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■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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愛のみの実在(16)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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まさにこの肉体は、神の伝導体。神の表現体。

神の顕現媒体と言えるではないでしょうか。

だから、肉体自らは生きているではありません。

肉体という結果は常に本質である神に生かされしものであることを

知ってもらいたい。

だからお母さん方が今まで肉体の私が旦那さんのために、子供たちの

ために食事を作った、洗濯をやった、掃除をしたという我から、

掃除をするのも洗濯をするのも食事を作るのもこの肉体という

伝導体を通して神、神事をなすという、皆さんその意識状態を

持ってみてください。

今まで以上に動いても動いても疲れない自分。

で、また必要なときに必要な皆さんのうちから懇々と涌き出てくる

その知恵。

だから、文殊菩薩は、あなた方の内在の真我というのはその意味。

千人にも万人にも手を差し伸べられるその千手観音と、皆さん自身の

内在の真我そのもの。

じゃあ、奉って拝む対象ではなく、不動明王、文殊菩薩、千手観音、

天照大神、すべて皆さんの内在の真我を意味しているではないで

しょうか。

だから、密教でも説いているではないでしょうか。

すべてのすべてあってあるものは、神によって創造された神の

荷姿、神の仮の姿と言っているではないでしょうか。

だから、花々も神の化身、神の表現体にしか過ぎません。

花は花のみでそこに存在することは出来ません。

花を通して生き、働き、事を成しているのは、不死不滅永遠の

神の命であることを知ってもらいたい。

我は神なり。

神はこの大宇宙に遍満する唯一の命。

と皆さんが理解してみてください。

病むことのない、死ぬことのない、年老いていくことのない、

生老病死、四苦を一切を超えた不死不滅永遠の我が、真の実相で

あったと。

真実の我であったと。

そう、皆さんは、実感することができるではないでしょうか。

だから、死ぬんだ、年老いていくんだ、病む、苦しむんだ、

それは皆さん自身が、今宇宙真理さえ受け入れれば、もうその苦しみ

や悩み、悲しみ、すべて遠い過去のものではないでしょうか。

決してそのようなないものを認めるあなた方になってはなりません。

だから、皆さんが私は健康になりたい、なりたいは、健康にはなれぬ

というではないでしょうか。

神が皆さんに与えたのは、初めから不滅の喜び、不滅の幸せ、不滅の

至福を与えているにもかかわらず、皆さんが健康になりたいは、相対する

病気を認めているがゆえに健康になりたいという意味ではないでしょうか。

神は完全一元。

完全一元の中にある病気も不幸もネガティブも消極も破壊もないことが

完全一元。

ならば、健康になろうではなく、我初めから健康であり、幸せになろう

も不幸を認めてるが故に幸せになろうではないでしょうか。

初めから、我幸せであると。

それよりも神が完全であるがごとく、我完全なり。

これ、最高の言葉ではないでしょうか。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




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愛のみの実在 | 【2006-08-31(Thu) 21:01:29】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(15)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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それこそ皆さん自身が、受け止めねばならぬ絶対なる一の法則、

愛一元であることを知ってもらいたい。

完全そのものであることを知ってもらいたい。

神が完全であるが如く我完全なり。

神が完全であるが如くすべては完全なり。

だから、完全を意識する自分。

完全なる実相を常に意識する自分を真我と言います。

で、完全他に何かが見える、完全他に何かがある、っていう偽我

そのもの、これをイエス様や御釈迦様はサタンと、退けただけに

しか過ぎぬと。

ないものを作り上げる自分。

現に悩みや苦しみや不調和なるものは、実在せぬではないでしょうか。

それが実在、実在というのは、不死不滅永遠なるものを実在と

申します。

じゃあ、病気が実在ならば、どんな病気も医者に癒された人間なんて

一人もいない。

如何なる薬を用いても癒えた人間なんて一人もいない。

なぜ?

実在が消えましょうか。

実在を打ち消すことが出来ましょうか。

実在を超えることが出来ましょうか。

幸いに悩み、苦しみ、不調和なるものは、病気なるものは、

非実在、仮相であるがゆえに、我々実相という本質を知ったとき

には、すべてのその闇は、皆さんから朽ち果ていくことでは

ないでしょうか。

病気、悩み、苦しみ、不調和なるものは、すべて皆さんから退いて

いくではないでしょうか。

そのとき、皆さんは、愛のみ実在であったと。

愛こそが真実であったと。

愛は完全です。

愛は知恵です。

愛は力です。

愛は光です。

だから、愛あるところに光なり。

愛あるところに力あり。

愛あるところに知恵あり。

そう、断言して言いきれることができるではないでしょうか。

だから、愛さえ皆さん自身が常に心に灯していれば、必要なときに

必要な言葉は自在に皆さんの口をついて出てくるでしょう。

で、必要なときに必要な行為、必要な行動は、皆さん自身のこの

伝導体である肉体を通して、いつでもそこに現し示して

いくではないでしょうか。

どこで何を語り語らんと思い煩う必要はありません。

どこで、何を成しなさんと思い煩う必要はありません。

さあ、これからの一時間の光話、立ったときにタイトルを

決めれば、そのタイトルを通して、そのタイトルに対した

言葉は、神の御心からこの口という媒体を通してここにただ、

吐き出すのみではないでしょうか。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-30(Wed) 19:56:34】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(14)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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ただ、この現象という結果に皆さんは頼って、自らの能力を力を

自縛、閉ざしていること他にありません。

解放しさえすれば、だから、イエス様も御釈迦様も我々は

あなた方よりも特別に能力を与えられた者ではないんだと。

皆さんよりも高き物を与えられたのではないんだと。

ただ、それを磨いて磨いて、それを理解しただけに過ぎぬと。

特別な御業をあなた方以上にあなた方が出来ぬ御業をなしている

んではないんだと。

あなた方こそが、私以上の御業をなしていくだろうと。

受け入れさえすれば。

肉体自らは無なり。

肉体自らはゼロなり。

肉体自らには、一点の知恵も力も存在してないけど、しかし、

我が中には全知全能なる真我なるキリストが我が中に内在で

あることを知り、理解し悟っているが故に、私には天上天下

一切を支配する力を与えられているものであると。

で、あなた方もそれを受け入れさえすれば、何も変わらぬ

あなた方が私以上の御業をなしていくだろうと。

じゃあ、イエス様は、私だけが神の一人子、あなた方は罪人

とも語っていない。

汝、聞くもの、すべて受け継がん。

汝、見るもの、すべて受け継がんと言われたように、ほれ皆さんが

今日、今の今から訪ねるたびに、朝に昼に晩にあなたがたは罪人よ

罪人よだけを教えられる。

とうとうそれを暗示にかかって皆さんは、あたかも罪を背負った

我のように錯覚していくではないでしょうか。

暗示もかかるのならば、我神なりという最高の暗示に掛かって

もらいたい。

そのものが、真の暗示ではないでしょうか。

決して、罪人罪人というその暗示に皆さんかけられてはなりません。

初めから完全、今も完全、未来永劫に完全であるあなた方をどうして

罪人と言いましょうか。

だから、皆さんが神というその親から受け継いだものは、神の

最高能力を皆さんは受け継いできたこと他にありません。

病気、悩み、苦しみ、不調和なるもの、誰も受け継いだものは

いません。

ただ、それを観念、概念で教えられて、あたかもそうだという

錯覚をし、親から受け継いできたような錯覚をしていること他に

ないんだと。

ほれ、みなさん、今の人間が本当に60何憶の一人一人が、

必ずしも絶対なる受け継がねばならぬ法則であるならば、

ガン、リューマチ、血圧の高さとか低さとかそのような病や病気を

受け継がねばならぬ絶対なる法則であるならば、もう60何憶

の人間に健康な人間なんていましょうか。

誰しもが多かれ少なかれ、その病気という病を背負い生きている

ことほかにないではないでしょうか。

だから、認めるものにはそれはあたかもあるがごとく、映りましょう。

認めるものには絶対完全のみがそこに映しみることほかに

ないだろうと。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-29(Tue) 20:25:20】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(13)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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しかし、同じ場所にいながら、日々を天国を味わっているでは

ないでしょうか。

誰が、己自身の心が天国であるならば、いつでもそこは天国。

だから、今いるところが天国。

未来永劫に天国にいることが出来ます。

どんなに宮殿に生まれ、金や富や物質に恵まれて優雅に一転生

終えたところで、皆さん自身の心が、常に愛を失った混乱している

心であるならば、安らぎ失った心であるならば、家庭のものが

争い、怒りに燃え、そこは地獄ということ他にないではないでしょうか。

しかし、どんなに崩れかけたあばら家であっても、そこに皆さん自身が

常に愛という愛を灯して、常に心安らぎでそこにいるならば、そこは

天国といえるではないでしょうか。

だから、本来、天国も地獄もない、完全のみの実在。

にもかかわらず、自ら怒り狂ったり、自らその分離、差別で地獄

にさせていること他にないんだと。

皆さん一人一人の今置かれいる場所で、今置かれている環境で、

神を迎えいれることが出来るならば、即、そこは天国。

だから、天国のみが実在。

つまり、愛のみ実在と言えるではないでしょうか。

何を見ても愛そのもの。

何を感じても愛そのもの。

愛他に何をも存在しなかったと。

全き愛、愛こそ実在。

すべては、愛ではないでしょうか。

だから、よく私に何が愛なのかと言います。

すべてのすべて、あってあるもの、皆さん自身が見ているもの、

感じているもの、愛という本質がなければ、どうしてそこに形

あるものが存在することが出来るのかと。

ならば、宇宙そのもの、無限にしてその愛は、どうして言葉に

語ることが出来るのかと。

どうして絵や文字に書き示すことができるのかと。

だからこそ、明想という手段を通して、皆さんが自らが実感して

実際に感じて、体験すること他にないんだと。

自らが実感したり、感じ捉えることほかにないというのは、

その意味ではないでしょうか。

じゃあ、皆さんに代わって明想してあなた方にその体験を与える

ことは出来ぬではないでしょうか。

皆さん一人一人が自らの意志で、忍耐と努力を通して、皆さん

一人一人がそれを掴まねばなりません。

神は人の上に人を作らず。

神は人の下に人を作らず。

全く真の美しさを皆さんに供え生かしているではないでしょうか。

だから、人間、本来無限能力。

神の一切の能力は、即あなた方の能力。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-28(Mon) 21:11:52】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(12)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから、私小さい時から、そういう大人や、そういう人間を見てき

たときは、口の奴隷と言います。

なんて、可哀想なことか。

皆さん自身の本当の意識であるならば、あえて火を掴んで

火傷することなく、皆さん自身が知恵そのものであるならば、

触らなくてもその火は、火傷すること、熱であり、火傷する

ことを知るではないでしょうか。

だから、我々が知る方法は二つ。

火に近づいていって掴んで火傷して、火は明かりであるとともに

熱でもあったと体験するもの。

その我は知恵なりという知恵の世界から、皆さん自身のその心という

美しいスクリーンに、映し見て皆さん自身がそれを触らずとも

熱であり、火傷することを知るあなた方になるのか。

だから、あえて、我々はこの肉体そのものを痛め苦しめて、

体験する必要はないと言います。

皆さんが完全な意識状態で、その宇宙生命エネルギーを愛する

ことができるならば、すべてを超えることが出来るというでは

ないでしょうか。

だから、この現象というこの仮相の波動の中で皆さんがもがき

あがく限りは、仮相に皆さん支配されて振りまわされること他

にないではないでしょうか。

しかし、皆さん自身がこの仮相世界から実相まで己自身の意識状態を

持っていったときは、何者のも影響を受けぬというではないでしょうか。

だから、皆さんが、蚊という蚊の波動の中に皆さんがいる限りは、

同じ波動同士、皆さん蚊に刺さらねばなりません。

しかし、私が一度だって蚊に刺されたことがないというでは

ないでしょうか。

南米のあのジャングルでも蚊やそういう動物の影響を受けたこと

がないというではないでしょうか。

光はこの物質という結果を超えた中に、あることを知ってもらいたい。

原因そのものに皆さん自身が常にいつも出入りできるあなた方を

明想という手段で訓練しているではないでしょうか。

結果なる我から原因の我へと。

結果は仮相です。

原因は実相です。

結果という仮相世界から、原因である実相世界へいつでも出入り

するように、皆さん、それを天の世界、天国と言っているでは

ないでしょうか。

この結果の世界は何と言いましょうか。

結果の世界は悩み、苦しみ、大きい世界、それを地獄界と

言っているではないでしょうか。

しかし、皆さん自身が我は真理なりという境地に至れば、

この地獄と言われたこの世界も天国に帰ることができること。

だから、私は皆さんと変わった肉体、物質を背負って、変わった

命に生かされしものではありません。

で、変わったその皆さんと違った場所に生かされているものでは

ありません。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-26(Sat) 15:04:45】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(11)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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で、皆さんの耳は、人のうわさ話や世間話を聞くための耳では

ありません。

それを悪の住処の扉を封じたまえと。

で、悪しき言葉、そういうもので語ってくるものがいるならば、

すべて皆さん自身の心は、受け入れないようにしっかりと

閉ざせという意味ではないでしょうか。

皆さんは、その家を守っているこの家の主人とし、で私が悪どい

訪問者とするならば、皆さん自身の扉を叩きます。

さあ、私を入れて欲しいと。

じゃあ、皆さんのこの主人であるあなた方に無視されて追いかえ

された私が、皆さん自身の扉をぶちわって皆さんの中に入り込む

ことが出来ましょうか。

ならば、悩みも苦しみも不調和、病気は、すべてあなた方の

心の許しを得て、そこに入り込んだということを皆さん、今は

理解することが出来るではないでしょうか。

ならば、誰のせいでもありません。

誰のせいで、人生や運命を狂わしたでもないし、今の悩み、苦しみ

を背負ったでもありません。

すべて、皆さんの心が識別できなかったが故に、受け入れただけに

すぎぬではないでしょうか。

だから、実相以外に皆さんは、決して受け入れてはならぬと。

その識別の能力は皆さんが養っていかねばなりません。

識別は皆さん自身が、徹底して見ぬく能力は、皆さん持たねば

なりません。

ほれ、今の人間は、もう訪ねてくるその訪問者をもう誰も彼も

受け入れる。

さあ、あなたも入れ、こっちも入れ、すべてを受け入れて、心は

滅茶苦茶に混乱しているではないでしょうか。

しかし、私はどうなのか?

愛他にわたしの心は通しません。

だから、私がこの現象という結果には、非常に鈍感というでは

ないでしょうか。

しかし、私の心は、私の意識は、何に反応するのか。

愛のみに敏感に反応するというではないでしょうか。

だから、この世のものなんて、口に投げ込んで、食したところで、

何にも私は自分の思うままに味わっていることであって、そこに

振りまわされて生きる皆さん、価値なんてないではないでしょうか。

だから、私、小さい頃から、折角お母さんが愛を込めて作った

食事、で、奥さんが愛を込めて作った食事。それをおいしいんだ、

まずいんだ、テーブルをひっくり返してみたり、皿を投げつける者。

可哀想な存在と、もう小さい時から、それを眺め見ていたこと。

我々は、果たしてこの口は、ただ、この世の食物を口に投げ込んで、

おいしいか、まずいか、それに囚われて、混乱するための口だと

言いましょうか。

神の美しき愛という言葉を、愛を語るために、与えられた口で

あることを知らねばなりません。
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-24(Thu) 23:07:33】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(10)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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じゃあ、皆さんが本質を我として生きさえすれば、この現象という

結果で何が皆さんを悩まし振りまわすことが出来ましょうか。

常に完全を我として、皆さんは存在できるではないでしょうか。

闇の中にいて闇に染まらない自分。

悪の中にいて悪に影響を受けぬ自分。

この世の無知が闇が悪が迷いが、我が内なる愛という光には

指一本も触れることは出来なかったという境地に至ったとき、

悪なるものをただ自らが観念、概念で描いて、力与えて、

あるように映し見たこと他に無かったんだと。

これ、私、体験したんです、今から25~6年前に。

私は本来は小さいときから、天使という美しい姿を見ていたこと。

もう花々が踊り喜ぶ姿。

美しいその天使方。

で、七天使が八天使が、明想している私をもう囲んで、本当に美しい

その波動を与えながら回転する姿とか、そういうものは見て

まいりました。

しかし、そのヒーリングというヒーリングに意識を向けるように

なって、そこにはそのものを支配している悪魔とかサタンなるもの

を見ることが出来ぬ限りは、そのヒーリングは出来ぬと教えられた

ときに、聞かされたときに、もう見えないにもかかわらず、

自分の心象で作ってそこに悪魔を見よで、一生懸命描いたこと。

ならば、とうとうそのものにサタンや悪魔が引っ付いている姿を

自分自身で作り上手になって、いつでも見ていたではない

でしょうか。

実在しないもの、それこそ、自分自身の心がサタンでは

なかったでしょうか。

ないものを一生懸命作り上げて見ようとした自分。

で、実在でないにもかかわらず、それを作り上げて、感じよう

とする自分。

それこそ偽我そのもの、サタンではなかったでしょうか。

じゃあ、その外にサタンを映し見たそのサタンは、どこに

潜んでいたのか。

私の心の中に、潜んでいたではないでしょうか。

愛も我ならば、そこにサタンや悪魔やその地獄を映し見れるはず

はありません。

宇宙意識という意識を体験したときは、どこを探しても地獄は

ないではないのかと。

サタンや悪魔はどこにも存在せぬではないでしょうか。

だから、サタンや悪魔や悪霊だとか、それを言うものは、

それは本質という宇宙真理に融合されていないことを皆さんは

理解してもらいたい。

宇宙の法則は、愛の法則、完全の法則、唯一の実在。

ならば、常に美しい、愛の言葉ではないでしょうか。

皆さんの目も人の悪いところを見よと皆さんの目は与えられて

おりません。

人の非難、批判をせよとは口は与えられておりません。

人を不愉快な思いをさせるとは、皆さん、思い、心が

与えられているではありません。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-23(Wed) 22:47:39】 | Trackback:(0) | Comments:(1)
愛のみの実在(9)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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この世の時間は、私が悟るまで待てと言ったって、待つことは

ありません。

私が金や富を得てから真理を学ぶと言ったところで、一分一秒

あなた方を待つ時間はありません。

だからいつも、今健康あるうちに、今このように学べて恵まれて

いるうちに、一歩でも二歩でも、神に近づき生きるあなた方に

なってもらいたい。

それを我々は今生になしえなければ、あるいは来世に来々世に

なしえなければ、何十万でもその輪廻転生という足かせは皆さんを

つなぎとめていくことでないでしょうか。

今生こそ出来る限りその輪廻転生という足かせを外し、カルマという

足かせを外して、解脱に至ってもらいたい。

だから、解脱は偽物から足かせを外して、真の実在の自分へと自分

を解放する事を解脱と書いているではないでしょうか。

解き放ち、で皆さん自身が誰がそれを皆さん、解き放つことが

出来ましょうか。

皆さんが日々の明想というその手段、だから私は今、明想を通さず

にして実相の中に融合した人間は、世界に一人もいない。

明想は一番大事であると共に、一番素晴らしいもの。

明想という手段が与えていられてなかったのならば、私は

今だかって人間だ、肉体だ、個人だ、もう偽我そのものを

私生きていたこと他になかったでしょう。

しかし、幸いに明想という手段を通して、で、宇宙即我(そくわれ)、

宇宙即我(そくが)というそこに至れたのは、我は神なり。

我と神とは常に一体なりというその理解は、明想という手段が

あったればこそではないでしょうか。

だから明想は、また誤れば、憑依を受けてみたり、憑依を受けて

一転生という人生を台無しにもするし、明想は一番大事なもので

あるとともに、危険が伴うのも明想と言います。

だから、明想は、あくまでも実相という本質の自分を実感する

ための明想であって、誰かれよりも能力を得て、その能力を金儲け

に使ってみたり、いばってみたり、世の中にただテレビやそういう状態

で騒がれてみたり、そのための明想であるならば、迷い想、全く

狂っている明想であることを知ってもらいたい。

あくまでも皆さんの明想は、神我(かみわれ)として実感するために

、神我(かみわれ)として皆さん自身が感じ生きているために、実感

とは実際に感ずる、直感とは直接に感ずる、その実感、直感で

皆さん自身が感じ取るために、明想という方法を皆さんは用いている

ことを知ってもらいたい。

だから、私の明想は、迷い思うは書かぬではないでしょうか。

あの冥界の迷いの冥界は書かぬではないでしょうか。

私の明想は、我は光なり。

我愛なり。

我完全なりという絶対なる明想ではないでしょうか。

皆さんの本質は愛です。

皆さんの本質は光です。

皆さんの本質は完全です。
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-22(Tue) 20:14:03】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(8)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから、2~3日前に、ちょうどこの7月7日の七夕、今日は

七天、天の大きく開くときだろう。

今日、努力して明想するものは、必ずその体験をするだろう。

あの○○の○○先生が、その体験をされたとき、本当に形あるもの

はすべて光そのものだったと。

光一元の世界に融合したと言います。

もうテーブルも目の前にして光一元、形はない。

だから、宇宙生命というそのエネルギーは、形作ってここにある

ように皆さんは錯覚をさしていることほかにないんだと。

すべては光なり。

すべては真理なり。

ほれ、そこまで至れば私の今までの二十何年間も説いてきたその

光話そのものが、一見にして皆さん自身が納得できるではないで

しょうか。

だから、皆さんが、私が一番に皆さんに望むことは、オレンジを

手渡されても皮をむかずに皆さんはそれが甘い、酸っぱい、

おいしいかまずいか言うあなた方ではなく、本当にオレンジの皮を

むいて、口に投げ込んで味わって、断言して言いきれるあなた方に

なってもらいたいというのが、私の最高の希望であり、私の最高欲望

というではないでしょうか。

だから、皆さんがそれを体験してくれなければ、二十何年間説いた

その真理もむなしいものにしか過ぎぬではないでしょうか。

皆さん一人一人が本当にすべての本質は愛であったと。

すべての本質は神そのものであったと。

形あるものは、本来実在ではなかったんだと。

ただ見れるが故に触って掴めるが故に、錯覚をしていただけに

過ぎぬと。

じゃあ、悩みや苦しみや、この見える物質に皆さん支配されて苦しみ

生きることは、全くおかしいことではないでしょうか。

何が実在しましょうか。

何が実相という、実相と言えましょうか。

だから、見えないものほど、皆さん自身が理解していってもらいたい。

この見える世界というものは、無限からして針先一点にしか

過ぎません。

針先一点を見て、感じて、それがすべてだという錯覚をしていること。

我々がどんなにもがいてもあがいても、皆さん自身が見ている

世界なんて、針先一点にしか過ぎぬこと。

それを皆さん自身が知ったところで、それはまた実在ではないでは

ないでしょうか。

昼間も皆さんに光話させてもらったように、真実の探求。

我々は宇宙真理として常に本物を追求し求めてそれを実感するための

肉体存在の目的であって、決して仮相という結果ではないでは

ないでしょうか。

だから皆さんが歴史を振り返って、さあ、この建物は何百年、

何千年、何万年前に建ったもの。

で、そのように日付をつきとめれば、これは偉大なる科学者だと

言います。

サイババさんは、あえてそこに時間を浪費する必要なんてある

のかと。

なぜ?この建物はかなり古いものであると。

それで満足できぬのかと。

なぜ?あえてここに日付を付けて、もがきあがこうとするのかと。

それだけ時間の浪費ではないのかと。

それよりも我は神なり。

我は真理なり。

はやくそこに至ったほうが、ふさわしいと説いているでは

ないでしょうか。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-21(Mon) 19:39:10】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(7)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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宇宙真理という本質は時代の新旧において変化することが

ありましょうか。

人間の観念、概念で作りかえてみたり、変えてみたり、破壊する

ことができましょうか。

だから、皆さんの本質は如何なる時代でも幾転生という過程を

この肉体が通してきたにしても、皆さんの本質は不滅です。

皆さんの本質は不死です。

だからこそ、久遠にして常在。

不滅にして絶対実在と申します。

久遠とは永遠のあなたがた。

常在とは常にあるあなたがた。

不滅とは一度だって破壊されたことのないあなたがた。

実在とは実際にあるあなたがた。

だから、いつも皆さんが愛眼、方眼、霊眼を持って、皆さん自身が

それを見てみて、すべてを見つめみてください。

すべては美しいと真の花々の咲き誇っているその美しさの背後には、

より一層命の輝き、神の美しさを体験するでしょう。

いつも方便で例えます。

あの御釈迦様の当時、御釈迦様の弟子であるアナンというその男性を

ある女性が追っかけて追っかけて御釈迦様に、私はアナンが大好き

です。アナンのどこが好きなのかと御釈迦様に聞かれたときに、

もう輝いた目、格好のいい鼻、きりっとしまったその口、

どこをとっても大好きだといいます。

あなたの見ている美しさはうわべの美しさ。

アナンにはもっと真の美しさがあることを知らんのかと。

で、その女性は、じゃあ、そのアナンの真の美しさを見せてくれと。

心の目を開くならば、それは心眼、方眼、霊眼、それを開くならば、

真実のアナンの美しさを見ることが出来るだろうと。

私自身が皆さんひとりひとりに見ているその姿ではないでしょうか。

あなたがた一人一人に永遠の美しさを見ています。

いつか朽ち果ていくこの肉体的美しさではなく、永遠不滅の美しさ、

永遠の若さ、永遠の健康である真の美しさをあなた方と言っている

ことを知ってもらいたい。

だから私が見ているあなたがたは、いつかは年老いて、いつかは

この現象の世界を朽ち果ていくそのようなあなたがたをあなた方と

見ているんではないんだと。

神として宇宙真理として、不死不滅、永遠のあなた方を眺め見ている

ことを知ってもらいたい。

その状態でもっともっと意識をバイブレーションを高めますと、

とうとう皆さんの肉的なあなた方はここから消えていくこと。

光としてのあなた方。

皆さん自身のテーブルや皆さん自身の囲んでいる、あるいはまた

この建物、すべて形なるものは消え、光一元なる中に立っている

ではないでしょうか。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-17(Thu) 20:32:20】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(6)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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その神を言いかえれば愛とか、宇宙真理とか、宇宙法則だとか、

そう説いているだけ。

だから、この大宇宙、唯一の愛の法則、宇宙法則に支配された

ものであって、カルマの法則だ、輪廻の法則だ、それは実在

ではありません。

だから、皆さんがカルマを作る自分、輪廻転生を繰り返す自分、

それを偽我と訴えていること他にありません。

しかし、皆さんが我は真理なりという境地に至ったときは、

何万年の転生させられた法則、今ここに解けたり。

幾転生という人生の過程を通して背負ってきた業も罪もカルマも

すべては皆さんから解き放たれていくではないでしょうか。

そのとき、何を見ても、何を感じても、何を捉えても、

愛のみが実在であったと。

愛こそすべてのすべてあってあるものの本質であったと。

だから、皆さんは、神我として、愛そのものの本質として

皆さんは与え生かされているがゆえに、皆さんも神の大愛で

あってもらいたい。

じゃあ、我々が都合いいものは愛します、都合悪いものは愛せない

というのならば、それこそおかしいことではないでしょうか。

神は小さな蟻一匹をも、大海を泳ぐ大きな鯨をも、全く同一の愛で

すべてを生かしていること他にありません。

あの人には大きな愛、この人には小さな愛、決して差別、分離、区切り

はありません。

唯一の愛で万物を生かしていること、だから皆さん自身が今ここに

いることは、皆さん自身、創造も出来ぬほどの愛というその愛を

恵みを受けて、今、ここに生かされていることを知ってもらい

たい。

じゃあ、神は何て無限の方か、何て皆さん自身が創造も出来ぬほどの

方なのか。

今までのキリスト教が訴えたように、あなた方が罪人と言いましょうか。

イエス様は神の一人子、あなた方は罪人と言いましょうか。

イエス様本人も、私も神を受け入れて、神の一人子。

で、あなた方も、我は神なり、神を受け入れれば、あなた方こそが

神の一人子、すべてがそうではないのかと。

そう言っているにもかかわらず、だから、本当にその原点を

説いたその方ならば、キリスト教であっても仏教であっても、

ヒンズー教、密教、ユダヤ教、何教であっても、全く唯一の神を

説いたにもかかわらず、それを枝葉根を広げたその下の方々が、

神の名を借りて、金儲けに明け暮れたものがいっぱい出てきたが

ゆえにその神をひずんだではないでしょうか。

しかし、どんなに誰がひずまそうたって、神の本質は不滅です。

永遠です。

何者にも左右されることはありません。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-15(Tue) 09:43:04】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(5)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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形に振りまわされて、混乱しいく自分であるならば、それこそ

偽我そのものに生きていることを知らねばなりません。

だから、真我に目覚めよと。

真我、真の我と書きます。

真の我は、過去において、今において、未来永劫に完全そのもの。

不完全なその真我なるものがありましょうか。

だから、悩みを作る自分、苦しみを作る自分、病気や病を作る

その偽我という自分をイエス様はサタンよ、我が後ろにて下がれと。

御釈迦様は悪魔よ退けと追い払ったのはその偽我そのものを言ったこと

を皆さん知ってもらいたい。

だから己の他に敵を見て敵にそう語ったではありません。

皆さんも例えば、怒りをぶつけられたときに、その者に怒り返す

あなたがたならば、もう皆さんはこの偽我に負けている姿。

それを言いかえればサタンや悪魔に皆さん支配された姿。

その言葉でも皆さんは天使のささやきに聞こえるか。

如何なる表現も天使の表現に見れるか。

ここが大きな勝負。

だから皆さん自身が何を聞かされてもどういう表現を見せられても、

美しいその真実なる神をその背後に感じ見ることが出来るならば、

振りまわされる必要もない。

如何なる苦しみも皆さん、喜びに変えることが出来るでは

ないでしょうか。

すべてのすべてあってあるものの幸を思い願えるあなた方。

己が幸せであるためには、一人一人の幸を世の人間全ての幸を

思い願う自分。

これが慈悲の慈の心ではないでしょうか。

慈悲の慈の心とは、万象万物あってあるもの、すべての喜び、

すべての幸せ、すべての幸福を願う心。

慈悲の慈の心と言います。

慈悲の悲の心とは、すべてのすべてあってあるものから、悩み

苦しみ悲しみが取り除かれますようにと。

全体の幸せを全体の喜びを全体の幸福を願う心こそ、慈悲の心、

慈悲心と説いたではないでしょうか。

あるいはまた愛心と説いたではないでしょうか。

すべてのすべてあってあるものと我々は共存共栄、共生し生きねば

なりません。

皆さんはただ肉体に宿っているその命そのものが実在だと

言えましょうか。

で、それそのものがすべてだと言えましょうか。

命はみなさん自身が創造も出来ぬ状態でこの大宇宙針先一点空間なく、

至るとこに遍満していることを知らねばなりません。

だからこそ、神は無限なりとはその意味ではないでしょうか。

あるいは神は遍在し、遍満するとは、針先一点空間なく、すべての

すべてが神そのものであることではないでしょうか。

どこに神がいて、どこに神がいないというならば、それは神を

実感しているではありません。

我意識したところに、我あり。

我思ったところに、我いるという無限という大海の中に皆さんが

融合し、その意識状態から眺め見るならば、一点の空間もない

すべてのすべて在ってあるものは、神の実体であったと。

神こそ実在。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-13(Sun) 19:22:06】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(4)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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魂が磨かれるではないでしょうか。

どんなに我々がどこに神を、まあ私はどこに神を求めるのも

悪いとは言いません。

それは求め方は一人一人違います。

しかし、最終的には皆さんどこに神を実感すると言いましょうか。

我即神であったと。

汝すでに神なり。

汝すでに仏なり。

必ずやそこに皆さん到達していくでしょう。

なぜならば、私がその体験者。

一生懸命、何年間何ヶ月、愛の泉を外にも掘りました。

で、知恵の泉を外にもそれを求めて、何年何ヶ月も掘って掘って

掘りまくったところ、この形という現象の世界には、愛の泉も

知恵の泉も掘り当てることも出来なかった。

とうとう気違い扱いされただけ。

馬鹿よ、気違いよ。

青い鳥を求めて全国全世界を旅したところで、青い鳥を外に

見出すことが出来なかったように、とうとう探し疲れて、探し

あぐねて、我が内を見つめたならば、我は神なり。

我神なるがゆえに、無限の知恵、無限の力、無限の愛の泉、

宝庫、我が内にありと。

で、皆さん一人一人が光であることも、あの真栄田岬で月のない

星のない真っ暗い中に座って明想している中に、とうとう光一元

というその実感をしたときに、あの海に向かって水平線貫いて

無限に光を放つその光を眺め見たときに、どこからその光は

注すのかで見たのならば、己自身のハートセンターから、

己自身が光そのものであることを実感したときに、我は光なり、

すべては光なり、そのときから、その光そのものを断言して

言いきれたではないでしょうか。

だから、皆さんは決していつかむなしく朽ち果てていくこの

現象我という肉我があなた方ではありません。

だから外を見れば自我という肉我の自分。

内を見れば真我という実相の自分。

だから神は皆さんに自由意思を与えて、内を見つめるか、

外を見るかを皆さんの自由意志に任されているではないでしょうか。

だからこそ、神は内を見よと。

内観せよと。決して外側に錯覚を幻覚で、振りまわされて

生きてはならぬと、そう言っているではないでしょうか。

外なるものをわたしは無視せよではありません。

もちろん、その宇宙真理という本質は外なる肉体を通して、

現し示して生きることは確か。

しかしそれは表現体であって、決してそれは実相、真実そのもの

ではないんだと。

だから皆さんに何が真実なのか、非真実なのか、何が本物なのか

偽物なのか、その識別が出来れば、皆さんの悩み、苦しみ、

不調和なるものは、皆さん和らいでいくことだろうな、で本当に

今までの悩み、苦しみ、悲しみを喜びに変えていくことが

出来るだろうに。

私は常にそこを眺めているではないでしょうか。

だから皆さん一人一人が何が偽物なのか何が本物なのか、何が真実

で何が非真実なのか、その識別をなされ、決してその現象という

結果に振りまわされない、混乱しないあなた方であってほしい。

私は決してこの地球というこの学びの場であるこの地球を

崩壊せよという意味では在りません。

例えこの地球が崩れ去っていく中にも我は命なり、我は真理なりという

その自覚しているものは振りまわされ混乱することがありましょうか。

どこにいてもどういう状態が現れようがどう形を変えていこうが、

やすらぎそのものは不滅に皆さん自身が生きることができる

ではないでしょうか。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-11(Fri) 23:17:10】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(3)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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皆さん自身が自らにそれを灯したとき、家庭の中に火は

灯るではないでしょうか。

で、皆さん一つ一つの家庭が火が灯れば、その地域は、その地域から

日本全体へ、それから世界そのものが、夜明けを迎えるでは

ないでしょうか。

まさに今は夜明け前の暗さ。

朝日の美しさは夜の闇の後に輝くと言われるように、今はまさに

末法の世。

で、夜明けを迎えんとしている今の状態。

だから、今の社会は、今の時代は、もう非常に厳しいこと。

もう、夜明けを迎えんとする前の厳しさ。

それは皆さん自身が歯を食いしばって拳を握り締めて、

耐えて耐えて耐え抜かねばならぬ今の時代。

それを耐えぬいた暁は、皆さんに本当に美しい朝日を皆さん

見ることが出来るでしょう。

神が完全であるが如く、我完全なりというその境地に至って

皆さん、朝日の美しさを徹底して皆さん、それを感じ生きることが

出来るでしょう。

花々もあの野の草花も耐えて耐えて春の訪れ来ることを

耐え忍んだではないでしょうか。

雪に埋もれても、雪が溶ければ、本当に美しい芽を吹き出すように、

踏まれても踏まれても根強く忍べ道芝の、やがて花咲く春も

来るらんと。

花を開かぬ、時を迎えぬ人間なんて、この世に一人もおりません。

神は、神という実相世界に戻ってくること、帰ってくること、

60何憶一人一人にそのチャンスを与えられていること。

だからこそ、悩みを通してそこに至るもの、苦しみを通してそれを

追求してそこに至っていくもの、あるいは病気や不調和を通して

そこに至ってくるもの、その至っていく方法は、皆様々違うでは

ないでしょうか。

それを悩めるものよ、幸いなり。

苦しきものよ、幸いなり。

この者は、天国という神の御国を見ることが出来るだろうと。

しかし、私が20何年前にガンで苦しみ生きている者、悩みで

苦しみ生きている者に、悩めるものよ、幸いなり、苦しきものよ

幸いなり、いち早く誰よりもそれを理解して実感して、その境地に

至ってそのように立ちあがってもらいたいために、そう語ったにも

かかわらず理解できない者は、怒り狂ったこと。

しかし、まあそこを離れた方々は今はもっと容易い道を歩んでいる

かどこを歩んでいるかは知りません。

しかし、何十年間もそれでも歯を食いしばって耐えて耐えて

耐えぬいた者は、とうとうそう言っているではないでしょうか。

よかったと。あのガンがあったればこそ、あの病や病気があった

ればこそ、悩み、苦しみを背負っていたが故に、ここまで歩み

来ることが出来たと。

今は感謝が出来るとそう訴えるではないでしょうか。

平坦な道を容易い道を歩んで、成長を遂げた人間はこの世に

一人もおりません。

厳しい道を乗り越えた分だけ、皆さんは成長し行けるでは

ないでしょうか。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-08(Tue) 22:14:18】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(2)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから、皆さんも神と我とは一体なりという境地から、目を

見開いて見るのならば、すべては神そのもの、すべては愛一元

そのもの、すべては美しい、すべては素晴らしい、ということ

他にないでしょう。

だから、今私自身が天国という常に味わっているその世界を

これを実相とも言いましょう、実相というその意識状態を通して

皆さん自身がすべてを眺め見て欲しいと。

そのために、皆さん、真理、真理をここまで皆さんは追い求めて

きたではないでしょうか。

何か知りたい、何か掴みたい、何か得たい、何か悟りたい。

何のために。

その何かは、何を見ても愛一元だったと。

愛他に何も実在しなかったと。

そこに至るために、皆さんここまで幾転生という人生の旅を

繰り返してきたではないでしょうか。

何のために、人生の旅を。

何のために、肉体存在の目的と言いましょうか。

ただ、皆さん自身が愛他に何も実在しなかったと。

全き愛、愛こそがすべてだったと。

だから、花々という形を纏った愛そのもの。

動物や鉱物という形を取った愛そのもの。

人という肉体を、人というその形を纏った、似姿を取った

愛そのもの。

だから、愛人。

愛の化身。

インドのサイババさんもそう言っているではないでしょうか。

私だけが愛の化身ではないんだと。

神の化身ではないんだと。

神によって創造された被造物は、すべてが神の化身だと

訴えているではないでしょうか。

すべてのすべて、あってあるものは、神という実相の中に、

実相とは完全そのもの、完全の中に創造され、完全に生かされたもの。

だから、不必要な人間なんて、無価値な人生なんて、この世に

一人もいない。

ただそのものが自らが神であることに迷っている結果、人を恨んだり、

妬んだり、非難、批判で自ら醜くしていること他にありません。

皆さん一人一人が、宇宙真理を我として受け止めて、言葉に思いに

その行為に現し示してみてください。

何て素晴らしい世界が、何て美しい世界が。

だから、愛の火が燃え伝わったとき、世界に夜明けが来るでは

ないでしょうか。

まず、皆さん一人一人の心に火が注していねばなりません。

我は光なり、我は愛なり、我は完全なりという皆さん自身の

心にそれが灯されて欲しい。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。





愛のみの実在 | 【2006-08-07(Mon) 22:53:39】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(1)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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愛のみの実在。

だから、私はこう語ります。

本来、実相という本質の世界には、地獄もない、悪もない、

闇もない、完全のみ実在といいます。

で、お客さんは、私にこう質問します。

じゃあ、愛のみ実在、愛他に何も存在しない、なのにイエス様が

サタンよ、我が後ろにて退け、御釈迦様が、悪魔よ、我が後ろにて

下がれ。

じゃあ、それは悪魔やサタンがいるのではなかったのかと。

それは外に敵を見たものではありません。

皆さんの内に潜んでいるネガティブ、あるいは消極、破壊的な

その心の状態を偽我の状態を、サタンよ、後ろにて下がれと。

病気は実在しません。

悩み、苦しみ、不調和なるものは、本来実在しません。

それを作り上げている偽我そのものを去れと追い払ったこと。

じゃあ、皆さんから偽我よ去れと、偽我を追い払ったならば、

何が実在しましょうか。

愛として、神として、完全のみ実在と言えるではないでしょうか。

それは私自身が実相という本質の世界で、地獄もない、闇もない、

悪もない、その実相世界を常に感じ見ているからではないでしょうか。

だから、悪を認めているのならば、闇を認めているのならば、

地獄あると認めているのならば、そのものは実在という実相世界を

体験しているものではありません。

実相の中には存在しておりません。

だからこそ、悪魔だ、地獄だ、闇だとそう語っているではない

でしょうか。

愛という完全の中に、何が実在しましょうか。

何が存在し得ましょうか。

だからこそ、罵り、怒り、非難の言葉でさえも、天使のささやき

にしか聞こえない。

いかなる表現も天使の表現にしか見ること、感ずることできぬと

いう意味は、その意味ではないでしょうか。

だから皆さんが、何を見ても美しい、何を感じても素晴らしい、

きれいと皆さんが言葉語れたときには、相当の意識状態まで

高まっているでしょう。

先ほども話をさせていただいたように、曇った汚れた心から、

どうして美しい言葉が出ましょうか。

どうして美しいものを感じ取ることが出来ましょうか。

だから悪を見るというのならば、自分自身のその心の中に

悪が潜んでいることを知らねばなりません。

まさか、愛のみが実在、愛こそ絶対実在と言えているもの、

そこに至っているものが、どうしてそれ以外のものが見えましょうか。

じゃあ、皆さん、神はこの大宇宙を眺めて、何を見ていると

言えましょうか。

すべては、神なり、すべては、愛なり、すべては完全なりと

神はそう見ていることほかにありません。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-03(Thu) 22:05:06】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
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