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Author:諒
■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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外は仮相世界,内は実相世界(6)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから我々は、与えて、与えて、与え尽くせば、皆さんの泉や

宝庫は枯れましょうか?

与えれば与えるほど無限の泉が無限の宝庫からこんこんと

ほとばし出てくるではないでしょうか。

こんこんと涌き出てくるではないでしょうか。

決して皆さんの泉は、宝庫は、枯れてもう終わりということは

ありません。

無限の泉です。

無限の宝庫です。

それが今、皆さん自身の中に今即、内在していることを知って

もらいたい。

だから、私はその泉を外というこの仮相世界に求めたというでは

ないでしょうか。

ショベルやツルハシを持って、何ヶ月も一生懸命、約一年近くか、

一生懸命、掘って掘りまくって一滴の水も出なかったというでは

ないでしょうか。

(注:沖縄時代の話。神から愛の泉が出るという啓示を受け、

一年近く、同じ場所を掘りつづけたという話)

しかし、我が中に、実相という我が中に融合したとき、我は

神なり、我神なるが故に、無限の知恵、無限の力、無限の愛、光

の泉、宝庫は、我が内にあり、あなた方の内にあり。

だから、皆さんは初めから神から、豊かさを与えられていること。

しかし、今の人間の豊かさは、金だ、富だ、物質だ、死後の世界

まで、あの世まで持ちかえることの出来ぬものに、あたかもそれを

手に入れるのが豊かさであるという錯覚をしていること。

死後の世界まで一物、持ちかえったものがいたでしょうか。

で、またいるでしょうか。

持ちかえることが出来るは、皆さん一人一人が天の蔵に納めた

愛そのもの他に持ちかえることが出来ぬことを知ってもらいたい。

慈悲の慈の心とは、万象万物あってあるもの、全ての幸せ、

喜び、幸福を願う心が、慈悲の慈の心だと。

慈悲の悲の心とは、万象万物あってあるもの、全てから、

悩み、苦しみ、悲しみが取り除かれますようにと。

だから、私の祈りは、物心ついたときから、私だけが健康に

なりたい、幸せになりたい、金持ちになりたい、一度もそのような

利己主義、エゴの願いは祈ったことはないと言います。

万物を御造り下さった偉大なる神よ、あなたが創造した被造物、

すべてがあなたの光に満たされ、無限の喜びに、無限の至福で

ありますようにと。

全世界の一人一人が常に幸せでありますようにと。

これが私が物心ついたときからの願いであって、思いと

言います。

私だけ良ければ良い、私だけなんて、全体から切り離された私

なんて、どこにいましょうか。

全体の私がいます、一命一体として。

一命一体。

どの宗教でも自他一体を説きます。

自分と他は分離とは説いておりません。

自分と他は一体、一つ、と説きながら、じゃあ、なぜ、

あなた方の宗教は、我々の宗教はと、神が上だ、仏が下だ、

またその逆も、なぜ、そのように分離、差別で生きましょうか。

本当の自他一体は、本当の一命一体を知っていないでは

ないでしょうか。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




外は仮相世界、内は実相世界 | 【2006-07-09(Sun) 15:47:25】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
外は仮相世界、内は実相世界(5)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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宮殿で生まれ育って、優雅に優雅に一転生終えたところで、

常に家族のものが怒りに燃えて、やすらぎ失っているのならば、

そこは地獄と言えるではないでしょうか。

じゃあ、天国は、地獄は、我々の心そのものと言えるではない

でしょうか。

憎しみ、怒りに燃えているのならば、今即地獄を味わっていること。

すべてを愛し、すべてをいたわり、すべてを思いやる心ならば、

今即天国を味わっていること。

だから、先ほども話をさせて頂いたように、今日も愛にて目覚め、

愛で事を成し、愛で今日の一日を終えていければ、この私、

何十何年間努力を積み重ねてきた結果、とうとう天国を我が内に

見出したこと。

じゃあ、その天国は誰にも奪われない、誰がも崩せない、

で、その天国は常に喜びとして、やすらぎとして、至福として

味わい生きているではないでしょうか。

誰が私の喜びややすらぎを崩すことができましょうか。

常に愛という種をまけば、その蒔いた種は必ず実をつけます。

で、その実は誰が刈り取るのか。

蒔いた本人が刈り取ること他にないと言います。

じゃあ、その刈り取りは、幸せとして、この喜びとして、

やすらぎとして、常に愛という実は摘みつぐではないでしょうか。

そのかわり、怒り狂って皆さんが生きてみてください。

じゃあ、その刈り取りは、悩み、苦しみ、不調和として、不幸

として、刈り取っていかねばならぬではないでしょうか。

だから、その原因と結果さえも知らずして、ただ言いたい放題、

思いたい放題、やりたい放題、誰が傷つこうが、不愉快な思いを

しようが、破壊されようが、苦しもうが、それは誰に降りかかって

きましょうか。

蒔いた本人がそれは刈り取る他にないではないでしょうか。

だから、常に我々は愛の伝導体と生きよと。

常に宇宙真理というものさしを我々は常に生きていってもらいたい。

お釈迦様も正しく見、正しく思い、正しく語り、正しく仕事をして

生活をし、そのような正しい生き方がとうとう神との仏との合一

と言ったではないでしょうか。

汝、すでに仏なり。

汝、すでに神なり。

そう言える我であるためには、まず我々は皆さん一人一人が常に愛に、

慈悲に、生きていけるあなた方。

すべてを愛す心、愛心。

すべてをいたわり思いやる心、慈悲心。

己が幸せであるためには、慈悲心、慈悲の心で生きよと。

己が幸福であるためには、愛心、愛の心で生きよと。

愛するは愛されるよりも美しく、すべてを幸せにする。

しかし、今の人間は、ください、ください、もらいたい、得たい、

乞食と申します。

愛を得ようとするものは、愛を失い、愛を放つものは、愛を得る。

命を得ようとするものは、命を失い、命を放つものは、命を得る。

持てるもの、さらに多く与えられ、持てぬものは、持っているもの

さえも奪われていくんだと。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




外は仮相世界、内は実相世界 | 【2006-07-07(Fri) 21:54:05】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
外は仮相世界、内は実相世界(4)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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皆さん一人一人がいる場所で、おる場所で、常に愛という

波動を放ち生きることが出来るならば、この世界はどうにでも

変えいくことが出来ること。

だから、皆さん一人一人の心を映し見ている大きな鏡と

言うではないでしょうか。

この影の世界は、幻影、幻の世界は、皆さん一人一人の思念、

行為でどうにでも映し変えることができるだろうと。

だから、地球の運命を背負っているのは、動物や鉱物、植物

ではないんだと。

どんなに花々が美しく咲き誇ることが出来ても、本性で

現し示して生きることが出来ても、決してこの地球を変える

ことは出来ない。

決してこの地球を調和に向けることは出来ない。

あるいはまたライオンや象は、草原を駆け巡ることは出来ても、

この地球を変えていくことは出来ぬではないでしょうか。

雨が地表を洗い流すことは出来ても、地球を変えることは

出来ません。

じゃあ、この地球という母なる大地は、常に美しくあれと誰に

任されていますか。

我、あなた方、万物の霊長と言われた一人一人にその地球は任されて

いるではないでしょうか。

調和に向けるどころか、今は破壊へ破壊へ破壊へ追いやった結果、

ほれ、もう今や天候も定まらない、毎日のように天候異変、地震、台風、

様々な現象を引き起こしているのは、我々の誤った思念、行為の

結果ではないでしょうか。

言葉は波動です。

思いは波動です。

表現一つ一つが波動です。

じゃあ、それが常にネガティブ、消極、破壊的な波動であるのならば、

とうとうこの地球という地球は、破壊的な波動に覆われていくのならば、

それはそれから解放されるために身震いすることそのものが、

地震であり、台風であり、色々な物々の現象ではないでしょうか。

だから、美しく常に調和された世界であるためには、まず我々の心が

一人一人の心が調和であってもらいたい。

皆さん一人一人の心が平和でなければ、家庭の平和がありましょうか。

皆さん一人一人が社会であり、世界であることを知ってもらいたい。

だから、平和はまず皆さん一人一人から。皆さんの一人一人の心が

平和でなければ、家庭の平和はありません。

で、一つ一つの家庭が平和でなければ、その地域、社会の平和は

ありません。

家庭一つ一つの集まりが社会であり、世界ではないでしょうか。

世界トータルして宇宙そのものではないでしょうか。

ならば、戦争、闘争、対立を止めさせるためには、皆さん一人一人

の心が愛に満ち、常にやすらぎある心を失ってはならぬと。

皆さんがやすらぎ失わぬ心ならば、常に愛に満たされているのならば、

即、即、天国ではないでしょうか。

天国は我が内にあり。

天国は遥か彼方から訪れくるのではないんだと。

今、皆さんが安らぎある心、常に愛に満たされた心であるならば、

今即天国。

崩れかけたあばら家に生まれ、育って、地位、名誉、財、富、金に

満たされていなくても、常に家族のものが心安らぎで愛に満ちて

るのならば、そこは天国。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




外は仮相世界、内は実相世界 | 【2006-07-06(Thu) 22:21:21】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
外は仮相世界、内は実相世界(3)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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蟻一匹も庭に咲き誇る花一輪も、皆さんの足元に転がる石ころ

ひとつも全ては神の化身、全ては愛の化身であることを

知ってもらいたい。

ならば、我々は偶像崇拝、盲信狂信することはないだろうに。

サイババさんもなぜあえて、肉体的な私を見に来る必要が

あるのかと。

肉的な私に会いに来る必要があるのかと。

なんで、あなたがたがいる場所で、私を呼びさえすれば、

そこに私がいるというのは、命という本質を、同一なるものを

通して語っていることを知ってもらいたい。

サイババさんの命とあなた方の命、皆さん方が言われた

今までの聖人と言われた方々の命と、何も変わらぬ本質ではない

でしょうか。

何も変わらぬ宇宙真理というその根源のみではないでしょうか。

だから、あなたがたがいる場所で、私を呼びさえすれば、

そこに私がいるんだといいます。

あえて肉的な私を見に、あるいはまた会いに来る必要は

ないんだと。

皆さん自身が宇宙真理と即一体であるのならば、どこにでも皆さんは、

いる場所で相、対することができること。

観自在、無碍自在、自由自在の境地であるためには、偽我という

己を無限という大海の中に皆さんは解放しいかねばなりません。

偽我に縛られ、仮相というその結果にとじこもって、だからその

肉体というものは、非常に恐ろしいもの。

皆さんの魂は無限という大海の中に解き放つことを叫んでいるにも

かかわらず、この肉体はこれが真のあなただよ、それも一つの

誘惑ではないでしょうか。

だからイエス様があの40日間、荒野で迷ったときに、

非常に誘惑を聞かれたではないでしょうか。

あなたは霊的な王になるよりは、この世的な王になったらどうか。

宮殿を見せられ、様々な豪邸を見せられて、そう言われた中に、

この世の豪邸であっても宮殿であっても、死後の世界まで

持ち帰ることもできない、いつかは朽ちはていくもの、

それは単なる仮相という幻影にしかすぎぬと。影、幻、

幻影にしかすぎぬと言ったではないでしょうか。

だからそれを「サタンよ、我が後ろにて下がれ。」

影、幻、幻影よ、消えよという意味ではなかったでしょうか。

去れと言う意味ではなかったでしょうか。

またお釈迦様は内観中に、裸できれいな女性に誘惑を受けた

時に、どんなにこの世の形がきれいなものであっても、死後の

世界まで連れ帰ることはできない、それとていつかは年老いて

朽ち果てていくもの、そのような誘惑に決して振り回される

ことなく、それを悪魔よ、我が後ろにて下がれと。

そのようにすべて影、幻、幻影という仮相を追い払ったということを

知ってもらいたい。

だからお釈迦様は皆さんが見ているこの外という仮相世界を

この世は無常世界。常に無い世界なんだと。

一瞬一瞬形を変えていく世界なんだと。

で、皆さん自身の思念・行為を映し出している結果の世界なんだと。

だから○○さんが関東の、東海の大地震はどうなっていくんだろうと。

それは我々がこれからどう生きていくか、どのように思念、行為で

我々は存在し生きるか、その画きが変えていくことを知ってもらいたい。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




外は仮相世界、内は実相世界 | 【2006-07-03(Mon) 22:43:33】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
外は仮相世界、内は実相世界(2)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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じゃあ、今の人間が五感という器官を、五感というものを

使い誤って生きている限りは、どこに調和がありましょうか。

だから、この目、耳、鼻、口という五感というものを、すべて神に

お任せしますで、皆さん自身が見る、語れる、生きれる、

動けるあなた方になってもらいたい。

神はすべてのすべて、あってあるものを通して、神のみを

見つめていることほかにありません。

じゃあ、皆さんが今、私が語る言葉が嘘か本当か、明想という

手段を通して、外なる自分から内なる自分へ、仮相の我から

実相の我へと皆さんが融合されて見てください。

今、私が語る一言、一言が実感して納得されていくだろうと。

本当に神の目は、どんなものの中にも神という実相しか

見ていなかったと。

真実しか見ていなかったと。

すべては美しき天使たち。

無限に飛び立つ美しき天使たち。

皆さんは、ただこの花々を見れば、単なる美しさを美しいと

見ます。

しかし、その美しき背後には、よりいっそう、命の輝き、

花々や動物や鉱物の背後には、また人間の背後には、

よりいっそう、命の輝きが、燦然とそこに皆さん、光放っている

ことを知ってもらいたい。

だから、すべては光なり。

我は光なりという境地に達したとき、すべては光なり、

すべては愛なり、すべては神なりとそう言えるではないでしょうか。

だから皆さんがどんないやしいものも、どんなに皆さん自身が

嫌っているすべてを皆さんが今の科学の力で分析したときに、

一番粗い粒子、それをもっと細かくいけば、電子だとか、

陽子だとか、素粒子だとか、微粒子だとか、あとはそれ以上に

分析すると光そのもの、そうなったとき、皆さん、すべて光

そのものが形作った世界だったと。

ただ我々がその根源であるその宇宙真理、その光を見る目を

失っただけ。

幾転生という人生の旅を通して、触って、掴んで、この肉の目で

映し見ているものそのものがすべてだというその先入観、固体観念、

そのものを皆さん自身が捨て生きることが出来ぬ限り、真の中身は

見ることが出来ぬではないでしょうか。

だから内観という手段を通して、明想という手段を通して、

皆さんが外なる我から内なる我へと皆さんが融合したとき、

そこに鮮明にすべての本質が神であり、宇宙真理であり、

愛そのものと皆さん感じ取ることが出来ましょう。

愛でなきものが、この世に一物も存在しましょうか。

だから私にとっては、すべては愛の化身なんだと。

まあ、インドではすべての形あるものは神の化身と訴えられます。

で、神は愛なり、愛は真理なり、私は愛の化身と申します。

で、インドではまた、インドのサイババさんも、すべては神の

化身と訴えいるにもかかわらず、もうそれを偶像崇拝、盲信狂信

されている方々は、インドのサイババさんのみが神の化身だという

何てまた、奉って偶像しているのかと。

で、サイババさんとて私だけが神の化身ではなく、皆さんも、

庭に咲き誇っている花一輪、形あるもの、すべては神の化身

ではないのか、そう訴えているにもかかわらず、奉って神の化身を

崇めているではないでしょうか。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




外は仮相世界、内は実相世界 | 【2006-07-01(Sat) 08:38:19】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
外は仮相世界、内は実相世界(1)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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外は仮相世界、内は実相世界。

じゃあ、皆さんは、何のために明想されているのか。

この仮相という結果の世界から、実相という原因の世界へ

みなさんは、自らを導くために、明想という手段が与えられている

ことを知ってもらいたい。

だから、イエス様もお釈迦様も外を見るな。

皆さんが悩み、苦しむのは常に外に生きている人間の言葉、

表現、それに振り回され、苦しみ生きていることを

知らねばなりません。

だから、私自身が、なぜ、この何十何年間、一度も苦しみの

体験なし。

で、なぜ、悩み、苦しまないのか。

常に内を見つめている結果ではないでしょうか。

外という結果世界は、仮相であることを知ってもらいたい。

じゃあ、取るに足らない仮相に振り回されて、どうして落ち込んだり、

悩んだり、苦しみ生きる必要がありましょうか。

それを愚かなる愚者と申します。

だから愚かなる愚者が見つめているものは、常に仮相という結果世界、

常に外側しか見ることが出来ない。

外は本物と言えましょうか。

本物は、皆さんの内に在り。

だから、明想という手段を通して、常に内へ、内へ、内へと

入りいく訓練を皆さんはされているではないでしょうか。

我、血や肉や姿、形でもなく、人間、肉体、個人でもなく、

我は霊なり、我は真理なり。

で、イエス様やお釈迦様が宇宙即我(そくわれ)、宇宙即我(そくが)、

我は真理なり、我は神なりと断言して言いきれたのは、内なるその

実相世界へ、自らを融合させてのことではなかったでしょうか。

大海にしみる一粒の滴。

内なる大海にみなさんが錨をおろしたとき、内なる大海に身を

おいたとき、大海の知恵が、大海の力が、大海の愛が、皆さんを

通して現し示されること、これをキリストの伝導と申します。

無限という知恵、無限という力、無限という愛や光を皆さんが、

観自在、無碍自在、自由自在に示し生きることを、キリストの

伝導と申します。

決して黒い聖書を持ち歩いて、どこの家庭を伝導してきたでは

ありません。

今、一瞬一瞬おかれている場で、皆さんが常に内側から語り、

見、思い、生きているのならば、それは皆さんの一言一言は、

これ実相という本質そのものから開いた真の言葉ではないでしょうか。

真の思いではないでしょうか。

だから、この内側に融合されたものは、こう言われます。

神が見たもうがごとく、我見ます。

神が思いたもうがごとく、我思います。

神が表現したもうがごとく、これ表現します。

じゃあ、神は、すべてを通して、美しいものほかに見てはおりません。

何を感じても捉えても、美しいものほかに実感されておりません。

だから、我々のこの目は、人の悪いところを見る目ではないこと、

常に真実、美しいものを見るための目。

常に真実、愛の、美しきものを語るための口。

人の噂話や世間話を聞くための耳ではなく、常に真実なる

神のメッセージをすべてから宇宙真理というその声を聞くための耳。






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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




外は仮相世界、内は実相世界 | 【2006-06-30(Fri) 22:08:44】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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