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Author:諒
■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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人生の旅(4)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから、今生皆さんは、イエス様が説いた愛心、お釈迦様が説いた

慈悲心、宗教という名は異なっていても、その本質においては

全く同一であることをひとつにまとめて、すべてがひとつという

理解力を持って、すべてに示し生かす為に、今生皆さんが肉体という

衣装を纏ってその役割を、果たさんがために、ここにあることを

皆さん知ってもらいたい。

どこに宗教の名が違えば、神が違いましょうか?

一なる神が、万物を創造し、万物の中に、一なる神が命として、

生き働いていることを知ってもらいたい。

じゃあ、皆さん、この五感という目、耳、鼻、口、手足を

動かしているのは、命であって、肉体自らの動き、肉体自らの

働きなんて、ないではないでしょうか?

だから、人間は、私が作った、私が生きている、私がやった、

肉体というその生きてもないその現象我をさして、私が私が

と、うぬぼれと申します。

命知らずと申します。

だから、命知らずで生きているがゆえに、不滅のその宝物を逃がす

人間の何て多いことか。

私という肉体自らは無なり。

私という肉体自らはゼロなり。

私という肉体自らには、一点の知恵、力も存在しているんでは

ないんだと。

しかし、我が中には、ちゃんと全知全能なる神が、すべての能力を

与え生かしていることを知っているが故に、私には天上天下一切を

支配する力が与えられているものであると、そのように我々に

教え説いた聖賢、そのイエス様はそのように語ったでは

ないでしょうか?

で、あなた方が内なるその宇宙真理を認めさえすれば、あなた方が

私以上の御業をなしていくだろうと、そう説いていることであって、

私が特別な人間、私だけに特別な能力を与えられたものとは

一言も説いておりません。

神は人の上に人を作らず。

神は人の下に人を作らず。

じゃあ、同じ平等に与えられたその能力を、誰が閉ざしているのか?

私にはできない、私は無力です、私は苦しむものですと、限定、制約、

束縛を受けているのは、己自身があるが故に、皆さん

何と書きましょうか?

自縛と書きます。

自らして、自らの能力を閉ざしているんだと。

自らして、自らの能力を失っているもの。

自縛と書きます。

だから、自縛は、誰彼が縛っているとは書きません。

誰彼が皆さんを縛っているというのならば、で、その縛っている

そのものが、あなたがたを自縛から解き放つ責任を持たされている

でしょう。

自分自身で縛っている自縛は、自ら解きほぐさねばなりません。

自らが解いていかねばなりません。

それは皆さん自身が、正しい姿勢でもって、常に日々の生活を

生きることと、明想という手段を皆さんが用いることができる

のならば、誰しもがその自縛から開放されていくではないでしょうか?



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




人生の旅 | 【2006-05-23(Tue) 22:00:30】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
人生の旅(3)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから、皆さんに今生与えられたそのチャンスを活かして、

本当の変性変生を迎えてもらいたい。

人間意識、肉体意識、個人意識という、小さな我から、

無限意識へと、普遍意識へと、宇宙意識へと、ならば、あえて

乗り物に乗らなければ、どこかへ行けないという限定、制約、束縛

を受けるあなたがたといいましょうか?

時間も空間も壁も距離もすべての一切を越えたあなたがたで

あるならば、我意識したところに我在り。

我の思ったところへ我いる。

これは私は自慢するためでもなく、ただ見世物にするためでは

ないけど、ちょうど私が小学校5、6年で、移民していった

南米アルゼンチン。でそこまで、行くには、ここから飛行機で

南米まで行って、で、電車やバスを乗り継いで、我々がいた南米の

ジャングルの田舎までは、少なくとも2週間以上、3週間あたり

かかります。

しかし、私自身がここで肉体在りながら、瞬間移動という状態を

使いいかすことができるのならば、何分何秒かかりましょうか?

3、4週間も時間を費やして、日付を費やして、事なすことが、

何分何秒で事をなすことができるではないでしょうか?

では、私は特別な人間なのか?

で、あなた方には、その能力は与えられていないのかと?

私は取るに足らないこの世の物質やものよりは、本当の自分自身の

神が与えた能力を示してみたかった。

本当にそれを得たかった。

そこにただ努力をしたのみではないでしょうか?

だからこそ、まあ私はキリスト教、仏教、何の宗教家でもありませんが、

そこにイエス様が言われたように、心を尽くして、精神を尽くして、

魂を尽くして、力を尽くして、汝の主である神を愛せよと。

で、我が内に内在の本当の宝物を見出せよと。

そうしたときに、あなた方は、私が今まで行った御業以上に、

あなたがたがこなすことができるだろうと。

だから、悟りを得たその聖賢の方々は、私が特別な人間、

私が特別に能力を与えられたものとは、一言も説いておりません。

私が、このなしている御業は、あなたがたもなさねばならぬと。

で、あなたがたができぬことは、何一つ私は事なしているのでは

ないんだと。

全く平等を訴えているではないでしょうか?

しかし、今の、本当に悟り得ていない、その無知、盲目、迷った

宗教家、あるいはその教祖、指導者はどうでしょうか?

私は特別だ、私が偉いものだと、どこに偉いものがいましょうか?

神という本質の中においては、皆が平等であることを知って

もらいたい。

だから私は常に、神は一にして多神と説きます。

姿、形、形体は異なっても、表現の方法は異なっていても、

生まれ育った環境は違っても、皮膚の色が黒かろうが白かろうが、

神という本質は、誰の主もかわりはないんだと。

我が中に内在の神も、あなたがたの中に内在の神も、動物や鉱物、

植物の中に生きる神も、全く同一であるならば、この大宇宙に、

唯一の神が、実在ではないでしょうか?

それを宗教は、あなたがたの神は、我々の神はと、常に神そのもの

で戦争。神そのもので争っているのが、今の愚かなる宗教家たち

ではないでしょうか?

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




人生の旅 | 【2006-05-22(Mon) 22:05:22】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
人生の旅(2)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから、本来の皆さんは、死んでも死ぬことは出来ません。

年老いることもありません。

久遠にして常在、不滅にして、絶対実在と申します。

久遠と永遠のあなた方、常在とは常に在るあなた方、不滅として

一度だって破壊されたことのないあなた方、実在とは実際に在る

あなた方。

しかし、肉体を見てみてください。

肉体はこの一転生という人生行路を旅するための単なる乗り船に

しかすぎないではないでしょうか?

乗り船があなたがたであるはずがありません。

だから、この肉体という乗り船は、一呼吸ごとに、一息ごとに、

どこに進み行くのかと?

墓場へ進みいきます。

墓場から遠ざかっていく肉体、物質は、一人もおりません。

今生、どんなに鋼のような強き肉体を恵まれて、肉体衣装を

纏ったとしても私も同じ事、自慢ではないけれども。

私は、今生、いまだかって、疲れたという言葉を吐き出したこと

もない。

この肉体に、疲れたという体験、一度も味わったこともない。

一秒、この肉体が調子が悪くて病んで、横に倒した体験もありません。

非常にこのように恵まれた鋼のような肉体を与えられていても、

一呼吸ごとに、一息ごとに、墓場に進み行くではないでしょうか?

それから免れた肉体、物質なんて、一人もいないではないでしょうか?

生まれたものには死が訪れ、初めあるものには終わりがあり、

作られしものは、必ず破壊が訪れ来ること。

しかし、反対側の真のあなた方というのならば、それは永遠に

朽ち果てることのない、死んでも死ねない、年老いていくことも

ない、病み苦しむこともない、本来のあなた方の姿が、己自身

の中に見ることが出来ることを知ってもらいたい。

だから、そのために、真の自分が、何ぞやと?

それを追及して、皆さん、明想という手段が与えられている

ではないでしょうか?

ただ、無知、盲目、迷い生きる人生を終えてはなりません。

今生こそは、皆さん、無力の自分から、力ある我へと。

盲目の我から、目が開眼された我へと。

みなさんが開眼されてみてください。

今までは、ただ結果という形しか見えなかったあなたがたが、

結果という背後に、絶対実在である原因を見ることが出来る

ではないでしょうか?

花々も、ただ形ある花々が咲き誇っているのではありません。

そこには、花々を咲きほこらしている原因という命の輝きが、

花々の中に内在していることを見れるあなた方になってもらいたい。

それを開眼と申します。

無力の自分から、力ある我へと。

盲目なる我から、目を見開いた開眼された我へと。

迷った我から、悟り在る我へと。

今までは現象という結果の世界を真っ暗闇を手探りに、

歩んだ我が、本当に光という真実なる世界からものを見れる

、感じ取れる、我へと変生(へんせい)、変性(へんしょう)

せんがために、皆さん、今生、肉体という衣装を纏った

ことを知ってもらいたい。




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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




人生の旅 | 【2006-05-21(Sun) 15:24:21】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
人生の旅(1)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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今日も、昼間、話をさせてもらったように、人生の旅。

世の人間は、何て人生の旅を狂わせているのかと。

あたかも人生の旅は、金儲け、あるいは物質やものを

かき集めるための人生の旅だという錯覚している人間の何て

多いことかと。

だから、今のような人生は、無知、盲目、迷い生きているがゆえに、

戦争、闘争、対立、どうしてそれから免れることが出来ましょうかと。

皆さんが本当の人生の旅を歩んでもらいたい。

人生の旅は、幾転生というこの旅を重ねて、皆さん何のために?

一体全体、真の自分とは何ぞや?

どこから出てきて、どこに向かって旅をしているのか?

その旅の目的が何なのか?

旅の目的終えて、どこに帰るのか?

その答えをはっきり見出さんがために、今、我々は肉体という

衣装を纏って、この現象世界に生かされていることを

知ってもらいたい。

ただ、周りのものが生きているから、生きているんだ。

ただ、周りのものが食して生きるから、生きるんだ。

無知のままに、盲目のままに、迷いのままに、無力のままに、

そのために神は我々を創造して、この地球というこの世界に

降ろしてくださったではありません。

もっと真実なる我を、宇宙意識として、すべての中に現し示して

生きよと。

さきほども、○○さんが言われたように、我々が宇宙意識という

のならば、我意識したところに我在り。

我の思ったところに我いる。

すべての中に、真の自分が宇宙真理であり、命であることを

理解できるのならば、その命は限定して、この肉体のみに

存在しているではなく、この大宇宙至るところに遍満している

己を知ったときに、時間も空間も壁も距離も、行きたい場所に、

行きたい時間に、瞬間にそこに移動して行く事ができるでは

ないでしょうか?

これは誰彼に特別に与えられた能力ではありません。

神は人の上に人を作らず。

神は人の下に人を作らず。

すべてに同じ能力を与え生かされているにもかかわらず、

ただ金やものに溺れいって、真の能力を見失っていくのか?

真の自分が宇宙真理であり、神であることを見出して、正しい方向に

この肉体を使い生かすか。

ただ、その差であることを知ってもらいたい。

だから、肉体存在の目的、で、人生の旅の目的を、皆さんにはっきり

掴んでもらいたい。

何のために、皆さんは、鏡の前に立てば、写し見ることの出来る

この肉体をあたかも私という錯覚をします。

神は皆さんの心の扉を叩いて、何と語りましょうか?

あなたがたは、ただ見える物質、肉体があなたがたではなく、で、

霊的な無限の存在が、真のあなた方だと、常に扉を叩いて、

訴えてくれているではないでしょうか?

錯覚から覚めよと。幻覚から覚めよと。

自らに目覚めよと。自らの心を開きなさい。

小さな自分を捨てなさいと。本来のあなたがたは、永遠に朽ち果てる

ことのない不滅の実在ではないのかと?







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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




人生の旅 | 【2006-05-20(Sat) 22:17:17】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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