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■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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真の自分について(9)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。

(1987.09.10より)

---------------------------------------------------

そこには何の分離もなかった。私たちの偽我の心の中に、分離と

差別があるわけです。

無差別なんです、神我に入りますと。

だから、私はよく皆さん方に言うわけです。

あなたはわたしの中にいます。

わたしはあなたの中にいます。

わたしがそう言っても、皆さん方は、なかなかその答えを出して

くれない。

なぜそういうんだろうかと言うと、神我の中には、分離も差別も

何もない存在。

大宇宙という大生命そのものしかないわけです。

一元しかないわけです。神一元の中に分離も差別もないわけです。

神は、完全無欠の方でございます。

完全無欠であるならば、ありてあらゆるものも完全無欠であるべき

なんです。

完全の中に、完全無欠の中に、不完全なるものがありえますか?

もしあったとするならば、完全無欠でなくなるわけです、神は。

神は完全無欠であるということは、私たちの心が、その不完全さを

作り出して、自らが苦しんでいるのであって、実相においては、

真実においては、苦しみも迷いも何もないということが分かる

わけです。

そこを皆さん方は、よく理解しなくちゃなりませんよ。

なぜ、そう言うんだろうか?現実にあるんではないのか?

と皆さんは言います。病気もあるんじゃないか?

苦しみもあるのではないか?

あなたが苦しんでいると思っているだけ。

病気があると思っているだけ。

あなたがその神我の我を肉に現したとき、完全さを現したとき、

病気がありましょうか?

神我に病気がありますか?

苦しみがありますか?ないです。

苦しみは迷いが作っている迷いそのものなんです。

非常に大事なところなんですよ、今日言っているところはね。

それを知った人と知らない人とは天と地の差が出てきますよ。

今日のお話は、非常に大切な部分なんです。

そして、あなたがたは軽く目をつぶっていただいて、あー、本来の

私は神我であり、神であり、完全無欠な我が我であり、私の真の我は、

神界に存在し、この肉体というのは、その神界の我を、この世に現さん

がために、肉体があったんだなというお悟り。

そうしたとき、皆さん方は、もう自分の本質、真の自分を知って

おられますので、肉を通して、真の自分を現す修行が今日から

始まるわけです。

そうすると、それを知った人と知らない人と、天と地の差が

あるわけです。

今日、皆さん方に、これが明かされたということは、非常に

大事なことですね。

ここに来るたびに、いろいろな真理が明かされてくるわけです。

それを聞く人と聞かない人とでは、天と地のものの考え方が

違ってくるわけです。

今、世の中には、たくさんの盲信家、狂信家がいることを

私は残念に思っています。

彼らの思っていることは、観念であり、空想であり、偽我で

解釈しているわけです。

偽我のものさしで、迷いのものさしで、ものを見ているのです。

それは曇って、ひずみがあって、色づいて、本物ではありません。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真の自分について | 【2006-05-01(Mon) 20:16:29】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真の自分について(8)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。

(1987.09.10より)

---------------------------------------------------

この潜在意識はやっかいなもので、神意識も記憶するし、表面意識も

記憶する。

それが、皆さんの持っている中間意識と言われている潜在意識

なんです。

だから、その潜在意識は、皆さん方がこの世で修行したものを記憶

してそのままの意識状態でしか帰れないんです。

憎しみ、恐怖をいっぱい持っているものは、憎しみの世界にしか

帰れないんです。

ねたみや怒りをいっぱい意識しているもの、そういう人は、あなた

の肉を去りましても、その意識は消えるものではないのです。

だから、私たちはが潜在意識が完全に、神意識と一体となって、

神のみを記憶したとき、完全のみを記憶したとき、皆さん方の

言葉も完全な言葉となるわけです。

完全なる思いとなるわけです。

しかし、今、皆さん方は、日常生活で、何を意識して生きている

んだろうか?

3次元を意識しているのか?あるいは自分ごと、自己中心、私ごと

しか考えていないのだろうか?

意識していないのか?自分ごとしか考えが出来ない人間は、自分

のことしか知らないのです。

自分のことさえも知らないのです。

周囲の人がどうなっているのか分からない。周囲の人は意識しません

ので、自分さえ幸せで健康で金持ちであればいいと思っている小さな

意識なんです。

あるいは自分ごとより、少し大きいのは、家族のことを考えている。

自分のことも考えているが、家族のものが、幸せで健康であってほしい。

それは、また、少し大きい意識なんです。魂なんです。

自分の家族だけではなくて、隣人のことまで考える人がいる。

あるいは村民、国民、あるいは世界的、皆さん方は今、自分の意識が

大きいか、小さいかくらいは、自己判断できるはずです。

意識の高いか、低いか、高揚しているか、高揚していないか。

ほとんどの人が自己中心的で、自分のことしか考えない、小さな意識。

これが、あなたの潜在意識に記憶されていったとすると、あなたは

相当苦しまなくちゃならないんです。

その潜在意識の中には、利己主義であり、エゴであり、全部、自己

中心的である。自己顕示欲であり、そういうものをいっぱい詰め

こんでいるわけです。

記憶されているわけです。その記憶されているのは、あの世に

帰りましても、そういう記憶しか持っていませんので、平安である

完成された神界に入ることは出来ないのでございます。

だから、天界、天上界に入るカギというのは、皆さん方が持っている

わけです。

修行によって、この地上界に生まれ変わるたびに、皆さん方は除々に

成長してきまして、完成されていっているわけです。

過去生では、皆さん、慈悲深い人ではなかったかもしれないけど、

今生になりますと、何となく、慈悲深い、情け深い人間として

それだけ成長してきたのです。

だから、今、皆さん方は自己完成をすべきなんです。

自分の存在が何であり、本来は、この真の自分というものは、

完全無欠で、無病で、苦しんだことのないあなたなんです。

それをこの肉に、今生で、完全さを、自分の中に、愛そのもの、

それを皆さん方は、肉を通して、現すことが出来るんだろうか?

これは非常に大事な問題なんですよ。

これを通してのみしか、皆さん方の魂は高揚しない。

意識は拡大しない。それが高揚してきますと、皆さん方の視野が

広がりますね。視野の拡大。

で、そこまで、神我にいきますと、そこには、分離も差別も何も

ない。自他一体。一体観念。全一の生命。全一の意識。

神の意識そのものは、その大宇宙に遍満するのは、一つの生命であり、

一つの意識である。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真の自分について | 【2006-05-01(Mon) 08:54:21】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真の自分について(7)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。

(1987.09.10より)

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この世で威張っているものは、ほとんどの人が不完全なる人なんです。

完全なるものは、威張らないんです。

威張るということがないんです。

自慢するということがないんです。

なぜなら、無欲だからです。

この世に存在する欲深いものが、人に自分をよく見られたい、

偉いものだと見られたい欲望があり、威張るんです。

それは無知そのものなんです。

賢者は威張りません。愚者は威張ります。

賢者は飾りません。愚者は飾ります。

で、自分にないものまで、見せたがる。

それは偽りであり、偽物であり、悪であるわけです。

だから、今、私たちは、この肉体が何のためにあるのかという

ことを悟って欲しい。

その肉体が何なのか?

何のためにここに創造されたんだろうか?

何のために生まれてきたんだろうか?

どうでしょうか?

実相を表現するために生まれてきたんです。

修行のためでもあると同時に、私たちは実相そのもの、完全さを

表現するために、現れているわけです。

そして、あなたがたがその修行を終えられて、完全さを肉に現した

とき、もう修行の、この世のすべては終わったということになるんです。

今世で、皆さん方が、何パーセントまで、その完全さをこの肉に現す

ことができるか?

あるいは、相当の表現体として、この世に今、皆さんがたが、

この世を去られるまで、どの程度まで、自分の肉を通して、神我を

表現できるかによって、修行ができたのかできなかったのかが

決まるんです。

人を憎んではいけません。悪口を言ってはなりません。

なぜなら、神我には、憎むとか、悪口とか、悪とか、そしりとか

一切ありません。

迷いの中に、ねたみやそしりや、怒り、嫉妬、そういうものが、

存在するんです。

そして、それが皆さん方の思いの中に、行動の中になくなったとき、

皆さん方、どんなに平安でありましょう。

やすらぎでありましょう。

それは、皆さんの魂の曇りが、無知が、取り除かれますので、

平安であるのは当たり前なのです。

だから、成仏の完成された次元、神界というのは、平安の次元だと

いうわけです。

この世で不安と恐怖に満たされているものが如何なる宗教をやり

ましても、彼らの帰るべき天上界は、どこにも存在いたしません。

なぜなら、その不安と恐怖は、どこまでも彼の意識に潜在している

からなのです。

私たちには、潜在意識というのがあります。

その潜在意識は、いいことも悪いことも記憶しているのが潜在意識

なんです。

そして、この世に生きている皆さん方の表面意識というのが存在

します。

それは肉意識ともいうわけです。3次元意識とも言うわけです。

呼び名はどうでもいいわけです。

そして皆さん方は、今、何を意識して生きているんだろうか?

3次元的な物事だけを意識しているんだろうか?

そうだったら、皆さん方は、外に生きているんです。

物的人間として生きているんです。

その表面意識の下に潜在意識というものがあって、その奥底に

何があるかというと、神意識というものがあるんです。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真の自分について | 【2006-04-30(Sun) 01:08:52】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真の自分について(6)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。

(1987.09.10より)

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神界というのは、完全なる次元のことでございます。

神界に不完全な人間が住んだら、どうなりますか?

神界ではなくなるわけです。

完全なる世界ではなくなるわけです。

不完全なる人間の住処は、ここである幽界であるわけです。

だから、幽界もまだ現象の世界というわけです。

またこの世に、舞い戻ってくるわけです。

幽界でも幽体という乗り船を通して、むこうでまた修行して、

また肉界に戻ってくるわけです。

これを皆さん方も今まで数世紀に渡って、私たちはこの世に

自分の本質である神我を知らなかったがゆえに、私たちは今、

不完全なるものとして、不完全なる思い、意識を起こしてきてる

わけです。

皆さん方もそれを分かりましたら、自分の本質は完全無欠であり、

無病であり、実相そのもの、神界に存在するものであり、この世に

肉というものが映しにすぎない。

神の実相そのものを私たちは、肉を通して、この世に投影しなくちゃ

ならない。映さなくちゃならない。

そのとき、私たちは、如来となるわけです。

如来というのは、上から現れたものの事を如来というわけです。

あそこは、上です。ここは、下です。地上界です。

だから、上から現れたもののように、私たちが、ご自身がなら

なくちゃならいんです。

それを如来、菩薩。

私は如来だと言う人が世の中にはいますけど、しかし、本当に

如来のような言葉遣いとその神我を現しているのかというと

本当に疑問です。

私は如来の生まれ変わりだ、光の天使だ、という人はいます。

いますけども、彼らは如来が何なのか?光の天使が何であるのか

理解していません。

光の天使であるならば、完全無欠であるはずです。

言葉において、思いにおいて、行動において、みんな完全なる

神そのものを現しているはずです。

今、自分がどの程度のものであるか、みなさんがたは、自分自身を

問い返してみてください。

本当に自分は、今、現象我という3次元という、目に見えるもの、

感覚で感じるもの、肉の感化に迷わされてはいないんだろうか?

それにとらわれて、これがすべてだと思い込んでいるんでは

ないんだろうか?

そう思っている人は、完全に自分の神我から遠ざかった偽我そのもの。

迷いそのもの、無知そのものであるわけです。

なぜ、みなさんは、この世で人を憎まなくちゃならないんだろうか?

それは現象我に囚われている、迷っている人間の言葉に迷わされている。

迷っている人間の姿に迷わされている。

彼らの悪い部分を現しているのは、迷いの姿なんです。

悟りの姿でないんです。

悪い言葉遣いをしている人間は、迷いの言葉なんです。

なぜ、迷っている人間の言葉や迷っている人間の姿に迷わされなくては

ならないんだろうか?

そこまで、もう言えば、皆さん方は、今まで、自分が如何に愚かな

ものであったかということが分かるはずです。

神の姿というのは、完全なる言葉遣い、完全なる思い、完全なる行動。

出来ている人は、天に近い人。神に近い人。

無意識のうちに、学問はないけれども、完全さを現している人も

いるんではないんでしょうか?

学問はいっぱい持っていても、偽我そのもので、不完全なる言葉遣い、

不完全なる思い、不完全なる行動をしている人がいっぱいいるんでは

ないでしょうか?



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真の自分について | 【2006-04-29(Sat) 16:22:59】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真の自分について(5)
人の悪口は一切言わない、憎しみはない、愛深い人、本当に言葉

において、思いにおいて、行動においても、本当に完成された

人間として、この世に誕生してくるわけです。

そういう方々の言葉遣いや思いや行動を見ますと、皆さん方は、

あの人は生き神様みたいですねと言うはずです。

それは神に近い存在。

完全なる自分に、完成された仏に、そういう方々は、この世を

去りますと、成仏していくわけです。

完全、成仏なんです。

この世でよく成仏、成仏という言葉が、使われていますけども、

非常に誤解されて、観念で捉えています。

うちのご先祖様は、成仏しているんだろうかとか。

その成仏していないから、供養しなくちゃならないとか、また

迷いが生じてくるわけです。

そう思っている供養している人も不完全で不成仏霊なんです。

不完全な人間なんです。

不完全な人間が、どうして不完全なる霊を供養できますか?

自分でさえも見失っているんですよ、完全さから見失っているのに。

自分の実体から離れて、苦しみや悩みやそしりや怒りや、さまざまな

不完全さを現している人間が、どうして、この世を去られた不成仏霊を

供養できますか?

成仏するにはどうしたらいいか?

ご馳走をあげることによって成仏するのでしょうか?

どうでしょうか?皆さん方、ご馳走をいただけば、悟るんでしょうか?

真の人間になりますでしょうか?

どうしたら、皆さん方は、真の人間になれるんでしょうか?

だから、今日一日に、迷った言葉遣いをしなかったか?

迷っている思いがないか?この3次元の現象我にとらわれていないか?

自分の本質から離れた存在ではないか?

一生懸命、反省して、日々日々、皆さん方は自分の中に、肉体に、

完全さを表現することによって、成仏し、完成されていくわけです。

拝みや信者で、いくら仏を何十万回、拝みましても、何の意味もない

というのは、そこにあるわけです。

彼らは、盲信狂信しているだけで、そんなもので、成仏するわけは

ないのです。

これが、成仏すると教えている盲目の指導者が、世に多すぎるという

ことです。

あなたを成仏できる、あなたを成仏させきれるのは、誰だと思いますか?

そうです、あなたを成仏させるのは、あなたなんです。

そのことを汝の救いは、汝自身なりと言っているわけです。

決して宗教ではないのです。

そこを良くご理解いただきたい。自分を完成するのは、自分自身で

あって、宗教ではないのです。

宗教が天国に帰すのではないのです。

自分が天国に帰るのか帰らないのかは、自分が悟ることによってのみ

行えることなんです。

そして、日々の生活の中で、自己完成をしていくわけです。

完成されていない人間は、まだ不完全なにんげんですから、

まあ何回も何回も、この世で自分の本来の真我に気づくまで、

それを私たちが、肉が真我を表現できるまで、この世に生まれ

かわらなくちゃならない。

このことを転生輪廻と言っているわけです。

迷っている間は、必ずこの世に生まれ変わる。

私たちが神の実体を現すことができない間、神に帰れないんです。






真の自分について | 【2006-04-27(Thu) 22:24:30】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真の自分について(4)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。

(1987.09.10より)

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利己主義者であったり、自己中心的であるということは、非利己的

から遠くはなれた、完全から遠く離れた、不完全な姿。

それが迷いの姿。

だから、世の中には、迷いが深い人と浅い人と、色々とさまざまな

意識のレベルがあるわけです。

皆さん方から、神に近い存在になるためには、どうすればいいのか?

もうお分かりですね。

憎しみがなくなったり、怒りがなくなったり、嫉妬がなくなった、

悪口を言うのがなくなった。

不完全なるものを皆さん方から、その肉体が、その不完全なるものを

現さなくなったとき、それが排除されたとき、皆さん方は完全なる

神我に近いわけです。

で、皆さん方が、自分の本質は神我であるという自覚ができて、常に

これを憶念して、今日一日、私は完全なる神の姿をこの肉を通して、

言葉において、思いにおいて、行いにおいて、現して見せるぞと、

一生懸命、今日という一日一日、皆さん方は難行苦行せねばならぬ

のです。

それを通して、習慣性となって、良い言葉遣い、良い思い、良い行い

が出来たとき、皆さん方は、完成された魂となるわけです。

決してこれは、宗教とか、何かのものによって、魂が高揚するわけでは

ないのです。

皆さん方が是非しなければならないのは、皆さん自身であるわけですね。

これが皆さんの救いであるわけです。

このことを汝の救いは汝自身なり。

神は自ら助けるものを助く。

私たちと神という境目、この境目は、どこにも存在しないのです。

心の迷いの中に存在するわけです。

このベールが解けたとき、皆さん方は、我は神我なり、我は神なり、

完全無欠の存在であって、この肉というのは、神の完全さを現す

媒体にしかすぎない。

分かりますか?非常に大切なことですよ。

これを今まで、説いてきた人はほとんどいないわけです。

では、わたしがあの世に出入りすることが出来て、この完全なる

世界に自分をコントロールして入ることが出来てこそ、これが

明かされたわけです。

そうしたとき、自分の本質は何だったと思いますか?

皆さん方は神我であった。

我は神我なり、神我というのは、何かというと、我は神なりなんです。

神なりと書くわけです。

だから、皆さんがたが今生きているのは、偽我。

3次元的な、肉的なものの思考。

これに目が眩まされてしまって、偽りの自分、偽物の我の中に

皆さん方は、我だと思っているわけです。

不完全な我を我だと思っているわけです。

不完全な我は、迷いの我なんです。

だから、完成された仏、成仏と書きますね。

いつも、私は言うわけです。

成仏とは、この肉が完全さを現したとき、仏となるわけです。

まだまだ不完全なものはどう書くかというと、不成仏と書くわけです。

だから、私たちはこの世から去るとき、私たちの中に、悪があり、

憎しみがあり、怒りがあり、利己的である人は不成仏霊なんです。

この世に肉を持っているときに、私たちは不成仏霊なんです。

不完成な人間なんです。

不完全な人間。完全ではないんです。

完全な人間というのは、その人間に欠点がなくなったとき、

憎しみがなくなったとき、怒りがなくなったとき、そしりが

なくなったとき、嫉妬がなくなったとき、そうしたとき、完成された

人間ですから、そういう人間のそばに行きますと、皆さん何と思います。

生き神様みたいだと言うんじゃないんですか?






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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真の自分について | 【2006-04-26(Wed) 21:43:09】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真の自分について(3)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。

(1987.09.10より)

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その真我があなたであって、ここにあるのは3次元におられる

皆さん方は、映しなんです。

その4次元以降の神界にある我を、この世の肉体に現さなくちゃ

ならない。

何パーセント現すことが出来たか?今生で。

だから、第一イニシエーションというのは、神の完全さを10%

映した方を第一イニシエーションというのです。

20%映した方を第二イニシエーションというのです。

30%映した方を第三イニシエーションというのです。

私たちは、本当に神の完全さを自分の肉体に何十パーセント映して

いるんだろうか?

そして、第五イニシエーションまでなりますと、その方々は約100%

完成された魂。

50%私たちがこの世で、第五イニシエーションまでなりますと、

覚者となるわけです。

まだまだ、50%なんですね。

完全ではないわけです。

完全になるには、まだそこにいきましてから、色々と神界に

帰りましてから、100%という完全さが現れるわけです。

この世から解脱する魂、本当にその光の天使として、帰られる

方々は、約50%。もうこの地上界に生まれてくる必要のない

方々というのは、50%の完全さをこの肉を通して現している

人々なんです。

本来、私たち自分という皆さん方個人個人が、肉を通して何パーセント

神を表現しているんだろうか?

それが問題でございます。

それが皆さん方の悟りの段階でございます。

完全なる自分の中には欲望もありません。

憎しみもありません。何もありません。

そしりもありません。嫉妬もありません。

嫉妬もない状態、怒りもない状態。

そういうその悪い部分が、私たちの肉体から離れたとき、排除された

とき、皆さん方は、その分だけ神に近い、実相世界に近い、真我に

近い存在となっているわけです。

それが、皆さん方の意識の段階であり、魂の高揚、魂の高さで

ございます。

魂が低い、高いというのは何かというと、完全さをこの肉体が、

言葉において、思いにおいて、行動において、何パーセント

現しているか?

これが魂の高さであり、意識の高揚でございます。

あの人は意識が高い、という人がいますけど、非常に欲深い人に

意識が高い人、ただたくさんの色々な本を読んでいるから意識が

高いというのではありません。

色々な本を読んで、真理を記憶しているからといって、高いという

意味ではありません。

どんな無学な人でも、勉強がなくても、年寄りでも、あるいは

女性であろうが、男性であろうが、完全さを現している人こそが、

意識の高い人でございます。

決して学問があるから、意識が高いという意味ではないわけです。

この皆さん方の真我というものは、完全でございます。

今、私たちは、この肉体という不完全の世界にいるわけです。

本来は完全であるべきなんだけども、周囲の人が不完全であるが

ために、私たちまでその不完全という習慣性になれてしまっている

わけです。

その周囲の人々は、憎しみを持っています。怒りを持っています。

人の悪口を言います。色々と破壊的想念、破壊的言葉遣い、

人を傷つけようが何をしようが、分からない。

利己的、そういうのを持っているわけです。

しかし、実相たる我々は、非利己的なんです。

神そのもの、無欠そのものなんです。




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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真の自分について | 【2006-04-25(Tue) 23:35:49】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真の自分について(2)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。

(1987.09.10より)

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そして、この世に現れた覚者方、この世から悟りを得て帰られた

という方々は、どういう方かといいますと、自分の実体を悟って

しまうわけです。

自分という存在は、神の、我神なり、我生命なり、その存在であって、

決して肉の存在ではなかったんだ。肉はその映しにすぎない、

表現体にすぎない。完全さを現す道具にすぎなかった。

ということをお悟りになって、自分の肉を通して、その神の愛を、

慈悲を、この肉を通して、表現して、完全、その肉に完全無欠

の存在を表現して帰られた方々を完成された魂というわけです。

私たちは、まだまだ未完成でございます。

なぜなら、自分の実体さえも分かりません。

この世がなぜ存在するかさえも分かりません。

なぜ、あの世があるかさえも分からないわけです。

あの世というのは、皆さん方の実相である真我も、霊界に

存在するわけです。

この世は物資界というのは、霊界の映しにしかすぎないわけです。

仮の姿、だから、昔の人は、この世は仮の宿だと言われたわけです。

そして、その皆さん方の真実なるものは、真我そのものは、

皆さん方の内界である心の奥底に存在するわけです。

そして、皆さん方の実相は、我神なりという瞑想に入って、

なるほど、私の真我そのものは、神、完全無欠の存在なんだけども、

私たちの肉が、肉の3次元に現れている間に、色々、ぼけてみえる。

完全さがぼけているわけです。

曇っているわけです。スモッグがかかっているわけです。

それは、そのスモッグは何から来たのかというと、迷いから来ている

わけです。

自分の実体を見失っている状態の人は、多く曇っているわけです。

で、実相を現している人は、やや光に近いわけです。

例えば、愛深い言葉遣い、愛ある思い、愛ある行動を起こしている

のは、実相に、その真の自分に近いわけです。

その方々は、神に近い存在だというわけです。

だから、皆さん方、この地上界の目的というものが、みんな

見失っているわけです。

その目的が何なのか、分からない。

私たちは、この世に、神を現さんがために、肉を持っているわけ

です。

神とは何かというと、完全なる知恵である存在。

人間は、今、無知という、神霊に対して、その内界に対して、あまり

にも無知のために、私たちは、物質界という3次元で、迷い苦しみ、

その本質から離れた姿、言葉遣い、行動、行為を起こしているのを

見て、判断するようになって、迷いの姿であるんだけども、これを

実在するものだと受け止めて、そこで、対立と競争、憎しみという

のを体験しているわけです。

決して、実相において、真我において、皆さん方は、一度だって

苦しんだこともない、迷ったこともない、病気になったこともない。

この世界は、病気なしなんです。

無欠、無病なんです。

だから、本来、ここに病気を現しているのは何かというと、私たちの

迷いの心が創造し、心が勝手に、心から派生した悪なるもの、

いろいろなものを造って、そこで自らが自らの地獄を造って、

苦しみを造ってもがいているだけなんです。

あなたという、本質のあなたは、この世に存在しないわけです。

だから、私は、よく講話の中に、私はこの世にあるとともに、

あの世のものであると、私はよく言うわけです。

あの世のものというのは、わたしは、この実相のものを指している

わけです。

この実相は、神と一体でございます。

神と一体なんです。

その完全なる神と一体、完全無欠の我が真我なんです。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真の自分について | 【2006-04-23(Sun) 21:09:21】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真の自分について(1)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。

(1987.09.10より)

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今日は、真の自分についてご説明したいと思います。

私たちには、真我と偽我というものがあることを知っておられますが、

真我というものは、どこに存在するかと言いますと、なかなか

知らないのでございます。

真我の存在するところは、神界と言いまして、完全なる界層に、

私たちの真我は存在するわけです。

そして、真我というのは、完全無欠であり、実相そのもので

あるわけです。

で、私たちが今、この3次元に映し出されているのは、偽我と

言いまして、映しの、仮相の世界。そして、これを仮相といいまして、

私たちは、その実相を、自分の実体を知りませんので、普通の一般人は、

この仮相の世界に、肉体というものを現しておりまして、その肉体を

我だと思うようになってしまって、実相である我々の神の世界の、

本来の自分というものを実体を忘れているわけです。

本来は、この実相をこの世に映すべき存在でございます。

私たちの肉体を通しまして、その真実なるもの、真我そのものを、

私たちは、この肉を通して、この世に完全さを表現するために、

人間は3次元に創造されているわけです。

しかし、本質的自分を忘れてしまって、現象我といいまして、

映しの世界に目が眩んでしまって、自分の本来の姿を完全に

見失っているわけです。

本来は、この実相が、そのまま私たちに映って、完全なる現われとして、

この地上界に現れなくちゃならない。

しかし、今、完全に自分の実相を現している人間は、ほとんど

いません。

ほとんどが現象我といいまして、映されたその形体、形、目に見える

もの、仮相に目がくらまされてしまって、そこで物事を判断して

日常生活をしてしまって、自分の実体を私たちが、この肉体が表現

しなくなったわけです。

それを神からの分離。だが、本来は分離はないわけです。

私たちに、この世に創造物として現れている肉体。

本来、なぜ肉体というものが、この世に存在するのかと言いますと、

この実相たるものを、神そのものを、この世に映さんがために、

真実なるものを映さんがために、この世に、私たちは肉体を創造

しています。

だけど、普通の一般人の方々は、自分の実体がどこから来たものか、

自分の本質がどこにあるのかわかりません。

そのために私たちは、肉をあるいは物質を見て、考えて、思考して、

そこで苦しんでいるわけです。

皆さんの実相は一度だって、苦しんだことがなければ、病気に

なったこともない、何もない存在でございます。

しかし、この世に映された人間は、生まれてきますと、周囲の人が

みんな、偽我という仮相の世界に、目が眩んでしまっている無知の

世界に生まれてくるわけです。

この地上界のことを無知の世界といいます。

あの世は知恵の世界なのです。

で、我々は本来は、知恵そのものであり、力そのものであり、愛

そのものであり、完全なる神の実相を現していますけども、

この3次元に現れてきますと、肉我というその現象我に目がくらんで

しまって、私たちの本来の真我というものを見失ってわけです。

だから、世の中にはさまざまな人がいるわけです。

多く実相を表現している方もいます。

心のやさしい人、慈悲深い人、愛深い人、そして行為が正しい人は、

何パーセントか実相を現しているわけです。

世の中には熟した魂と熟していない魂がいると、私はよく言います。

熟していない魂というものは、完全にその実相から遠く離れた姿、形を

現している人。憎しみ、怒り、嫉妬、もう自分ごとしか考えない。

自己中心的、エゴ、それは完全に本来の姿から目が眩まされた無知の

存在。あるいは未熟な魂。

みなさんは、何回も転生、輪廻を繰り返されるうちに、自分の実相

たるものを知るようになるわけです。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真の自分について | 【2006-04-22(Sat) 20:28:32】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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