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■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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愛の伝導体(9)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。

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それを死人と申します。

だから、私、私というけれど、常に肉体というこの現象我を

指しての私であるならば、それを死人と申します。

イエス様は、これをはっきりこのように、この世は、死人が

ごろごろしているお墓のようなものであると。

まあ、皆さんは、この宇宙真理という命を我なりという、学びに

おいて、皆さん、ここまで、理解力を高めてきたことでしょう。

しかし、今日、たとえば、皆さんが、全く新しくここに見えて、

全く識別もできない、全く、個人、肉体、人間として生きている

のならば、ここに集っただけの死人がいると言っても過言では

ないではないでしょうか?

この世は、死人がごろごろしているようなお墓のようなもので

あると。

死人はどこに。で、死人は墓場に持っていきます。

で、ここは、肉体が私、私という、偽我に錯覚して生きている

ものならば、死人といえるではないでしょうか?

だから、私、私というけれど、肉体という仮相、肉体という偽我を

指しての私ならば、もう、それだけの死人がごろごろしているような

お墓のようなものと言われます。

だから、死人になってはなりません。

で、また、ただ悩み苦しんでいるときのみ、神よ、仏よ、

我を助けてくださいと祈る病人になってもならずと。

あるいはまた、ここで学ぶ限りは、なるほど、命がなければ、

だれも存在することは出来ない、すべての存在の本源は、

命であり、宇宙真理であり、愛そのものであったと。

そうは言うけど、ここでは、皆さんが明想するときは、我は命なり、

我は真理なり、我は神なりといえましょうけど、また、職場に戻り、

また、家に帰れば、真我という己を見失って、人間だ、肉体だ、個人だ

という偽我にまた、戻っていくもの。これをぼんやりものと

申します。

じゃあ、我々は死人であってもならない、病人であってもならない、

ぼんやりものであってもならない、じゃあ、我々は、健康なもので

あらねばならぬではないでしょうか?

じゃあ、その健康は、ただ肉体的に調子がよければ、健康と

言いましょうか?

本当の健康とは、与えられている1日が24時間、与えられている

1ヶ月が31日。で、1年が365日ならば。1年365日、一時も

神を見失うことなく、我と神とは常に一体なりという境地に生きて

いるもの。これが本当に健康なものと申します。

だから、イエス様がオーバーシャドウして、あのマクドナルド・

ベイン先生に、あの心身の神癒というあのタイトルで、あの本を

解かしたことは、あれは何を意味してましょうか?

あなたがたは、心身の神癒でありなさいと。

身も心も健康でありなさいと。

どこにも偏ることもない、アンバランスであってはならぬと。

だから、この大宇宙は調和。バランスそのもので、運行しています。

すべては、バランス、すべては調和です。

お釈迦様が悟り得たのも、イエス様が悟り得たのも、右に左に

どこにも偏ることなく、天地一体、天と地とは、即一体、

で、色と空とは即一体という、その中心を説いたことほかない

ではないでしょうか?

お釈迦様も何年間かけて、内観を通して、もう真の自分を知ろうで、

難行苦行してみたり、滝行してみたり、断食してみたり、もう色々な

行をしてみたといいます。

で、とうとうその断食で、この肉体が死の寸前まで、追いやって、

もう、生きるか死ぬかの状態までに追いこんだときに、川を下っていく

一艘の船の上で、弦は緩みすぎた弦からいい音色を放つことは

できぬと。で、引きすぎた弦は、切れること他にないんだと。

で、弦は緩みすぎることなく、引きすぎることなく、中心に、

それは、チューニング。中心においたときに、そこに美しい音色を

放つといったのを、耳に聞いて、我、仏陀なり、悟りなりと

言ったのは、そこに中道を悟ったではないでしょうか?





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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。


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愛の伝導体 | 【2006-04-09(Sun) 21:40:21】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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