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■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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真我は能動、偽我は受動(9)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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自らの手で努力して勝ち取って欲しいと。

常に私、それを訴えてきたではないでしょうか。

ただ即幸せ、ただ即健康、ただ即喜び、それは与えるものでは

ないんだと。

どんな厳しさにも皆さん自身が振り落とされないあなた方、

どんな宿題、試練にも勇者として、喜び、微笑み、立ち向かって

いける皆さんの真の力強さ、そのような一人一人を作り上げて

見てください。

今生の私の役割は、もう大成功と言えるではないでしょうか。

だから皆さんはただ私の前に来れば、何もせずに喜びに満たされる、

幸せを得れる、大きな勘違いをしてはならぬと私は申します。

私とて、何者にも振りまわされない自分であるまでの、その努力は

どうだったのか。

もう皆さん自身が想像も出来ぬほどの努力で勝ち取ってきたこと他に

ありません。

明想という明想も十何年間、雨の日も台風の日も天気のいい日も

一日たりとも欠かすことなく、十何年間もあの真栄田岬に座りこんだ

と言うではないでしょうか。

で、様々な試練にどこに逃げよう、どこに隠れようではなく、常に

愛で持ってすべてに立ち向かってすべてを克服してきたではない

でしょうか。

だから今振り返ってみれば、もう六十何億の人間が私に宿題を与え

きれるものはいないといいます。

誰がも私を振りまわすことは出来ぬと申します。

誰がも私をそこに混乱させることは出来ぬと言います。

そこまで皆さん自身が自らを高め生きてもらいたい。

だから今日の一日二十四時間は皆さん自らを低くするための今日の

一日ではありません。

一歩でも一段でも無限という高みに自らを拡大するために今日の一日、

意識の高揚と申します、意識の拡大と申します。

だから皆さん自身が拡大した意識状態から見れば見るほど、すべて

容易くすべてを乗り越えることができるだろうと。

今までは一の宿題も乗り越えきれなかった。

しかし、皆さん自身が意識を高揚すれば、意識を拡大すれば、

千夜一万というその宿題を一瞬にして、皆さんそれを超越する

ことが出来るではないでしょうか。

だから私はこう言います。

今までは皆さん自身が容易に与えられた宿題やその厳しさを

乗り越えることが出来なかった。

しかし、今、私の体験はどうなのか。

皆さん自身が一回、目を閉じて開くまで、一回のまばたきと言います。

一回のまばたきする間には、すべての宿題を私は乗り越えるその力強さを

私は訓練を受けてきたんだと。

だから皆さんも如何なる試練も一回のまばたきで超えていける力強い

あなた方。

皆さんに与えられたその力も私に与えられた力も私、命、神として、

全く同一ではないでしょうか。

だから神は人の上に人を作らず、神は人の下に人を作らず。

全く無所得、平等であって、誰彼は誰彼よりも特別に創造されて、

誰彼は誰彼よりも特別な能力を与えられているものは一人もいない

こと。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




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真我は能動、偽我は受動 | 【2006-11-30(Thu) 23:07:31】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真我は能動、偽我は受動(8)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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あの金持ちがイエス様に天国に入るにはどうしたらいいのかと。

今あなたの財産をすべて売り払って、気の毒な方々のために

すべて与え尽くせよと。

それから私についてこいと。

しかし、この金持ちは錯覚でこの現象という見える世界でしか、

計算をしていないが故に、私には出来ませんと。

あなたには出来ぬけど人間には出来ぬけど、神には出来ると

イエス様は説いたではないでしょうか。

だから金持ちが天の国に入るのはらくだが針の穴を通るが如し。

らくだが針の穴を通るよりも難しい。

なぜならばらくだは針の穴を通るのは不可能と申します。

ということは、金持ちが天の国に入るのは不可能という意味。

だから皆さんは悩めるものよ、幸いなり。

苦しきものよ幸いなり。

そのものはわが天という国を見るであろうと言われたのはその意味。

だから皆さん今まで悩みを通して苦しみを通して病気を通して、

様々な不調和を通して、なぜなんだ、なぜなんだ、と皆さんは

ここまで追求し、魂をここまで皆さん磨き上げてきたではない

でしょうか。

だから今、私、もう皆さんと共に学んで、トータルすればやがて

30年近く。

今、私自身が北海道から沖縄まで至るところを講演させてもらって、

一番嬉しいことはもう皆さん一人一人が今まではいと小さき試練や

宿題に苦しみ生きたあなた方が、もうある程度大きな試練や宿題を

皆さんの前に積まれても、喜び微笑んでこれを超えていこうというする

あなた方の姿。

これが真の真理を生きている姿ではないでしょうか。

だからただ、困っているものに衣食を与えて、これが愛ではないんだと。

どんな厳しさの中からもどんな苦しみの中からもどんな不調和の中

からも、不調和を調和に変え、厳しさも喜びに変え、そのいと強き

あなた方をここに作ってあげてこそ、これが我々の目的の完成では

ないでしょうか。

だから私が救ってあげましょうという宗教に本物はいないという意味。

こういうことも訴えています。

例えば皆さんを導いて下さっている守護霊の方々。

守護霊が即あなた方を幸せにと言うのならば、神の法則を犯したこと

他にないんだと。

守護霊の目的は決してそのようにただ何もせず、何もしない

あなた方に幸せを与えるものではないんだと。

どんな厳しさにも耐えられる力強いあなた方。

闇の中にいて闇の影響を受けないあなた方。

悪の中にいて悪に染まらないあなた方。

迷いの中にいて迷うことのないあなた方。

無知の中に無知の影響を受けぬあなた方。

力強いあなた方として、完成させ、導いてあげて、守護霊の役割は

完成と申します。

だから我々は自らの足で努力して歩んで欲しいと。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真我は能動、偽我は受動 | 【2006-11-28(Tue) 22:54:52】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真我は能動、偽我は受動(7)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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これ、私が二十何年前、沖縄の具志川という場所で、従兄弟同士で

全くもう助け合って協力しあって、その畑やその田畑を使えば

いいのに、わずかなその小さな田畑を私のものよ、誰のものよと

必ずそこに白黒をつけたい、で裁判まで持ち上げたこと。

裁判を起こした側が負けて、その従兄弟のものにその土地を

奪われたが故に、それでもまだ耐えられない、まだ我慢が出来ない。

で、このまだ譲れないという憎しみで、あのわら人形を作って、

五寸釘を打ちこんだ瞬間、その瞬間、打ち込んだそのものが、

もう半身不随。

あれほど見事にやった瞬間、自分自身に跳ね返っていく姿も

もうまれに見せ付けられたこと。

だから我々は言葉も思いも表現もいいも悪いも正しきも悪しきも

必ずや我々は自らが背負って生きていくことを知ってもらいたい。

喜ばしきものに興奮せず、悪しきものに我々は妨げられることなく、

叡智を持って生きるあなた方になってもらいたい。

だからどんなに我々は相手の物を奪った、誰から何を奪ったのか、

己自身から奪っていることを知ってもらいたい。

これは私が真栄田岬で一番最初に宇宙意識を体験したときに、

目を見開いてこの形世界を見たときに、すべて我なり。

今まで誰かを憎んだ、憎んだ相手は我であった。

誰彼から何かを奪った、奪った相手は我そのものであった。

それが一番最初の私自身の一体感の体験と申します。

だから一人とて我々はこの宇宙大愛から分離して生きれたもの

はいないが故に、すべてやることなすことはすべてあなた方が

背負って生きねばならぬこと。

これ皆さんは原因と結果、カルマとも言ったではないでしょうか。

人を恨んだが故に恨みかえされる。

人を傷つけたが故に傷つけ返される。

これ、皆さん、カルマと言いました。

しかし、皆さん自身が神が完全であるが如く、我完全なりという

その境地に至ったならば、もうカルマそのものが実在ではないことを

知るでしょう。

善悪は人間の心と申します。

我々は二つ目を持ってして見るが故に、これは善だ、これは悪だ、

しかし、皆さん自身が一なる一つ目を開いて見てください。

叡智の霊眼と言われたすべては完全なり、すべては愛なり、

すべては宇宙真理なり、そこには善悪も見る自分がいないことを

しれば、だから今、私の目には、善悪なるものは見ることは出来ぬ

と言います。

決して差別することはないと言えましょう。

一つ目を持ってして皆さん自身が無限という大海の中に融合さ

れたあなた方であってみてください。

すべては美しい、すべては素晴らしい、もうそれ以上にそれ以下に

何も感ずることも出来ない、何も見ることも出来ない、その時、

はじめて皆さん自身は神のゆりかごの中に、無限の至福を実感している

自分を体験するでしょう。

遊び疲れた者よ、我が元へ来なさいと。

今まで色々なものに執着した自分。

すべてこの現象という見えるものが本物と錯覚してきた自分。

すべてそれは皆さん自身が捨てていかねばなりません。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真我は能動、偽我は受動 | 【2006-11-27(Mon) 20:21:37】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真我は能動、偽我は受動(6)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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じゃあ、今までの我々はもう破壊的な言葉を平気で使い生きて

きたではないでしょうか。

とうとうその波動が今の世の中を作り上げたこと。

天候異変、もうおかしいことではないでしょうか。

12月もせまってこの暖かさ。

みなさん、18年前我々が沖縄から山梨へ引っ越してきた当時、

真夏でもこの水は使えなかったほどの冷たさ。

今は今の状態でも冷たい水でももう浴びることができるほどでは

ないでしょうか。

だからここまで人間という愚かなる者が言葉から放つ波動が、

思いからは放つ波動が、表現一つ一つから放つ波動が、狂ったが

故に、ここまで事件、事故、災害、様々なものを作り上げて、

それを悪しき末法の世と言われます。

じゃあなぜ我々はともに愛の伝導体となって明想するのか。

少しでも世の中に今まで我々が勝手な思いで言いたい放題、

思いたい放題、やりたい放題で放ったそのネガティブな波動が

崩したその波動、愛で持ってすべてを克服せんがために、一人一人

がここに集い、またその会場でともに明想という手段を通して、

伝導体となる努力はその意味ではないでしょうか。

だからそれを我々は人柱と申します。

一人一人が伝導体を通して愛の波動を放ち、愛の波動を放射して

いることが、これが本当の人柱。

言いかえれば、あのイスラムで言われているジハードと申します。

聖戦争、聖なる戦い、どうして聖なる愛に戦いがありましょうか。

どうして聖なる中に殺しあうことがありえましょうか。

だからジハードというものは、まさに皆さん一人一人が愛の伝導体

となって愛の波動を放射していることそのものが、これが本当の

伝導、本当のジハード、本当のその人柱であることを知ってもらいたい。

人というその愛の伝導体を通して、愛の放射をしていることが、これが

最高な我々の伝導明想であり、最高目的を果たしているその使命の姿

ではないでしょうか。

使命は人を傷つけるためのものではありません。

決して使命は人を憎むためではありません。

使命は愛生きていることそのものが最高使命と申します。

使える命、命は愛です、命は知恵です、命は力です、命は光です。

じゃあ、我々がいずれかここで放っているとき、愛でも力でも知恵でも

光でも、我は光なり、我は愛なり、我は知恵なり、我は力なり。

その時こそ、我々は神の偉大なる使命を果たしている姿そのもの。

だから決して一人とて憎しみを持ってはなりません。

憎しんだものは必ずその憎しみは己自身に跳ね返ってくることを

知ってもらいたい。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真我は能動、偽我は受動 | 【2006-11-26(Sun) 08:59:24】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真我は能動、偽我は受動(5)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから我々は何ものにも支配を受けない一人一人。

すべてを超えたあなた方。

それが皆さん自身が幾転生という人生を通して求めてきた解脱

ではないでしょうか。

すなわち悟りではないでしょうか。

だから悟りとは山や洞窟にこもっているでもないし、今与えられている

社会で今与えられている皆さんの家庭の中で、真の自分は宇宙真理と

して正しさを見失うことなく、真理を我として一瞬一瞬、生きている

ことそのもの、それを私は悟りと申します。

悟りは全一体ですべてのすべてあってあるものの中に、自らを

感じていねばなりません。

じゃあ、自らとは神としての我、宇宙真理としての我、愛としての我、

それを我々が自らと言えねばなりません。

私と言えねばなりません。

だから私、私と言いながら、真の私も見えない。

盲人と申します。

私、私と言いながら、真の私を知らない。

無知と申します。

私、私と言いながら、本当の私が理解出来ない。

迷いと申します。

じゃあ、今ほとんど無知の人生、盲人の人生、迷いの人生を歩んで

いるのがほとんど大半ではないでしょうか。

だからこそ我々はこの見える物質、肉体を背負って生きながらも、

決してその物質、肉体に支配受けない自分。

我は神なり、我は真理なり、我は道なりとそう言える一人一人。

これが絶対なる悟りと申します。

じゃあ、悟ったものが分離であの人は嫌い、この者は許せない、

都合いいから愛します、都合悪いから愛せない、都合いいものは

仲間、都合悪いものは仲間はずれ、どこに愛がありましょうか。

その愛は偽愛と申します。

偽りの愛。しかし、我々の真の愛であるならば、都合よかろうが

悪かろうが全く同じ同一なる宇宙真理を大愛としてすべてに見て

感じていることではないでしょうか。

だから我は愛ならば、あなた方も愛なり。

まさか我は愛なり、あなた方は悪と見えましょうか。

我は真理なり、あなた方は人間なりと見えましょうか。

我が真理ならば、すべては真理。

我が愛ならば、すべては愛。

我が神ならば、すべては神。

じゃあ、神が、神が見たもうがごとく我見ますと言ったならば、神は

すべてを通して神を見ています。

その境地に至らなければなりません。

神が思いたもうが如く我思います、神はすべてを人間だ、肉体だ、

個人だとただ一人とて分離で見ているではありません、思っている

ではありません。

神が見たもうが如く我見ます。

神が思いたもうが如く我思います。

神が表現したもうが如く我表現します。

それはすべてに愛を見、愛を思い、愛の表現という意味であって、

決して肉的な我が表現しているものではありません。

だからイエス様はたかが子守り女ではないのかというその言葉で

愛の律法を犯して大きな罪を背負ったというその言葉も理解して

いかねばなりません。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真我は能動、偽我は受動 | 【2006-11-25(Sat) 08:56:09】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真我は能動、偽我は受動(4)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから、何をさておいても神に酔うあなた方になってもらいたい。

一日24時間四六時中、常にあの赤子がお母さんを想うように、

寝ても覚めても常に神を想うあなた方。

目を見開いた瞬間にもう神を見失ってはなりません。

24時間四六時中、だからイエス様は心を尽くし精神を尽くし

魂を尽くし力を尽くして、汝の主である神を愛せよというのは、

24時間四六時中、神と共に生きているあなた方を感じて生きよ

という意味ではなかったでしょうか。

叩いて叩いて叩きつづけよと。

探して探して探しつづけよと。

求めて求めて求めつづけよと。

それは外という結果世界ではありません。

内なる皆さん自身が意識の中に融合し生きることではないでしょうか。

どこに真理は、どこに宇宙真我は。

だから、浅瀬を潜って真珠という宝物は見付け出すことは

出来なかったという愚かなる者となってはならぬと。

で、真珠を見つけ出すことが出来ずして、海のせいにしてはならぬと。

深く潜るとは、それは皆さん自身がこの観念、概念を超えた深い

意識状態の中に融合していくことが、これが深く潜るという明想という

手段で皆さん自身が潜り生きたならば、皆さん自身の一人一人の

中に真珠という宝物は真我として見出すことが出来ましょう。

だから浅瀬を潜って浅瀬を泳いで真珠という宝物は見出すことは

出来なかったと。

すべてこの現象という結果を克服しいかねばなりません。

だからよく言います。

よくあそこに悟り人がいる、ここに悟ったのがいると言いましょうけど、

悟りというものは、一聖人が仕上がるというものは、そのような

容易く仕上がるものではないんだと。

幾転生という人生を通して今まで心の中に詰めこんできた悪習、

思い癖、すべてを我々は調和しいかねばなりません。

すべてを磨きいかねばなりません。

だからこの世のペーパーテストに100点を取って、さああなたも

合格したから学校の先生だ、あなたも100点取って弁護士だ、

あなたはそのようなものと、その状態でそのような類で、一聖人

が仕上がるものではないんだと。

幾転生という人生を通してすべてのすべてをこの現象という見える

世界を超越した中に悟りがあることを知ってもらいたい。

それは金を捨てなさいという意味でもないし、この肉体という我を

粗末に扱いなさいという意味でもありません。

それなりに皆さん自身が自覚して、すべてを理解した中に、すべてを

正しく用いるあなた方になってもらいたい。

今の人間は道具に使われている姿ではないでしょうか。

もう今の子供たちから携帯を取り上げてみてください。

もう一日たりともいい状態でいることは出来ぬと言います。

気違いみたいに混乱することがオチと言います。

まさに道具の奴隷とされている姿ではないでしょうか。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真我は能動、偽我は受動 | 【2006-11-23(Thu) 22:50:22】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真我は能動、偽我は受動(3)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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それが無限の知恵でなくして無限の宝でなくして、何を無限の宝と

言いましょうかと。

我は神なり。

我神なるが故に、無限の知恵、無限の力、無限の愛、光は、皆さんが

使えば使うほど、与えて尽くせば与え尽くし生きるほど、無限の泉、

宝庫からこんこんと涌き出てくるだろうと。

こんこんとほとばし出てくるだろうと。

じゃあ、皆さんは得たい得たいという乞食で生きるのか、与えて

与えて与えつくし、全ての与え主になれるか。

そこに我々は今一人一人がどこを選択して生きるか。

これからのアセンションというその統合の愛のエネルギーをくぐる

ためには我々は常に真我、我として能動で生きることが出来ぬ限り、

その光をくぐることは出来ぬだろうと。

ほれ、6、7年前か、神が大きな愛の黄金の渦を巻いて回転した中に、

さあ私こそ愛ですと、私こそ悟りですと、自信持って言えるものはこの

光の中に飛び込めよと言われたときに、何百名、何千名、何万名が

一人一人飛び込んだと。

一人とてその意識の中に同調できたものはいない。

で、汚れたものほど、すべて弾き飛ばされたこと。

で、それを6、7年前に見せられてあの以来、北海道から沖縄まで

共に学んでいる中にその愛の光に飛び込んで跳ね飛ばされた中に、

一人もそこに残っていないこと。

幸いに我々は常に謙虚さを持って、常に素直さを持って、愛一元という

一元の中に融合が出来るまでは、徹底して学びとっていくことほかに

ないんだと。

だから、黄金の翼を広げ天空高く、観自在、無碍自在、自由自在に

飛び立って行けるまでは、我々はまだ不調和と申します。

ほれ、見てみてください。

ただ2、3日、明想中にあれだけの霊流の中に入っただけでも、もう

甲状腺なるもの焼き尽くされて、声にも出せぬではないでしょうか。

だから、心身ともに我々が愛に満たされて完成遂げるまでは、我々は

まだ常に努力を絶やしてはならぬと。

泥沼に花咲く蓮の花よりも真我という美しき花を開花させるまでは

不充分であることを知ってもらいたい。

しかし、2、3ヶ月前に私が沖縄で明想させてもらったときに、

もう皆さん一人一人が泥沼から光という光で顔を覗かし生きる

あなた方を見せられています。

あと一歩、あと一段、皆さん自身が力強く、我は光なり、我は

真理なり、我は愛なりというその力強さで常に飛び出た状態で、

そこに留めおけるあなた方であるならば、もう完成。

しかし、出たは出たけど、まだこの泥沼に引っ込む一人一人。

まだ不充分ではないでしょうか。

だからこそ、一日24時間四六時中、常に神を想うあなた方。

それを私は神に酔うとも言います。

この世の酒に酔うならば、理性を失って、自ら家庭を周りをすべて

破壊に追いやること。

しかし、神に酔うならばどうでしょうか。

無限の至福、無限の喜び、味わい生きることが出来ること。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真我は能動、偽我は受動 | 【2006-11-22(Wed) 22:38:02】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真我は能動、偽我は受動(2)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから、神が完全であるが如く、我完全なり。

神が完全であるが如く、すべては完全なり。

これが我々の受け継いだ最高遺産と申します。

じゃあ、それ以上のもの、何を必要としましょうか。

それ以上のものもそれ以下のものもないことを知ったときに、

すべて満たされている自分を体験するでしょう。

金や物や富で満たされているではありません。

この世の富はいつかは朽ち果ていくもの。

死後の世界まで持ちかえることの出来ぬもの。

しかし、皆さん自身の本質は不死不滅、永遠に持ちとおすことの

出来ることを知ったときに、皆さんはこの世で小さき者は、あの世で

大きい者となると。

この世で大きい者は、あの世で小さき者となると。

だから、我々は天という国に、天という本質の世界へ常に愛という宝、

慈悲という宝、それを積み上げて生きるあなた方になってもらいたい。

残された何十何年間で果たして我々が、どの程度真実の宝を天という

蔵に納めることが出来るのかと。

これが一人一人に課せられた大きな宿題と私は申します。

だから、一人一人の宿題は全く同じ。

誰しもが真実の愛という宝をどの程度積み上げて帰ることが

出来るか、これが一人一人に与えられた使命ではないでしょうか。

だから、使命とは命に使えて、無限の愛を常に天という蔵に納め

生きること、これが我々の最高使命と申します。

それ以上にそれ以下に何を使命と言えましょうか。

それ以上にそれ以下に使命はありません。

今日も愛にて目覚め、愛にて事を成し、愛で今日の一日を終えて

いける一人一人。

ならば平等に一人一人が確実に天という蔵に愛という宝物を積み

生きることが出来るならば、皆豊か。

誰もが平等。

あの人はこの者はと見る必要も言う必要もありません。

だからこの現象という結果の中に振りまわされての宝ではなく、

真実の愛としての宝物を積み生きるあなた方になったならば、

神は皆さん自身にすべてのすべてを与え尽くすではないでしょうか。

だから、これは去年か一昨年、神は明想中に私にこう言われます。

例えば今、私が百万の金を持っている。

で、世のために人のためにそのお金をすべてをひっくり返して

使うことが出来るのかといわれたとき、私は小学校の時からその

生き方は断言して言いきること。

もうためらうことなく、私にはそれが出来ますと言い切った時に、

ならば無限の私が無限の方法で常にあなたの財布を無限として

満たしてあげましょうと。

それを私は最初、お金と勘違いしたこと。

与えても、その財布は満ちて来ないではないのかと。

明想してみたならば、それは既に満たされているではないのかと。

なぜならば、科学者の前に立ち、医学者の前に立ち、教育者の前に

立ち、政治家の前に立ち、一度だってあなたは言葉に不自由したことが

ないではないのかと。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真我は能動、偽我は受動 | 【2006-11-21(Tue) 23:49:04】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真我は能動、偽我は受動(1)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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なぜ、我々は愛を常に与えて与えて与え尽くして生きねばならぬのか。

皆さんの本質は真我として能動であるからと。

だから、常に愛生きよと。

愛を得よう、愛を下さい、そのような受動原理であってはならぬと。

常に与えて与えて与え尽くして生きよと。

愛を得ようとする者は愛を失い、愛を放つ者は愛を得ると。

命を得ようとする者は命を失い、命を放つ者は命を得ると。

持てる者は更に多く与えられ、持てぬ者は持っているものさえも

奪われると。

だから、皆さんは我は神なりとして、常に愛を与えて与え尽くし

生きるあなた方になってもらいたい。

愛するは愛されるよりも美しく、すべてを幸せにする。

じゃあ、世の一人一人が常に我は真我なりと能動で生きることが

出来るならば、この世はあっという間に豊かな世界。

その豊かさは金や物や富ではありません。

愛そのものに満たされた豊かな一人一人。

真の豊かさは愛そのものではないでしょうか。

決してこの世の物質そのものを豊かさと言っているわけでは

ありません。

すべてを愛し、すべてをいたわり、すべてを思いやり尽くし

生きよと。

これが神が創造した最高目的と申します。

決して憎しみあったり、怒りあったり、そしったりの目的で生かされて

いるんではないんだと。

だから、今の人間がなぜ、この世を末法化させてしまったのか。

すべてを下さい、下さい、何を下さい。

じゃあ、皆さん、神に、健康にしてください、幸せにして下さい、

何を下さいと言ってみてください。

あなた方の必要なものは、すべて添えて与えたのではないのかと。

神はそう訴えることでしょう。

だから、皆さんは、はじめから健康、はじめから完全、今も絶対実在で

あって、決して下さい、下さいに生きる愚かなる者となってはならぬと。

何を下さいと言いましょうか。

すべてのすべて、あってあるものは、皆さんの中に初めから内在

しているもの。

無限の知恵、無限の力、無限の愛、無限の光、だから与え尽くし

生きるが故に、皆さんは能動の真我と申します。

決して何を下さいではありません。

現に皆さん一人一人には無限の富は神我として、神のすべてが添えて

与えられているではないでしょうか。

だから、神は私に似せてあなた方は創造されたものであると。

で、あなた方に私のすべては受け継いだものであると。

じゃあ、我々はこの世の肉体的なお父さん、お母さんから血圧の

高さとかガンとかいろんな病や病気を受け継いだ者は一人も

おりません。

だから、ただ、それは皆さん自身がそうだという錯覚をしただけ。

もう今の科学は今の医学は、決してそれは遺伝ではないという発表を

しているといいます。

真の遺伝とは真に我々が受け継いだものは、無限の能力であることを

知ってもらいたい。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真我は能動、偽我は受動 | 【2006-11-20(Mon) 20:50:43】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
今の波動(完)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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氷が溶けて水となり、水を固めてまた氷という形を作る、それだけを

行ったり来たりしているものをこれが輪廻転生。

で、この見える現象世界から幽界へと。幽界からまた見えるこの現象

世界へと。それを皆さんは輪廻転生と言っているではないでしょうか。

今生こそ我々は生死の、生まれたり死んだりのこの輪廻転生を今生こそ

我々は超越していかねばなりません。

それが皆さんの最高目的ではないでしょうか。

何のために。ただ生きているから生きている。ただ回りの者が食して

生きるから生きているという、我々は死人となって生きるためでは

ありません。

死人になってもならない、病人になってもならない、ぼんやり者に

なってもならない、常に我々は寝ても覚めても神我として自覚できた

本当の健康そのものとなってもらいたい。

死人とは命に生かされていながら命を見失っているもの、それを

すなわち死人。

病人とはただ悩み苦しんでいるときのみ神よ仏よ助けてくださいと

祈る病人。

ぼんやりものとはここであなたがたの本質は神であり、宇宙真理という

ならば、なるほど神がなければ一物も一点も存在することは出来ぬと

すべては神であったというけど、また家庭に帰り職場に帰り、我は人間で

あり、肉体であり、個人でありという偽我に振りまわされ生きるものを

これをぼんやりもの。

では健康なものとは寝ても覚めても、食事をする中にも、友達と語り

あう中にも、皆さんがどこに行くにも、神とともに我ありという

神との一体感、それは本当の健康なもの。

共に我々は真実なる宇宙真理を理解し、今生こそこの現象世界を徹底して

理解してこの無限という大海の中に目覚め生きてもらいたいと思います。

本当に今の破壊的な波動に満ちた今の波動に影響を受けぬあなた方で

あるためには我は真理なりという今のこの破壊的な波動を越えた

皆さん生き方であってもらいたい。

今のようにただそこに人間意識、肉体意識、個人意識で振りまわされ、

この世の波動に影響し合うあなた方であってはなりません。

ともに手を取り合って心ひとつにして足りないものは補い合って、

良いものは分かち合って、ともにその宇宙真理という本質の中に

融合していきたいと思います。

今日も皆さんと共に学べたことに心から感謝いたします。

どうもありがとうございました。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




今の波動 | 【2006-11-13(Mon) 22:57:28】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
今の波動(15)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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この世に迷うためではありません。

この世の物質に振りまわされて混乱し生きるためではありません。

一切のネガティブ、一切のこの物質というこの現象結果なるもの、

今生こそ我々は越えて生きていくためではないでしょうか。

皆さんに宇宙真理という真理を自覚、自覚とは自らに目覚めると

書きます。

自らが真理であることに目覚めることが、もう皆さん自身の

幾転生も幾転生もの旅を終わりにさせることが出来るではないで

しょうか。

世の中にはこういう人間がいっぱいいます。

もう二度と再びこの現象の世界に降りてくるもんかと。

毎日のようにテレビのニュースを見たり、新聞を読んだりする

ならば、親子同士で人間同士で兄弟同士で毎日のように殺し合い、

毎日のように傷付け合い、毎日のように奪い合ったり、もうこの

現象の世界に二度と再び降りてくるもんかと。

そういうお客さんはいっぱいいます。

じゃあ、そうあるためには今生こそすべてを正しく我々は正しい

答えですべてを克服することほかにないではないでしょうか。

如何なる試練や宿題を与えられてもありとして正しく皆さん自身が

すべてをこなし生きるあなた方。

如何なる演技を与えてもすべてを皆さん自身が正しい姿勢で演技

終えれるあなた方でない限り、どうして卒業して帰ることが

出来ましょうか。

だからいつも言います。

60何憶の人間から名を知られちやほやされても、万物の造り

主である神にあなたの一転生は素晴らしかったと、どんな演技を

与えても常に愛として正しい姿勢ですべてをこなしくれたでは

ないのかと、演技終えたのではないのかと。

あるいは試練や宿題を与えても常に正しい姿勢で乗り越えたあなた。

もう二度と再びあなたに与える宿題もない、試練もない、演技を

こなす必要もないと言われれば、その時こそ我が完成ではない

でしょうか。

その時、神は皆さんに何と言いましょうか。

いつもわが右元に座って無限の喜びと至福を味わい生きよと

言われれば、これ完成。

しかし、60何憶の人間から名を知られちやほやされても、万物の

造り主である神からそう言われなければ、何回も何回も我々は

この世界を体験することほかにありません。

すべてを乗り越えていけるまで、何万回も何万回も繰り返し繰り返し

この現象世界を学びに来ること他にないんだと。

これを皆さんは輪廻転生と言っているではないでしょうか。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




今の波動 | 【2006-11-10(Fri) 23:07:54】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
今の波動(14)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから、皆さんの目的は解脱であって、この現象の世界に縛られ

自縛するための目的ではありません。

自らが神であることを自覚したときに、皆さんはすべてのすべて

あってあるものから解放されていくではないでしょうか。

今のように物に縛られ、様々なものに執着し縛られ、これを自縛、

自縛とは自らを縛ると書きます。

誰彼もあなたを縛っておりません。

自ら縛っているが故に自縛。

自ら縛ると書きます。

では自ら縛った自縛は己自身が責任持ってそれから皆さんが解放

されていくことであって、誰彼があなた方をという意味ではない

ではないでしょうか。

遊び疲れたものよ、我が元へ来なさい。

宇宙真理というその正しい答えで、すべての自縛からあなた方を

解放させてあげましょうと。

神は常に皆さんに訴えていること。

誰彼があなたがたを自縛から解放させることではありません。

誰彼があなたがたを解脱に至らしめることではありません。

それは皆さん自身の忍耐と意志と努力で持って、皆さんこなして

いかねばなりません。

心を尽くし、精神を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、汝の主で

ある神を愛せよと。

そのために皆さん自身が今日の一瞬一瞬が与えられていることで

あることを皆さん自身がはっきりとつかんでもらいたい。

むなしい一転生を終えていくための皆さんの目的と言いましょうか。

この世は無常世界。

どんなにもがいてもあがいてもこの現象という結果の世界は永遠の

世界ではありません。

皆さんの今纏っているこの肉体という衣装もそれも永遠のものでは

ありません。

一転生という人生60年、80年、100年という皆さん自身が

無限という大海の中に融合しいくまでに纏った肉体物質であることを

知ってもらいたい。

仮の衣装であることを知ってもらいたい。

だからこの世は仮の宿。

あなた方が纏っているこの肉体という衣装は、仮の衣装。

なるが故に、我々はいつかは誰しもが遅かれ早かれ、この世という

仮の宿からチェックアウト。

仮の姿であるこの肉体、仮の衣装であるこの肉体、誰しもが脱ぎ捨て

ていかねばなりません。

永遠に同じ肉体という衣装を纏った人間なんて世に一人もおりません。

仮の衣装はいつかは神に返さなければなりません。

仮の宿であるこの世はいつかは神に返さねばなりません。

永遠にそれを持ちとおすことが出来るでしょうか。

永遠にこの肉体という衣装を纏うことが出来るでしょうか。

だから生まれたものには死が訪れ、初めあるものには終わりがあり、

作られしものには必ず破壊が訪れ来ること。

それを我々は無限という宇宙真理ですべてのすべてを皆さんが

超越できたあなた方。

解脱に至ったあなた方であることが今生最高目的ではないでしょうか。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




今の波動 | 【2006-11-08(Wed) 23:41:59】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
今の波動(13)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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今の一瞬一瞬我々が常に愛の伝導体であることがこれ肉体存在の

最高目的であること。

無限の愛です。

無限の真理です。

無限の神です。

ならば我々は神の伝導体であって決して肉我の伝導体では

ありません。

肉体そのものは言葉を通して思いを通して表現を通して絶対愛を

放つための目的であること。

動物は本性として鉱物は親和力として花々や木々としては本質として、

その神の大愛を表現しているではないでしょうか。

しかし、万物の霊長たる我々は、思いを通して言葉を通して行為を

通して常に無限の愛の波動を放ち生きることが出来るが故に、

万物の霊長と皆さんは神によって創造され生かされているでは

ないでしょうか。

決して皆さんの目的は悩んだり苦しんだり不調和で生きるため

ではありません。

常に光に満たされ、常に愛生きるために、皆さんの肉体存在の

目的であること。

今の世の中、肉体存在の目的を狂わしている人間の何て多いことか。

あたかも肉の快楽をむさぶるために肉体存在の目的だ、おいしい

酒に酔いしれるために、おいしい食事のためにいつも振りまわされる

ために、大きく肉体存在の目的を人生の目的を狂わしているでは

ないでしょうか。

だから今の子供たちに人生の目的を理解してもらいたい。

昨日も中学校か高校かの女の子が将来の目的、希望なんて何にも

分からない、何にもないというではないでしょうか。

果たして神は目的がない状態で皆さんをここに創造して生かした

と言いましょうか。

動物を創造したならば動物に対する目的、鉱物を創造したならば

鉱物に対する目的、植物を創造したならば植物に対するその目的を

すべて与えて神は生かしていることを知ってもらいたい。

無価値な人生なんてこの世に一人もおりません。

ただ、自分自身が人の目的を見出していないだけ、見失っているだけに

しかすぎぬことではないでしょうか。

そのために我々は人生とは人、生かされているというのは、何のためにと。

不死不滅永遠の宇宙真理へ目覚め生きるためではないでしょうか。

今生こそ生死という輪廻の鎖を断ち切るための目的ではないでしょうか。

何万年の転生させられた法則、今ここに解けたり。

幾転生という人生の過程を通して背負ってきた罪も業もカルマも、

その鎖をすべてを断ち切っていかねばなりません。

愛という力で、愛という知恵で、愛という光で、それは宇宙真理

、真理そのものは、すべてからあなた方を解放させることが出来る

ではないでしょうか。

それを解脱というではないでしょうか。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




今の波動 | 【2006-11-06(Mon) 23:10:05】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
今の波動(12)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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神を知らぬが故に神を説くならば、そういう方向に走ること他に

ないではないでしょうか。

神は唯一の神、唯一の神が万物を創造し、万物の中に唯一の神が

生き働いているならば、じゃあ、すべてのすべてあってあるものは、

神そのものであって、決して一物、一点神でないものが、この大宇宙

に存在せぬことを知ってもらいたい。

大宇宙そのものの大いなる生命がこれが宇宙真理、神ではないで

しょうか。

それが仏ではないでしょうか。

だから皆さんは今から難行苦行して神、仏になるんでもない。

で、滝行して、断食して、神、仏になるんでもない。

汝、既に神なり、汝、既に仏なり。

皆さん自身の本質であり、我の本質、ならば我々は全一体では

ないでしょうか。

我は全体であり、全体は我なり。

我はすべてであり、すべては我なり。

一命一体であって、私という命、分離して生きているものなんて

一人もいないこと。

我はすべてなり、我は全体なり。

じゃあ、一人とて私という命から分離して生きたものは一人も

いない、一物もいない。

ならば、大いなる我のみが実在と言えるではないでしょうか。

あなたがたのその意識状態を確立してみてください。

大いなる我のみの実在と断言して言いきることでしょう。

そこに悩んだり苦しんだり不調和である分離した何彼がそこに存在

しているんではないことを知るでしょう。

分離、差別で生きる限り、どうしてこの世の中に平和なんて

ありえましょうか。

今の天変地異や様々な天候異変、それを越えることが出来ましょうか。

一人一人が愛の伝導体で生きてもらいたい。

伝導とは黒い聖書を持ち歩いてどこの家庭へ行く必要もあり

ません。

今いる場所で、今与えられている場で、皆さんが常に愛という

愛の波動を放って、言葉で語るなら言葉において愛の波動、思いを

持つならば思いで愛の波動、行動で皆さんが愛の波動を放ち生きて

いるならば、これが愛の伝導体。

あえてどこに行って何を為す必要もありません。

今いる場所で今置かれている環境で常に皆さんから放つ波動が愛で

あるならば、これこそ愛の伝導体と言えるではないでしょうか。

黒い聖書を持ち歩いてどこそこに皆さんはあえて走りまわる必要

もありません。

どんなに黒い聖書を持ち歩いてもその心がその意識状態がネガティブ、

消極、破壊に満たされての思いならば、何の価値もない。

ただ自らが歩んだ分だけ、汚して歩いていること他にないことを

知ってもらいたい。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




今の波動 | 【2006-11-05(Sun) 08:19:36】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
今の波動(11)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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じゃあ、朝に昼に晩に教会を訪ねる度にイエス様のみが神の一人子、

あなた方は罪人よ罪人よと教えられて見てください。

いつ、我々は罪からの解放がなされましょうか。

ないものを解くことを出来ましょうか。

だから、ないものを解いてどうしてどうして真実に導くことが

出来ましょうか。

ない病気、ない悩み、ない苦しみ、ない不調和なるもの、どうして

解けましょうか。

実在ならば解けましょう。

どうして、ないものを解くならば嘘つきというほかにないではない

でしょうか。

汝、嘘つくなかれ。

病気もないにもかかわらず病気だ、悩み、苦しみ、実在していない

にもかかわらずあるんだというならば、それは嘘をついている

こと他にありません。

だから、私は輪廻転生、転生輪廻は実在ではないんだと。

あなた方がただ錯覚をして、あるようにあなた方が作り上げて、

あたかもそれに支配されていること他にないと言うではないで

しょうか。

何万年の転生させられた法則、今ここに解けたり。

幾転生という人生の過程を通して背負ってきた業も罪もカルマも

実在ではないんだと。

完全のみが実在。

だからこそ、皆さんは明想という手段を通して神が完全であるが

如く我完全なりという完全意識を皆さんに常に意識してもらいたい。

偽我という肉体の自分から真我という真実の我へと我々は目覚め

生きるために何万回も何万回もこの現象世界を卒業し帰りいくまで

繰り返しいかねばなりません。

我は霊なり。

また霊といえば、水子の霊、祟りの霊、地縛霊、悪霊、迷った霊と

教え説く霊能者。

霊は宇宙真理ではないでしょうか。

霊は神ではないでしょうか。

だから神霊、霊は神なり、神は霊なり。

それが実在であって、決して皆さんに一点災いを及ぼしている霊

なんてないことを知ってもらいたい。

霊は常に皆さんを通して、無限の知恵、無限の力、無限の愛を光を

生きてもらいたい。

その本質そのものが霊であって、決して皆さんに祟ったり、迷わしたり

苦しみ生かす霊は存在しない。

今までの霊能者は真の霊能者と言えましょうか。

本当の霊能者は霊の能力を持った者と書いて、それは霊は愛、

霊は知恵、霊は力、霊は光として現し示して生きているものこそが、

本当の霊能者。

では誤った霊を説いて、本当の霊能者なんていないではないでしょうか。

で、宗教家もその通り。

真の神を説いて本当の宗教であり、喜び、安らぎに導いてこそ

本当の宗教であって、教祖やその取り巻きが優雅な生活をするための

宗教であってはならぬと。

真の宗教であるならば、悩めるもの、苦しきもの、気の毒なものたちに

無所得無条件に愛の手を差し伸べて、生きる喜び、生きる幸せ、

生きる幸福を与えてこそ、本当の宗教であって、ただ自分が優雅な

生活をしたいために、高級車を乗りまわしたいために、同じ兄弟姉妹を

振りまわして金を奪って、何の宗教と言えましょうか。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




今の波動 | 【2006-11-03(Fri) 22:52:15】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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