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■少しでも多くの人に愛にて生きることが幸せにつながることをお伝えしたく、また真の自己に目覚め生きることを共に学び、共に歩んでいきたいという思いで、このブログをはじめさせてもらいました。

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真我は能動、偽我は受動(3)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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それが無限の知恵でなくして無限の宝でなくして、何を無限の宝と

言いましょうかと。

我は神なり。

我神なるが故に、無限の知恵、無限の力、無限の愛、光は、皆さんが

使えば使うほど、与えて尽くせば与え尽くし生きるほど、無限の泉、

宝庫からこんこんと涌き出てくるだろうと。

こんこんとほとばし出てくるだろうと。

じゃあ、皆さんは得たい得たいという乞食で生きるのか、与えて

与えて与えつくし、全ての与え主になれるか。

そこに我々は今一人一人がどこを選択して生きるか。

これからのアセンションというその統合の愛のエネルギーをくぐる

ためには我々は常に真我、我として能動で生きることが出来ぬ限り、

その光をくぐることは出来ぬだろうと。

ほれ、6、7年前か、神が大きな愛の黄金の渦を巻いて回転した中に、

さあ私こそ愛ですと、私こそ悟りですと、自信持って言えるものはこの

光の中に飛び込めよと言われたときに、何百名、何千名、何万名が

一人一人飛び込んだと。

一人とてその意識の中に同調できたものはいない。

で、汚れたものほど、すべて弾き飛ばされたこと。

で、それを6、7年前に見せられてあの以来、北海道から沖縄まで

共に学んでいる中にその愛の光に飛び込んで跳ね飛ばされた中に、

一人もそこに残っていないこと。

幸いに我々は常に謙虚さを持って、常に素直さを持って、愛一元という

一元の中に融合が出来るまでは、徹底して学びとっていくことほかに

ないんだと。

だから、黄金の翼を広げ天空高く、観自在、無碍自在、自由自在に

飛び立って行けるまでは、我々はまだ不調和と申します。

ほれ、見てみてください。

ただ2、3日、明想中にあれだけの霊流の中に入っただけでも、もう

甲状腺なるもの焼き尽くされて、声にも出せぬではないでしょうか。

だから、心身ともに我々が愛に満たされて完成遂げるまでは、我々は

まだ常に努力を絶やしてはならぬと。

泥沼に花咲く蓮の花よりも真我という美しき花を開花させるまでは

不充分であることを知ってもらいたい。

しかし、2、3ヶ月前に私が沖縄で明想させてもらったときに、

もう皆さん一人一人が泥沼から光という光で顔を覗かし生きる

あなた方を見せられています。

あと一歩、あと一段、皆さん自身が力強く、我は光なり、我は

真理なり、我は愛なりというその力強さで常に飛び出た状態で、

そこに留めおけるあなた方であるならば、もう完成。

しかし、出たは出たけど、まだこの泥沼に引っ込む一人一人。

まだ不充分ではないでしょうか。

だからこそ、一日24時間四六時中、常に神を想うあなた方。

それを私は神に酔うとも言います。

この世の酒に酔うならば、理性を失って、自ら家庭を周りをすべて

破壊に追いやること。

しかし、神に酔うならばどうでしょうか。

無限の至福、無限の喜び、味わい生きることが出来ること。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真我は能動、偽我は受動 | 【2006-11-22(Wed) 22:38:02】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真我は能動、偽我は受動(2)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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だから、神が完全であるが如く、我完全なり。

神が完全であるが如く、すべては完全なり。

これが我々の受け継いだ最高遺産と申します。

じゃあ、それ以上のもの、何を必要としましょうか。

それ以上のものもそれ以下のものもないことを知ったときに、

すべて満たされている自分を体験するでしょう。

金や物や富で満たされているではありません。

この世の富はいつかは朽ち果ていくもの。

死後の世界まで持ちかえることの出来ぬもの。

しかし、皆さん自身の本質は不死不滅、永遠に持ちとおすことの

出来ることを知ったときに、皆さんはこの世で小さき者は、あの世で

大きい者となると。

この世で大きい者は、あの世で小さき者となると。

だから、我々は天という国に、天という本質の世界へ常に愛という宝、

慈悲という宝、それを積み上げて生きるあなた方になってもらいたい。

残された何十何年間で果たして我々が、どの程度真実の宝を天という

蔵に納めることが出来るのかと。

これが一人一人に課せられた大きな宿題と私は申します。

だから、一人一人の宿題は全く同じ。

誰しもが真実の愛という宝をどの程度積み上げて帰ることが

出来るか、これが一人一人に与えられた使命ではないでしょうか。

だから、使命とは命に使えて、無限の愛を常に天という蔵に納め

生きること、これが我々の最高使命と申します。

それ以上にそれ以下に何を使命と言えましょうか。

それ以上にそれ以下に使命はありません。

今日も愛にて目覚め、愛にて事を成し、愛で今日の一日を終えて

いける一人一人。

ならば平等に一人一人が確実に天という蔵に愛という宝物を積み

生きることが出来るならば、皆豊か。

誰もが平等。

あの人はこの者はと見る必要も言う必要もありません。

だからこの現象という結果の中に振りまわされての宝ではなく、

真実の愛としての宝物を積み生きるあなた方になったならば、

神は皆さん自身にすべてのすべてを与え尽くすではないでしょうか。

だから、これは去年か一昨年、神は明想中に私にこう言われます。

例えば今、私が百万の金を持っている。

で、世のために人のためにそのお金をすべてをひっくり返して

使うことが出来るのかといわれたとき、私は小学校の時からその

生き方は断言して言いきること。

もうためらうことなく、私にはそれが出来ますと言い切った時に、

ならば無限の私が無限の方法で常にあなたの財布を無限として

満たしてあげましょうと。

それを私は最初、お金と勘違いしたこと。

与えても、その財布は満ちて来ないではないのかと。

明想してみたならば、それは既に満たされているではないのかと。

なぜならば、科学者の前に立ち、医学者の前に立ち、教育者の前に

立ち、政治家の前に立ち、一度だってあなたは言葉に不自由したことが

ないではないのかと。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真我は能動、偽我は受動 | 【2006-11-21(Tue) 23:49:04】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
真我は能動、偽我は受動(1)
多くの人がまた自分自身が真の自分に目覚め生きることを思い、

講話をそのまま掲載させてもらいます。


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なぜ、我々は愛を常に与えて与えて与え尽くして生きねばならぬのか。

皆さんの本質は真我として能動であるからと。

だから、常に愛生きよと。

愛を得よう、愛を下さい、そのような受動原理であってはならぬと。

常に与えて与えて与え尽くして生きよと。

愛を得ようとする者は愛を失い、愛を放つ者は愛を得ると。

命を得ようとする者は命を失い、命を放つ者は命を得ると。

持てる者は更に多く与えられ、持てぬ者は持っているものさえも

奪われると。

だから、皆さんは我は神なりとして、常に愛を与えて与え尽くし

生きるあなた方になってもらいたい。

愛するは愛されるよりも美しく、すべてを幸せにする。

じゃあ、世の一人一人が常に我は真我なりと能動で生きることが

出来るならば、この世はあっという間に豊かな世界。

その豊かさは金や物や富ではありません。

愛そのものに満たされた豊かな一人一人。

真の豊かさは愛そのものではないでしょうか。

決してこの世の物質そのものを豊かさと言っているわけでは

ありません。

すべてを愛し、すべてをいたわり、すべてを思いやり尽くし

生きよと。

これが神が創造した最高目的と申します。

決して憎しみあったり、怒りあったり、そしったりの目的で生かされて

いるんではないんだと。

だから、今の人間がなぜ、この世を末法化させてしまったのか。

すべてを下さい、下さい、何を下さい。

じゃあ、皆さん、神に、健康にしてください、幸せにして下さい、

何を下さいと言ってみてください。

あなた方の必要なものは、すべて添えて与えたのではないのかと。

神はそう訴えることでしょう。

だから、皆さんは、はじめから健康、はじめから完全、今も絶対実在で

あって、決して下さい、下さいに生きる愚かなる者となってはならぬと。

何を下さいと言いましょうか。

すべてのすべて、あってあるものは、皆さんの中に初めから内在

しているもの。

無限の知恵、無限の力、無限の愛、無限の光、だから与え尽くし

生きるが故に、皆さんは能動の真我と申します。

決して何を下さいではありません。

現に皆さん一人一人には無限の富は神我として、神のすべてが添えて

与えられているではないでしょうか。

だから、神は私に似せてあなた方は創造されたものであると。

で、あなた方に私のすべては受け継いだものであると。

じゃあ、我々はこの世の肉体的なお父さん、お母さんから血圧の

高さとかガンとかいろんな病や病気を受け継いだ者は一人も

おりません。

だから、ただ、それは皆さん自身がそうだという錯覚をしただけ。

もう今の科学は今の医学は、決してそれは遺伝ではないという発表を

しているといいます。

真の遺伝とは真に我々が受け継いだものは、無限の能力であることを

知ってもらいたい。

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今日もこのような話を書かせて頂けることを

神に感謝いたします。




真我は能動、偽我は受動 | 【2006-11-20(Mon) 20:50:43】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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