プロフィール

諒

Author:諒
■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | 【--------(--) --:--:--】 | Trackback(-) | Comments(-)
執着とは?(1)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

今回はご講話をそのまま掲載させてもらいます。

---------------------------------------------------

執着、それは、みなさんが小学校で教わったとおり、

「飛びだつ鳥、後をにごさず」と。

では、みなさん、なぜ幾転生も幾転生もこの人生の旅を

せねばならぬのか?

みなさんはあってあらゆるものに、執着を残して

きたからではないでしょうか?

たとえば、夫婦間で、あるいは親子間で執着しあって、

苦しみ生きている家庭がなんて多いのかと。

たとえば、我々の家族の例とするならば、家内は決して、

私の執着する所有物ではありません。

また私自身は、決して家内の所有物として執着に値する

ものではありません。それを理解できれば、

いかに幸せな家族をつくれることがあるでしょうに。

「飛びだつ鳥、後をにごさず」。

決してみなさんは、いつかこの肉体を脱いだときに、

何者にも一点も執着を残してはならぬと。

それを私自身がどのような形で教わったのかというと、

今から17年前の平成元年に、お母さんの状態をすべて

瞑想で見せられて、あなたのお母さん、今生の役割終わった、

こういう形で肉体を脱いでいくだろうと、全部手に取るように

見せられていました。

それにもかかわらず、お母さん危篤、家族のものから電話を

受けたときに、まあ、いつかは肉体を脱ぐし、

そのような執着に値するようなものでもないし、ほっておこうと

思っていたのだけど、形の上ではどうしても、身内のもの、

どうしても行かねばならぬ状況。

それで、タクシーで病院についたときに、今まで、何十名、

何百名、何千名を医者から不治の病といわれたものも、

ガンと言われた病も、原因不明という病も、計り知れない数を私、

癒した体験があります。

そのときは、肉体を癒すことが愛だと錯覚していた当時、

そのように多くの方々もそのように癒されたのだから、

どうしてもお母さんを癒したいという気持ちで、私、

お母さんの胸元に手を当ててヒーリングを始めました。

そして、内から来た言葉が、まだこの古い革袋が欲しいのかと?

まだその古い革袋にしがみつきたいのかと?

”執着”といわれました。
 
そのとき、はっと目が覚めたときに、お母さんから手を外して、

病院の待合室の方で、軽く目を閉じて座ってますと、

瞑想状態の中にいますと、私からすればおばあちゃん、

お母さんのお母さん、そのときの7年前に肉体を脱いでいたんです。

そのおばあちゃんが、お母さんの枕元に、降りてきた瞬間、

あーお母さんはもう、息を引き取るなーと、そう思った瞬間、

息引き取ってこの肉体を脱いだと思った瞬間、

看護婦が私の前に来て、

「はい、あなたのお母さん、今、息を引き取りました。」

コンマ何秒も変わりません。狂いもありません。

その状態で我々は、いつか肉体を脱いでいくことに、

決して執着、苦しみ生きていくあなたがたで

あってはなりません。


これをお釈迦様はこういう風に説きました。

ある若いお母さんが、赤ちゃんを亡くしたときに、

誰かこの子を生かして欲しい、誰かこの子を助けて欲しい、

もう泣き叫んで、苦しんでいるところに、お釈迦様が

通りかかったときに、私が生かしてあげましょうと。

私が救ってあげましょうその子をと、ただしそこに条件があると。

あなたが何十件、何百件、訪ねてもいいけど、その中からけしの種を

3つそろえて持ってこいと。

ただし、その条件は、一度も葬式を出したことの

ない家から探してこいと。

そしたらそのお母さんは、どの家を訪ねても、一度だって

葬式を出したことがない家は、ないこと。

そのときに、あー、生まれたものには死が訪れる、

はじめあるものには、終わりがある、造られしものには、

必ず破壊が訪れ来る、エントロピーの法則を悟りました。

なんだそれは、悩み・苦しみに値するものではないのではないかと。

皆さんは、生まれて、5歳、6歳、7歳、幼くして肉体を

去れば不幸、よぼよぼになっても、長く生きていることを

幸福だ、幸せだと、

勘違いするなと。
 
何が幸福、何が不幸と決めましょうか?

皆さん自身の自らに目覚めたその無限という境地が

あなたがたの幸福か不幸かと決めていることを

知らねばなりません。
 
たとえば神は、このように訴えてきます。

この世で長く生きれば幸せ、早く死ねば不幸だと思っている

人間ならそれを理解することができないでしょう。
 
神はわたしにこのように言います。

あなたは千年も万年も生きよと、あるいはまた、

他の人にはあなたは早く死ねと。では、そのように長く生きて幸福、

早く死んで不幸と、そのような錯覚をしている人間が

理解できましょうか?
 
神は、それは何を訴えているのか?

あなたはあまりにも悪すぎて、わたしには、あなたはさんざん、

破壊的な生き方をしてきたが故に、それを建設に生きれるまでに、

正しい生き方、正しい方向へ自分を変えていくまで、完全に解脱

至るまで、千年も万年も、今までの、この悪い生き方をした分だけ、

苦しみ生きるか?

それを刈り取って生きよと、刈り取ってこいと。

しかし、早く死ねといわれた他の人には、あなたに刈り取るべきものは、

もう事終われり。あなたは刈り取るべきそのカルマ、

みなさんが言われる罪・業、もうなしと、すべて与えられた分だけ、

正しいその与えられた演技を、すべて正しい演技をしたと。

それを完成、はやくわたしのもとに来なさいと。

(明日に続きます)
--------------------------------------------

今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。


スポンサーサイト


執着とは? | 【2006-02-22(Wed) 18:53:46】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

スピリチュアル
ブログ内検索
RSSフィード
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。