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■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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執着とは?(7)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

今回はご講話をそのまま掲載させてもらいます。

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みなさん、供養という文字を見てみてください。

供え、養うと書きます。

皆さん自身が、誰を、何を供え、養うことができましょうか?

我々を地・水・火・風・空という五元要素すべてを

供え養っているのは、神こそではないでしょうか?

造り主である神がちゃんとみなさん自身がこの現象世界で、

体験、経験、学び、学んでその魂を高め、本当に宇宙意識に

目覚めるまで、生きやすいように、その生活で生きやすいように、

地・水・火・風・空というのを供え、養っているのは、

神こそではないでしょうか?

だから神に供養されていながら、何て愚かなるものが、死んだ人間を

供養だ、昇天だ、成仏だと。

昇天とは、昇る天と書きます。

天がどこにあって、どういう方法で天に昇るかを知らずして、

どうして天に昇ることができましょうか?

天とは、あなたがたの本質です。

つまり、我は真理なりと知ることが、それが昇天、昇る天と書きます。

それはキリスト教では、そう言います。

では仏教では、また、自らして自らを供養して、解脱することを、

これ成仏と申します。成仏は、成る仏と書きます。

では、何が仏かも知らないで、どうして仏になりようが

ありましょうか?

天とは、あるいは仏とは、神とは、皆さん自身のすべての本質で

ある宇宙真理を意味します。

真の理、宇宙真理を真の我として、目覚め生きることを、昇天、成仏。

仏教で言う悟り、キリスト教で言う解脱。

では、解脱も離脱も悟りも、真の己に目覚め生きることが、

悟りではないでしょうか?

朝に昼に晩に、洞窟や山にこもって、目を閉じて、

瞑想に明け暮れることが悟りではありません。

神社、お寺、仏閣、教会でいい声で、お経を唱えていることが、

悟りではありません。

悟りとは、生活の中で、今、与えられているこの世界、社会で、

真の自分が宇宙真理であることを皆さん自身が見失うことなく、

我真理なりと正しく生きていることが、これが絶対供養であり、

昇天、成仏の秘訣であることを知って欲しい。

これが悟りではないでしょうか?

だから、つまり悟りとは、真の我が、宇宙真理、神であることに

目覚め生きることを悟りと申します。

真の我が神であることを理解することを悟りと申します。

だから、悟りとは、あなたがたの内にあることであって、

外、外、外という結果世界から持ってくるものではありません。

真理を我が内に見いだした方々が、あなたがたに、時間を浪費させ、

多額な金を使わさせ、どこかに行ってこいなんて

いうものがいましょうか?一人もおりません。

真理は我が内にあり、いまだかって、人手に渡ったことはない。

真理を外に求むるなかれ。真理は我が内にありと訴えます。

それは何年間か前に、あのインドのサイババさんに会いに行く人間は、

数知れない人間、もう一日に何万人、何十万人と、会いに行きました。

その何十何年間では、もう、サイババさんと出会った方々は、

もう、みなさんが想像もできないほどの数の人でしょう。

で、サイババさんは、こう訴えます。

この何十年間を通して、私に会いに来たものは数知れない。

一日に何万人、何十万人。

しかし、この何十年間、かけて私に会いに来たけど、あるものは、

何十回、何百回という人間がいましょう。

しかし、私を見たもの、私と会ったものは、いまだかって一人も

いませんと語っています。

では、誰に会いに行ったのか?

ただインド人として、あの黒い人、パーマのかかった頭を持った

サイババさんを、見てきた会ってきたと自慢していること他に

ないではないでしょうか?

サイババさんが未だかってわたしに会ったことが、私を見たものが

一人もいないという意味は、本質である私、このサイババという形、

肉体を存在至らしめている本質である、宇宙真理である命としての私を

見たものは、一人もいない。相対したものは、一人もいない。

だから、みなさんにいつも言うように、今、ここで我真理なりという

境地に至ってなければ、身近にいる奥さんや旦那さんや

お子さんたちに、見ること、感じることができましょうか?

それ出きずして、また、どこに求めて見ることができましょうか?

今、ここに立ちながらも、私は、本来のあなた方を見ています。

生命の輝きであるあなた方、いつか老いてゆく、いつか死にゆく、

いつか形を崩していく、あなたがたをあなたがたとして、

見ているのではありません。

永遠不滅の命の輝きであるあなた方を見て、

あなた方とわたしは見ます。

これが本当の明想状態。

だから、明想とは、もちろんわれわれは、見るものの影響、

聞くものの影響を受けるが故に、我々は、訓練として、まずは、

見えるものから、己を解放するために、この耳から聞こえるものから、

解放されるために、静かな場所で、静かな部屋で、みなさんがたは、

まずは、その五感というものを鎮めて、本当の自分を見るために、

本当に、鏡に映し出される自分が自分なのか、触ってこの感覚で

感じ取っている自分が自分なのか、あるいはそれを生かす命として、

見えない自分が自分なのか、触って掴むことのできない自分が

自分なのか、そのためにみなさん、最初は、目を閉じます。


それを訓練して、訓練して、積み重ねて、皆さん自身が

理解したときに、とうとう、本質は、見えない命としての

自分が本当の自分であったと。

これをわたしは何十年間かけて、体験致しました。

昨日、今日に、仕上げて、我は命なり、あなたがた命なりと

見ているものではありません。

歯を食いしばって、わたしは努力して参りました。

命がけで努力してまいりました。


(明日に続きます)
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。


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執着とは? | 【2006-02-28(Tue) 12:33:58】 | Trackback:(0) | Comments:(1)
コメント

http://jump.sagasu.in/goto/blog-ranking/でブログが紹介されていたので、見に来ました。またきま~す。ではでは(^^)ノシ
2006-03-01 水 00:09:12 | URL | BATT #- [ 編集]
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