飲みたい、

または、パチンコに行ったり、カラオケに行ったりと。

または、成功して、豊かになりたいと・・・。

自分の夢を叶えるんだと・・・。

その求めているものがあなたに与えられるでしょう。

だからイエス様は、

「子供がパンを欲しがるのに、石をやるものがいるだろうか」

と言われたのです。

求めるものが与えられるのです。

ただ、この世のものは、死んでからもあの世に

持っていけるものはなにひとつないのです。

そうであるならば、永遠なる生命を求めるべきでは

ないでしょうか?

永遠なる神・愛・生命を常に求めるべきではないでしょうか?

中途半端な気持ち・姿勢で、悟ることができるのでしょうか?

常に真剣勝負ではないでしょうか?

こうして、わたしが1年365日、毎朝、毎晩、

どこかにおいしいものを食べに行くわけでもなく、

遊びに行くこともなく、休むことなく、

みなさんに真理を伝えているのは、

ただ、みなさんに、自分の本質を知って欲しい、

天に還るものとなってほしい。

生半可な気持ちでは、到底到達することができない。

みなさんに真剣勝負をしてほしい。

ただ、それだけではないでしょうか?

みなさんにわたしが感じている喜びを平安を

少しでも多くの人に知って欲しい。

わたしにとっての喜びとは、みなさん一人一人が、

本質を悟ること、これ以外にないのです。


ただ、だからといって、この肉体を、そして物質世界を

おろそかにしていいと言っているわけではありません。

この肉体は、神の宿る住みかであるのだから、

常に清らかにしておかなければいけません。


みなさんが、自分の本質は、神そのものであったと、

その境地を実感したとき、みなさんがたは、平安そのもの

になるのです。

聖者の方々は、平安そのものです。

何かによって、心乱されることはありません。

何かによって、怒ることがありません。

何かによって、悲しむことがありません。

みなさんも是非、一日も早く、その意識に到達してほしい、

私の願いは、ただそれだけです。

わたしに、たった一つの欲望があるとすれば、

みなさんがたに、自分の本質は神であったと知って欲しい。

ただそれだけです。

今、この時間を大事にし、後から後悔することのないよう、

神の道を歩み続けなさい。

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感謝


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未分類 | 【2006-01-31(Tue) 13:14:30】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
難行苦行は悟りにあらず
覚者の方々のご講話を自分自身の戒めとし、まとめてみました。

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みなさん、悟るのに、難行苦行は必要ありません。

滝行といって、滝に打たれたり、

断食したり、山にこもったりする必要は、

全くありません。

「難行苦行は悟りにあらず。」

お釈迦様は、難行苦行をしたにもかかわらず、

このようにいいました。

みなさん、わたしたちは、修行して、神になるのではなく、

今の今、もともと、神であって、これから未来永劫に

神そのものなのです。

断食をして、悟った人はいません。

滝行して、悟った人はいません。

また、悟るのに、エジプトへ行ったり、インドへ行ったり、

ヒマラヤへ、聖者を探しに行く必要もありません。

この世に、修行して、神になった聖者は、一人もいないことを

知って欲しい。

この世に、唯一、修行があるのであれば、

それは、みなさんの1日1日の生活の中で、

誰の悪口も言わなかったか、誰からか悪口を言われても、

許して愛せたか、また、誰彼から非難・批判されようとも、

許して愛せたか、みなさんの1日1日の生活そのものが、

修行ではないでしょうか?

この世に唯一の修行とは、愛の修行ではないでしょうか?

山にこもり、一人になったところで、悟った人はいません。

ヒマラヤで聖者に会ったとしても、悟るわけではありません。

悟りとは、唯一、愛の修行を達成できたもののみが、

得ることのできるものなのです。


それでは、みなさん、悟りとはなんでしょうか?

よく、世の中には、「なまけものの悟り方」とか、

聖者から悟りが与えられるとか、言っているものもおりますが、

それは本当の悟りなのでしょうか?

なまけていて、悟れるものなのでしょうか?

また、悟った人たちが、なまけるとでも

いうのでしょうか?

悟りは、人から与えられるものではなく、

また金で買えるものでもなく、

我神なりと、日々の内観、明想によってのみ、

得ることができるものではないでしょうか?

金で買えるものならば、この世のお金持ちは、

みんな悟るのではないでしょうか?



しかし、真理とは、そのようなものではなく、

お金で買えるものではなく、皆さん一人一人が

実感していくものではないでしょうか?

真理が悟りが、金で買えるのならば、全く価値のないもの

です。

真理、悟りは、深く、長く、細い道のりだからこそ、

尊い価値のあるものではないでしょうか?

未だかつて、真理は他の人の手に渡ったことはないと・・。

愛の修行をしなさい。

すべてに愛を見る修行をしなさい。

すべてのすべて、あってあるものに、愛を見るようにしなさい。

これが唯一の神に至る、愛の修行です。

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感謝

未分類 | 【2006-01-30(Mon) 12:44:13】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
天国と地獄
覚者の方々のご講話を自分自身の戒めとし、まとめてみました。

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地獄は実在ではありません。

みなさんが、勝手に心象でつくりあげただけのものです。

よく、地獄に堕ちるぞと宗教家たちは、教徒を脅かしますが、

地獄とは、何でしょうか?

また、天国とは何なのでしょうか?

死んだ後に、番人がいて、良いことを行ったものは天国、

悪いことをしてきたものは地獄とかいいますが、

本当のことなのでしょうか?

地獄とは、私は肉体です、個人ですと、このいつかは

朽ち果てる肉体を自分として生きているものを地獄と

言います。

ですから、皆さん方は、肉体です、個人です、

と言っているのなら、

既に地獄に生きているわけです。

逆に、天国とは、私は一個人ではない、生命そのものであり、

霊そのものであり、愛そのものであると生きている人は、

天国の住人です。

地獄に生きているのなら、苦しみ、悲しみ、悩みは、

いつまで経っても消えることはありません。

みなさんが、すべてはひとつなりと生きるのであれば、

この世にいながら、即天国にいるのではないでしょうか?

「心を入れかえ幼子のような者にならなければ、

天国に入ることはできない」

とイエス様は言われました。

幼い子供のように、心を純粋にしなさい。

心をみなさんは、洗わなければなりません。

心を洗うこと、これを洗霊というわけです。

心を入れかえ、地獄の住人から、

天国の住人へと移り住もうではありませんか?

この肉体をいつまで、みなさんは、自分自分と言い張るのですか?

イエス様は、

「二度と生まれてきてはならない。」

と輪廻を否定されました。

肉体をもちながら、我生命なりと思うだけで、

皆さん方は、天国にいるわけです。

これを実感しなければいけません。

知識は悟りにあらず。

知識は所詮、知識でしかありません。

本で読んだもの、聞いたもので、悟ったと思わぬように。


皆さん方は、これを実感し、体感し、

自分のものとしなければなりません。

歩むのは、みなさん自身です。


実感し、体感したとき、

そのとき、知識が知恵に変わり、知恵の泉から

無限に必要なものを取り出すことが出来るでしょう。


道は示すけど、歩むのはみなさんがた一人一人が

歩まねばならないのです。

このお迎え人がいる間に、歩みなさい。


聖書には、

十人の乙女が花婿を待っているたとえ話があります。

そのうちの五人は愚かでともし火のための油を

用意していませんでした。彼女たちが油を買いに

行っている間に花婿は到着して、

婚宴の席が始まり、戸が閉められてしまいました。

愚かな花嫁たちは油を手に入れて戻っても

中に入れてもらえませんでした。

とあります。


このような愚かなものになってはいけません。

みなさん、いつお迎えが来るか分からないのですから、

後で後悔しないよう、一瞬一瞬を大切に生きなさい。

後から、あのとき、もっと学んでおけばよかった、

もっと真剣にしておけばよかったとならぬよう、

常に神へ意識を向けていなさい。

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感謝


未分類 | 【2006-01-29(Sun) 19:49:31】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
自覚とは
覚者の方々のご講話を自分自身の戒めとし、まとめてみました。

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自覚とは、何でしょうか?

自分に目覚めると書いて、自覚と読みますが、

みなさんは、目覚めていると言えるのでしょうか?

わたしは、目が覚めています、起きていますよと人は

言いますが、本当に目覚めている、起きていると、

言えるのでしょうか?

見て見ず、聞いて聞かず、言って言わずとは、

みなさんの象徴ではないでしょうか?

自分に目覚めるとは、この肉体が本当の自分ではなく、

全一体であるこの宇宙生命こそが自分であると、

霊に生きることこそが、本当の目覚めではないでしょうか?

まだまだ、みなさんは、眠った状態です。

「目覚めよ。」

本来の自分に目覚め、私は、肉体でもない、人間でもない、

幽体でもない。

我は、神なり、愛なり、生命なり。

と言える皆さん方に早くなってほしい。

いつまで、この肉体が自分であると、また私は個人ですと、

言うのでしょうか?

あなたが、いくら個人ですと言ったところで、

宇宙生命である事実は否定できません。

いつかは朽ち果てるこの肉体を自分、自分と見るのではなく、

永遠なる生命を自分と見て、生きようではないでしょうか?

この宇宙生命が自分であった、永遠なる生命こそが自分であったと

宇宙即我、我即宇宙と、実感することこそが、

この世に生まれてきた唯一の目的ではないでしょうか?

そのためには、すべてがひとつである、今まで、わたしがわたしが、

と自我で生きていたのを、わたしわたしと言っていたが、私という個人は

存在しなかった。

全は一、一は全である。

わたしたちは、ガラスである事実を否定できないのに、

わたしはコップです、わたしは個人です。

と言っているのです。

内観しなさい。臆念しなさい。

わたしたちは、この目で見えるが故に、分離感を持つのです。

目を閉じて、意識の中に入りなさい。

この訓練を継続して、我のものとしなさい。

神の道とは、細く長いものなのです。

わたしは、この目に見える自分がではなく、

目に見えない生命こそが自分であったと悟りなさい。

永遠なる生命を掴みなさい。

永遠なる我として生きなさい。

永遠なる神の太陽となりなさい。


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感謝

未分類 | 【2006-01-28(Sat) 16:58:29】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
霊は宇宙生命
覚者の方々の講話を自分自身の戒めとし、まとめてみました。

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よく死者の霊が出たと言って、怖がる人がいますが、

霊とは何のことでしょうか?

また、日本では、水子の霊とか、何々の霊に

祟られると言い、何何供養をしている人がいますが、

霊とは何のことか分かっているのでしょうか?

霊とは、あそこにいる、ここにいるとか、

そういったものではないのです。

霊とは、至る所に遍満する宇宙生命のことを霊というのです。

霊は、万物の源、エネルギーそのものであり、霊なくしては、

何者も生きることはできないものなのです。

霊をおそれることはありません。

霊を怖がることもありません。

あなた自身が、霊そのものであり、あってあるものすべてが

霊なのです。

死んだ人が霊になるのではありません。

霊がさまようこともありません。

目に見えないわたしたちを生かしている源こそが、霊なのです。

死んで仏になるのではありません。

我々は成仏するようにとお葬式をあげる人が大半ですが、

死んで仏になることは、ありません。

生きていながら仏にならずに、どうして、死んでから仏になると

言えるでしょうか?

霊に生きてこそ、成仏となるのです。

「この世は、死人がごろごろしているところである。」

とイエス様がおっしゃられたのは、霊として生きていない人のことを

指すのです。

「死人は死人に葬らせよ。」とも言われたのです。

みなさんは、自分自身が霊であることを自覚する必要が

あるのではないでしょうか?

霊は、この世にひとつです。

霊は、宇宙にひとつの大霊です。

霊は、神、仏、そのものです。

霊は、生命そのものです。

我々は、血や肉、姿、形に属するものにあらず。

我は、霊なり、神なり、生命なり。

と言いなさい。

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感謝

未分類 | 【2006-01-27(Fri) 12:59:41】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛こそ最大の奇跡
覚者の方々の講話を自分自身の戒めとするよう、まとめてみました。

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イエス様が行った奇跡とは何でしょうか?

サイババ様が行った最大の奇跡とは何でしょうか?

不治の病と言われた病人を一瞬のうちに、

治したことが最大の奇跡でしょうか?

それとも、何もないところからパンを取り出したり、

ビフーティーを出したり物質化現象を行うことが、

最大の奇跡でしょうか?

それとも、海の上を歩いたり、テレポートしたり

することが、奇跡なんでしょうか?

彼ら聖者が行った最大の奇跡とは、どんなことでしょうか?


彼ら聖者が行った最大の奇跡とは、全人類、植物、鉱物、動物、

ありてあるもの、すべてのすべてを愛したことが、

最大の奇跡と申します。

迫害を受けたり、非難・批判を浴びようとも、その人たちを許し、

愛、愛、愛、愛の一点張りで、最後まで通したことが、

最大の奇跡ではないでしょうか?

十字架に架けられようとも、

「おー、主よ。このものたちを許したまえ。

自分がなにものだか分からないものたちを許したまえ。」と

自分を罰しようとしたものさえにも、

イエス様は、祈り続けたではないでしょうか?

サイババ様は、次のように言っています。

「この世にもし、宗教があるとしたら、

それはたったひとつの愛の宗教である。」

今の宗教は、愛の宗教と言えるのでしょうか?

偶像崇拝をし、私たちの兄弟姉妹を迷わせているだけではないでしょうか?

みなさんは、すべてのすべてに愛を見ているでしょうか?

あの人は苦手だ、この人は好きだ、と言っている内は、

あなたがたは、愛を理解していません。

愛とはすべてのすべて、ありてあるもの。

愛なくしては、わたしたちは、存在することすらできません。

あなたを憎むもの、苦しめるものをすべて許して愛してあげなさい。

人を憎んでいるとき、その人たちは苦しんでるのですよ。

その苦しんでいる人たちにさらに追い打ちをかけるのですか?

常に神であったら、愛であったら、どのような

思い、言葉、行動をするのだろうか、意識しなさい。


毎朝、一日が始まる前に、次のように祈りなさい。

「あなた(神)の思いは、我が思いとならしめたまえ。」

「あなた(神)の言葉は、我が言葉とならしめたまえ。」

「あなた(神)の行動は、我が行動とならしめたまえ。」


それが成就するまで、忍耐強く、辛抱強く、祈り続けなさい。


神が、愛が、あなたのハートに、あなたの心に、

あなたの全身に、着座するまで、祈り続けなさい。

何年も何十年も、それが成就するまで、祈りなさい。

あなたがたは、ちょっと、祈っただけで、

神は、私に何もしてくれない。

と不安がり、神を疑う気持ちが出てくるものが大半です。

そのような愚かなものにならないよう、

全能である神を信じなさい。

常に、聖者たる方々へ思いを寄せなさい。

常に、聖者たる方がを心の中に呼びなさい。

苦しいときは、聖者たる方々へ、救いを求めなさい。

あなたがたの声を、聖者たる方々が聞かぬ訳がなかろう。

助けを求めている兄弟姉妹を、見捨てる訳がなかろう。

愛だ、愛だ、愛しかないんだ。

すべては愛なんだ、愛以外何もないんだ。

愛、愛、愛の一点張りになれるよう、努力し歩みなさい。

---------------------------------------------------------------


感謝









未分類 | 【2006-01-26(Thu) 18:58:46】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
天使とは?
覚者の様々な講話を自分自身への戒めとし、まとめてみました。


みなさん、天使とは、何でしょうか?

天使とは、どこにいるのでしょうか?

天使と我々は、何が違うのでしょうか?

天使とは、どのように書きますでしょうか?

天の使いと書いて、”天使”と読みます。


そう、我々が、我神なり、我愛なり、我生命なり、

と目覚めたとき、天に仕えるものとなったとき、

天の使い、”天使”となるのです。


どこどこに天使がいるわけではありません。

もちろん、我々を指導する天使が見えない世界から

我々を導いてくれているのも確かです。

しかし、天の使い、天なる父の御使いになったとき、

皆さん方が、天使となるのです。

皆さん方、一人一人が天使となれるのです。

どこどこに天使を探す必要はありません。

みなさんが愛そのもの、神そのもの、生命そのものに

なったとき、天の使いが地上に舞い降りること

になるのではないでしょうか?

地上にいながら、天使となれるのではないでしょうか?

天使といいますと、みなさんが想像する翼があります。

あれは、「真理は汝を自由ならしめん。」

「真理は、汝の内にあり。」

この地上にいながら、宇宙即我の境地に達したとき、

自由そのものになれるのです。

あの翼は、神そのものになったとき、自由になったことを

象徴するものなのです。

「私はどこから来て、どこへ帰るのか知っているが、

あなたがたは、どこから来たのか、そしてどこへ帰るのかを

知らない。」

「私は天から来たものである。」

「私と天なる父とは、常に一体である。」



イエス様は、天なる父、神と常にご一緒だったのです。

天使そのものだったのです。

イエス様だけが特別ではありません。

お釈迦様だけが特別でもありません。

多くの魂が、天なる父の元へ還ったように、

皆さん方も天なる父の元へ還ろうではありませんか?

天なる使いとして、偉大なる天使として、この世の兄弟姉妹に

手を差し伸べようではありませんか?

天なる父は、あなたのハートを心を、

常にノックしてノックして、呼んでいるのに、

それに気づかないあなた方。

心を静め、心を澄まし、内なる自己を見つめなさい。

常に神への思いだけとしなさい。


天なる父の声を聞けるあなたがたになりなさい。

天なる父とわたしとは常に一体であると言えるあなたがたになりなさい。


みなさんが、天の使い、天使となることを、

天なる父は、望んでおられます。

何十年も何百年も何千年も、いえ、これからどれだけの

年月が掛かろうとも、天なる父は、あなたが帰ってくるのを

待っています。

天なる父が忍耐強いように、あなたがたも忍耐強くなりなさい。

叩いて叩いて、探して探して、求めて求めて・・・。

求めよ、さらば与えられん。

神を求めなさい。

あなたが一歩、神に近づけば、神は、百歩あなたに近づくであろう。

みなさんが、天使となることを望んでいられる、天なる父がいることを

常に、心にとどめておきなさい。」


感謝





未分類 | 【2006-01-25(Wed) 18:19:50】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
悩み・苦しみ・試練とは?

悩み・苦しみ・試練とは?



覚者の様々な講話を自分自身への戒めとしまとめてみました。



今、悩み・苦しみ・試練がある人は、それを喜びなさい。

悩み・苦しみ・試練は、神からの贈り物だからです。

肉体的に不調和であったり、家庭内で不調和であったり、

職場内で不調和であったりしたとしても、

それに押しつぶされぬよう堪え忍びなさい。

悩み・苦しみ・試練があるからこそ、

あなたがたは、神への道を歩むのです。

今、金儲けに走り、成功している人たちが、神の道を歩むと思いますでしょうか?

この世の富、金、物質を追い求めている人が、神の道を歩むと思いますでしょうか?

そのような死んだ後まで持てない無常の富を得ても、

何の価値もないことでしょう。

皆さんは、幾転生もの間の中で、すでに金持ちを体験したり、

貧乏を体験したりとしてきたではないでしょうか?

この世を去った後まで、金、富、名誉、地位を持って行けた人はいません。

この世を去っても、持っていられる永遠の富を得ようではありませんか。


悩み・苦しみ・試練は、

みなさんをいと弱きものから強きものへと・・・。

いと小さきものから、大きなものへと。

皆さんを強く大きくするためのものではないでしょうか?


みなさんの兄弟姉妹が悩み・苦しみ・試練を迎えているときに、

手を差し伸べられるみなさんであるように。

悩み・苦しみ・試練を歯を食いしばり、乗り越える強い皆さんだからこそ、

苦しんでいる兄弟姉妹を救えるのではないでしょうか?


今は、聖者と呼ばれる方々も、誰一人として、悩み・苦しみ・試練もなく、

楽に、今の境地に達したわけではありません。


お釈迦様も生老病死という四苦に悩まされ、

生きることの苦しみから逃れることはできないのだろうか?

老いる苦しみから逃れることはできないのだろうか?

病気という苦しみから逃れることはできないのだろうか?

死という恐怖から逃れることはできないのだろうか?

と、内観に内観を続け、答えを求めに求め、

そして、ついに、あー、生老病死に悩まされる

この肉体が自分ではなく、宇宙である大霊そのものが我であることを

悟られ、生老病死を超越されたではないでしょうか?

その道のりは、長く、つらく、きびしいものではなかったでしょうか?

みなさんも悩み・苦しみ・試練に押しつぶされてはなりません。

悩み・苦しみ・試練は、永遠なるものではなく、幻です。

悩み・苦しみ・試練は、無常なるもので、永遠に続くものでは

ないからです。

悩み・苦しみ・試練は、愛で持ってしか克服することができません。

悩み・苦しみ・試練から一時的に逃れたと思っても、

あなたがその宿題を克服できなければ、またあなたに降りかかるでしょう。




愛でもって、克服しなさい。

愛でもって、打ち勝ちなさい。

愛でもって、強くなりなさい。


あなたを悩ませる、苦しませる、試練を与える人々に

愛でもって感謝しなさい。


愛は、すべてを癒します。

愛は、永遠なるものです。

愛一元で、生きるあなたになりなさい。



感謝



未分類 | 【2006-01-24(Tue) 19:25:38】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真の勇者とは
覚者からの愛のメッセージをお伝えします。


「真の勇者とは?

真の勇者とは、何でしょうか?

真の勇気あるものとは、誰でしょうか?

弱いものが強いものに立ち向かうものが真の勇者でしょうか?

リスクを犯して、独立起業するものが、真の勇者でしょうか?

真の勇気あるものとは、

人から非難、批判されようとも、罵られ、罵声を浴びせられたとしても、

その人を許し、愛することができる人。

いくら毒づかれようとも、愛でもって包み込める人。

これこそが真の勇者ではないでしょうか。


1日1日、

その思いで、誰かを非難、批判することなく、

その言葉で、誰かの悪口を言うことなく、

その行動で、誰かを傷つけることなく、

1日を誰とも不調和を起こすことなく、

愛でもって、すべての人と調和を果たすこと。

それができる人こそが、真の勇気あるもの。

真の勇者ではないでしょうか?



家族だけは愛しても、あの人は嫌い、この人は好かないと言っている人が、

真の勇者となることはありません。

この世に一人でも嫌いな人がいるのでは、神の子として、神から祝福されるものとはなり得ません。

みなさんが、真の勇者となるには、この世の誰一人として嫌いなものがいなく、

すべての人を愛することができたとき、真の勇者として、

神から祝福されるものとなるでしょう。」


感謝

未分類 | 【2006-01-23(Mon) 18:48:34】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
明想が3度の飯よりも好きになっているか

求めるものが与えられる



今日は、本当に1年ぶりぐらいに宇宙意識に目覚めた覚者である方の講話と明想会に参加させて頂きました。

正直言って、自分のここ数年間の行動を振り返ると、恥ずかしくて悔しくて、顔をとてもじゃないけど、あげられない気持ちでいっぱいでした。

神理から遠くかけ離れた道に行き、家庭内では不調和だらけ。
妻に罵声をあびせたり、罵ったりと・・・・。

こんな馬鹿な道を歩んでしまっていたという強烈な思いが湧きおきて、情けない気持ちでいっぱいでした。


~講話より~


「皆さんは、この世に何を求めて生まれてきたのでしょうか?」

「この世の富、金、物を求めて、手に入れるために生まれてきたのでしょうか?」

「あれがほしい、これがほしいと自分の欲望達成のために生まれてきたのでしょうか?

「この世の見えるものが本物でしょうか?目に見えない本物を求めなさい。」

「すべてが神ですべてが自分であるなら、何を欲しがりましょうか?」

「欲望を捨てなさい。欲望を持つから、苦しむのです。」

「あなたの求めるものを神は与えます。」

「そうであるならば、永遠なる富を求めなさい。」


明想が好きになっているか



「私は昨晩、講演会を終えて、車で家に帰ったのが夜中の2時。」

「愛の波動でバイブレーションがあがったままでした。」

「そんな私があー、疲れたと言って、体を横にして、眠ると思いますか?」

「私は、生まれてから今の今まで、「疲れた」という言葉を口にしたことはありません。」

「2時から明け方まで、神への一心集中。明想して、神との一体感を実感していました。」

「それでも私は、努力不足です。不完全です。」

「3度の飯を食べるよりも、寝るよりも、明想が好きで好きでたまらなくなるくらい、
明想をせずして、神との一体感は得ることが出来ません。」



「あのイエス様も、お釈迦様も、苦しい苦しい道を歩んできたのです。」

「彼らでさえ、平坦な道は歩んでません。」

「何年も何年も明想をして、神とは何ぞや。」

「求めて求めて、歯を食いしばり、歩んだんですよ。」



「神は完全です。その人が病気であろうが、その人の病気を見ることはしません。」

「なぜなら、神は、不完全ではなく、完全だからです。」

「すべては神であるならば、不完全はありません。」

「あなたが不完全を見ているときは、あなたは神から分離しています。」



「人の病気を治すときは、その人の病気を認めません。」

「この人の病気を治したまえでは、治りません。」

「不完全を認めているからです。」

「完全のみを見ること、それがすべてに神を見よという意味です。」



これだけの意識でありながら、まだまだ努力不足と言われる師。

本当に真剣勝負ということをもう一度、心にたたき込まれました。

感謝


未分類 | 【2006-01-21(Sat) 18:20:02】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
神の道は、遠く険しい

寝ても覚めても神



私が都会での生活をやめて、田舎暮らしをするようになったきっかけは、そのときにやっていた仕事がよくない仕事をしていたことも原因のひとつでしたが、何よりも一番のきっかけは、「自分自身の努力不足」を痛感させられたことでした。

「叩いて叩いて。探して探して。求めて求めて。」
「寝ても覚めても神のことを追求してきた。」
「神、神、神、神、周りの人からは神気違いと罵られても、神のことだけを考えてきた。」
「転んでも転んでも歯を食いしばり、何度も脱落しそうになったが、起き上がり、神への道を歩んできた。」
「ここ数年、体を横にする事なく、瞑想にあけくれた。」
「そして、ついに我は神なり、愛なり。ということを実感した。」

宇宙意識に達した覚者だが、そんな人が自分自身本当に最大限の努力をしているのかという話を聞かされたとき、私は1/1000いや1/10000の努力もしていない自分が恥ずかしくなり、もっと学びたい一心で、生活を変えることにしました。

だがここ数年は、不調和だらけで、まったく道を外してきてしまってました。

まぬかれる人は多いけど、去る人も同じように多い。

私もまったくその通りで、道から遠く逸れたところへ行ってしまいました。

神への道は、ヒマラヤを登るかのごとく、厳しいし、険しいし、遠い。

そんな道を外した私だったが、妻との不調和がなければ、再び道に戻ることはなかっただろうと思う。

喧嘩をして、お互いに許せない気持ちでいっぱいになり、苦しい時を過ごした。まだ解決できていないが、そんな体験がなかったら、神へ気持ちが向かうことはなかったと思う。

傲慢で謙虚さをまったく失い、愛とはかけ離れた生活をしてしまっていた自分を反省し、「悔い改め」もう一度、道を歩みたいと思う。

未分類 | 【2006-01-19(Thu) 22:50:39】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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