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■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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人生の旅(10)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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イエス様は、これを最高な方法で説きました。

この世は死人がごろごろしているようなお墓のようなものであると。

皆生きている生きているとは言うけれど、誰も命という本質を

自覚しているものは一人もいない。

ただ、肉体というその入れ物を、器を、現象我を指して、私だという

錯覚をしていること。

どこを見ても死人だらけと。

だから、命に生かされていながら命を見失っているものを、すなわち

死人と申します。

あるいは悩み苦しんでいるときのみ、神よ仏よ、我を助けてください

と祈る病人になってもならぬと。

で、また、ここであなたがたは、本当に肉体自らが生きることが

出来るのかと。

肉体を通して生きているのは、命ではないのかと。

肉体を通して働き、事を成しているのは命ではないのかと。

皆さん、この五感という、目、耳、口、鼻を使っているのも、

命が使っていることであって、じゃあ、この肉の目が、本当に

見えるというのならば、口が語れるというのならば、その肉体から

命去っても、肉体は物を見ていなければなりません。

あるいは語っていなければなりません。

しかし、皆さんは何と言いましょうか?

死人に口なしと言っているではないでしょうか。

命が抜けた抜け殻というこの肉体は、口あっても語らぬが故に、

死人に口なし。

じゃあ、目を通して見る、口を通して語る、耳を通して聞く、

この手足を動かして働き、事を成しているのは、つまり命では

ないでしょうか?

そのように最初は見えぬものなんて信ずるもんかと、もうここに

色々な学校の先生方や科学者や音楽家や色々な方々が集い来ます。

北海道から沖縄まで至るところで。

で、最初はもう肩で風を切って、我こそはとここに入ってきます。

で、ゆっくりゆっくり、その光話を1時間や1時間半の光話の中で、

とうとう自分が溶かされて、その我そのものが溶かされて、

本当にあなたがたは威張れるのかと。

命失って、あなたは一瞬たりとも、ここに生きることが出来るのかと。

見えないものを否定するけど、見えない命なくして、あなた方は存在

することが出来るのかと言うのならば、考えて考え抜けば、

なるほど、命は見えない。

で、見えないけど、その命そのものに生かされている事実は、

誰も否定することは出来ない。

とうとう、帰る時は、小さく小さくなって、帰っていくでは

ないでしょうか?

で、そのように、ここで受け止めては、命そのものがなければ、

命が生きていなければ、蟻一匹生きることは出来ない。

花一輪、咲き誇ることは出来ない。

で、生きとし生けるものが存在することは出来ぬといって、なるほど

命がすべてであったと。

命そのものが、すべてを通して生き働いていたんだと。

言うけど、また家に帰って、わたし、わたし、わたしがという

肉体を自分だと錯覚するもの、これをぼんやり者と申します。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。


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人生の旅 | 【2006-05-29(Mon) 22:11:23】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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