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■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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執着とは?(2)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

今回はご講話をそのまま掲載させてもらいます。

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かといってみなさんそれは、肉体を殺す必要はありません。

肉体を脱ぐ必要はありません。

まあ、皆さん自身が、今肉体を持ちながら幸せでなければ、

あの世で幸せがないことを知ってもらいたい。

今、皆さんが幸せでなければ、肉体を脱げば幸せが

待っているということは勘違い。

今、皆さん自身が無知であり盲であるなら、

迷って生きている限りは、皆さん自身が本当に

知恵ある自分へと、目を見開いた、本当に開眼された我へと、

皆さん自身が変えていかぬ訳には・・・・。

それを変性変生(へんせいへんしょう)と申します。

皆さん自身のこの幾転生の旅はなんのために、

無知・迷い・盲の自分から、無力の自分から、

真実なる我を神として、自らを悟り行くまで、

続きいくことをしってもらいたい。

しかし、すべて一切を克服したときに、本当に本質で

ある我は真理なり、真なり、あるいは様々な表現で神、命、

様々な表現をしましょう。

我は真理なり、と生きるまでは、真理に目覚める生きるまでは、

完成されたものは一人もいません。


どんなに地位・名誉・富・金に満たされても、この世を優雅に

終えたところで、自らが真理であることを見失って、

無知の人生、盲の人生、迷った人生として終えていっただけ。

だからみなさんが我真理なりと言えたときは、本当にそれを実感、

実際に感じなければなりません。

ただ今日は話を聞いたから良かった、本や書物を読んで

素晴らしかった。

これはただ味わうこともなく、ただ絵に描いたぼた餅信仰、

絵に描いたこのぼた餅を皆さんが肉体が朽ち果てるまで

見ていてもみなさんのお腹を満たすことはできません。


口に投げ込んで味わってもらいたい。

で、味わうことは、日々の生活の中にその真理を全うして

生きていることを私は、味わうと申します。

そのときは、皆さんは、何万年の転生させられた法則、

今ここに解けたり。幾転生という人生を過程を通して

積んできたこの業・罪・カルマがすべてみなさんの

もとから崩れ去っていくでしょう。

そのとき、完成、これを昇天・成仏と申します。

昇天とは、成仏とは、死んだ人間の前で、牧師や坊さん

をつれてきて、お経を唱えて成仏はありません。

それではみなさん、よーく、お坊さんや牧師に聞いて

みてください。何のためにお経、何のために様々な儀式

というのならば、供養といいます。

供養のためと。供養というなら、何かと聞くならば、

供養で昇天や成仏に至らしめるためと。

去年の半ばから、わたしは本当に、その供養、昇天・成仏

というものを明想を通じて、その答えを得たときに、

今、世界で、本当の供養・成仏・昇天を説いているものは

一人もいないことを知りました。

わたしはそれを断言して言い切ります。

なぜならば味わったから。実感したから。

供養というならば、皆さん自らが供養ができることを

知ってもらいたい。なぜ、誰が拝んで昇天、誰が拝んで成仏に

至らすことができましょうか?

昇天とは成仏とは、真の己が宇宙真理に目覚めることが

昇天・成仏ならば、じゃー、わたしが皆さんにどんな話をしても、

受け入れるあなた方がいなければ、それを理解するあなた方が

いなければ、誰がそれを掴み取ることができましょうか?


だから己が己を供養して、己が己を供養するということは、

真理を正しく理解することです。

真理を正しく理解して、日々の生活の中で、真理を我として

生きることです。

それが供養、そうしたときにみなさんは、いつでも喜びの中に

いること、いつでも幸せ・幸福の中にいること。

ではそれは死んでからではなく、今この肉体をもちながら

昇天・成仏ではないでしょうか?

だから、今私が味わっている昇天、今私が味わっている成仏、

みなさんにそれが理解できましょうか?


今、私は最高の境地を味わっています。

自らして自らを供養しました。

これは何十年という努力を積み重ねて、真の自分とはなんぞや、

鏡に映し見ることのできる肉体、物質が自分なのか?

私と言っている私とは、一体全体何者なのか?

何十年間追求したときに、我は真理なり、真理こそが命であり、

宗教家が説いている神・仏、我は神なり、我は仏なり、

そこに至ったときに、自らして自らを供養したこと、

自らして自らを昇天・成仏に至らしたことを知ります。

それがみなさんが、今、幾転生も幾転生も一体、

肉体の存在の目的、その意味ではなかったでしょうか?


(明日に続きます)
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。


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執着とは? | 【2006-02-23(Thu) 13:31:37】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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