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■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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愛のみの実在(7)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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宇宙真理という本質は時代の新旧において変化することが

ありましょうか。

人間の観念、概念で作りかえてみたり、変えてみたり、破壊する

ことができましょうか。

だから、皆さんの本質は如何なる時代でも幾転生という過程を

この肉体が通してきたにしても、皆さんの本質は不滅です。

皆さんの本質は不死です。

だからこそ、久遠にして常在。

不滅にして絶対実在と申します。

久遠とは永遠のあなたがた。

常在とは常にあるあなたがた。

不滅とは一度だって破壊されたことのないあなたがた。

実在とは実際にあるあなたがた。

だから、いつも皆さんが愛眼、方眼、霊眼を持って、皆さん自身が

それを見てみて、すべてを見つめみてください。

すべては美しいと真の花々の咲き誇っているその美しさの背後には、

より一層命の輝き、神の美しさを体験するでしょう。

いつも方便で例えます。

あの御釈迦様の当時、御釈迦様の弟子であるアナンというその男性を

ある女性が追っかけて追っかけて御釈迦様に、私はアナンが大好き

です。アナンのどこが好きなのかと御釈迦様に聞かれたときに、

もう輝いた目、格好のいい鼻、きりっとしまったその口、

どこをとっても大好きだといいます。

あなたの見ている美しさはうわべの美しさ。

アナンにはもっと真の美しさがあることを知らんのかと。

で、その女性は、じゃあ、そのアナンの真の美しさを見せてくれと。

心の目を開くならば、それは心眼、方眼、霊眼、それを開くならば、

真実のアナンの美しさを見ることが出来るだろうと。

私自身が皆さんひとりひとりに見ているその姿ではないでしょうか。

あなたがた一人一人に永遠の美しさを見ています。

いつか朽ち果ていくこの肉体的美しさではなく、永遠不滅の美しさ、

永遠の若さ、永遠の健康である真の美しさをあなた方と言っている

ことを知ってもらいたい。

だから私が見ているあなたがたは、いつかは年老いて、いつかは

この現象の世界を朽ち果ていくそのようなあなたがたをあなた方と

見ているんではないんだと。

神として宇宙真理として、不死不滅、永遠のあなた方を眺め見ている

ことを知ってもらいたい。

その状態でもっともっと意識をバイブレーションを高めますと、

とうとう皆さんの肉的なあなた方はここから消えていくこと。

光としてのあなた方。

皆さん自身のテーブルや皆さん自身の囲んでいる、あるいはまた

この建物、すべて形なるものは消え、光一元なる中に立っている

ではないでしょうか。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-17(Thu) 20:32:20】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(6)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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その神を言いかえれば愛とか、宇宙真理とか、宇宙法則だとか、

そう説いているだけ。

だから、この大宇宙、唯一の愛の法則、宇宙法則に支配された

ものであって、カルマの法則だ、輪廻の法則だ、それは実在

ではありません。

だから、皆さんがカルマを作る自分、輪廻転生を繰り返す自分、

それを偽我と訴えていること他にありません。

しかし、皆さんが我は真理なりという境地に至ったときは、

何万年の転生させられた法則、今ここに解けたり。

幾転生という人生の過程を通して背負ってきた業も罪もカルマも

すべては皆さんから解き放たれていくではないでしょうか。

そのとき、何を見ても、何を感じても、何を捉えても、

愛のみが実在であったと。

愛こそすべてのすべてあってあるものの本質であったと。

だから、皆さんは、神我として、愛そのものの本質として

皆さんは与え生かされているがゆえに、皆さんも神の大愛で

あってもらいたい。

じゃあ、我々が都合いいものは愛します、都合悪いものは愛せない

というのならば、それこそおかしいことではないでしょうか。

神は小さな蟻一匹をも、大海を泳ぐ大きな鯨をも、全く同一の愛で

すべてを生かしていること他にありません。

あの人には大きな愛、この人には小さな愛、決して差別、分離、区切り

はありません。

唯一の愛で万物を生かしていること、だから皆さん自身が今ここに

いることは、皆さん自身、創造も出来ぬほどの愛というその愛を

恵みを受けて、今、ここに生かされていることを知ってもらい

たい。

じゃあ、神は何て無限の方か、何て皆さん自身が創造も出来ぬほどの

方なのか。

今までのキリスト教が訴えたように、あなた方が罪人と言いましょうか。

イエス様は神の一人子、あなた方は罪人と言いましょうか。

イエス様本人も、私も神を受け入れて、神の一人子。

で、あなた方も、我は神なり、神を受け入れれば、あなた方こそが

神の一人子、すべてがそうではないのかと。

そう言っているにもかかわらず、だから、本当にその原点を

説いたその方ならば、キリスト教であっても仏教であっても、

ヒンズー教、密教、ユダヤ教、何教であっても、全く唯一の神を

説いたにもかかわらず、それを枝葉根を広げたその下の方々が、

神の名を借りて、金儲けに明け暮れたものがいっぱい出てきたが

ゆえにその神をひずんだではないでしょうか。

しかし、どんなに誰がひずまそうたって、神の本質は不滅です。

永遠です。

何者にも左右されることはありません。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-15(Tue) 09:43:04】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(5)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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形に振りまわされて、混乱しいく自分であるならば、それこそ

偽我そのものに生きていることを知らねばなりません。

だから、真我に目覚めよと。

真我、真の我と書きます。

真の我は、過去において、今において、未来永劫に完全そのもの。

不完全なその真我なるものがありましょうか。

だから、悩みを作る自分、苦しみを作る自分、病気や病を作る

その偽我という自分をイエス様はサタンよ、我が後ろにて下がれと。

御釈迦様は悪魔よ退けと追い払ったのはその偽我そのものを言ったこと

を皆さん知ってもらいたい。

だから己の他に敵を見て敵にそう語ったではありません。

皆さんも例えば、怒りをぶつけられたときに、その者に怒り返す

あなたがたならば、もう皆さんはこの偽我に負けている姿。

それを言いかえればサタンや悪魔に皆さん支配された姿。

その言葉でも皆さんは天使のささやきに聞こえるか。

如何なる表現も天使の表現に見れるか。

ここが大きな勝負。

だから皆さん自身が何を聞かされてもどういう表現を見せられても、

美しいその真実なる神をその背後に感じ見ることが出来るならば、

振りまわされる必要もない。

如何なる苦しみも皆さん、喜びに変えることが出来るでは

ないでしょうか。

すべてのすべてあってあるものの幸を思い願えるあなた方。

己が幸せであるためには、一人一人の幸を世の人間全ての幸を

思い願う自分。

これが慈悲の慈の心ではないでしょうか。

慈悲の慈の心とは、万象万物あってあるもの、すべての喜び、

すべての幸せ、すべての幸福を願う心。

慈悲の慈の心と言います。

慈悲の悲の心とは、すべてのすべてあってあるものから、悩み

苦しみ悲しみが取り除かれますようにと。

全体の幸せを全体の喜びを全体の幸福を願う心こそ、慈悲の心、

慈悲心と説いたではないでしょうか。

あるいはまた愛心と説いたではないでしょうか。

すべてのすべてあってあるものと我々は共存共栄、共生し生きねば

なりません。

皆さんはただ肉体に宿っているその命そのものが実在だと

言えましょうか。

で、それそのものがすべてだと言えましょうか。

命はみなさん自身が創造も出来ぬ状態でこの大宇宙針先一点空間なく、

至るとこに遍満していることを知らねばなりません。

だからこそ、神は無限なりとはその意味ではないでしょうか。

あるいは神は遍在し、遍満するとは、針先一点空間なく、すべての

すべてが神そのものであることではないでしょうか。

どこに神がいて、どこに神がいないというならば、それは神を

実感しているではありません。

我意識したところに、我あり。

我思ったところに、我いるという無限という大海の中に皆さんが

融合し、その意識状態から眺め見るならば、一点の空間もない

すべてのすべて在ってあるものは、神の実体であったと。

神こそ実在。



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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-13(Sun) 19:22:06】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(4)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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魂が磨かれるではないでしょうか。

どんなに我々がどこに神を、まあ私はどこに神を求めるのも

悪いとは言いません。

それは求め方は一人一人違います。

しかし、最終的には皆さんどこに神を実感すると言いましょうか。

我即神であったと。

汝すでに神なり。

汝すでに仏なり。

必ずやそこに皆さん到達していくでしょう。

なぜならば、私がその体験者。

一生懸命、何年間何ヶ月、愛の泉を外にも掘りました。

で、知恵の泉を外にもそれを求めて、何年何ヶ月も掘って掘って

掘りまくったところ、この形という現象の世界には、愛の泉も

知恵の泉も掘り当てることも出来なかった。

とうとう気違い扱いされただけ。

馬鹿よ、気違いよ。

青い鳥を求めて全国全世界を旅したところで、青い鳥を外に

見出すことが出来なかったように、とうとう探し疲れて、探し

あぐねて、我が内を見つめたならば、我は神なり。

我神なるがゆえに、無限の知恵、無限の力、無限の愛の泉、

宝庫、我が内にありと。

で、皆さん一人一人が光であることも、あの真栄田岬で月のない

星のない真っ暗い中に座って明想している中に、とうとう光一元

というその実感をしたときに、あの海に向かって水平線貫いて

無限に光を放つその光を眺め見たときに、どこからその光は

注すのかで見たのならば、己自身のハートセンターから、

己自身が光そのものであることを実感したときに、我は光なり、

すべては光なり、そのときから、その光そのものを断言して

言いきれたではないでしょうか。

だから、皆さんは決していつかむなしく朽ち果てていくこの

現象我という肉我があなた方ではありません。

だから外を見れば自我という肉我の自分。

内を見れば真我という実相の自分。

だから神は皆さんに自由意思を与えて、内を見つめるか、

外を見るかを皆さんの自由意志に任されているではないでしょうか。

だからこそ、神は内を見よと。

内観せよと。決して外側に錯覚を幻覚で、振りまわされて

生きてはならぬと、そう言っているではないでしょうか。

外なるものをわたしは無視せよではありません。

もちろん、その宇宙真理という本質は外なる肉体を通して、

現し示して生きることは確か。

しかしそれは表現体であって、決してそれは実相、真実そのもの

ではないんだと。

だから皆さんに何が真実なのか、非真実なのか、何が本物なのか

偽物なのか、その識別が出来れば、皆さんの悩み、苦しみ、

不調和なるものは、皆さん和らいでいくことだろうな、で本当に

今までの悩み、苦しみ、悲しみを喜びに変えていくことが

出来るだろうに。

私は常にそこを眺めているではないでしょうか。

だから皆さん一人一人が何が偽物なのか何が本物なのか、何が真実

で何が非真実なのか、その識別をなされ、決してその現象という

結果に振りまわされない、混乱しないあなた方であってほしい。

私は決してこの地球というこの学びの場であるこの地球を

崩壊せよという意味では在りません。

例えこの地球が崩れ去っていく中にも我は命なり、我は真理なりという

その自覚しているものは振りまわされ混乱することがありましょうか。

どこにいてもどういう状態が現れようがどう形を変えていこうが、

やすらぎそのものは不滅に皆さん自身が生きることができる

ではないでしょうか。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-11(Fri) 23:17:10】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(3)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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皆さん自身が自らにそれを灯したとき、家庭の中に火は

灯るではないでしょうか。

で、皆さん一つ一つの家庭が火が灯れば、その地域は、その地域から

日本全体へ、それから世界そのものが、夜明けを迎えるでは

ないでしょうか。

まさに今は夜明け前の暗さ。

朝日の美しさは夜の闇の後に輝くと言われるように、今はまさに

末法の世。

で、夜明けを迎えんとしている今の状態。

だから、今の社会は、今の時代は、もう非常に厳しいこと。

もう、夜明けを迎えんとする前の厳しさ。

それは皆さん自身が歯を食いしばって拳を握り締めて、

耐えて耐えて耐え抜かねばならぬ今の時代。

それを耐えぬいた暁は、皆さんに本当に美しい朝日を皆さん

見ることが出来るでしょう。

神が完全であるが如く、我完全なりというその境地に至って

皆さん、朝日の美しさを徹底して皆さん、それを感じ生きることが

出来るでしょう。

花々もあの野の草花も耐えて耐えて春の訪れ来ることを

耐え忍んだではないでしょうか。

雪に埋もれても、雪が溶ければ、本当に美しい芽を吹き出すように、

踏まれても踏まれても根強く忍べ道芝の、やがて花咲く春も

来るらんと。

花を開かぬ、時を迎えぬ人間なんて、この世に一人もおりません。

神は、神という実相世界に戻ってくること、帰ってくること、

60何憶一人一人にそのチャンスを与えられていること。

だからこそ、悩みを通してそこに至るもの、苦しみを通してそれを

追求してそこに至っていくもの、あるいは病気や不調和を通して

そこに至ってくるもの、その至っていく方法は、皆様々違うでは

ないでしょうか。

それを悩めるものよ、幸いなり。

苦しきものよ、幸いなり。

この者は、天国という神の御国を見ることが出来るだろうと。

しかし、私が20何年前にガンで苦しみ生きている者、悩みで

苦しみ生きている者に、悩めるものよ、幸いなり、苦しきものよ

幸いなり、いち早く誰よりもそれを理解して実感して、その境地に

至ってそのように立ちあがってもらいたいために、そう語ったにも

かかわらず理解できない者は、怒り狂ったこと。

しかし、まあそこを離れた方々は今はもっと容易い道を歩んでいる

かどこを歩んでいるかは知りません。

しかし、何十年間もそれでも歯を食いしばって耐えて耐えて

耐えぬいた者は、とうとうそう言っているではないでしょうか。

よかったと。あのガンがあったればこそ、あの病や病気があった

ればこそ、悩み、苦しみを背負っていたが故に、ここまで歩み

来ることが出来たと。

今は感謝が出来るとそう訴えるではないでしょうか。

平坦な道を容易い道を歩んで、成長を遂げた人間はこの世に

一人もおりません。

厳しい道を乗り越えた分だけ、皆さんは成長し行けるでは

ないでしょうか。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-08(Tue) 22:14:18】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(2)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから、皆さんも神と我とは一体なりという境地から、目を

見開いて見るのならば、すべては神そのもの、すべては愛一元

そのもの、すべては美しい、すべては素晴らしい、ということ

他にないでしょう。

だから、今私自身が天国という常に味わっているその世界を

これを実相とも言いましょう、実相というその意識状態を通して

皆さん自身がすべてを眺め見て欲しいと。

そのために、皆さん、真理、真理をここまで皆さんは追い求めて

きたではないでしょうか。

何か知りたい、何か掴みたい、何か得たい、何か悟りたい。

何のために。

その何かは、何を見ても愛一元だったと。

愛他に何も実在しなかったと。

そこに至るために、皆さんここまで幾転生という人生の旅を

繰り返してきたではないでしょうか。

何のために、人生の旅を。

何のために、肉体存在の目的と言いましょうか。

ただ、皆さん自身が愛他に何も実在しなかったと。

全き愛、愛こそがすべてだったと。

だから、花々という形を纏った愛そのもの。

動物や鉱物という形を取った愛そのもの。

人という肉体を、人というその形を纏った、似姿を取った

愛そのもの。

だから、愛人。

愛の化身。

インドのサイババさんもそう言っているではないでしょうか。

私だけが愛の化身ではないんだと。

神の化身ではないんだと。

神によって創造された被造物は、すべてが神の化身だと

訴えているではないでしょうか。

すべてのすべて、あってあるものは、神という実相の中に、

実相とは完全そのもの、完全の中に創造され、完全に生かされたもの。

だから、不必要な人間なんて、無価値な人生なんて、この世に

一人もいない。

ただそのものが自らが神であることに迷っている結果、人を恨んだり、

妬んだり、非難、批判で自ら醜くしていること他にありません。

皆さん一人一人が、宇宙真理を我として受け止めて、言葉に思いに

その行為に現し示してみてください。

何て素晴らしい世界が、何て美しい世界が。

だから、愛の火が燃え伝わったとき、世界に夜明けが来るでは

ないでしょうか。

まず、皆さん一人一人の心に火が注していねばなりません。

我は光なり、我は愛なり、我は完全なりという皆さん自身の

心にそれが灯されて欲しい。


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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。





愛のみの実在 | 【2006-08-07(Mon) 22:53:39】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
愛のみの実在(1)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

覚者の講話をそのまま掲載させてもらいます。


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愛のみの実在。

だから、私はこう語ります。

本来、実相という本質の世界には、地獄もない、悪もない、

闇もない、完全のみ実在といいます。

で、お客さんは、私にこう質問します。

じゃあ、愛のみ実在、愛他に何も存在しない、なのにイエス様が

サタンよ、我が後ろにて退け、御釈迦様が、悪魔よ、我が後ろにて

下がれ。

じゃあ、それは悪魔やサタンがいるのではなかったのかと。

それは外に敵を見たものではありません。

皆さんの内に潜んでいるネガティブ、あるいは消極、破壊的な

その心の状態を偽我の状態を、サタンよ、後ろにて下がれと。

病気は実在しません。

悩み、苦しみ、不調和なるものは、本来実在しません。

それを作り上げている偽我そのものを去れと追い払ったこと。

じゃあ、皆さんから偽我よ去れと、偽我を追い払ったならば、

何が実在しましょうか。

愛として、神として、完全のみ実在と言えるではないでしょうか。

それは私自身が実相という本質の世界で、地獄もない、闇もない、

悪もない、その実相世界を常に感じ見ているからではないでしょうか。

だから、悪を認めているのならば、闇を認めているのならば、

地獄あると認めているのならば、そのものは実在という実相世界を

体験しているものではありません。

実相の中には存在しておりません。

だからこそ、悪魔だ、地獄だ、闇だとそう語っているではない

でしょうか。

愛という完全の中に、何が実在しましょうか。

何が存在し得ましょうか。

だからこそ、罵り、怒り、非難の言葉でさえも、天使のささやき

にしか聞こえない。

いかなる表現も天使の表現にしか見ること、感ずることできぬと

いう意味は、その意味ではないでしょうか。

だから皆さんが、何を見ても美しい、何を感じても素晴らしい、

きれいと皆さんが言葉語れたときには、相当の意識状態まで

高まっているでしょう。

先ほども話をさせていただいたように、曇った汚れた心から、

どうして美しい言葉が出ましょうか。

どうして美しいものを感じ取ることが出来ましょうか。

だから悪を見るというのならば、自分自身のその心の中に

悪が潜んでいることを知らねばなりません。

まさか、愛のみが実在、愛こそ絶対実在と言えているもの、

そこに至っているものが、どうしてそれ以外のものが見えましょうか。

じゃあ、皆さん、神はこの大宇宙を眺めて、何を見ていると

言えましょうか。

すべては、神なり、すべては、愛なり、すべては完全なりと

神はそう見ていることほかにありません。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




愛のみの実在 | 【2006-08-03(Thu) 22:05:06】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
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