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Author:諒
■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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神への想い
真理はひとつしかありません。

それはすべてがひとつですよ。

皆さん方は、肉体ではなくて、生命なんですよ。

肉の自分に生きるのではなくて、生命の我を生きてください。

と先生は繰り返し繰り返し、もう何十年も同じ事を私たちに

説いています。

自分の使命を全うすること、人々への奉仕のみに生きておられます。

私たちは、先生のおっしゃることが分かっているつもりに

なっているのですが、

本当の深い部分では、理解できていないのが現状です。

ですから、意識は徐々に高まるものであって、

先生がおっしゃることが、

このことについては分かっていると思っていたものが、

今、また聞くと、もっと深い捉え方ができるようになったり

します。



私自身が今、すごく学ばせてもらっていることは、

神は完全であるということ。

これは一瞬一瞬の意識が勝負であること。

少しでも、疲れたなとか、仕事が嫌だなとか、

子供の心配をしてみたりとか、病気のことを考えたりとか私たちは、

そういう意識が無意識のうちに出てきてしまいます。

そうしているときは、私たちは、不完全を意識しているということ。

神意識ではなく、人間意識であるということ。

これを1日24時間、どれだけ、神意識でいられるかということに

つきると思います。

寝ているとき、夢を見ているときでも、どれだけ、神への想いが

あるか、これが神意識だと思います。



最近、「ヒマラヤ聖者の生活探求」を読ませてもらいました。

その中で、聖者の方々は、野獣を見ても恐怖を感じません。

野獣を見ても、愛しか見ないのです。

常に神意識なのです。

野獣も聖者から恐怖感を感じないので、襲うことはありません。

私たちもジャングルの中で野獣を見て、恐怖を感じないで

いられるか?

どれだけ、神への信仰を持っているか?

神への信仰が強ければ、絶対に恐怖感は出てこないはずです。

聖者の方々は、恐怖を知らないのです。


それが意識の高さであり、悟りの高さだと思います。

そんなことできるわけがないだろうと、私たちは聖者とは違うと

思ってしまいますが、私たちと聖者の方々との間に、

違いはないですよね。

聖者である方々ができることは、わたしたちにも出来るはずです。


私は、今、自分の想いとして、常に聖者である大師だったら、

どのような言葉、想い、行動をするだろうかと考え、そこへ

近づくよう努力しています。

私たちは、一人ではありません。

このように、目に見えない多くの方々が、私たちを導き、

指導してくださっているのです。

毎朝、祈りましょう。

「神よ、また目に見えない私を指導してくださっている指導霊

の皆様方、どうぞ、今日も一日、わたしを神の使いとして、

お使いください。」

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未分類 | 【2006-05-17(Wed) 22:37:46】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真の自分について(完)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。

(1987.09.10より)

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ここで話をしているのは、ここにいる何名に話しているをしていると、

皆さん方は、錯覚しています。

そうだったら、私は話しません。

価値がないからです。

目に見えない方々、皆さん方のご先祖の方々、大きな供養に

なることを知らなくちゃなりませんよ。

皆さんがたが何万回、重箱をあげるよりも、ご先祖に、ここに

集まっていただき、こういうお話を聞かすことが如何に、

供養であるかが、おわかりになると思うんですね。

ご馳走あげることが供養ではないわけです。

供養というのは、真の我に、その真理を理解することが、いかに

供養であるか。

奉げ物をささげることが供養ではないわけです。

真理を奉げることなんです。

これが一番大事なことなんです。

それが今日の真の自分について、彼らもまだまだ、

真の自分については無理解のようでございます。

だから、ここで私が話をするたびに、殺到して、話を聞いて、

自分の悟りを徐々に高めている方々でございます。

だから、皆さん方にこういう理解がもっともっと、皆さん方の

中に高めて、完全なる我、真の我を肉を通して、表現していかん

ことを、私は望んでやまないものでございます。

今日は、これをもちまして、真の自分についての説明を

終わらせていただきたいと思います。

本当にありがとうございました。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真の自分について | 【2006-05-17(Wed) 22:29:43】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真の自分について(18)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。

(1987.09.10より)

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それに皆さん方、負けないように。

勇気を持ってそれを克服しなくちゃならない。

だから、イエスは、我は世の悪を克服したものであると言われた

のです。

あなたがたも世の悪であるその迷いの姿を克服しない限り、

真の勇者、天使にはなれないわけです。

それを今、私たちは修行中でございます。

その悪をいかに克服できるか、悪の誘惑に負けないようにするか、

負けたら皆さん方、もう心の中に苦しみとなって入っていますね。

それが、皆さん方、よく負けるんです。

ここで、話を聞いている間は、よし今度こそは負けないぞと言って、

ここを離れていくんだけど、負けて、また「先生、私苦しいー。」

と言って戻ってくるんですね。

それをはりのけるのも自分自身。

だから、それを難行苦行と言うわけです。

難行苦行とは、山の中にこもることが難行苦行ではないんです。

今、私たちは、ものすごい難行苦行を受けているんですよ。

だから、きびしいんです。

神の道が、簡単であるのならば、神の世界が価値あるものではないわけ

です。

非常に厳しい中を切り開いていくことによって、神の完全さが偉大

であることが分かるわけです。

簡単に取り入れるものであるのならば、値打ちのあるものでは

ありません。

色々値打ちのあるものというのは、簡単に手に入らないからこそ、

値打ちがあるのではないでしょうか?

あなたがたの悟りも簡単に手に入るようなものではないのです。

世の悪と世の誘惑に打ち勝つことなのです。

それに打ち勝たなかったのならば、敗北者であるのならば、

私たちは、汚れ、けがれ、そのまま来世を待つしかないわけです。

この世には、無知のまま、あの世に帰った方がいっぱいいます。

今、私の話を聞きながら、その方々がいっぱいここにいらっしゃい

ます。

あなたがたの数倍を超える人たちがいます。

皆さん方は、肉を去った方々とあなたがたと遠いところに

存在するものではなく、その目に見える、物質質量がないだけ

なんです。

みんな、同じところに住んでおられます。

そういう方々も、今まで、私のような話を聞いたことがない。

これは珍しい人材が沖縄に生まれてきたなと言っておられます。

それは、今聞いた話ではなく、何回もその霊人から、わたしは

御礼を言われたことがあります。

そして、内界へと内界へと、実相世界へと、彼らも幻想の世界から、

神我を顕現して、神の世界へと完成を整えて帰られた方々からの

お礼を私は何回もいただいています。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真の自分について | 【2006-05-17(Wed) 01:15:36】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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