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Author:諒
■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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執着とは?(6)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

今回はご講話をそのまま掲載させてもらいます。

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そして磨いた心、美しく輝いた心に、愛という愛を満たす

ことが、それが、わたしは修行と申します。

ならば、みなさんたちが、その状態で、心準備して待つ

ならば、神は皆さんが見たくなくても、今までの宗教家の

ように、神よ神よ、私に姿を見せて欲しい、私を使って欲しい、

私に無限の力、知恵、愛をと言うのに、誤った修行をしている限り、

自分自身を曇らせていながら、自分は汚れていながら、心磨く

ことは怠って、だから人間は、自分に厳しく、他に寛容な心で、

己を磨けば、みんな成功するでしょうに。

しかし、今の人間は、自分に優しく、他に厳しく、全く逆の方向を

歩んでいること。

その状態で悟り得たものは、ひとりもおりません。

己自身に常に一点のゆがみもひずみもおかぬように、あるいは曇り・

汚れをおかぬように、徹底して、自らをきびしくみなさんは、

常にチェックしていかねばなりません。

本当に放つ一言一言が、誰も傷つけることはないか、誰を苦しめるこ

とはないか、誰を破壊していることもないか、思い、言葉、表現が、

そのように徹底して、正しい神の御心からなるか、神の御心が、

この肉体というこの結果を通して現れ示しますようにと。


これが本当の天下り。

今の政治家が言っている天下りは、本当の天下りではありません。

天という神の御心は、愛です。慈悲です。常に完全です。

では天という神の御心が、この肉体という結果である私を通して、

現し示して生きることが、これが本当の天下りではないでしょうか?

神が見たもうがごとく、我見ます。

では、神は、神の目で、何を見ましょうか?

破壊的な見方、消極的な見方、そのようなネガティブ、消極、破壊を

見て、破壊を感じると言いましょうか?

神が見たもうがごとく、我見ます。

神の目は、すべてに真実なる美しさを見ていること他にありません。

神の心は、常に真実なる心で、真実を受け止めていること他に

ありません。

神が見たもうがごとく、我見ます。

神が思いたもうがごとく、我思います。

神が表現したもうがごとく、我表現します。

そこにみなさんたちが、本当の天下りが理解できるならば、今の今、

即幸せ、もう、皆さんたちが、お経を唱えなくても、聖書・聖典を

読み干すことなく、今即幸せ。

では、わたしが聖書一冊、読んだことがありましょうか?

1ページ、1冊、広げたことがありましょうか?

ないと申します。

聖書・聖典・仏典にも、おそらく、あるいはお経の意味も、

読んで救われるとは説いておりません。

いい声で読めば、悟れるとは、説いておりません。

聖書・聖典・仏典・お経の意味をよく理解し、それを日々の生活

の中に生きよと。この社会が与えられているならば、この社会から

逃げ隠れることなく、すべてに愛でもって立ち向かっていき、生きる

あなたがたであれと。

ならばあなたがたも泥沼に咲く蓮の花よりも、真我という美しき花を

開花させることができるだろうと。

そう説いたのが、南無妙法蓮華経。

南無妙法蓮華経と唱えて、あなたは救われるとは書いておりません。

あの無学の人間がいつも多く生きていたという当時、お釈迦様は、

どうやって、その真理、慈悲の法則を説いてあげようか。

考えたあげく、無学の人間を泥沼に咲く蓮の花の前に連れて行って、

あなたがたよく見てみよ、あの泥沼を。

あんな泥沼の中にもあの蓮の花は、美しく咲き誇ることが

できるのではないのかと。

しかし、あなた方の肉体を見てみよ。

あなた方の肉体は、目が疲れれば目くそ、汗、大小便。

泥沼より汚い肉体ではないのか。

しかし、あなたがたの心が、宇宙真理を理解し、

宇宙真理を日々の生活の中で生きることができるのならば、

泥沼に咲く蓮の花よりも、真我という美しき花を、

あなたがたのハートに花開くことがあるだろう。

そう説いたのが、南無妙法蓮華経。

では、南無妙法蓮華経は、あえて読んで、良い声で、唱えろとは、

説いてないではないでしょうか?

そのように生きよと、どんなにみなさんが、絵に描いたぼた餅を、

一日中、肉体が朽ち果てるまで見つめていても、

お腹を満たすことはできません。

では、お腹を満たしたいならば、みなさん、それを口に

投げ込まなければなりません。

だから、真理も、救われたいならば、その真理を、実践という

実践で、みなさんは、言葉に思いに表現に、日々の生活の中に、

それを示し活かしていかねばなりません。

肉体存在の目的は、神我顕現といっているではないでしょうか?

神我顕現とは、真の我を現し示す、神なる我を現し示す、

自我の我を示すとは書いておりません。

自我の我を我として生きるとは、書いておりません。

説いておりません。

いかに、供養を誤って、できない供養をあなたがたに、

教え説いている無知、盲、迷った人間の何て多いことか。


(明日に続きます)
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。


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執着とは? | 【2006-02-27(Mon) 10:11:58】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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