プロフィール

諒

Author:諒
■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
カレンダー
08 | 2006/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | 【--------(--) --:--:--】 | Trackback(-) | Comments(-)
宇宙の法則(15)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------

ならば、我々も聖人に見習って、共に手を取り合って努力し、

我々は進み行くこと他にゴールに達する方法がありましょうか。

座して神を拝む事なかれ。

汝、盲信狂信偶像崇拝することなかれ。

誰しもが、容易い道を歩めたものは一人もいません。

すべてがこの現象という肉体の世界に降りてくることは、

それは誰をも厳しい道を歩んでいかねばなりません。

道が厳しければ厳しいほど、我々は魂磨かれ、成長遂げていく

ではないでしょうか。

皆さん、温室育ちの野菜を見てみてください。

それは野菜や果物やそういう作り育てている○○さんなら、

非常によく理解できましょう。

温室に育った太陽の熱エネルギーも浴びていない、雨、風にも

耐えていないものに本当にひ弱なものに、力強い果物や野菜なんて

ありえましょうか。

形はいいでしょう。

しかし、その中身はどうなのか。

ぼろぼろではないでしょうか。

我々もこの世に試練を、この世の試練を耐えて耐えて耐えぬいたもの

ほど、いと強き高きものとなっていけるではないでしょうか。

だから私自身が南米での何十何年間のあの暮らしが、あの厳しさを

耐えぬいていかなかったならば、私は心身ともに鍛えあげられること

はなかったと。

で、半分以上はもう、向こうで心身ともに鍛えたが故に、日本に帰って

きても、もうどんな嵐にも耐えられる、如何なる嵐にも吹き飛ばされ

ない、自分自身をそこに確立することが出来たではないでしょうか。

だから、60何憶の人間が私を振りまわそうたって、私を振りまわし

きれた者なんて一人もいないといいます。

取るに足らないものに振りまわされて、真実なる本質を見失う愚かなる

者がいましょうか。

真実なるものを掴んでいるものからすれば、取るに足らないものには、

目もくれません。

執着もありません。

取るに足らないものに振りまわされることもありません。

だから、まだこの世の金や物や物質に執着というのならば、実相

という本質の世界をまだ体験したことのないこと。

--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




スポンサーサイト
宇宙の法則 | 【2006-09-28(Thu) 23:01:38】 | Trackback:(0) | Comments:(3)
宇宙の法則(14)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------

自らの手で努力して勝ち取らねばなりません。

それをまたインドまで行って、人間は決して努力する必要はない

と教えられて努力を怠っている人間もいましょう。

我々は努力なくして、そのゴールに達した人間なんて一人も

いないことを知ってもらいたい。

イエス様やお釈迦様とて、皆さんの聖人と言われた方々とて、

あれほどのこの現象という結果の世界をすべてを超越して、解脱

に至っても、尚も無限の愛を、無限の完全さを現し示して

生きるように、まだ努力に努力を重ねていることを我々は見失って

はなりません。

よくイエス様や御釈迦様や聖人の方々はもう解脱に至っていいだろう

なと。

向こうで安泰でただやすらぎや至福の中に浸って生きているんだろうな

という人間もいます。

我々以上に歯を食いしばって拳を握り締めて、もちろんこの現象という

結果なる世界からは完成して到達していましょう。

しかし、無限の愛は我々が尽くしても尽くしても無限そのもの。

で、終わりなきその無限という愛を現し示し生きるのに、努力に

努力をまだ重ねていることを知ってもらいたい。

だから、我々も都合いいものはあたかも自分に受け入れやすい。

努力せずにして悟りに至るならば、そんな素晴らしいことはないこと。

そんなに我々がいいものはないこと。

努力をせずにして、例えば我々がスタートラインに一人一人が立ち、

ピストルの合図でスタートを切らずしてゴールに達した人間なんて

一人とていましょうか。

我々がゴールに達するためには、スタートラインから自分のペース

でもって歩み進みいくことがないかぎり、どうしてゴールに達した

人間なんていましょうか。

これをただここに座っていれば悟れるという、座して神を拝むこと

なかれ、というその言葉に当てはまるではないでしょうか。

座して神を拝んで、悟りに至れた人間は世界に一人もいないこと。

イエス様や御釈迦様もあなたがたより容易い道を歩んで、ゴール

に達したものではないんだと。

解脱に至ったものではないんだと。

我は真理なり、我は道なり、我は命なりと言えたものではないんだと。

あなたがた以上に厳しい道を、これでもかこれでもかと歯を食いしばって

、拳を握り締めて、すべて与えられた試練、宿題を正しい姿勢ですべて

乗り越えたことにおいて、ここにゴールに達したと言っているでは

ないでしょうか。


--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




宇宙の法則 | 【2006-09-27(Wed) 20:12:42】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
宇宙の法則(13)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------

その時こそ、この世の中に夜明けを迎えて、我々はそこに

素晴らしい、本当の世界を建設していくことでしょう。

今のように、自分さえ良ければよい、自分の国さえ守って

いればいい、自分の家庭さえ豊かであればいいでは、分離、

差別の中に、幸せなんてありえぬことを知ってもらいたい。

我は、神なり。

己が神であるならば、すべては神なり。

己が愛ならば、すべては愛なり。

己が完全ならば、すべては完全なり。

その境地に至ってこそ我々は、すべてに真実を感じ生きること

が出来ることを知ってもらいたい。

だから、鈍感ならば、常にこの現象という結果に反応して

見たり感じたり生きていること。

敏感ならば、神の大愛、真実に敏感に反応して生きるではない

でしょうか。

だから皆さん自身が心の中に潜んでいるものが、いいも悪いも

光の前に立った時にすべては明らかにされていくんだと。

だから皆さん自身が愛という種他に、皆さん自身が心という畑に

蒔いていないならば、どんな光の前に立たされても、皆さん自身

実るのは、愛のみ、完全として。

しかし、変に触れて怒り狂ったり、変に触れて悩んだり苦しんだり、

その種がまだ皆さん自身の中に潜んでいたことを教えられている

ことを知ってもらいたい。

畑に水を与えると、畑に肥料を与えると、皆さん自身の心という

畑にどういう種が植え付けていたかを皆さん自身に現われ来る

ではないでしょうか。

だから、私自身が如何なる言葉を聞いても天使のささやき。

如何なる表現を見ても天使の表現。

それは何を意味しましょうか。

心という畑には、愛という種他にないことを意味します。

愛という種からまさか悩みや苦しみや不調和なるものが芽生えて

くることがありましょうか。

この何十何年間、昨日も今日も明日も愛の種を私が蒔く限り、

私は未来永劫に喜びという至福というその刈入れをすることを

知らねばなりません。

私自身が蒔いた種が愛であり、実をつけた愛を、皆さんに

摘み取ってもらうことなんて出来ぬではないでしょうか。

だから、皆さん一人一人の幸せは皆さんの足で自ら努力して

歩まねばなりません。

--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




宇宙の法則 | 【2006-09-26(Tue) 23:25:30】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
宇宙の法則(12)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------

完全のみが実在。

だから、悩み、苦しみなるものは、遠い過去の存在。

ここに至るまで我々が宇宙法則という実相に融合するまでのステップ

にしか過ぎなかったこと。

だから、過去、未来は今の一点なり。

今の今を我々が宇宙法則を我として正しく生きることにおいて、

過去においてどんな邪悪なカルマを背負っていてもそれは清算

されていくだろうと。

また未来に皆さんがどんな誤ったストーリーを図面を描いていても

それをもまた皆さんは書きかえることができるだろうと。

じゃあ、運命とは何なのか。

皆さんが書いた図面ではないでしょうか。

皆さんが描いた設計ではないでしょうか。

だから、正しい設計をすれば皆さん、正しい運命、正しい人生を

背負い生きることが出来るでしょうに、今の人間は何て愚かなる

ものなのか。

毎日のように、ネガティブ、消極、破壊的な図面を描いて、正しい

運命を背負うことが出来るのかと。

運命とは皆さんが描いた図面であり、皆さん自身が描いた設計である

ことを知ってもらいたい。

だから、私は皆さんに、あなたがたほど名設計者、名建設家が

いましょうかと。

なぜ?

私は病気、病気、病気ですと、図面を描いて、病気をちゃんと

受け取って、苦しみ生きている人間、素晴らしい皆さんは、名

設計者であるとともに名建設家ではないでしょうか。

それを神はあなたがたに創造の力と創造の場をあなたがたに

与えたと、そうも言っているではないでしょうか。

決して、我々は誤った図面を描いてはなりません。

誤った設計をしてはなりません。

描くならば、絶対愛、絶対完全という御釈迦様もイエス様も

常に己が幸せであるためには慈悲心、慈悲の心で生きよと、

己が幸福であるためには、常に愛心、愛の心で生きよと。

それのみを説いて、我々に教え下さったではないでしょうか。

決して相手に対立せよとは、相手を怒り、罵り生きよとは

一言も説いてはおりません。

すべてを許し愛すること。

すべてに慈悲深く、皆さんが接し生きることと、慈悲心、愛心

全くいたわり思いやることを説いたこと他にありません。

己が幸せであるためには、常に幸福、至福であるためには、

すべてを愛し、すべてをいたわり、すべてを思いやり、生きること

他に方法がないことに一人一人、全人類の人間が、いつかは

いつかは到達していくことでしょう。

--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




宇宙の法則 | 【2006-09-24(Sun) 22:34:06】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
宇宙の法則(11)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------

イエス様本人も私も神の一人子、あなたがたも父なる神を認めさえ

すれば、あなたがたそのものが神の一人子と訴えていることで

あって、私だけがとは説いておりません。

だから、今の教会に、朝に昼に晩に皆さんが訪ねる度に、イエス様

は神の一人子、あなたがたは罪人よ罪人よと教えられて見てください。

教え、そのように暗示かけられて、暗示もかかるなら我々は、

正しい暗示、我は神なり、我は真理なり、我宇宙法則そのものと

暗示ならばいいでしょう。

しかし、罪人よ罪人よと暗示かけられてみてください。

輪廻転生、転生輪廻が宇宙の法則だ、カルマ、業、罪が宇宙の

法則だと誤った方向に引っ張られて見てください。

いつ、我々は解脱に至りましょうか。

いつ我々はそこから脱出することが出来ましょうか。

いつそのようなカルマや輪廻転生から足かせを我々は外すことが

出来ましょうか。

何万年の転生させられた法則、今ここに解けたり。

幾転生という人生の過程を通して背負ってきた業、罪、カルマも

今生こそ我々はその足かせから、皆さんが外さんがために、今

肉体あることを知ってもらいたい。

尚も輪廻転生、転生輪廻を繰り返す我々は、仮相に縛られるのか。

いや、誤った生き方で、業、罪、カルマを背負って、またそれを

刈り取らんがために何回でもここに舞い戻ってくる愚かなる者と

なるのか。

今生こそ、皆さんは目的、最高目的は解脱ではないでしょうか。

離脱であり、悟りそのものではないでしょうか。

だからこそ、悟りとは家庭、家族を捨てて、山や洞窟にこもること

でもない。

与えられている今の社会で、真の自分が宇宙真理であり、宇宙法則

である正しさを見失うことなく、一瞬一瞬正しく生きていくことと

明想という手段を重ねて我々が神である実感、それが悟りではない

でしょうか。

我は神なり。

神は我なり。

我と神とは常に一体なりという神我一体の境地こそ、これは、私は

最高悟りと申します。

だから、宇宙の法則はカルマでもない、輪廻転生でもない、絶対愛、

絶対完全。

じゃあ、皆さんが実相という本質に至って実感、この宇宙法則という

絶対実相の世界に融合されてみてください。

何に悩んでいたのか。

何に苦しんでいたのかと。

悩み、苦しみ、不調和なるものは、遠い過去のものであったんだと。

で、そのように皆さん体験されていくでしょう。

だから、私にとっては、悩みといったって、悩みがない。

苦しんでみようといったって、苦しみもない。

なぜ。完全の中に留まっているものに、どうして悩み、苦しみ、

不調和なるものがありましょうか。


--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




宇宙の法則 | 【2006-09-21(Thu) 22:46:22】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
宇宙の法則(10)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------

思考の制御、心の管理、あるいはコントロール、それが伴って、

我々は本当のヨーガ、そうしたときに我々は本当の宇宙法則

そのものが皆さんを通して現れてくるではないでしょうか。

だから、明想は奇跡を望むものでもないんだと。

奇跡というならば、私にとって最高の奇跡とは、すべてを許し、

すべてを愛することが私にとって最高奇跡と申します。

じゃあ、例えば我々は、そのすべてを許して愛し、すべてに我々

がその愛そのもので見て感じて正しく生きることが出来るならば、

世も救われましょうけど、ここに集った我々一人一人が瞬間移動が

出来たからとて物質化現象が出来たからとて、どういう奇跡を

起こしたからとて、すべてを許し愛すことが出来ぬ限りは、世は

変わりましょうか。

平和になりましょうか。

だから、そのような奇跡では世は救われぬこと。

我々一人が愛の火が燃え伝わったとき、世界に夜明けが来るでは

ないでしょうか。

だから、皆さんの肉体は、愛の伝導体と申します。

すべてに愛を伝え、すべてに愛という波動を皆さんが放ち得る

これはイエス様はキリストの伝導と言われました。

黒い聖書を持ち歩いていることが伝導ではなく、我々がいる場所で

一瞬一瞬、言葉、思い、表現を通して、常に愛を常に知恵を

常に力を現し示していることそのものが、本当のキリストの伝導。

なぜならば、キリストは愛です。

キリストは知恵です。

キリストは力です。

キリストは光です。

ならば、キリストの伝導とは、知恵と力と愛と光を皆さん自身が

日々の生活の中に使い生きていることが、キリストの伝導体と

言えるではないでしょうか。

だから、イエス様も宇宙法則の中に融合されたときに、不滅の

キリスト、愛のキリストと語ったこと。

だから、イエス様の名前がキリストだとは、大きな過ち。

キリストとは、皆さん一人一人の中に内在した神我そのもの。

無限の力、無限の知恵、無限の愛、光をキリストと私は申します。

仏陀もその通り。

だから、仏陀も宇宙即我(われ)、宇宙即我(が)の境地に

至った時に、宇宙の法則そのものが我なりという悟りを得たときに、

不滅の仏陀、慈悲の仏陀、二度と再び死ぬことのない、病むことの

ない、年老いていくことのない、明日を明後日を心配、不安、恐怖に

も怯えない、不滅そのものと悟ったときに、不滅の仏陀といったでは

ないでしょうか。

だから、我は神なり。

我、神なるがゆえに、無限の知恵、無限の力、無限の愛、光、それ

そのものが皆さん一人一人の中に内在したるキリストであり、仏陀

であることを知ってもらいたい。

じゃあ、今のキリスト教は、イエス様の名前がキリストだ、

イエス様のみが神の一人子、あなたがたは罪人と教え説いているなら

ば、最大の過ちを犯しているではないでしょうか。

--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




宇宙の法則 | 【2006-09-19(Tue) 22:43:40】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
宇宙の法則(9)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------


真実の探求が欲しかったではないでしょうか。

だから、私は決してこの世の読み書き、計算、それを学ぶなと

いうものでもないし、それを否定せよでもありません。

我々はいい職業を得るための教育は外なる教育。

不死不滅永遠の我を知るためには、内なる教育。

だから、どこも欠かしてはならぬといいます。

外なる教育と内なる教育がバランス取れたとき、そこに悟りが

あることを知ってもらいたい。

だから、御釈迦様も肉体無視して、難行苦行、また断食していた

かぎりは、やがて肉体、破壊まで、寸前まで追いやったではない

でしょうか。

しかし、そこにはあのヤギのミルクを与えられてこの肉体を生かした

ときに、我々は見えるもの、見えないもの、何をも無視してはいけぬ。

本当に調和そのもの、バランスそのものが悟りであったことに到達

したではないでしょうか。

だから、我々は外なる働きとは良い食事を得るための働き。

内なる働きとは明想という手段を通して、神を我として実感

するための働き。

だから、働きにも内なる働き、外なる働き。

教育にも、外なる教育に、内なる教育。

それが我々に理解できるならば、今のように世の中は荒れることは

なかったでしょう。

しかし、今の子供たちはどうなのか。

ただ、外、外、外だけの教育を教えられて、内なる教育を見失って

いるがゆえに、心伴わないものが出てきたではないでしょうか。

まあ、この前聞いた話では、もう世界には思いそのもので動く

ロボットももう完成しつつあるとか、仕上がったと言います。

ならば、そのものが心伴わない状態でそのロボットを扱ってみて

ください。

手も下さずに殺人も人殺しも色々なことをしでかしていくだろうと。

だから、心伴わない物質文明の栄えは、世を滅ぼしていくだろうと。

だから、我々は物質そのものには常に心伴っていかねばなりません。

心伴わないで、物質文明が栄えてみてください。

物質文明の栄えに心がついて行けない状態で現れてみてください。

何をしでかすのか。

だから、神の偉大な能力は心、完璧に制御でき、自らを正しく、

完全に極めたときに、与えられるというその法則にセットされて

いるではないでしょうか。

なぜならば、心伴わない状態で宇宙を支配する力、その能力を

与えられてみてください。

世を滅ぼしていくだろう。

悪しき方向にそのエネルギーをすべてを使い生きることでしょう。

だから一番大事なことは、我々は一瞬一瞬の心の制御。

心のコントロール、心の管理と私は言うではないでしょうか。

それを私はヨーガと申します。

--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




宇宙の法則 | 【2006-09-18(Mon) 10:35:14】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
宇宙の法則(8)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------




ただ、年老いていくことは、肉体去ることは、氷が溶けて水に

なって、水がさらにその気体という不可視に帰っていくことを

一変化を見ていること他にありません。

だから、断言して言いきれます。

我は命なり、命なる我は水の中に投げ込まれて溶けることもない、

濡れることもない、火の中に投げ込まれて焼けることもない、

風にさらされて乾くこともない、世界の武器をむけても破壊する

ことの出来ない、これが宇宙の法則たる我として、またあなた方

そのものではないでしょうか。

だから、死にはしないか、病みはしないか、年老いていきは

しないか、病み苦しむことはないか、明日も、明日は日本は

どうなっていくんだろう、世界はどういう方向に進みいくんだ

ろう、どこに心配や恐怖や不安がありましょうか。

たとえ、まあ私はこの地球というこの緑滴る地球は、これからの

我々の、あと何十何年間何ヶ月何週間生かされるか分かりません。

で、これからの子や孫のためにも、いろんな事を学び、体験、

経験をし、魂を高めいく、磨きいく、この場所を失ってほしいとは

望んでおりません。

例え、地球が崩れ去っていく中にも、我は命なりならば、何物にも

振りまわされることないではないでしょうか。

だから、不死不滅永遠の生命を皆さんが掴まぬ限りは、常に明日や

明後日、また常に年老いていく不安、死ぬ恐怖に苦しみ生きること

ほかにないではないでしょうか。

だから、御釈迦様も前を見れば生きる恐怖、後ろを見れば死ぬ恐怖、

右を見れば病む恐怖、左を見れば年老いていく恐怖、どこを見ても

心配、不安、恐怖にこれほどの王子という権力を与えられている

王者とて、いつかは朽ち果ていく、いつかは年老いていく、

それに振りまわされている限り、心にやすらぎなんてないでは

ないのかと。

だから、私だけのためではなく、本当のやすらぎを見出して、

世の人間に教え伝えていきたいんだと。

だから、私の見出さんとするその喜びは、この至福は、私のみの

ものではなく、全世界の人間に示していきたいんだと。

そこに本当の自分の追及が始まったではないでしょうか。

自分とは何者なんだろう。

どこから出てきて、どこに向かって旅をするのか。

旅の目的は何なのか。

旅の目的終えてどこに帰るのか。

誰によって創造され、何のために誰に生かされるのか。

それは私も小学生の時から追及したといいます。

死んで人間どこに帰るんだろう。

死んで墓場というけど、墓場から向こうはどういう世界が

待っているんだろう。

私はこの世の読み書き、計算には魅力も感じない。

本当の人間としての本当の探求ではなかったでしょうか。


--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




宇宙の法則 | 【2006-09-16(Sat) 17:11:10】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
宇宙の法則(7)

多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------




どこに真の神を悟り得たものがいましょうか。

だから、キリストとは全一体意識。

で、キリストの名を語りながら、分離を説く教祖に要注意と

言っているではないでしょうか。

あくまでも我々は真の愛は、全一体の中に現われ来ることを

知らねばなりません。

我は全体であり、全体は我なり。

我はすべてであり、すべては我なり。

一命一体ではないでしょうか。

この大宇宙、唯一の命しか存在しません。

で、この体も唯一の体、一体しか存在していません。

見れば女性も男性も鉱物も植物も動物も様々な形、形体が

そこに存在するように見えましょう。

しかし、皆さんが今の科学の力で、どの物質でも皆さんが分析

してみてください。

唯一の質量、同じ電子、陽子に、皆さんが変換されていくことを

知るでしょう。

だから、今私自身の纏っている肉体物質も、肉体去れば不可視

の質量に帰ります。

あなたがたのものもその通り。

また動物、鉱物、植物、動物が死ねば、あるいは鉱物が風化して

破壊されれば、花々や木が枯れて腐れば、全く同じ質量に

帰っていくこと。

で、その不可視の質量がまた形を取ろうとしているのが、循環

そのものではないでしょうか。

だから、物質そのものは常に循環してやまぬもの。

我々がこの不可視の質量にこの肉体を返せば、いつぞは動物

という形を取るかもしれない。植物という形体を取ってくるかも

しれない。あるいは鉱物かもしれない。

また新たに人間という形体を取ってくるかもしれない。

しかし、その宇宙真理という不滅の命はどうなのか。

それは変化もしない、久遠にして常在、不滅にして絶対実在と

申します。

久遠とは永遠のあなたがた。

常在とは常にあるあなたがた。

不滅とは一度だって破壊されたことのないあなたがた。

実在とは実際にあるあなたがた。

それを宇宙の完全法則と申します。

だから、宇宙法則に至ったものは、死に対する恐怖もない、

年老いていく不安もない、病む苦しさも味わう必要もない。

神が完全であるが如く、我完全であったと、その時、断言して

言いきるでしょう。

だから、私は今、命を私と表現します。

我は命なり。

命という本質から見たり、感じたり、生きてるものならば

どうなのか。

生老病死という四苦が実在しないことを知るではないでしょうか。


--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




宇宙の法則 | 【2006-09-13(Wed) 20:35:19】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
宇宙の法則(6)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------



我々は瞬間移動とか、物質化現象、で、そのような奇跡のために

明想することではないんだと。

我は神なり。

神は我なり。

我と神とは常に一体なりという宇宙法則の中に融合せんがために、

明想であることを知ってもらいたい。

だから、明想の大切さ、明想の素晴らしさとともに、明想が誤った

明想の中に皆さん自身が入ることにおいて一番危険が伴うのが、

明想というではないでしょうか。

ほれ、皆さんの周りでも、明想という明想を正しく使えなかったものが、

憑依を受けて苦しみ生きているものを見てきたではないでしょうか。

あそこに何体の幽霊がいるとか、あるいは宇宙からこの地球を侵略

しに真っ黒いのが来ているとか、様々な、我々は色々なものを

見せ付けられてきたではないでしょうか。

だから、明想は一番大切なものとともに、また誤れば危険が伴っている

こと。

だから、我々は明想はあくまでも宇宙法則という神の完全さの中に

融合していくための明想であることを知ってもらいたい。

だから、我々の明想中には、我、血や肉、姿、形でもなく、人間、

肉体、個人でもなく、我は霊なり。

もちろん、我々は表現体としての肉体は与えられています。

しかし、その人のものが、本質ではありません。

実相ではありません。

だから、肉体は皆さん何と言いましょうか。

肉体はいつか朽ち果て行くが故に、一呼吸、一息ごとにおいて、

墓に向かって進み行くが故に、仮相の我というではないでしょうか。

で、その背後に久遠にして常在、不滅にして絶対実在する宇宙

真理を神として見出さんがために、皆さん、明想という手段を

使うこと。

我は霊なり。霊は水子の霊、悪霊、地縛霊、祟りの霊、迷った

霊ではありません。

霊は神です。

だから、神霊と書きまして、神は霊なり。霊は神なり。

宇宙生命、つまり、神たる宇宙真理ではないでしょうか。

だから、真理をある宗教では神と説き、ある宗教では仏と説き、

ある宗教では大日如来と説き、ある宗教ではアラーの神だ、

何の神だと、いろんな方法で、いろんな言葉で、いろんな表現で、

説きたいのは、唯一の真理そのものを説いていることを知って

もらいたい。

宇宙真理、だから、宇宙真理は、宇宙法則は、この大宇宙に、

唯一の実在。

それをあなたがたの神は、我々の神は、どこそこの神よと、

自他一体、全一体、一命一体なんてありえぬではないでしょうか。

神は我なり。

我は神なり。

我と神とは常に一体なりという境地に至ってこそ、本当の一命一体、

自他一体が理解できることであって、ある宗教でも自他一体だよとは

説きます。自他一体とは自分と他は分離とは説いておりません。

自分と他は即一つと説いていながら、あなた方は、我々はと、都合

いいものは愛します、都合悪いものは愛せない、常に分離差別で、

生きるその宗教、どこに真実がありましょうか。


--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




宇宙の法則 | 【2006-09-12(Tue) 20:15:20】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
宇宙の法則(5)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------


じゃあ、この世で、我々は金や物や富を得て、また知識を得て

優雅に生きたでしょうけど一転生は、しかし、皆さん自身が

解脱に至らぬ事がなかったのならば、神という本質を実感する

ことが出来なかったのならば、何の価値もないというではない

でしょうか。

子供は遊ぶのに忙しく、若者は恋に忙しく、大人は心配事で

忙しい、真実の宝物を得るためには、不死不滅永遠の宝物を

得るために、忙しい人間の何て少ないことかと。

そう言われぬように。

実りは多いけど、それを得ようとして努力して働く人間の何て

少ないことかと。

我々の努力はあくまでも我は神なり。

神、我なり。

我と神とは常に一体なりという境地に至らんがために、神は

我々に自由意志と忍耐と努力と意志力を与えたことを知ってもらい

たい。

だから、八正道の中にも、正しく見、思い、語り、正しく

生活をし、正しくを仕事をし、正しい努力と言われたではない

でしょうか。

だから、難行苦行悟りにあらず。

滝行、断食する必要もない。

難行苦行もする必要もない。

正しい努力と言われているではないでしょうか。

どんなに皆さんが世界一の聖者や覚者にめぐり合っても、皆さん自身が

正しい努力と忍耐と意志と、それを皆さん自身が用いることが出来ぬ

限りは、そこに到達した人間なんて一人もいない。

だから、むなしい努力をする必要はありません。

では、私自身が北海道から沖縄まで学ぶ皆さんと友に私が説いている

ことは、正しい努力とは、身口意を日々の生活の中に、与えられている

職場で、今与えられているその一瞬一瞬の中で、徹底して皆さんが制御

して生きることです。

思うこと、語ること、表現一つ一つで、誰が不愉快な思いをしようが、

苦しもうが、傷つこうが、言いたい放題、思いたい放題、やりたい放題

で、それでもって神に至った人間なんて、一人とていましょうか。

だから、我々は身口意という、冗談であっても私は誰彼の非難も

怒っても傷つけてもならぬといいます。

で、不愉快な思いをさせてはいけぬといいます。

徹底して自分の心の制御。

美しい心から我々は美しい言葉が、美しい思いが、美しい表現が、

この表現できることを知らねばなりません。

身口意を徹底して正すことと、そこに、明想という正しい手段を

重ねてみてください。

しかし、その明想というものは、一番危険であるとともに、一番

大切なものとも私は申します。

なぜならば、この27、8年か、沖縄からここまで、誤った明想を

通して幽界の憑依を受けて、一転生という人生を棒にふった人間も

いっぱい見てきたこと。

奇跡を求めるんだとか、誰彼よりも特別な能力を得てとか、奇跡

奇跡奇跡に我々が執着し、振りまわされると、真実なる神への

到達という目的を見失っていくことを知らねばなりません。


--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




宇宙の法則 | 【2006-09-11(Mon) 19:44:38】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
宇宙の法則(4)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------


だから、愛の法則に留まることが出来ぬ限りは、宇宙の絶対完全なる

法則に留まり生きることが出来ぬ限りは、何万回でもこの現象世界へ

肉体という衣装を与えられて舞い戻ってくること他にありません。

だから、肉体を持つ方法は、肉体という衣装を纏う方法は2通り

あるといいます。

我々が宇宙の法則を生きることが出来なかった結果、強制的に

輪廻転生を繰り返して生きる人間。

で、解脱には至ったけど、私だけ神の至福を味わい生きてはならぬと。

で、実相という本質から皆さんが同じ兄弟姉妹を見てみたならば、

あるものは宗教に食い物にされて、あるものは霊能者や占い師に

振りまわされ、苦しみ生きている兄弟姉妹たちのために愛の手を

差し伸べていきたい、皆さん千手観音と言っているではない

でしょうか。

だから千手観音は、皆さんの内なる神我、つまり宇宙真理そのもの、

神であることを知ってもらいたい。

神が仮の姿を取ったこと。

で、そのように皆さん自身が兄弟姉妹のために、光の道を示して

いきたい、愛を差し伸べていきたい、そう皆さん自身が神との

約束でこの肉体という衣装をまとって、この現象世界に降りて

くる方法。

だから、皆さんは強制で肉体を纏うあなたがたではなく、解脱

には至ったけど、完成は遂げたけど、同じ兄弟姉妹たちのために

手を差し伸べたいために皆さんが肉体という衣装を纏ってくる

あなたがたになってもらいたいと私は申します。

じゃあ、一人一人が本当に愛するは愛されるよりも美しく、

すべてを幸せにするという境地で生きてみてください。

この世の中は物質の面でも霊的な面でも、最高の豊かな世界が

作り上げられて行くではないでしょうか。

豊か、豊かというけど、豊かさは常に一人一人の心に愛の灯された

ことが、愛に満ちたことが本当の豊かであって、金や物や物質に

満たされて豊かではありません。

ある金持ちの畑が豊作で、もう借り入れても蔵がせまかった。

で、その蔵を崩して大きな蔵に建て替えて、さあ収穫を終えて

これから何十年先、もう我々は安泰して生きていけるんだと。

飲んで食べて歌って踊って、もう優雅にと言います。

神はその金持ちに何て言ったのか。

この愚かなる者よと。

あなたの命は今日にでも引き上げられると言われる。

ならばその蔵に積んだその宝物は、誰のものになるのか。

そう言われたではないでしょうか。

だから、我々は肉体与え生かされている限りに、宇宙法則という

神というその本質に到達しいくことが、肉体存在の最高目的

であることを知ってもらいたい。

--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




宇宙の法則 | 【2006-09-10(Sun) 20:35:56】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
宇宙の法則(3)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------


神を生きよと。

それは無限の知恵、無限の力、無限の愛、無限の光として

生きよと。

だから、まあ沖縄で5月の明想を通して、私が受け止めた神からの

言葉、文字は、愛の火が燃え伝わったとき、世界に夜明けが

来るんだと。

それ以上にそれ以下に、皆さん方法があるといいましょうか。

金や物や物質そのものが、今の世を正しく使い生きることが

出来なかった結果、今の末法の世を作り上げたこと他に

ありません。

あたかも金がすべてだ、金によって幸せを得ることが出来るんだ

という誤ったその、生きた結果が、ほれ、今のような末法の世を

作り上げたこと。

私は決して金や物や物質を否定するものではありません。

チリ箱やゴミ箱にちりゴミを捨てるように捨てなさいという意味

ではありません。

物質とは何を我々に教え説いているのか?

物質は何のために存在しているのか?

果たして、死後の世界まであの世まで、一物、一円、一点、

持ちかえったものがいましょうか。

持ちかえることが出来るのは、唯一、皆さんが天という蔵に

納めた愛という宝他に持ちかえることは出来ぬと申します。

だから、こう言います。

地位や、名誉、財産、富、金、物に満たされたものが、私は

世界一の金持ちよと、私は世界一偉いものよと、この世では

いばって大きく見せたでしょうけど、天という蔵には一点の

愛という宝物も納めていない、慈悲という宝物も納めていない、

なるが故に、この世ではいばって大きく見せたけど、あの世では

得るものがない、あの世では小さきものとなるだろうと。

しかし、この世では地位や名誉、財、富、金、物に満たされた

こともない。

しかし、大いなるものは仕えるものとなれと言われるように、

常に世の下僕となって、愛として、慈悲として、働き生きた

ものはどうなのか。

この世では金、富、物質には恵まれてはいなかった。

で、そう、知識もこの世の学問にも乏しかった。

しかし、あの世ではどうなのか。

天という蔵に愛という宝物を納めたがゆえに、この世で小さき

ものは、あの世で大きいものとなると。

じゃあ、我々は、何を選択するのか。

この世の一転生という人生なんて、線香花火が散っていくような

あっという間の出来事にしか過ぎぬことを知らねばなりません。

永遠に皆さん、この現象の世界に留まることが出来ましょうか。

いつかは仮の宿をチェックアウトし、いかねばなりません。

いつかは仮の姿である衣装を脱がねばなりません。

仮の衣装。

我々は真実なる天の蔵に宝を納めてこそ、神は、何て言いましょうか。

あなたは絶対、宇宙の、愛の法則、完全の法則からもう離れて生きる

必要もない。

常にわたしのそばにいて、無限の至福を味わい生きよと言われることが

これが完成であり、これが解脱と言えるではないでしょうか。


--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




宇宙の法則 | 【2006-09-08(Fri) 21:45:05】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
宇宙の法則(2)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------


曇り無き心に美しい姿。

だから、我々は、自らを磨き上げることができぬかぎりは、

決して幸せに至ることは出来ぬといいます。

今までの宗教家のように、朝に昼に晩にただ動かぬ仏像を奉って、

神棚、祭壇、仏壇の前に座り込んで、神よ、神よと言ったところで、

己変えずして、己磨かずして、どこに神を見ることが出来ましょうか。

磨かれた美しい心に、皆さんが明想という手段を重ねれば、誰をも

神に到達することが出来ると説いたではないでしょうか。

じゃあ、神が見れぬのは、誰のせいなのか?

すべて己自身のせいであることに、皆さん気づかねばなりません。

悩めば誰彼のせい、苦しめばある者のせい、病めば誰かが悪い、

決してそのようなものではないんだと。

だから、愚かなる者は常に他のせい。

賢き者は、すべて原因と結果は己自身に見出します。

何の原因として、今の悩み、苦しみ、不調和を背負い生きて

いるのかと。

で、徹底してその原因を正したときに、結果は美しいものに

変わるではないでしょうか。

我々の目は美しいものを見るために、口は美しい愛の言葉を

語るために、この耳は常に美しいの真実の声を聞くために、

で、その手足は美しい表現体として生きるための肉体存在の

目的ではないでしょうか。

それを真我顕現と申します。

だから、真我顕現とは、真の我を現し示す。

神としての我を現し示す。

ならば、愛という完全な法則そのものに生きることほかに

ないではないでしょうか。

悩んだり、苦しんだり、病んだり、不調和なるものは、すべて己

自身が愛という宇宙の法則から分離した結果であることを知って

もらいたい。

だから、今の世は、末法といいます。

まあ、我々はテレビや新聞のニュースを読んだり見たり聞いたり

する時間はないでしょうけど、もう話しを聞くかぎりは、

毎日のように親子同士で人間同士で、友達同士で奪い合ったり、

傷つけあったり、殺し合いの毎日と言われます。

それ、一人一人が愛という宇宙法則から分離して生きている

結果であることを知らねばなりません。

神はどう我々に示し、どう語ったといいましょうか。

万象万物あってあるものの中に、常に愛を見、愛を思い、愛を

感じ、愛を聞きとって生きよと共存共栄、共生を訴えたことで

あって、ただ、一人とてそこに殺しあったり、傷つけあったり、

奪い合ったりすることではないと説いたではないでしょうか。

だから、神は動かぬ仏像を奉って、盲信狂信偶像崇拝する対象物

ではなく、日々を我々は神を正しく生きることであって、

決して動かぬ仏像を奉って、盲信狂信偶像崇拝せよとは

言っておりません。
--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




宇宙の法則 | 【2006-09-07(Thu) 20:56:12】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
宇宙の法則(1)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------


今日は、宇宙の法則を理解してみたいと思います。

で、宇宙法則を輪廻の法則だ、カルマの法則と説く先生方が

います。

宇宙の法則とは、愛の法則。

愛の法則は、完全そのもの。

なるが故に、神は愛なり。

神は完全なり。

だから、イエス様が、神が完全であるが如く、我完全なり。

神が完全であるが如く、そなたたちも完全であれと。

じゃあ、我々は、なぜそこに悩んだり、苦しんだり、肉体的な

不調和で、なぜ苦しみ生きねばならぬのかと。

それは、宇宙の法則からずれた結果ではないでしょうか。

だから、イエス様が悩み、苦しみ、不調和とはと聞かれたときに、

あなたがたの心に、愛の灯されていない結果と言われました。

愛の不在と言われました。

だから、我々が一瞬一瞬の中に、まあ今日も与えられた時間は、

24時間、24時間が心に愛が灯されているならば、苦しみ

生きる人間は一人もいない。

悩み、悲しみ生きる人間なんて一人もいない。

これは私がこの何十何年間、絶対なるその境地を体験しているから

言えるではないでしょうか。

60何憶の人間から非難されようが、怒りを見せられようが、

如何なる言葉にも天使のささやきにしか聞こえぬと。

如何なる表現も天使の表現にしか見ることが出来ぬと。

じゃあ、宇宙の法則という絶対愛、絶対完全を自覚して生きて

いるならば、自覚とは自らに目覚めると書きます、自らが愛

であり、完全であり、宇宙法則そのものに生きてみてください。

60何憶の人間が誰が振りまわすことが出来ましょうか。

誰がわたしのその絶対なる今の至福を奪うことが出来ましょうか。

この世の宝なんて、盗人でも持っていきましょう。

ねずみでも食いつぶしていくでしょう。

しかし、我々の天という蔵に積み上げた愛という宝物はどうなのかと。

誰がも奪えません。

誰がも崩せません。

誰がも破壊することはできません。

それこそ、完全なる宇宙の法則、愛そのものと申します。

だから、愛に生きることが出来ぬ限りは、すべてのものに愛を

見ること、感じることが出来ぬ限りは、我々に決して幸せは

訪れ来ぬと私は申します。

じゃあ、皆さん、宗教に籍をおけば、幸せをと。

色々な霊能者や占い師をはしごをすれば、幸せよといいましょうか。

幸せは、己そのものが、確立してくことを知ってもらいたい。

我は愛なり、すべては愛なりと感じ見ることができるならば、

現にまた皆さん自身のこの目は、すべてに愛という真実を見るための

目ではないでしょうか。

美しき姿を見るための目ではないでしょうか。

心清き者よ、幸いなり。

で、その者は、天という蔵に愛を納め、常に肉体あろうがなかろうが、

無限の至福を味わうと説いたではないでしょうか。


--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




宇宙の法則 | 【2006-09-05(Tue) 19:41:13】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(完)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


---------------------------------------------------


言葉は必ずこの現象の世界に皆さんの肉体を組み立て、

皆さん自身の日々の生活に必ずや皆さん自身が語った通り、

思ったとおり、形作っていくことを知らねばなりません。

じゃあ、すべて皆さんが描いた図面の通りではないでしょうか。

いいも悪いも。

誰のせいでもありません。

だから、図面を描くならば、神の御心から皆さんは引き出した

最高図面を描けるあなた方になってもらいたい。

だから、私、昨日も今日も明日も明後日も、愛という図面を描く

かぎりは、私は常に喜び、常に幸せ、常にやすらぐというでは

ないでしょうか。

では、誰が奪えましょうか。

私自身が愛を描くかぎりは、私は未来永劫に愛を建設し、愛そのもの

を受け入れること他にありません。

決して、神の御心からないものを皆さん引き出して、ないものを

そこに創造し、組み立てるあなたがたになってはなりません。

だから、戦争もテロというああいう事件も本来ないものを誤った

心が、誤ったものが、すべてそれを描いてあたかもあるがごとく

映し見ていることほかにないではないでしょうか。

しかし、実相という本質から見れば、あれさえも幻、あれさえも

幻影、だから、私はこの世は無常世界、この世は影、幻、幻影の

世界。これ、皆さん明想という手段を皆さん訓練すれば、とうとう

この現象の世界は影にして幻、幻影であったと。

本来はないものであったと。

あたかもあるがごとく映し見て、錯覚をしていたんだと。

そこに皆さんも至るでしょう。

早く皆さん一人一人が、その現象という結果の世界が影であり、

幻であり、幻影であることを受けとめれば、必要以上に皆さんは

何に苦しみましょうか。

皆さん、ないものによって、苦しんでいることを知らねばなり

ません。

取るに足らないものを奪い合って、あの世まで、死後の世界まで

持ちかえることの出来ないその仮相なるものに振りまわされて、

何て神から与えられた最高能力を失っていくのかと。

本来は皆さんには、この大宇宙を創造する宇宙そのものの意識が

与えられていることを知らねばなりませんと。

だから、人間、本来無限力と言います。

決して、いと小さき、弱き存在ではありません。

皆さんは、本来は、無限力。皆さん自身に、こなしえない御業なんて

本来はないこと。

それ、はじめから皆さん自身、神は供えて生かしていること。

それが本当の供養と言います。

ほれ、供養というのは、供えて養うと書くではないでしょうか。

じゃあ、皆さんがこの死んだ人間のために何を供養でもなく、

皆さん一人一人が無限の能力を備えて与えられている皆さんが、

神によって生かされ、供養されているのはあなた方であり、我

ではないでしょうか。

我々が誰を供養すると言いましょうか。

皆さん一人一人が神という偉大なる方に、皆さんが無限の能力を

、全知全能なるその力を供えて生かされしことを供養というでは

ないでしょうか。

で、それそのものが本当の遺伝というではないでしょうか。

だから、遺伝を履き違えて、病気や悩みや苦しみを誰彼の遺伝と

勘違いしてはなりません。

皆さんが神から受け継いだ遺伝、皆さんが神から与えられたその

能力、それが最高のすべてであることを知ってもらいたい。

愛のみが絶対実在と我が見れるまで、感じ取れるまで、皆さんの

心に愛を灯して何を見ても、何を感じても、何を捉えても、愛他に

何も見えぬ、愛他に何も知らぬ、愛こそがすべてであったと、そう

言えるように我々は愛一元の中に融合していきたいと思います。

今日も皆さんと共にこの愛ふれあいの会を通して学べたことを心から

感謝いたします。無限という大海の中に融合していけるまで、一人

一人が一人一人のその本当の成長を思い願い我々は、常に手伝い

生きていきたいと思います。

今日も皆さんと共に学べたことに心から感謝します。
--------------------------------------------


今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-09-02(Sat) 21:57:46】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
スピリチュアル
ブログ内検索
RSSフィード
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。