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■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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愛の伝導体(2)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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だから、この地球というもちろんわたしは、この地球は、緑したたる

美しい地球に復活してもらいたい、その聖なる惑星に復活してもらい

たいと、わたしはそう願います。

しかし、例え、地球が崩れ去っていく中にも、皆さんが、

宇宙真理という本質こそ我なりという自覚を持っているのならば、

形を変えていくこの現象世界に、苦しい、で、悩み、決して

振り回されることはないではないでしょうか?

だからこそ、我々は、完成というものは、宇宙真理という本質に

目覚めてこそであると。

真理は汝を自由ならしめん。

どんな悩み、苦しみ、不調和、病、で、その悲しみからも、

真理という知恵、真理という力、真理という愛ほかに、

そこに我々を、導くことはないともうします。

だからこそ、真理こそ絶対実在。

決して、いつかこの脱ぎ去っていく肉体という衣装があなたがた

ではないんだと。

だから、私私というけれど、私には二通りの私が

存在するんだと。

いつか朽ち果てていく肉体的な私。物質的な私。

永遠に朽ち果てることのない不滅の宇宙真理として、神我なる私。

じゃあ、我々は、いつか朽ち果てていく肉体的な物質的なものが

私なのか?

永遠に朽ち果てることのない不滅の宇宙真理としての私なのか?

それを今生、我々は、徹底して、識別していかねばなりません。

私、私、いつか朽ち果てていく現象的な私であってはなりません。

もちろん、我々には、肉的な私と、その宇宙真理という、見える部分と

見えない部分は、表裏一体として、存在しております。

しかし、今までの我々は、もう朝に昼に晩に、常にこの肉体という

この物質我を私、私と、錯覚して生きてきたではないでしょうか?

だから、神は、みなさんの扉を叩いて、あなたがたが私、私で生きて

いる肉体という私は、真の私ではないんだと。

錯覚から覚めよと。

幻覚から覚めよと。

で、扉を叩いているにもかかわらず、今の無知、盲、迷った人間は、

もう、見えるがゆえに、触りつかむことができるがゆえに、

感ずることができるがゆえに、絶対なるその肉我を私という錯覚を

してます。

錯覚から覚めよと。

幻覚から覚めよと。

常にあなたがたの心の扉をノックしているのを、聞こえぬのかと。

神は常に、そう訴えています。

あなたがたが、深い明想という手段を通して、中に入りさえすれば、

で、ここに真実なる私がいることを、で、あなたがた、見ることも、

感ずることも、できるのではないのかと。

それは、肉体を持って、解脱まで至った聖人たちも、私にこう言います。

なぜ、同じ場所にいながら、私の声が聞くことが出来ぬのかと。

私とは、命のわたしです。

なぜ、同じ場所にいながら、なぜ、私の姿を見ることが出来ぬのかと。

その私というのは、命のわたしであるがゆえに、命という本質の世界

まで、自ら、高めぬ限り、そう言っている本人見ることができましょうか?

その声、聞くことができましょうか?

だから、我々が、どんなにもがいて、あがいて、天使方の姿を見て

みたい、声を聞いてみたいと、もがいても聞くことはできぬと申します。

波長が違いすぎるからであると。

で、バイブレーションが、離れすぎるからであると。

だから、皆さん、明想という手段を通して、肉的な私が私なのか、

見ることが出来ない宇宙真理としての私が私なのか、

それを識別せんがために、明想という最高手段が与えられている

ではないでしょうか?

一番、最初に、本当にその明想という手段を通して、実相という本質を

見出したその聖賢な方々は、こう言われました。

見えるものの背後に実在する見えないものを見るためには、

すべてこの五感というものを閉ざさねばならない。

で、見えるがゆえにその振り回されたこの世界をすべて、

シャットアウトせねばならない。

そこに明想というものを見出したこと。

で、明想という手段を通して、静かに、沈黙を守って、深く深く、

自分に潜ったときに、そこにいまだかって見たことのない、

いまだかって体験したことのない、真実の我をそこに見出すことが

できたことを、そこに明想という大切さを与えられてきたでは

ないでしょうか?

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。


多くの人が愛の表現体とならんことを。
多くの人が真の自分に目覚め生きることを。

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愛の伝導体 | 【2006-04-01(Sat) 19:00:40】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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