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■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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執着とは?(完)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

今回はご講話をそのまま掲載させてもらいます。

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正しく愛し、正しく皆さんが生きることが、喜び、やすらぎ、

幸福である秘訣ではないでしょうか?

だから、誰もが苦しもうが傷つこうが、破壊されようが、

言いたい放題、思いたい放題、やりたい放題。

とうとうすべて自分自身を通して、苦しみ生きている人の

何て多いことか?

決して、我々は、何をも縛りあってはなりません。

執着しあってはなりません。

家内は、共に学び、共に一体感で生きるがために、毎日、

幸福でいるために、家族が与えられたのであって、私の都合

いいように、家内は、私の道具として使うための家内では

ありません。

わたしは、また家内の所有物ではなく、家内に思うままに

使われる存在でもありません。

互いに足りないものは補いあって、いいものは分かち合って、

本当に一歩一歩、一段一段、積み重ねて魂を磨き、本当に

神との融合であるまでの、共に学ぶためのものではないでしょうか?

だから夫婦とは、この流れる川に投げ込んだ二つの割り箸の

ようなもの。

一時は、寄り添って流れていましょう。

しかし、流れが変わったときには、あるものは草に引っかかり、

あるものは岩にぶつかって、大海という大海につくのは、お互いに

めいめいが、違って行くではないでしょうか?

まさか、2本の割り箸を、川の流れに投げたときに、全く寄り添って、

最後の最後まで、大海に到達することはないではないでしょうか?

それが夫婦というものであることを知ってもらいたい。

かといって、わたしは旦那さん、奥さんを粗末に、あるいはそのように

生きろという意味ではありません。

大事にして欲しい。

大切にして欲しい。思いやりいたわって欲しいと言います。

しかし、所有物ではないが故に、執着してはならぬと。

だから、家庭で、家族で、親子で、夫婦で、執着しあって、

己の所有物のように、使いあわんがために、苦しみ生きている、

もう常に戦いあっている家族が何て多いことか、周りを見れば。

この執着さえ、解き放てれば、何て即、幸せを掴むことが、

幸福でいることができるでしょうに。

だから、わたし、自慢ではないけど、よくわたしが夜中に、

ほとんど私はもう食事抜きで、出張し、走り回っています。

それで、そのような状態で、もし夜中に、仕事を終えてきて、

本当に何か食べたいならば、家内はわたしを起こしてくれと言います。

わずかなそのお腹を満たすために、どうして相手を妨げる必要が、

相手を起こす必要がありましょうかと。

シーチキンでも空けて、ごはんに、しょうゆでもかけて、

食べればこれで十分。

だから、ほとんど、家でも食べないし、出張でも食べはしないけど、

いつでもわたしが食べれるようにシーチキンはいつも

積み上げています。みなさん、シーチキンが欲しいのなら、

わたしのうちを訪ねてきて欲しい。

カップヌードルでも3カ年でも何カ年でも、全く無病で、

この世に生きることもできます。

皆さん自身が、本当にすべてを完全なる宇宙エネルギーとして、

みなさんが理解して、生きるのなら、まあもちろん、

みなさん宇宙意識、宇宙生命を我として生きることが出来るのなら、

あえて、みなさんは寝て睡眠を取って、そこにエネルギーを

チャージする必要もない、

口に投げ込んで食事する必要もない。

なぜ? 皆さん自身が即、そのものであるから。

しかし、宇宙生命と我とは、分離という切り離されている結果、

みなさんは、言葉で、思いで、見ることに、仕事で、様々な状態で、

エネルギーを消耗します。

その消耗したエネルギーを満たさなければ、明日肉体を維持することが

出来ぬが故に、口に投げ込んで、食物の持つエネルギーを

チャージします。

それ以上にチャージしたい皆さんは、この肉体を横に寝かせます。

そして、横に寝かしたときに、まあ、特に人を恨み、ねたみ、そしり、

ネガティブ、消極、破壊的なその言葉、思いを持ったときは、

強烈にそのエネルギーを消耗します。

だから、みなさん、怒って、みなさんは、へとへとにならぬ人間は、

ひとりもおりません。いつもエネルギー不足、それを皆さん自身が、

寝ているときに、エネルギーを消耗する人はいないがゆえに、寝て、

みなさんは、睡眠をとって、このエネルギーを精一杯チャージして、

さあ、翌日は、しっかり働けるよと、活力を得ているのがあなたがた。

その大きい、拡大したのが、わたしがみなさんに訴えている死と

申します。

では死というのは、怖い存在ではなく、怖いものではなく、

一転生という人生を終えて、解脱しているのならばいいでしょう。

解脱、離脱に失敗したときに、次、また新たなその肉体という衣装を

まとって、さあ、もう一度、正しく人生をやり直すよというのが、

この死。

つまり休息ではないでしょうか?

では、皆さん自身が、この死を恐れるというのならば、わたしは、

もう今日から、寝ないよという意味ではないでしょうか?

まさか、睡眠を恐れた人間なんて、いましょうか?

誰よりも、いっぱい寝た方が得という人間もいるではないでしょうか?

それは皆さん自身が、理解したときに、生老病死という四苦は恐れる

ものではありません。

本当に一段階、そこにおかれていることを知るでしょう。

正しく、我々は真理を理解し、正しく受け止めて、

本当に悔いのない一転生、我々は歩み行きたいと思います。

共に手を取り合って、無限という大海の中に、融合が出来るまで、

大海の中に錨おろせるまで、共に我々は努力したいと思います。

本当に皆さんと共に、学び会えたことを、心から感謝します。

どうもありがとうございました。

(明日に続きます)
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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。


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執着とは? | 【2006-03-02(Thu) 18:25:08】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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